第492話 明への外交対策……別に、いらんよな?

 元亀二年 十二月十二日 諫早城


「御屋形様、台湾総督の若林中務少輔様より使者がお越しになっています」


「総督の? わかった、通すが良い」


 純正は以前台湾問題を閣議で話し合った事を思い出した。


 永禄十一年の事件の際、台湾出兵と再度の入植のために明の責任問題を追及、翌年『管轄外』との返書による言質をとり、再度入植を開始していた。


 それが今になって台湾は我が領土、我が統治するところ、などという世迷い言を言ってきたからだ。


「御屋形様、お久しゅうございます。長助にございます」


「おお、長助ではないか。息災であったか? 台湾はどうだ?」


「はい、おかげ様をもちまして妻と息子も息災にて、孫まで産まれつつがなく過ごしております」


 北川長助は旧松浦の家臣であったが、両親が亡くなっていた事もあり、新天地の台湾での生活を夢見て渡海したのであった。


 最初期の台湾入植事件の生き残りでもある。今考えれば、あのとき妻子を連れて渡海せずに幸いであった。


 二回目の入植が始まり、軍の厳重な警備のもと安全が確保された状態で、平戸から妻子を呼んで移り住んでいる。


「そうか、それはなによりだ。何か困った事があれば遠慮なく中務少輔(台湾総督)に言うのだぞ。……それで、どうなのだ?」


 純正はしばらくの雑談のあと、本題を切り出した。長助は親書を取りだして純正に渡す。






 当然漢文である。読めるわけがない。と思いきや、現代の中学校(今は小学校?)からの英語のように、漢文は必須で当主たるもの読み書きが出来て当然。


 転生してから必死に勉強したのだった。もちろん、読み書きはある程度できるが、中国語の会話はできない。


「ふむ、まあ予想通りと言えば予想どおりだな。礼儀としては返書を書くべきであろうかのう」


 長助は自分に問われたと最初は思わなかったが、純正が自分を見ているので、改めて答えた。


「は、それがしは一介の遣いにて渉外に関します事柄はわかりかねますが、礼を失するとの口実を与えぬ為、ご面倒でも返書は送る方がよろしいかと存じます」


「うむ」


 純正は直茂と利三郎、経産省の岡甚右衛門、そして情報省の藤原千方に目をやる。


「甚右衛門、今、明との交易はどうなのだ? 西国は俺が治めているゆえ、直接明と取引をしている大名もおるまいし、幕府もなくなったに等しいぞ」


 甚右衛門に答えを聞くが、これは外務省と経済産業省がからむ問題だ。


「は、御屋形様の仰せの通り、今のところ明との交易は大小様々な商人が行っております。然りながら海禁の触れが解かれたとはいえ、わが日ノ本のみは条件が厳しゅうございます」


 甚右衛門は現状をそのまま純正に伝える。


「今は何を明から買うておるのだ?」


「はは、銅銭・生糸・綿糸・織物・陶磁器・書籍(仏教経典)・香料などが主にございますが、その量は次第に減ってきてございます」


 もともと日明貿易(勘合貿易)は、室町幕府三代将軍足利義満が応永八年(1401年)に明に国書を送り、倭寇の取り締まりを約束して通商を求めた事にはじまる。


 しかし次の四代将軍義持は冊封形式を嫌ったため、一時は勘合貿易が中止された。


 六代将軍義教の時に再開されたが、その時期になると貿易の実権は徐々に守護大名の大内氏(博多の商人)、細川氏(堺の商人)に移っていた。


 そして今、すでに大内もなく、細川の嫡流は没落し、傍流の細川藤孝が命脈を保っている。義昭が京から逃げる前に、愛想をつかして織田軍に投降してきたのだ。


「然もありなん。皆この小佐々の領内で事足りるものばかりではないか。十年前ならいざ知らず、銅銭は鋳造しておるし、永楽通宝と変わりはない。新貨幣と通貨はまだまだであるがな」


 撰銭令を発布し、領内では新しい永楽通宝(私鋳銭?)として作り直し、全く問題なく流通している。


 厳密には鋳造のやり直しをしているので本物の永楽銭ではないが、本来の永楽銭と同等の質であった。


 しかし、小佐々領内での新貨幣と紙幣は小規模な実験段階を出ていない。


 他領では使えないので、金券のようなものである。近々に帝に上奏して、正式に国内での新しい統一通貨の鋳造を許可して貰う必要があった。


「ではその商人たちは、仮に鴻門(マカオ)の商館が閉鎖され、直接の取引ができなくても差し障りはないか」


「ございませぬ。平戸や横瀬、口之津に博多、府内と湊は多くございますが、明より来たる商人とやり取りするばかりで、鴻門まで出向いておるものはおりませぬゆえ」


「あいわかった。鴻門の商人に関しては、台湾かマニラで商いができるよう融通せよ。仮に商館が閉鎖されずとも、今のままでは商売がしづらいであろうからな」


「はは」


「利三郎、外務省からなにかあるか?」


「いえ、特にはございませぬ。もともと正式に通商は行っておらず、こちらとしては『化外の民』という国書における言質をとっておりますれば、状況が変わったとは言え無理を通されるいわれはございませぬ」


「千方よ、明の国内でなにか変わった事はあるか? 今の国力で台湾を攻めてくる余力はあるだろうか?」


 交易の面でも、外交の面でも問題ないという結論にいたり、純正は千方に明の国力について確認をする。台湾とマニラに進出して以降、国内ほどではないが、諜報活動を行っている。


「おそらくはないかと存じます。永楽帝の時代に栄華を極めたものの、蒙古に対する五度の遠征に鄭和率いる大艦隊の度重なる大航海。これによって国威発揚と朝貢貿易は増えたものの、実利はありませぬ」


 確かに、朝貢国が増えれば宗主国としての威厳も高まる。


 しかし、それだけである。朝貢自体は従属国からもたらされる物より、はるかに価値の高い物を『下賜する』という形のため、国庫が膨らむわけではない。


 要するに、大金を使って見栄を張っているようなものだ。


「さらにその後の皇帝も、暗愚または平凡な者が続き、今に至ります。張居正という人物が政の中心におりますが、いまだ改善されておりませぬ」


 張居正の改革が実を結ぶのは、次代の万暦帝の時代に首輔となってからである。現在の張居正は次輔(次席)であり、明の国庫は苦しい状態に変わりはない。


「では、攻めては来ぬか?」


「必ず、とは言い難いですがおそらくは」


「そうか、あいわかった。引き続き外務省と協力して情報を集めてくれ」


「はは」


 あるとすれば、張居正が全権を握る万暦帝になってからの十年になるだろうが、ここ二、三年はないだろうと純正は判断した。


「直茂、明が攻めてくるとすれば、どうか」


「は、まずは攻めてくるとしても、海がございます。明は長らく海禁をしておりますれば、陸の兵は強くとも海軍の力を比べれば、われらが優位に立つこと能うかと存じます」


「ふむ」


「仮に数が多くとも、わが海軍と、陸の砲台から弾を撃ち込めば、近づく事すら難しいと存じます。さらには台湾の泰雅族(タイヤル族)・太魯閣族(タロコ族)・賽徳克族(セデック族)・賽夏族(サイシャット族)・サオ族(邵族)と友好を結んでおりますれば、万が一島に入られたとしても、敵にとっては地獄と化すでしょう」


「なるほど」


 思わず長介の顔を見る。昨日の敵は今日の友、とは言うものの、複雑な心境であろう。






 その後しばらく明への対応策を協議したが、結局明に対して返書は送るものの、何もしない、という結論にいたった。


「御屋形様、練習艦隊司令、籠手田左衛門尉様がお見えにございます」

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