第545話 悲報、伊東軍の苦戦と岩成友通の戦死。

 天正元年 四月二日 の三つ刻(1000) 庄川西岸(能町村) 島津本陣


 伊東軍が上杉軍右翼三千と戦闘を開始して半刻(1時間)が経過していた。


「や! これは……まずい。急ぎ伝令を!」


 庄川の西岸にある島津本陣から対岸の伊東軍の先陣が見えなくなり、完全に上杉軍の先陣右翼(今の先陣左翼)の陰に隠れてしまった。


 それに中陣も入り込もうとしている。


 もし上杉軍が伊東軍による中央突破を阻もうとすれば、右翼・左翼ともに後退し、中翼を厚くするはずである。


 しかし上杉軍の左翼(右翼は奥にあるので見えない)はいったんは下がったものの、現在は動いていない。


 下がっていたものが徐々に動きを止め、今は完全に止まっている。


 現場の指揮官の判断と指揮能力にもよるが、前進していたものは急には下がれない。


 そのため、中陣より後は後ろに下がるのではなく、左右どちらかに分かれ、後退する先陣の退路を確保する必要がある。


 そうすれば先陣が上杉軍に包囲されるのを防ぐ事ができるのだ。





 ■庄川東岸(吉久新村)


「皆の者! 今少しじゃ! 今少しで敵は崩れるぞ!」


 山田宗昌の檄を受けて敵中を進む伊東軍であったが、やがて上杉軍は後退しなくなり、急激に反撃が厳しくなってきた。


「! これは、いかがした事じゃ?」


 伝令が立て続けに報告にくる。


「申し上げます! 右翼の米田重あき様、敵の勢い強く、後ろに退きましてございます!」


「申し上げます! 左翼の米田のり重様より、これよりは突入し難しとの申出にございます!」


 これまで攻撃してこなかった上杉軍の右翼と左翼が、突如示し合わせたかのように反撃して押し返してきたのだ。


 三方位から包囲しようとするなら、前方の上杉軍中翼も間もなく動きだすはずである。


 敵である新発田長敦が凡庸な将であれば、宗昌の勢いに押されて潰走していたかもしれない。


 ついに、先陣中翼の山田宗昌は決断した。


「皆の者! いったん退けい! 退くのじゃ!」


 完全に包囲されてからでは退却も難しいが、そこは山田宗昌も歴戦の将である。ギリギリのところで、無理と判断すれば決定は早い。


 率いる部隊にすぐさま命令を出した。 


(くそう! 間に合うか! ?)


 活路を見いだし撤退を試みようとする宗昌に、上杉軍の新発田長敦が襲いかかった。


「我こそは上杉七手組大将が一人、新発田尾張守(長敦)である! いざ、尋常に勝負せよ!」


「応! 我は日向国酒谷城主、山田土佐守(宗昌)である! 島津の亀沢豊前守、北郷の和田民部少輔を討ち取ったのは我である! かかってくるがよい!」


 退却を決断した宗昌であるが、敵の大将が挑んで来たのである。討ち取れば敵の士気を落とす効果ははなはだしい。


 攻めるにしても退くにしても、受けようと判断した。


 しかし、何合も斬り結んではみたものの、どうにも分が悪かった。


 宗昌は常に先陣で敵である上杉軍に斬り込んでいたが、新発田長敦はここぞという時に攻め込んできたのだ。


 温存している体力と比べては、差が出るのは当然である。


(ぐ、これまでか……退くしかない)


 再び退却を決めた宗昌であるが、そこに一人の男が手勢と共に斬り込んできた。


「助太刀いたす!」


 中陣中翼の荒川宗並である。


「次郎三郎(山田宗昌)どの! まだお主に死んで貰っては困るのじゃ! わが殿のために退きなされ!」


「お主に借りを作りたくはないが、かたじけない!」


 二対一ではさすがに分が悪いと思ったのか、新発田長敦の追撃が少し弱まった。


「さあ、今のうちに」


 伊東軍の先陣はまだ完全に包囲されてはいない。


 宗昌の判断と宗並の救援が遅ければ、今ごろは完全に包囲され、中陣以下と分断されていたことであろう。





 ■庄川西岸 島津本陣





 発 道雪 宛 兵庫頭(島津義弘)


 メ 敵 伏兵 放生津二 アリ メ





「なんじゃと! 伏兵じゃと? 放生津から! ?」


 島津の本陣には、義弘が布陣してすぐに、通信用の塔が建てられていた。陸軍の五個通信小隊と工兵小隊が、それぞれの軍に派遣され、設営を行っていたのだ。


 馬であれば四半刻(30分)はかかる伝令が、すぐさま道雪の本陣(移動中の枇杷首びわくび周辺)から送られてきたのだ。ただ事ではない。


 報告通りの伏兵五百なら問題はないだろう。


 今押されている伊東軍の後詰めに、肝付軍を加えれば事足りる。しかし、あえて送って来たということは、すぐに対処しなければ危険だという事なのだ。


 伏兵の数も書かれていない。であれば、戦局を覆す千、あるいは二千程度の数はあると見るべきだ。義弘はそう考えた。


「よし、すぐに肝付に川を渡らせよ! われらもすぐに渡るぞ!」


 矢文に書かれた正々堂々の戦いは終わった。


 しかし上杉が卑怯という事ではなく、渡河は邪魔しないという意味だと解釈していたので、義弘はなんとも思わない。


 謙信の自信たるや、称賛に値するものなのだろうか。


 すぐに肝付軍の渡河が始まり、島津本軍も渡河の準備を始めた。





 ■庄川西岸(二塚村) 立花・一条・龍造寺軍


「道雪殿、兵庫頭殿(義弘)は動くでしょうか」


「大事ない。わしの文の意をくんで動くであろう。然れど、備えはしておかねばならぬ。上杉の中翼は動かぬと思うが、三好には十分に用心せよと伝えておくのだ」


「はは。おい、三好に伝令を送れ」


「はは」


 紹運の命により伝令が走る。


「然れど、いか様にして、いずこから伏兵を放生津の城に入れたのでしょうか」


「何もなきところからは生まれぬよ。こちらに来るまでの間に小出しにして、兵を放生津へ移しておったのであろう。賢し(巧妙)よの。加えて謙信来たりて在地の国衆も馳せ参じたのであろう」


「われらはいかがすべきでしょうか」


「ははは、それはお主も良くわかっておるであろう。慌てても変わらぬ。今の戦いは島津どのに任せ、われらは陣を設けて向こう岸の敵に備えるのみよ。ちくちくと(少しずつ)、上杉を取り籠め(包囲すれ)ばよいのじゃ」


「はは」


「それから壱岐守(杉浦玄任)殿の遣いの者に知らせ、速やかに青島村から庄村に渡河し、隠尾城と鉢伏山城を抜く(落とす)ようにと」


 庄川西岸の青島村は、龍造寺軍が陣を置く予定の南端である。

 

「畏まりました。おい、伝令をだせ」


「はは」


 道雪、紹運の指示によって伝令が走り、帯同していた杉浦玄任の手のものが、出発した。




 ■庄川西岸(枇杷首村) 三好軍


 ダダダダーン、ダダンダダン、ダダダダダーン。


 前方を渡河中の三好軍の先陣から、すさまじい銃声が鳴り響いた。もう間もなく最後の中州に向かうところであった。


「何事じゃ!」


 しばらくして長治のもとに、驚愕の報せが入った。


「申し上げます! 先陣中翼、岩成主税助(友通)様、敵の鉄砲により、討ち死してございます!」


「なんだと! ばかな! 敵は少ないのではなかったのか! ?」


「それは、その報せの中身はわかりませぬが、葦の茂みの中に数多の敵が潜んでおり、一斉に鉄砲を撃ちかけてきてございます!」


「おのれ、猪口才な!」


 ここで兵を退かせるか、それとも敵の砲火をかいくぐって渡河するために、さらに中陣を後詰めに出すか?


 長治の将としての才器が問われる瞬間である。





 ■第三師団、陸路にて北信濃の平倉城へ。4/5着の予定。

 ■第二師団、吉城郡塩屋城下。

 ■第四艦隊、出羽田川郡鼠ヶ関湊。

 ■上杉軍城生城別働隊、喜右衛門。行軍中。

 ■杉浦玄任、庄川西岸青島村。(1130伝令着予定)

 ■島津(伊東)軍、上杉右翼と交戦。上杉軍からの包囲を避けるために後退。

 ■島津(肝付)軍、庄川渡河中。

 ■島津本軍、庄川西岸にて渡河準備。渡河後に上杉軍左翼(前先陣右翼)と交戦予定。

 ■三好軍、庄川西岸枇杷首村より大門新村に向け渡河準備。

 ■立花軍、南下中、庄川西岸二塚村。一条軍、龍造寺軍も同じ。 

 ■謙信、庄川東岸、大門新村に布陣、右翼、伊東軍と交戦。 

 ■(秘)○上中

 ■放生津城の伏兵二千、伊東軍を包囲殲滅するため、後方より襲撃。

 ■(秘)○○行軍中

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