第560話 城生城の落城と鎌田政年の討死。両軍、和議となるか?

 天正元年 四月五日 酉四つ刻(1830) 越中 戸波村~鷲塚村 島津軍


 巳の四つ刻(1030)から始まった島津軍と上杉軍の戦闘は、巧みに離合集散を繰り返して互角のまま推移していたが、もう間もなく日没になろうかという頃、唐突に終わりを告げた。


「申し上げます! 刑部左衛門様(鎌田政年)、お討死にございます!」


「なんだと! 馬鹿を申すでない! 刑部が討死などありえぬ!」


 伝令から鎌田政年の討死の報を受けた島津家久は、重臣の死を受け容れることが出来ない。


 しかし、進軍してきた右翼の鎌田政年陣は上杉軍の突撃が激しく混乱している。


「ええい! 供回りは一体何をしておったのだ! 者ども、右翼を助けに行くぞ!」





 ■上杉軍


「申し上げます! 御実城様からご注進にございまする!」


「なんじゃ、申せ!」


「は、火急の儀にて、急ぎ退くよう仰せにございます!」


「何を申すか! 敵の将を討ち取り、これからだと言うのに、何故退かねばならぬのだ! ?」


 甘粕景継は伝令を怒鳴りつける。


「それがしには分かりかねます! ただ御実城様の仰せの言葉をお伝えしたのみにございます!」


 景継は起死回生の策として伸びきった島津軍を叩き、撤退させよとの当初の謙信の命令を思い起こした。


 白鳥城が敵の手に落ちたのだ。


 さらに願海寺城さえも落ちてしまえば、兵站が断たれてしまう。


 島津軍もそれを逃すはずがないから城攻めに入る。そこに先んじて攻撃を加えて城攻めを阻止せよ、との命令であった。


 今まさに敵将を討ち、それをなさんとしているのに、何故撤退を命じるのだ?


 景継は不審に思ったが、謙信の突発的な行動は今に始まった事ではない。


 しばしば家臣の理解を超えた行動をしていたが、それがことごとく正解であったのだ。今回もなにか、撤退しなければならない事態が起きたのだろう。


「……あいわかった。ものども退けい!」





 ■島津家久陣


「なんだこれは? いかがした事なのだ?」


 右翼を助けにいった家久であったが、撤退のホラ貝の音とともに、上杉軍が引き上げていくのである。


 まるで潮が引いていくかのごとく整然としている。


 あまりにも整っているので、なんらかの計略を疑いたくなるくらいである。


「ええい! 考えても仕方あるまい! 落ち行く(逃げている)のは確かなのだ。追え!」


 この期に及んで弄す策などないと判断した家久は、全軍に突撃を命じようとした。その時である。


「申し上げます! 総大将、道雪様よりのご注進にございます!」


「何事じゃ!」


「は、間もなく日も暮れまする。同士討ちになってはいけませぬ。また、事の様が変わった故、一旦戻られよ、との事にございます」


「何い! ? こちらは刑部を討たれておるのだぞ! やり返さずして何とする!」


「お気持ちは重々承知の上にございます。すでに左衛門督様(歳久)、兵庫頭様(義弘)は兵を退いております!」


「ぐ、ぬ……。あいわかった。皆の者引き上げじゃ!」


 伝令はそのまま伊東隊へと向かい、撤退を促した。





 ■戌四つ刻(2030) 火宮城 上杉陣


「すでに願海寺城には遣いを出した。富山城まで退く故、家族は逃し、兵とともにわれらと落ち合いて富山城まで退くようにと申し伝えてある。増山城、亀山城も同じだ」


「御実城様、これはいったい……」


 甘粕景継はもちろんの事、攻撃に向かった将は理解できないようだったが、本陣に謙信と一緒に待機していた将は、無念そうに顔をゆがめている。


「なんだ? 如何したのじゃ?」


「城生城が、落ちた」


 柿崎景家が言った。


「なんと!」


 場が騒然となり、事の重大さを誰もが感じている。


「小佐々の勢が、この本隊とは別に動いておるのは知っておった。ゆえに四千を分け、飛騨から越中の山中に忍ばせたのじゃ。鉄砲に大鉄砲、大砲とでもいおうか、狭い道では使えぬ故な」


 全員が黙って謙信の言葉を聞いている。


「われは死を恐れぬ。故にわが勢も死を恐れずに敵に臨むのだ。然れど小佐々の兵は違う。息絶へ、損ないけり者(死傷者)に重きをおき、蔑ろにはせぬ。それゆえ三割の兵が死ねば大事となり、兵を退くと考えておった」


 損耗率三割の原則を言っているのだろう。しかしここでは、三割減ったら必ず戦闘不能になるという意味ではない。


 死傷者の後送や手当等に人員を割かれるので、兵力相当の戦力と見なすことができないという意味である。


「城生城を抜いたという事は、一万二千から三千の兵が新たにこちらに向かってくるという事となる。然れば、こちらはさらに非(不利)となろう」


 謙信は眉間に皺を寄せ、額をトントンと叩きながら話す。


「では、如何なされるのですか?」


「案ずるでない。皆も知ってのように、我らの船手衆が七尾の城を押さえた。能登が我らの手に落ちたとなれば、小佐々も兵糧矢玉を運ぶのに難儀いたそう。飛騨の山道は数百忍ばせれば荷駄を襲うのはたやすいゆえな」


「されど御実城様、兵糧矢玉を考えるならば、われらの方が苦しゅうござる。いわば我慢比べのようにござるが、われらとて、いくらも持ちませぬぞ」


「わかっておる。故に和議といたすのじゃ。小佐々は北海の交易の利を欲しいがために、能登に肩入れしておる。その能登の引き換えを和睦の題目といたせば、和睦はなるであろう」


「果たして、成りましょうや?」


「成らねば、致し方ない。最後の一兵まで打ち合うのみよ」





 ■増山城・亀山城


「いったい、一体どうすればよいのだ?」


 謙信からは撤退して合流後に退却しろという命令、道雪からは降伏の使者が来ていた。


 当初謙信優位で進んでいた戦況であったが、隠尾城他四城が陥落し、その後長沢城・富崎城・白鳥城が落ちたのだ。


 極め付きは城生城の陥落である。


 しかし、七尾城が上杉の手に落ちたことは知っていた。これも上杉陣営からもたらされた情報である。


 神保長住、椎名康胤は、決断を迫られていた。





 ■佐渡


「何い? 何故、なにゆえ船を入る事能わぬのだ?」


 第四艦隊第四十一戦隊の軽巡阿武隈は、本隊とは離れていた。


 翌日以降に行われる越後沿岸部の砲撃のための寄港地、緊急避難地として、事前に折衝をしておこうと言うのだ。


「何故も何も、お前さん方、謙信公と軍なさっておいででしょう? 私ら……佐渡の人間はみんな上杉の殿さんには世話になってますんで、敵方の船を入れさせる訳にはまいりませんな」


「いや、何もお主らといくさをするわけではない。しかと帆別銭も払う。なにが駄目なのじゃ?」


「……」


 阿武隈は錨泊し、翌朝鼠ヶ関に戻っていった。

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