第493話 東インド南方探検艦隊司令 籠手田左衛門尉安経(実在)の探検報告

 元亀二年 十二月十二日 諫早城


「御屋形様、練習艦隊司令、籠手田左衛門尉様がお見えにございます」


「うむ、通せ」


 矢継ぎ早であるが、南方探検と既存の交易国との渉外にあたっていた籠手田左衛門尉安経が帰港した。


 安経は海軍所属だがその性質上、外務省の外交官の肩書きもある。


 というよりは、練習艦隊として東南アジア各地を巡って交易国の発見、開拓、渉外を行っているうちに後からついた肩書きである。


 基本的に安経が開拓し、渉外を続けつつ外務省に引き継いだ、というのが正しいだろう。


 息子の籠手田正安(史実では安一)は純正より偏諱『正』を与えられて、海軍兵学校を卒業している。


 父親と同じ練習艦隊の船に乗艦すると色々と面倒ではあったが、探険艦隊が練習艦隊より分離独立して、北方艦隊と南方艦隊に分かれたのが幸いした。


「御屋形様、左衛門尉、一年の航海を終え、ただいま戻りましてございます」


「おお、安経よ! よう戻った! 大儀である。ささ、面をあげよ」


 一年に及ぶ探検航海を終えて帰ってきた安経に対して、純正は多くのねぎらいの言葉をかけた。


 ジャワ島西端のバンテン王国とはすでに通商があった。


 しかしその東にある小スンダ列島や、北東部の大スンダ列島を形成するボルネオ島やスラウェシ島、そのさらに東のニューギニア島は未開の地であり、南のオーストラリア大陸はまだ発見されていない。


 ちなみに現在の海上自衛隊の艦艇乗組員が、乗り組み手当や航海手当を受け取るように、純正は安経をはじめとしたクルーには十分な手当を与えていた。


 常に危険と隣り合わせの任務なのである。当然の対応であろう。安経にいたっては、すでに家族を十分に養い、老後の心配はいらないほどの財を蓄えている。


「この後ゆっくり暇を取らせるゆえ、家族と過ごすが良い。それで、いかがであったか?」


「ありがたき幸せにございます。はい、まずは、バンテン王国にございますが……」


 数年前から国書を渡し、通商のあるバンテン王国である。


「バンテン王国は昨年、ハサヌディン王が崩御し、皇太子のパヌンバハン・ユスフが王となり勢力を拡張しております。マレー半島の南部を勢力下に置き、胡椒の産地であるスレバールも有しております。香料諸島へ向うにはスンダ海峡を渡らねばならず、ムスリムの商人は必ずバンテンで商売をするため大いに潤っております」


「ふむ。弔問を行い、礼を失する事はなかったのだな。それで……商館は設けておるが、租借の件はいかがあいなった?」


「はい、先代もそうでしたが、当代のパヌンバハンとも昵懇となるでしょう。租借の地としてはバタヴィアを進言し問題はございませぬが、いくつか条件がございました」


「なんだ?」


「は、まずは軍の駐屯は認めぬ訳ではないが、努めて少なくするように、との事にございます。また、小佐々の産物には殊更思い入れ(人気)があるようで、他よりも持てはやす(優遇する)様望まれております」


 要するに軍は認めるがあまり入れるな、そして小佐々産の商品をもっと多く、もっと安くという事なのだろう。


「そうか。まあバンテンの租借地は、他の入植地と根拠地が見つかるまでの間であるからの。問題あるまい。鴻門(マカオ)と入れ替わりと考えれば良い。いずれ鴻門は退去となるだろうからな。他はどうだ?」


 純正はバタヴィアの地に『小佐々東南アジア会社(東インド会社?)』を設立するつもりである。


「は、バンテン王国のある島は東西に長く、そこから東に島がいくつも連なっておりました」


(小スンダ列島だな)


 純正は歴史は超のつくオタクだったが、地理も好きであった。


「まず初めにワリ(神々への捧げ物・バリ)島があり、八つの国が覇権を争っておりました。ついでスラパラン(ロンボク・唐辛子)島です。ここも小さな国が割拠しております。どれかと交易をしたとて、いつ滅ぶかわからぬため、通商は結んでおりませぬ」


「うむ。さすがだな。島伝いに航行すれば、中継地は要らぬであろうしな。おいおいでよかろう」


「は、その東のスンバワ島も同じく。他無数の島々がございましたが、スンバワ島より先は国と呼べるものはございませんでした」


「なるほど」


「ただ……」


「なんじゃ」


「その先のティモール島には国があり、これも乱立はしておったようですが、すでにポルトガルが来ており、どうやら領有を宣言しておるようにございました」


 やはり、ポルトガルである。白檀目当てで島に来航し、領有を宣言して1586年に島を占領する。


「左様か。それで、いかがした?」


「は、御屋形様よりお預かりしたセバスティアン一世の証書を見せ、寄港の許可は取りましてございます。あとは、すでに領有を宣言しておりますれば、無用な衝突を生まぬよう計らいました」


「うむ。バタヴィアにしろティモールにしろ、共存できればそれでよい。問題はまだ見ぬ未開の土地よ」


「は、さればそこより二十日ほど東にすすんだところに大きな島がございました。かなり大きな島でございましたが国らしきものはなく、岸をそのまま東に進みますと、湊とするに然るべき入江があり申した」


「左様か。入植は出来たのか?」


「は、まずは停泊し、当直以外総出で食料や水の調達あたうか、周りを調べ申した。時はかかりましたが水の手もあり、おだやかな入江にござれば船の停泊は問題ありませぬ」


「うむ」


「幸いにして周りの島々の民と、パプワと呼ばれる大きな島の住民との交易があるらしく、ティモールで雇った通詞を介して、さらに島々で数人通詞を雇ってやり取りを行い、なんとか移り住む事が出来申した」


「現地の民とはいさかいもなく、住めそうか?」


 台湾の悲劇を繰り返してはならない。マニラにしてもバンテンにしても、富春にしてもアユタヤにしても、人がいるところへの入植であった。


 現地住民とのコミュニケーションの重要性は、何にもまして、必要不可欠なのだ。


「は、そこで屋敷やその他要るものをつくり、出航いたしました」


「左様か、よくやった」


 ニューギニア島では原油が産出する、それに金や銅も産出したはずだ。できれば銀鉱山が見つかれば御の字だが、それは先の楽しみとなるだろう。


 純正は交易がどうこう、というよりも資源調達が目的だったのだ。


「帰りは来た道を戻りながらティモールへ着きましたが、ティモールの北にはポルトガル人が香料諸島と呼ぶ島々がございます。これは確かにこの目でみましたが、その西にも大きな島がございました」


 安経の言う島はスラウェシ(セレベス)島で、その西にはボルネオ島がある。


「その島にはマニラにも劣らぬマカッサルという街があり、ポルトガル人に中国人やアラブ人、インド人やタイ人、ジャワ人にマレー人が金属製品や織物、真珠、金、銅、樟脳、香辛料を交易する大いに賑わう商いの湊でござった。強きゴワ王国の下に治められております」


「そうか。通商は結んだのか?」


「は、ゴア王は代々、誰にでも交易の権利を与えておりました。それゆえわれらが伺っても特段驚く事はなく、粛々と商いの手続きがされました」


 純正はニコニコしている。大きな事故もなく、ポルトガルやその周辺国といざこざもない。それが嬉しいのだ。


「最後にその西のボルネオ島ですが、こちらは古くから王国があったようですが、今は衰えております。ポルトガル人も来ておりますが領有や占領などはございませぬ。西側にいくつかの湊があり申したが、最も大きな湊はブルネイです」


 安経の話によると、ブルネイも同じように入植したそうだ。純正は満面の笑顔である。


「ご苦労であった。しばらく休むがよい」


 小佐々家の南方進出は続く。

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