第495話 元亀から天正へ 純正と信長、連盟での奏上と勅書

 元亀三年改め天正元年(1572年) 正月


 かねてからの懸案事項であった元号であるが、純正と信長の連名により昨年奏上され、天正と改められた。


 本来、天正への改元は元亀四年、つまり来年に行われるはず(史実)であったが、前倒しである。


 歴史が大きく変わっており、元号もまた一年早く改元された。


 信長は早く改元したかったかもしれないが、純正がそれを嫌がった。現代のように崩御されてから改元される訳でもなく、同じ天皇の御代に何度も改元されているのである。


 純正は改元してもすぐに二年になるのが面倒という理由で、年明けと同時に改元としたのだ。


 畿内では朝倉を除く反織田勢力との和睦が成立し、一応の平穏を迎えての新年である。もっとも、信長もいずれ破られるであろう和睦であるから、時間稼ぎ程度にしか考えていない。


 二月になれば始まる朝倉攻めの準備と、つかの間の平和を満喫している。


 また、ふたたび畿内を静謐に導いたとして、信長は正四位下参議兵部卿に叙任され、純正は従三位権中納言近衛大将となった。


 純正的にはどうでもいいことだったが、二条晴良の意向が大きかったようだ。


 朝廷は朝廷で、権力争いがあるらしい。


 晴良もそこまで執着はないようだが、徐々に力をつけつつある近衛前久とのパワーバランスを保つために、先手をうった形となった。






 ■諫早城


 昨年は小佐々家にとっても激動の年であった。


 激動でない年などないのであるが、マニラにおけるスペイン戦の辛勝、南方の開拓や蝦夷地の開拓、そして台湾における明との外交政策などである。


 その間に信玄は家督を勝頼に譲り、織田家との和睦を模索している。純正は家中の勢いに押される形で調停を行い、織田と武田の橋渡しとなった。


 転生して11年。


 紆余曲折あったものの西日本を統治し、織田と武田、浅井や徳川と親交を結びつつ富国強兵を行い、北方ならびに南方へと経済的・軍事的に拠点をつくりつつある。


 ・琉球王朝 尚元王名代 長嶺親雲上ぺーくみー

 ・九州探題(総督) 豊後太守 代官 大友義統よしむね

  ・種子島島主 代官 種子島時尭

  ・薩隅日太守 薩摩代官 島津義久

    大隅代官 肝付兼樹かねみき

    日向代官 伊東祐兵すけたけ

  ・肥後太守 北肥後代官 阿蘇惟将これまさ

    南肥後代官 相良義陽よしひ

  ・豊前太守 代官 高橋紹運じょううん(筑前より加増転封)

  ・筑前太守 代官 立花(戸次べっき)道雪

  ・肥前太守 代官 龍造寺純家

 ・四国探題(総督) 大友宗麟

  ・土佐太守 代官 一条兼定

        代官 長宗我部元親

        代官 安芸飛騨守

  ・伊予太守 河野通宣

  ・阿波讃岐太守 三好存保まさやす

   ・讃岐代官 十河存之

  ・摂津和泉太守 三好長治

 ・中国探題(総督) 安芸長門周防石見太守 毛利輝元

  ・出雲伯耆太守 吉川元春

   ・出雲代官 尼子勝久

  ・備後太守 小早川隆景

  ・備中太守 三村元親

  ・備前太守 宇喜多春家

  ・播磨太守 別所長治

  ・但馬太守 山名祐豊名代 垣屋光成(祐豊病気療養のため)

  ・因幡太守 山名豊国

 ・蝦夷地 大首長チパパタイン名代 イレンカ


 そうそうたるメンバーが集い新年を祝った。


 織田家中に浅井、徳川、武田の家中の者もおり、商人や朝廷の使者もいる。これから年を追うごとにますます増えていくだろう。


 台湾総督(高山守)と呂宋総督(呂宋守)に関しては、それぞれ名代が出席した。これだけ国土が広くなると、最低でも年末の十二月中頃には出発しないと間に合わない。


 新年の祝いなのに、年越し前に出発するなど、なんだか変な感じである。


 海路に関しては、帆船から蒸気機関へと劇的な進化を遂げていないため潮と風次第であるが、陸路は街道と伝馬宿の整備もあって、整備済だとかなり時間が短縮できるようになってきている。


 豪華絢爛な進呈品が山のように積まれ、返礼品の目録と照らし合わせながら、官僚が正月休み関係なく働いている。


 純正は前世でサービス業が長かったので、年末年始に休んだ記憶があまりない。


 かき入れ時という事もあって、あまりの忙しさに逆ギレしそうなのを必死で我慢したのを毎年思い出す。だから、年末年始に働いてくれる家臣達へのねぎらいは忘れない。


 ちゃんと時間外手当? だったり、休日出勤手当? のようなものを出して、会うたびに『お疲れ様』や『ご苦労さん』という声がけを行う。


 それが家臣にとっては素晴らしく嬉しいようだ。






「新年のご慶賀重畳めでたく、その上従三位権中納言近衛大将へのご昇進、重ねてお祝い申し上げ奉りまする。天下泰平の世をつくらんとする御屋形様の念願成就のため、われら家臣一同一枚岩となり、より一層邁進する所存にございまする。幾久しく一同、御願いたてまつりまする」


 畳何畳分あるのであろうか。


 諫早城の謁見の間には一門衆に譜代衆、そして外様の大名に国人衆がならび、入りきれない者は序列順にならんで廊下までその列が長々と続いている。


 控え室がいくつもあり、そこにもあふれんばかりの人である。


 純正はこれが嫌いであった。


 しかし、こればかりは重臣の反対にあって止める事が出来ない。やはり威厳というものをどこかで示さなければいけないのであろう。


 午前の部、早朝からはじめて昼休憩をはさみ、夕方ようやく挨拶が終わったのである。


 そして、夜は宴会である。


 迎賓館は別にあって、そこでも各大名や国人・商人から個別に挨拶を受ける。見慣れない変わった服装をしているのは、チパパタインの名代のイレンカである。


「イレンカよ、どうだ諫早は? 弥次郎にいろいろと教えて貰って、遊ぶところもたくさんあるだろう?」


 弥次郎は騙されていた訳ではないが、少年だと思っていたアイヌの15歳の子は女の子で、イシカリツペの大首長チパパタインの娘だったのだ。


「ありがとうございます。松前とも違い、聞いた事のある和人の国ともまるで違うので、正直なところ驚いています」


 笑うとかわいらしい女の子は、アイヌ民族と純正達との架け橋になるに違いない。


「そうか、次の船が出るまでまだ日があるだろうから、ゆっくりしていくといい。蝦夷地では、ああ、この名前も変えねばならないな。考えておこう」


『蝦夷』……正確な語源や意味は諸説あるようだが、『夷』は未開の民という意味がある。


 後の北加伊道、そしてそれに含まれる渡島国・後志国・胆振国・日高国・石狩国・天塩国・北見国・十勝国・釧路国・根室国・千島国となる土地の民である。


 国内外にやらなければならない事が多すぎるが、せめて正月くらいはゆっくりしたい、純正のささやかな夢である。

  

 

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