第494話 ヌルハチと越後の龍 上杉不識庵謙信という男

 とは言ったものの、超大国・明なんだよな。


 放置したとして、万が一の事が起こりえない、とも断言できないところが苦しいところだ。永楽帝の死後の洪熙帝と宣徳帝の時代に、明の国力は充実した。


 その後、安定と衰退とを繰り返し、先代皇帝の嘉靖帝の代に北虜南倭にて国力が疲弊したのだ。


 現皇帝である隆慶帝は、嘉靖帝への諫言で処罰されていた徐階や海瑞などの人材を登用し、それまで朝廷で権勢をふるっていた道士を一掃した。


 いや、占い師に国政を任せるって意味わからんけど。


 財政を黒字化するために海禁政策を緩和し、タタール(=モンゴル?)に対しても強硬姿勢から懐柔する政策に転換している。


 しかし、本人は名君という訳ではなく、張居正らの内閣における大学士が有能だっただけだ。


 うーん、不気味ではあるんだよな……。


 千方も断言はできない、と言っていた。


 国庫が苦しくても大国なのだ。人口が8,000万人として、1世帯5人で1,600万世帯。そのうち5分の1で……それでも320万人。


 無理をして出兵するかもしれない。


 秀吉の朝鮮出兵の時の明軍の兵力は慶長の役で10万弱。蒙古襲来、元寇の時の兵力は4万。


 台湾に攻めてくるとしたら海軍が必要だから、4万の兵を送ろうとすれば700隻から900隻、それ以上が必要だ。


 それだけの海軍力はないだろう。


 海軍力強化のために莫大な金がかかる。そこまでしてやるだろうか? いや、しかし万が一という事もある。


 台湾に駐屯しているのは、第四師団の南方旅団の半個旅団で約3,000名。海軍は沿岸警備隊程度の規模だ。


 マニラの艦隊はスペインとの海戦の痛手を癒やすべく、艦艇の修理を行い人員の補充をして艦隊の再編を行っている。


 だからそこから出す訳にはいかない。あくまでも敵国はスペインだ。


 しかし、いつスペインが攻勢になるかもわからないから、新規で、そうだな……。


 国内ではひとまず戦争はないだろうから、新造艦を含めた第四艦隊を派遣して、駐台湾艦隊として明の艦隊に充てるか。


 拿捕したスペイン艦隊の艦艇1隻は佐世保湊で研究・解析している。


 艦隊をもってアウトレンジで明の海軍を叩き、そこから漏れた艦艇を陸上の砲台から叩く。最後は陸軍と現地兵で上陸した敵をたたく。


 これで……いいか?


 ……物量でこられたら、やっかいかもしれないな。叩いても叩ききれないかもしれない。


 それに、戦争はしないに越したことはない。戦わずに勝つ? どうする? 物理的に戦わないなら……北虜南倭を、復活させるか?


 南倭は無理でも北虜はなんとか、なるか? 


 タタールは内陸だから調略は難しいか。じゃあ沿岸。朝鮮は? ……無理だろう。それこそ朝鮮出兵だ。宗主国に刃向かう訳がない。


 じゃあどこだ?


 ……。


 ……。


 ヌルハチ! そうだ! いや待て、まだ生まれて、いや、今12、3歳くらいか? いやいや、後5年もすれば台頭してくるか?


 女真族は建州女真、野人女真、海西女真に分かれていて、ヌルハチの建州女真もさらに5部に分かれている。


 今はまだ、その爺さんや親父も生きているはずだ。


 明はタタールと融和する政策とあわせて、女真に対しては互いに競わせて、強力な勢力が出ないようにしている。


 李成梁を遼東総兵に任命し、たくみに女真族内の対立を利用していたのだ。


 これは、使えるか?


 まずは史実でヌルハチが統一した建州女真を、爺さんと親父さんの代でやらせて、女真を統一させよう。でも沿海州は惜しいから、そこはしれっと入植させて、交易の利権や軍事支援で交渉しようか。


 よし、ひとまずは、使節を送ろう。海に面しているから朝鮮の妨害もないだろう。





 元亀二年 十二月十六日 春日山城


「ほう、信玄は生きている、とな?」


 越後の龍こと上杉不識庵謙信に答えるのは、家老の須田相模守満親である。


「は。三河攻めの際に病が悪化したとも、鉄砲に撃たれたとも噂されておりましたが、荼毘に付された、というのは武田の計略にございます」


「ふむ。しかしなにゆえ、生ける者を死せるように見せるのだ? おしなべて(普通に)考えれば、死してもなお生ける様に見せるのが定石であろう。信玄死す、となれば家中はもとより周りの国人衆も色めき、心揺らぐ者がでよう」


「は、至極ごもっともなお考えかと存じまする。然りながら、家督相続において危うし(不安)をなくす為やもしれませぬ。嫡子である義信を廃し、義信が自害した後に勝頼を嫡子としたものの、勝頼は武田に非ずという輩も多かったと聞き及んでおります」


 四年前の永禄十年、義信は廃嫡されたのち、謀反の疑いによって自害した。


 謀反に加担したと思われる勢力は粛正されたが、親今川勢力が一掃された訳ではなく、さらに諏訪四郎勝頼を嫡子にする事に反対勢力がいなかったとはいえないのだ。


「信玄は生きておるゆえ、何が起ころうとも応じる事あたうであろう。こたびの勝頼の相続において、仇なす者を見切る(見極める)為にそうしたのかもしれぬな」


「仰せの通りにございます。こたび兵を退きしは武田にとりても大いに痛手と存じますが、それはまた、武田が領内の政に力を入れるという事やもしれませぬ」


 謙信はしばらく考えて、満親に問う。


「内に力を入れ、外には出ぬ、か?」


「は、そう判ずる証はありませぬが、信玄も五十を超えておりまする。勝頼の代を固むるは然るもの(当然)かと存じまする」





 謙信と満親が信玄の生死と勝頼の家督相続について話を続けていると、新たな一報が夜盗組からもたらされた。


 夜盗組は上杉家の忍び集団の名称である。


「申し上げます。武田の家臣、曽根虎盛なるものが信長と会い、和睦の掛け合いを行いてございます」


「なにい! ? それは誠か?」


 謙信は満親と顔を見合わせる。


「武田が織田と和睦とな……。然らば、領国を治むるという武田の考えも、誠と考えてよかろうか。然れど織田はともかく、徳川はのむであろうか」


 当然の疑問を謙信は満親に投げかける。


「三方ヶ原しかり、それまでの戦いで武田には相当に煮え湯を飲まされておりますれば、生半可な題目(条件)では得心あたわぬ(納得しない)かと存じます」


「然もありなん。いずれにせよ武田が織田と和を成すとなれば、われらは織田と誼を通じ、武田とも和睦しておるゆえ、しばらくは内に力を入れるが上策であろうの」


「左様にございますな。これにていったんは静謐とあいなりましょうが、いずこに行かれたかわからぬ公方様の行方も気になりまする」


「ふむ、公方様のお力になる事がわが役目なれど、信長の御掟に異見書は的を得ている物である。ここはいたずらに動かず、まずもって越後の民の安寧を考えるが第一であるな」


「はは」


「さて、武田と織田の和睦、成るか成らざるかは解らぬが、そもそも間に誰ぞ入らねば和議そのものが難しかろう……。わしは、西国の小佐々が動いたと思うが、いかに?」


「それがしもそのように思いまする。そもそも徳川はもちろんの事、織田でさえ、前触れもなく武田が攻め込んだのです。間に何者かが入ったと考えるのがよろしいかと」


「で、あれば、この先は織田は無論のこと、小佐々の動きにも気をつけねばならぬな。畿内より西にも夜盗組を送るとしよう」


 謙信は疲れているようだが、目をつむり、考える。


 織田とは今のところは誼を通じているが、いずれ越前、そして加賀、ゆくゆくは越中まで手を伸ばしてくるであろう。


 そうなった時、武田はどうする? 和睦をしてはいるが、織田と武田が結んで我が領土をうかがうことはあり得るだろうか?


 謙信の深謀遠慮はつづく。

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