第487話 北条 MEETS イスパニア

 1571年(元亀二年) 11月12日 ヌエバ・エスパーニャ メキシコシティ


 遣フィリピーナ艦隊士官、ホセ・デ・エステバンによって、ヌエバ・エスパーニャ副王マルティン・エンリケス・デ・アルマンサの前に連れてこられたのは、ルイス・デ・カルデナスと宇野家治、そして紙屋甚六である。


 ルイス・デ・カルデナスはスペインの探検家兼商人であった。


 1570年(元亀元年)の10月、フィリピンからアカプルコへ向かう途中に遭難し、相模国三崎に漂着した後、北条氏政に保護されていた。


 宇野家治と紙屋甚六は相模の商人で、意思疎通のために通訳を捜し出し、北条水軍と共にルイスを小笠原諸島へ送り届けたのだ。


 その後家治と甚六はいったん領国に戻り、状況を氏政に説明した。


 もちろん北条氏政は二つ返事で了承し、小笠原と三崎の定期航路の開設を指示したのだ。そして二人は、密命によりここにいる。


「副王殿下、これなるはルイス・デ・カルデナス、フィリピーナ諸島に向っていた商人です。隣に控えているのは、ジパングの民であるイエハルとジンロクにございます」


「なにい! ジパングとな!」


 副王マルティンは大声を出して立ち上がり、二人を睨む。


「おい、ホセよ! なぜ敵であるジパングの者がここにおるのだ! 斬り捨てよ!」


 怒りを露わにしているマルティンは、吐き捨てる様に叫ぶ。


「お待ちください! 副王殿下! 彼らは敵ではございません。我らが戦った者達とは違うのです!」


 ホセは慌てて説明をする。謁見させる前に説明して了承を得るべきであった。


 ……。


「? どういう事だ、説明せよ」


 呼吸を整え、息が穏やかになったところでマルティンはホセに訊いた。


「はい。まずジパングは……そうですね、例えば教皇様のもとにいくつもの国があるように、ジパングにもいくつもの国があります。長らく争っており、その中の西国王、これがわれらが戦ったジパング人なのです」


 ホセはかいつまんで日本の形態をルイスから教えてもらった通り、ざっくりと説明する。もちろんそのルイスも、家治や甚六の受け売りである。


「それがコザサ一族です。そしてこの者らは、ジパングの東を統べる東国王、ホウジョウの家臣なのです」


 副王マルティンの顔から疑いの表情が徐々に消えていき、やがて安心と希望の色合いを見せてきた。


「なるほど、東インドのしかもジパングという島国の民(蛮族)も、敵と味方に分かれている、と? そしてその者らは我らの敵の敵、つまりは味方となるというのか?」


「その通りでございます。われらはフィリピナスにおいてメニイラ(マニラ)を拠点とし、シナや様々な国々と交易を行うために進出しようとしておりました。そこでコザサ軍との戦闘となったのです」


 マルティンはホセの言葉を頭の中で反芻し、理解しようとしている。


 要するに未開の土地に住む未開の野蛮人だと思っていたジパングの民が、自分たちと同じ程度の陸海軍を持ち、現地人と共謀してマニラ進出を阻もうとしているのだ。


 そう理解した。


「……そうか。そう、で、あるか……」


 マルティンは深く息を吸い込み、吐き出し、膝の上の手をトントンと叩く。それを何度も繰り返した。


 レガスピをこき下ろし、十分な支援と準備をしたにもかかわらず、未開の蛮族に負けてしまったと報告するのは簡単である。


 しかしそれでは、一時の保身は可能かもしれないが、何も生まれない。


 フィリピナス諸島を完全に支配下に置き、マニラを拠点に貿易を行って巨万の富を得る、という計画は水泡に帰すのだ。


「ルイスと申したな。そなたはジパングの言葉がわかるのか?」


 フロイスやオルガンティノほどではないが、日常会話においての意思疎通くらいは十分にできるほど、ルイスの日本語は上達していた。


 家治と甚六もカタコトだが徐々に覚えてきている。


「はい。イエズス会の修道士様に教えていただき、後は独学で学びました。この二人にもイスパニアの言葉を教えて、それがジパング語の勉強にもなっています」


「うむ、そうか。ではルイス、その二人はいったい何を求めているのだ? わがイスパニアと交易をしたいのであろうか?」


 三崎から伊豆諸島をへて小笠原まででさえ、未踏の地であったのだ。それをたった二人、ルイスがいるとは言え文化も言葉もわからない国へ行くなど、驚くべき行動力である。


 あるいは使命感、または商人としての金の匂いが勝ったのだろうか。


「はい、その通りです。交易を求めています。今ポルトガルから欧州に流通しているもので言えば、金・銀・銅・刀剣・漆器などの工芸品・海産物などが得られるでしょう」


 実際には小佐々からは多種多様なものが輸出されていた。


 有田や伊万里に代表される陶磁器しかり、絹織物も中国産に勝るとも劣らないものが日本(小佐々領)から輸出されていたのだ。


 しかしその詳細はルイスはおろか、家治や甚六でさえ知るよしもなかった。


 刀剣や漆器などの工芸品は多少地域によって特色があるだろうが、小佐々産の貿易品を北条領で自前で生産する事は不可能である。


「なるほど。……あとは、それだけか?」


 マルティンの言葉に、ルイスは家治と甚六に話しかける。


「交易の件はなんとかなりそうだ。あとは、その、コザサと言ったか? その小佐々がどのような国で、どのような産物を扱って、鉄砲や大砲、軍艦などの軍備がどの程度なのかわかるか?」


 家治と甚六は顔を見合わせて、話し合い、ルイスに返事をした。


「できる。貿易を約束してくれるなら、われら北条の知りうる限りの情報を教えよう」


「副王殿下、彼らはコザサを調べ、わがイスパニアに有利になる情報を提供してくれるそうです」


 ルイスは二人の言葉をまとめ、簡潔に副王マルティンに告げる。


「そうか。では……布教はどうなのだ? 新大陸、このヌエバ・エスパーニャと同じように、貿易と布教は切り離せぬ。そのホウジョウの国とやらで布教はできるのか?」


 ふたたびルイスは二人を見て通訳をする。これに関しては考え込んだが、やがて二人は『問題ない』と答えた。


 厳密には氏政に布教の許可は得てはいなかったが、ここで返事を濁して時間を食うのは割に合わない。


 それに氏政も貿易の利益を考えれば許可を出すだろう、と家治は判断した。


「問題ありません。ホウジョウの国でも布教は可能です」


 そうか、とマルティンは一言だけつぶやき、ニヤリと笑った。こうして関東の雄北条氏とイスパニアの貿易が始まったのである。 

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