第491話 蝦夷地ヲタルナイからの商団の帰還

 元亀二年 十二月十二日 諫早城


 織田信長が畿内の諸勢力と和睦交渉を行いつつ、来年の越前攻めの準備をしている頃、はるか西の小佐々家では対外的な報告が目白押しであった。





「寒い! 寒いっ寒いっ寒いっ!」


 純正はそう言いながら眠気覚ましの珈琲を飲む。


 閣議は月に一回行われているのだが、決裁を求める書類と陳情書の山に、現実逃避をしたくなる日々が続いていた。


「御屋形様、蝦夷地に向っておりました太田和屋弥次郎殿がお戻りにございます」


「おお! 戻ってきたか! 早う通すが良い」


 蝦夷地との新しい交易路の開拓と探検に向かっていた、太田和屋弥次郎が帰ってきたのだ。


「太田和屋弥次郎、ただいま戻りましてございます。御屋形様におかれましてはますますご健勝の事とお慶び申し上げます」


 弥次郎が深々と礼をすると、純正はすかさず声をかける。


「弥次郎、固い固い! 弥市の弟ならば俺の弟も同じではないか。フランクに行こーぜフランクに」


「ふ、ふら……?」


「ああ、何でもない何でもない。気にするでない。固くならずに、という意味だ」


 純正は最近、言葉遣いが変なときがあっても、気にしなくなってきた。ポルトガルとの貿易を始めて十年になるし、日本語以外も当たり前になってきた。


 十人の留学生もいる。それにフランクは「自由で気取らない、ざっくばらんな」という意味のラテン語の「Franci(フランキ)」が語源である。


 別に新しもの好きの純正が使っている、と言えば辻褄があう。(かも)


「それで、どうであった、蝦夷地は?」


「はい、それはもう広大で 緑豊かで、そこに住まうアイヌの人達も、我らを歓迎してくれました」


「おお! そうかそうか。よくやった。交易はできそうか?」


 純正は弥次郎を労いながら、蝦夷地での交易ルートの開拓の可能性に目を輝かせる。


「はい、御屋形様にご教示いただいたヲタルナイ、そしてその先のイシカリペツの周りの大首長と会う折り(機会)を得る事あたいました。チパパタインという首長です」


「そうか、何が売れそうだ?」


「はい、酒・米・こうじ・タバコ・塩・なべ・小刀・針・古着・反物・糸・漆器・きせるなどが評判を得ておりました」


「そうか。ううむ、しかしそれは小佐々の特産の品ではないな。小佐々の品は、あまり評判は良くなかったのか?」


「いえ、物珍しさで興味はひいたのですが、アイヌの人々には暮らしに根ざしたまめやかな(実用的な)ものが好まれるようにございます」


「そうか……まあよい、そこはおいおい考えるとして、ニシンはみつけたか?」


「はい、チパパタインによれば数多くの海で、ニシンの漁が行われているそうです」


「よくやった。こちらから売る物は質の良い物を探せば良い、蝦夷地は宝の山ぞ。金山(鉱山)の幸に山の幸、海の幸川の幸とくれば言う事なしである」


 蝦夷地からは鹿や熊、ラッコやトドの毛皮・鷲羽・鮭・昆布・ナマコ・アワビ・木の皮でつくった縄が交易によってもたらされたが、こちらからの輸出品は、実はあまり問題ではない。


 小佐々領内で他領と同等・同量、それ以上の物が確保できるからだ。


 それよりもニシンである。


 ニシンは江戸時代から明治にかけて、ニシン御殿が建つ、と言われるほど北海道の経済を支えた。食用はもちろん、油、そして搾りかすから採れるニシン粕である。

 

 これが肥料となったのだ。


 純正はそれを知っていたので、活用した。


 ニシンに限らずイワシにしても、油は安くとれるが煙と臭いがきつい。そのため人気がなかったが、庶民の夜の灯火として使われていたのだ。


 そして石けん用の油としても使われていたが、やはり臭いが問題であった。


 なんとかしてこの臭いを消すことができ、燃焼時の煙を減らすことが出来ないか? そう考えた純正は、工部省(作中現在の科学技術省)に命じて精製の方法を研究開発させていたのだ。


 冷やす、熱する、加える、混ぜる、日に当てる、乾かす、等々。


 何千種類もの物質を試し、方法を試し、ついに完成したその方法とは、イワシ油を釜に入れた後に、酸性白土を加えて濾過する事であった。


 美濃紙(これも日本各地の物を試した)の袋を複数並べた木の枠を、石積みの『むろ』の中に多数置いて、職人が酸性白土の入った油を注いで回り、自然の重力で濾過するという方法が編み出された。


 酸性白土は越後でも産出されるが、それがわかるのはずっと後になってからである。ともかく、豊後の別府でも産出されたのだ。


 毎度ながら化(科)学者や技術者には純正は頭が上がらない。


 技術発展が小佐々の繁栄を支えていると言っても過言ではないのだ。最初期こそ純正のヒラメキやヒントがあったが、徐々に比率が変わってきている。


 最近では発明品の報告を聞いても、原理がわからない。後付けで理解できても、無から有を生み出すのだ。技術者様々である。


 そうして実用化の目処がたったところで今回の蝦夷地派遣が決まり、交易だけでなく、新しい商品や産物の発見と生産拠点の確立のために、弥次郎が選ばれたのであった。


 純正はさらに、蝦夷地の北方サハリンや千島列島、沿海州の探検調査、そして入植も考えていた。南方と同じく天然資源、海洋資源、森林資源の宝庫である。


 開拓しない手はない。


「ん? ところで弥次郎、その横の娘はなんだ?」

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