第538話 第四艦隊絶体絶命?ガレオン船の弱点

 天正元年 四月一日 越佐海峡 霧島丸 巳の四つ刻(1030)


「何を考えているのだ!」


 艦を面舵(右)に切って取り舵(左)に戻し、中央に戻して直進して向かってくる上杉水軍の左舷側に出ようとした加雲は、驚きのあまり声を上げた。


 なんと上杉水軍も取り舵から面舵に戻し、正面につけてさらに向かってきたのだ。


 車で言えば、二車線道路の第二車線を逆走してくる車に対して、ハンドルを右に切って戻し左の第一車線にいて、第二車線の逆走車をやり過ごそうというのである。


 しかし、その逆走車がハンドルを左に切って第一車線上に来て、向かってきているようなものだ。


「馬鹿な事を! 艦長、取り舵! 右反航戦、砲戦用意!」


 加雲は逆の右舷側の反航戦を命じ、十分な距離をとって白兵戦にならないようにした。


 すると、上杉水軍も同じように面舵を切り、また正面に位置して向かってくる。


猪口才ちょこざいな! 一体何がしたしなのだ?」


「長官! このままでは、ぶつかってしまいます! 然れどぶつかるなど愚の骨頂、何ぞ考えているに違いませぬ!」


「……」

「……」

「……」


「長官! もしや! もしや奴らは、間近く(直近)まできて二手に分かれ、われらを取りんで乗り込む思わくではないでしょうか?」


「! それはまずい! ……よし、全艦面舵、艦隊右梯形ていけい陣! (右側を先頭に斜めに進む陣形)」


 加雲は梯形陣を命令した。


 大砲の射程に上杉水軍の先頭集団が入った瞬間に面舵転舵、単縦陣を形成しつつ敵の前進を止め、取り舵転舵して円運動を行いながら殲滅するつもりである。


 風は変わらず南東からで、小佐々、上杉両軍とも横風の中を進んでいく。


「艦橋、見張り。敵針敵速変わらず! 距離ヒトゴーテンマル(十五町、約1,635m)、直射の射程間もなく!」


 まだだ、まだまだだ。加雲はギリギリまで引き寄せる。


「ヒトマルテンマル! (十町、1,090m)」


「ようし! 各艦右転舵! 単縦陣となす! 我に続け! 左砲戦用意! 各艦、各個に撃ち方始め!」


 加雲は面舵を艦長に命じ、あとは艦長の指示である。


 霧島丸の左舷の砲門九門が火を吹いた。さらに砲撃を続ける。轟音と共に次々に水柱が上がり、上杉水軍の姿が見え隠れする。


 左舷砲門が引き続き砲撃を続けていると、やがて見張りから報告が入った。


「艦橋、見張り、敵先頭艦、二隻撃沈!」


「ようし!」


「やったぞ!」


 艦橋内に歓声があがる。


「艦橋ー、見張り」


「はい艦橋!」


「敵艦はなおも突っ込んでくる!」


 複縦陣で突っ込んできていた上杉水軍は、先頭艦が沈められても、怯まず突っ込んでくる。


 加雲に指示されるまえに艦長が叫ぶ。


「左舷鉄砲用意! さらに近づく敵を攻撃せよ!」


 上杉水軍の先頭艦に対して、結果的にT字型になって航行していた霧島丸であったが、すでに上杉水軍の先頭艦は艦尾方向にあった。


 霧島丸の射線から外れている。


「とーりかーじ!」


 左に転舵して今度こそ反航戦を挑もうとする。


 二番艦、三番艦以降が次々に左舷砲戦によって上杉軍の先頭艦集団に砲撃を加えるも、上杉水軍は沈められても怯まない。


 そしてさらに霧島丸の左舷中央に向けて突っ込んでくる。


(何だこいつらは?)


 加雲の脳裏に戦慄が走った。


(島津の捨てがまりか?)


 島津の撤退戦法で、命を賭して大将を逃がす戦法であるが、その逆であろうか?


『死中生有り 生中生無し』


 死を覚悟して戦えば生き残り、生きようと思って戦えば死ぬこと。上杉謙信の言葉であるが、まさにそれを地で行っている。


 距離があれば速度を活かして逃げ切ったかもしれないが、接近されすぎている。


「白兵戦用意! 左舷鉄砲撃て!」


 ダダダダダン! ダダダダダン! ダダダダダン!


 一斉に火を噴いた左舷の狭間筒であるが、何発かは先頭艦に命中した。


 しかし上杉水軍の船の艦首には、厚さ一尺(約30.3cm)の板の上に鉄板が貼り付けられ、立てかけてあったのだ。


 当たってくぼみはできるものの、貫通しない。


 もちろん、その後ろに隠れている兵には被害がない。もの凄い数の小早船が雲霞うんかの如くまっすぐに霧島丸に押し寄せてくる。


「何だこれは? なぜ奴らは突っ込んでくるのだ?」


 参謀長は青ざめているが、必死に現状を把握し、対策を講じようとしている。


 ガレオン船はもちろん、戦列艦ですら同じである。


 同じ規模もしくは同程度の軍艦に対して、同航戦ないし反航戦、もしくは至近距離で舷側を向かい合わせての、火力と防御力の勝負を想定して建造されている。


 そしてこの時代の大砲は後世の旋回砲と違って仰角を付けづらく、旋回角はほとんどしない。


 仰角に関しては、純正の設計思考で砲門に上方向の余裕を持たせることで可能にしたが、旋回角は皆無である。


 そのため同航戦と反航戦を行えば、自艦の被害は免れない。


 日露戦争でバルチック艦隊を破った旧日本海軍のT字型戦法にしても、この時代のガレオン船や戦列艦には不向きである。


 なぜなら旋回角がないから、真横に対して垂直に進んでくる敵艦に対してさえ、艦首側と艦尾側の大砲は、中央から離れるほど命中しにくくなる。


 いや、当たらないといった方が正解かもしれない。


 二隻、三隻と増えてくれば誤差は広がるばかりで、T字ではかえって効率が悪いのだ。


 加雲はもちろんT字戦法を行おうとしていたのではない。梯形陣から単縦陣への移行中に敵に打撃を与え、反航戦に持ち込んで殲滅しようとしたのだ。


 そして今では望むべくもないが、一番理想的なのは半円を描いた包囲による砲撃である。


 砲撃で敵を効果的に攻撃し、かつ自艦の損害を少なくするには、敵の進行方向に対して半円を描くように包囲し、クロス砲火のような形で砲撃するしかないのである。


 しかし、上杉水軍はそれを加雲にさせなかった。


 図らずも、マニラ沖海戦でスペインが被った被害を、小佐々海軍第四艦隊は受けようとしていたのだ。

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