第546話 道雪と謙信。四月の庄川決戦~中盤戦へ

 天正元年 四月二日 午二つ刻(1130) 庄川西岸(二塚村) 道雪本陣


 戦闘開始から一刻(2時間)が経過し、放生津ほうじょうつ城からの伏兵と、それを防ぐために渡河した肝付・島津軍は乱戦となっていた。


 伊東軍の先陣を包囲せん滅しようとした上杉軍であったが、あと少しのところで包囲ができずにいた。


 放生津軍二千と肝付軍二千がぶつかり、包囲を試みた上杉軍左翼に島津軍の先陣が襲いかかったのだ。


 放生津伏兵二千との間に入った肝付軍二千、伊東軍三千と上杉軍右翼三千、そして渡河をして上杉軍の側面を突いた島津軍の二千である。


「道雪殿、敵の伏兵には何とか間に合ったようですぞ」


「うむ、島津殿がやってくれたな。あそこで急ぎ後詰めを送らねば、先陣は根絶やしにされておったであろう」


 事なきをえた島津軍は、先陣を上杉軍の側面に放つことでようやく優位にたとうとしていたが、三好軍の先陣である岩成友通の討ち死にの報告も入ってきた。


 待ち構えていた上杉兵に撃たれたようだ。


 当初の予定では南の吉住村に陣を張る予定であったが、謙信が予想より北に陣を構えたため道雪もそれにあわせて、一里強(4.2km)北の二塚村に陣を構えた。


 それでも正面に謙信の陣はない。謙信の陣は北に二里弱(7.6km)の大門新村にある。


 道雪が陣を構えた二塚村の瀬、正面には腰から肩までの深さの川があり、渡れたとしても、増山城からの兵の後詰めの可能性があった。





 ■庄川西岸(枇杷首びわくび村) 三好軍


「殿、主税助殿の事は恨めしきかな(残念)。然れどこ(ここ)は戦場いくさのにわ、いつまでも打ち屈したり(塞ぎ込んで)てはらちがあきませぬ」


 三好長治の威勢は、岩成友通の討死のおかげですっかり消えてしまっている。ただし、軍を退かせた判断は正しかった。あのまま突撃していても被害が増えるばかりであったからだ。


「わかっておる。然れどわしの、わしの甘さが主税助ちからのすけを殺めたのじゃ……。して、いかがいたすのじゃ? うかつに掛かれば(攻めれば)鉄砲の餌食となろうぞ」


「さきの渡り合いに破れき(戦いに負けたのは)はこちらが打弛うちたゆみきに根差しております(油断したのが原因です)。城に掛かるがごとく、竹束や木楯にてしかと備えをしておれば、なんら物にもあらず(問題なし)にござる」


「いかほどの刻がかかろうか。先陣の中翼は今、誰が率いておるのだ」


「塩田若狭守にござる。彼の者に任せておけば物にもあらず(問題ありません)。また木楯竹束は先陣の分の備えはあります故、すぐにでも掛かりましょう(攻撃しましょう)」


「あいわかった。ではそのようにいたせ。よいか、次こそは敵を打ち破り、向こう岸に三好の旗をたてるのじゃぞ!」


「はは!」


 岩成友通の死後、中翼先陣は副将の塩田若狭守の元、右翼、左翼ともに再び渡河を始めた。





 ■庄川西岸(小牧村) 杉浦玄任軍


「さて、手を焼いていた上杉であったが、ここで小佐々の後詰めとくればもっけの幸い。使わせてもらうとするかの」


 金屋村の南、小牧村に陣を構えた玄任は、道雪のもとに遣わしていた伝令が戻った事で、本格的な渡河を始めた。


 青島・金屋村から小牧村の瀬は川幅は狭いものの、切り立った斜面にうっそうと茂った林がある。青島、金屋、小牧の順に険しくなる。


 龍造寺軍が渡河する青島村が一番渡河には適していた。


「頼純どの、敵の兵はいかほどか?」


 副将の下間頼純に聞く。まだ二十歳にもなっていない若者だが、玄任の副将として抜擢されている。


「は、隠尾城に千、鉢伏山城に千にございます。千代ヶためし城、壇の城にはそれぞれ五百ほどかと」


「よう集めたものよ。然れど湯山からおとし村、そして隠尾城までは幅一間半(約2.73m)の細道じゃ、用心せねばならぬな」


「はい、もう一つは青島村から渡りて千代ヶ様城を落し、そこから山道を通って隠尾城にいたります」


「ふむ。もうじき民部大輔どのも掛かる(攻撃する)であろうから、急く要はなし。ゆるりと用心しながら進めるがよい」


 玄任はまず、先陣のうち五百を渡河させた。





 ■庄川西岸(青島村) 龍造寺軍


「さて、川を渡って、まずは千代ヶ様城を落とさねばならぬが、何か策はあろうか?」


「民部大輔様、われらは一門にございます。われらが敬うは道理なれど、われらには心置きなく接してくだされ」


 軍議の席での龍造寺純家(16)の言葉に相神浦あいこうのうら盛(23)が答えると、伊万里治(22)と波多しげし(19)も口をそろえて同意する。


 純家が一番年下ではあるが、家格は上である。


「左様か。年近きそなたらと、戦場にて戦える事、嬉しく思う。さあ、では忌憚のない考えを聞かせてもらおう」


「は、まずは物見の報せによりますと、向こう岸の城、千代ヶ様城には五百ほどの兵が詰めているようにございます。されば、その先の壇の城も同じかと。こちらも五百ほどをまず渡らせ、無事を確かめてからようように(徐々に)全軍を渡らせればよいかと存じます」


「うむ、皆、異論はないか? ……では、そのようにいたそう」

 

 



 ■庄川西岸(大田村) 一条軍


「ここは、なんじゃ? 途中、道雪殿より渡河能う瀬(可能な場所)を探して陣をはれとの命ではあったが、いかなる瀬なのじゃ?」


「こ(ここ)は深き瀬もあり、浅き瀬もあり。中州もありて、様々な有り様の瀬にござる」


 一条兼定の問いに答えるのは、一条家の良心、土居宗珊である。


 純正が大友宗麟に命じて、どんな事があっても土居宗珊を冷遇したり、打ち首などもっての他だと兼定に厳命していたのだ。


 心を入れ替えたといっても、人間、それを持続できる人はわずかである。


 兼定は宗珊の苦言を苦々しく思いつつも、後になって冷静になれば、当たり前だと納得する日々が続いている。


「まずは少なき兵を物見として向こう岸に渡し、敵の事の様を改む(調べる)べきかと存じます」


「左様か。……うむ、よきに計らえ」


 いまだに公家気質が抜けない兼定であったが、幼い頃よりしっている宗珊にとっては、支えるべき紛れもない主君なのである。





 ■第三師団、陸路にて北信濃の平倉城へ。4/5着の予定。

 ■第二師団、吉城郡塩屋城下。

 ■第四艦隊、出羽田川郡鼠ヶ関港。

 ■上杉軍城生城別働隊、喜右衛門。行軍中。

 ■杉浦玄任、庄川西岸小牧村。渡河開始。

 ■島津(伊東)軍、上杉軍の右翼と交戦。上杉軍からの包囲を避けるために後退。乱戦。

 ■島津(肝付)軍、吉久新村にて放生津兵と戦闘。

 ■島津本軍、庄川西岸にて渡河準備。先陣は渡河後、上杉軍左翼(前先陣右翼)と交戦中。

 ■三好軍、庄川西岸枇杷首村より再び渡河開始。

 ■立花軍、二塚村。渡河の準備。

 ■一条軍、大田村。渡河の準備。

 ■龍造寺軍、青島村。渡河の準備。

 ■謙信、庄川東岸、大門新村に布陣、右翼、伊東軍と交戦。

 ■(秘)○上中

 ■放生津城の伏兵二千、伊東軍を包囲殲滅するため、後方より襲撃。伊東、肝付、島津軍と乱戦。

 ■(秘)○○行軍中

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