第513話 京都大使館にて、謙信の上洛阻止と義昭の動向

 天正元年(元亀三年・1572年) 三月九日 京都大使館(※)古語


「あー疲れたー。やっぱりあわんばい(合わないよ)叔父さん。まあおい(俺)が望んだ事やけど(だけど)さ。堅苦しかったい(堅苦しいんだよ)な~」


 純正、久々のまったりくつろぎタイムである。


「げに(※本当に)、臣下にも誰にも見せられんな」


 いつもの事であるが、純久は半分あきれ顔で、それでも日ごろの苦労を考えて黙って受け止めている。


「で、いかがであった? 畠山修理大夫は?」


 純久には事前に行動を伝えてある。


「うん、よか奴やったよ」(うん、いい奴だったよ)


「そのままではないか」


「ははは、確かに。文武両道、実直で謀を好まぬ人柄のようでしたよ。良い友になれそうです」


「ほう、そうか。で、成りそうか? こちらの見立てでは謙信は前向きではないように思えるが」


 ニコニコ笑いながら語りかけてくる純久に対して、純正はため息まじりに返事をする。


「そうなんよね。もう叔父上(利三郎)の情報はきてると思うけど、和議の件はありがたし、然りながら、というところ。謙信は義のために動く。だけん(だから)越中にはまた兵を出すだろうね。もうそろそろ動くと思う」


 事実、謙信は正月に利三郎と会談した後、形式的に瑞泉寺と勝興寺、いわゆる越中一向宗と和議をもったのだが、やはりご破算になった。


 本当に形式的な和議であったのだ。


 それは一向宗も同じであったが、状況としては分が悪い。内心は和睦をしたくてしょうがないはずだ、と純正は考えていた。


「いかがするのだ?」


「謙信がの大義名分で動く事はわかったから、まず、その大義名分をなくそうと思う」


「能うのか?」


 純正は純久の問いに対してシュラグ、いわゆる肩をすぼめて両肘を曲げ、手のひらを上に見せる仕草で答えた。


「なんだ、それは? どこか具合でも悪いのか?」


「いや、違うって。ええっと……まあ、わからないというか、どうだろね、みたいな?」


「そなたが異なる(※変わっている)は前々から知っておるが、やはり異なものだな」


 純正は、あはははは、と苦笑いする。


「して、実のところはいかがなのだ?」


「まず、東越中の椎名は上杉方で、西越中の神保も謙信と誼を通じている。その神保が一向宗に攻められて困っとっけん(ているので)助ける、というのが謙信の大義名分のようやね(だね)」


「ふむ」


「そこでなんやけど(だけど)、前にもあったらしか(らしい)けど、能登畠山に仲介をさせる。椎名も神保も、名目上は言う事きかん(聞かないと)といかんやろ? そこに謙信が入ってくる余地はなか(ない)よね、本来」


「ふむ、然もありなん(※それはそうだろう)……成るか?」


「だから……なんだよ」


 そう言ってまたシュラグした。


「神保が一向宗に対して劣勢だから加勢してくれという理屈は、劣勢でなくなる、つまり神保と一向宗が和睦すればいい。そして越中守護の名の下に和睦が成れば、大義がなくなる」


 純正は説明した。


「そこなんだがな、ひとつ、気がかりなことがあるのだ」


 純久はあごに手を当てて顔をゆがめる。


「叔父さん、当てましょうか?」


「ほう」


「……公方様では?」


「は、はははっ。なんとも、知っておったのか? 御内書の事を」


「御内書? いや、知らんけど。なんとなく。でもそれ、都から逃げる前の話やろ?」


 ……。


「いや、どうもそれが違うようなのだ。都から逃げ落ちて、河内の三好にかくまわれておったのは存じておったが、その後の消息がつかめておらなんだ」


「うん」


「その後も、さかんに御内書を上杉や武田、北条、果ては奥州の大名まで送っているようなのだ」


「奥州まで! ? 馬鹿な……」


「まあ、その……奥州はどうでも良いが、問題は上杉よ。謙信にも上洛して兵部卿様を討て、と呼びかけているものであるから、謙信としては上洛の道すがら、でなくとも越中、加賀を統ぶる事は大義となろう」


「そんな馬鹿な。公方様が公方様たらん(※~のようにしよう・なろう)となさっている事が、いかに公方様としてそぐわぬ事か、兵部卿殿の異見書にもあるように、天下万民が知っております」


 なぜかここだけが古語になった純正。


「いかにも。然れど謙信がそれを鵜呑みにするであろうか? ろうて(追放して)はおらぬとて、都落ちには変わりなし。公方様に仇なす逆賊として、上洛を名目に越中と加賀の鎮撫をなさんとするやもしれぬ」


「みそみそ(※めちゃくちゃ)やん(じゃん)! でも上洛したって公方様は都にいないよ?」


「そこよ。謙信にしてみれば上洛云々はつれもなし(関係ない)。形だけの大義と名分なのであるからな。然れど謙信も、げには(※本当のところ)上洛できるとは思うておらぬだろう。織田家があるからな」


「それはつまり御内書を大義名分にして、ひとまずは加賀と越中を統ぶるという事やろう、ね」


「然る事(※そういう事)」


「うわあああああ、面倒くせえなあ、もう」


「然りとて、如何様にするか、考えておるのであろう?」


「うーん、まあ。やりたくはないけど、畠山の書状を無視されたら、武力をちらつかせて、経済封鎖で締め上げるしかないよなあ。それでも、くるなら、いくさしかないだろう」


 純正は、残念そうな、悲しそうな顔をした。


「俺も兵部卿殿も、幕府を言い消ちき(※否定した)わけじゃない。公方様のなさりようがあまりにひどいから、致し方なく、だ。守護は公方様がつくったものでもなければ、御内書で任じられるものでもない」






 啓蟄けいちつの候、弾正少弼殿におかれましては益々御清祥のこととお慶び申し上げ候。


 さて、我は去る永禄九年のみぎり(※時)に名跡を継ぎけり候。


 面伏おもてぶせし事なれど(※恥ずかしながら)家中穏やかならず、思ほおもおえず(※はからずも)越中守護として、安寧をもたらすこと能はざりけり(※平和をもたらす事ができなかった)候。


 しかしてかつがつ(※そしてようやく)、守護とする(※として)業(※仕事)、能うるようあいなりき(※できるようになった)候。


 今まで我の力足らずして、弾正少弼どのには神保と椎名の争ひにて、思ひ扱ふ事(※親身になって世話する事)いと多しけり(※とても多かった)事、おわび申し上げ候。


 以後は、一切のお心遣いは無用にて、隣国としての誼を通じたくお願い申し上げ候。恐々謹言。


 三月六日 義慶


 謹上 上杉弾正少弼殿






 同様の内容を含めた書状、つまり畠山が仕切るので、安心しなさいという旨のものが椎名康胤、神保長職、一向宗宛てに送られた。和睦の調停をすることが書かれた書状である。






 ■紀伊 日高郡 泊城 


 昨年、元亀二年の九月に信長に敗れ、京を追い出された(出て行った?)義昭であったが、その後しばらくは河内の若江城において三好義継の世話になっていた。


 しかしその三好義継も十月の十四日には信長に降伏し、その後義昭は石山本願寺に匿われていたのだ。


 そうは言っても西は小佐々の勢力下にあり、頼みの武田は謎の撤退。紀伊の雑賀や国衆に、延暦寺や堅田などは頼むに足りない。ジリ貧の状態であった。


 十一月二十六日に、武装解除に賠償金を支払うことで石山本願寺と信長との和睦が成った。


 それまでに本願寺側は、すでにお荷物でしかなくなった義昭を、交渉条件を良くするために追い出したのだ。


 かくして本願寺の手勢に護衛されながら、義昭が紀伊国日高郡にある湯川直春の領地に逃げ延びてきたのは十二月に入ってからである。


 それからすでに四か月が過ぎようとしていた。


「なんとした事だ! なにゆえ上杉も武田も北条も動かぬのだ! その三国が和睦をして余のために上洛いたせば、織田徳川など恐るるに足らぬではないか!」


 義昭は信玄が死んでいなかった事も知らなければ、勝頼に代替わりしたことも知らない。武田と織田が和睦をして、純正が武田に援助をしている事も、当然しらない。


 都から逃げだし、もはや政権と言えるかどうかも危うい。そのため必然的に入ってくる情報も限られるのだ。


「公方様、そも然る事ながら(※それもそうですが)、帰洛の仲立ちを申しつけておった中務大輔(湯川直春)殿も、兵部大輔(玉置直和)殿も応じてくれませぬ」


 義昭の都落ちに従ったのは、将軍の供廻り達や大名たちの子弟達も含め、わずかに百名程度である。


 落ちぶれたとは言え将軍であるため、湯川直春は匿ってはいたものの、信長からの要請があれば、引き渡す恐れもあった。


 義昭は次にどこへ向かうか、どこで再起を図るか? 誰が力になってくれるか? 


 考え、そして行動に移さなければ未来はない。


 信長が畿内とその周辺を完全に制圧するか、直春が義昭を引き渡すか、いずれにしても残された時間は、多くはなかった。

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