緊迫の極東と、より東へ

第488話 耐火レンガと反射炉への道

 元亀二年 十一月十五日


 信長は勅書に基づき、延暦寺や本願寺、伊賀衆や雑賀、松永弾正、そして朝倉義景に対して事実上の降伏勧告とも言える和議の申し出を行った。


 条件は次の通り。


 ・延暦寺は武装解除して賠償金二千貫。そもそも何の理由があって武装するのかが意味不明。何らかの脅威から守らなければならないなら、織田家(+小佐々家)がそれを保障する。


 ・松永弾正は隠居。


 ・石山本願寺は武装解除の後、一万四千貫の賠償金。以後の各地への一向宗門徒の蜂起を禁じる起請文を作成。または大坂退去。


 ・足利義昭に対しては京都への帰還を要請。


 ・堅田衆は運上金として権益の半分を織田家に譲渡。


 ・雑賀衆には賠償金三千貫の支払い。


 ・伊賀衆に関しては完全に自治権の剥奪。


 ・朝倉義景には上洛要請。


 ・その他は賠償金、自治権、権益の譲渡等々。


 当然、まともに受諾する勢力などなかった。


 信長にしてみれば、そんな事はわかっていたが、勅書の建前上そうする他なかったのだ。世を乱した不埒者を成敗する図式が欲しかった。


 素直に応じたのは堅田衆と松永弾正くらいのものであった。さすがの弾正、蜂起するも武田の退却を知るや、和睦の機会をうかがっていたのかもしれない。


 かくして、体裁としては静謐を望むべく和議の提案をしたが断られ、仕方なく(?)信長が成敗するという事になった。






 ■肥前国


「やった! やった! やっと念願の耐火レンガが完成した!」


 そう歓喜の声を上げるのは、太田和忠右衛門藤政と、その息子で純正の幼なじみである源五郎秀政である。


 二人は苦労してコークス精製のためのビーハイブ炉を完成させていたが、さらに高温の炉を作るべく、耐火レンガの研究と開発を進めていたのだ。


 正直なところ、耐火レンガを作り出すのは至難の業であった。


 そもそも耐火レンガを焼成するには、現代では様々な方法が考えられるが、そのどれもが1,300℃以上の高温が必要である。


 伊万里や有田、唐津などで生産している陶磁器も高温が必要だが、それには登り窯を使っている。


 窯の構造は、自然傾斜で全長19m、幅約2mである。


 焼成室には右側に出入り口を設けた窯型があり、カマボコ型をしたトンネル状の空洞に、間仕切りの隔壁を設けた形である。

 

 天井は粘土を叩き固め、壁は花崗岩の切石を用いて築き、目地と壁面は粘土で打ち付けている。


 この技法は朝鮮半島の焚口や薪の投入口に切石を使う構築方法と同じで、渡来した陶工の指導によって作られたものだ。


 コークスの精製を行うビーハイブ炉は、ここまでの高温は必要なく、現状のものでも可能である。


 耐火レンガを作らなくても肥前彼杵で産出するものや、濃尾から輸入(移入? 便宜上輸入と表記)された耐火粘土のままでも使えそうなものである。


 しかしより高温に耐え、さらに耐久性のあるものが鉄の精製には必要だったのだ。


『何もない状態から耐火レンガは作れない』


 つまり、耐火レンガを作るのには1,300℃以上の高温に耐える炉、耐火レンガを作るために耐火レンガが必要という、よくわからない矛盾が発生するのだ。


 史実における日本で最初に耐火レンガが作られたのは、幕末になってからである。それまで鉄は『たたら製鉄』と呼ばれる方法で作られていた。


 炉の温度は1,100℃から1,300℃で耐火粘土で作られて、毎回壊さなければならなかった。


 つまり窯を作っては壊し、作っては壊しなど、非効率極まりない。


 しかも大量に鉄を作るためには、大型の炉に使えて耐久性のあるものが必要だったのだ。(鉄の溶解温度は約1,500℃)


 まずは耐火レンガを焼成するための登り窯を、陶磁器の窯を参考にして作製した。何度窯を壊してレンガを焼成したかは二人は覚えていない。


 何度も同じ工程を繰り返し、そしてついに何度使っても壊れない(もちろん限度はあるだろうが)レンガが誕生した。


 工程としては、以下のとおり。


 ①まず、耐火粘土で窯をつくり、その中で粘土を固めたものを焼く。


 ②窯を砕き、シャモットにして(シャモット自体の存在は知らない)粘土と混ぜ、再び、耐火粘土の窯で焼成。


 焼成したレンガを数個継続して窯の中に入れ、ひび割れや形状変化などがないように、シャモットの比率をどれ位にするか、など試行錯誤したのだ。


 そうして、どれほど繰り返したであろうか、ようやく、耐火レンガが完成した。


「出来ました! 出来ましたぞ父上!」


 秀政は叫び、父である忠右衛門に、人目もはばからず抱きついて喜びを表現した。いわゆる、『ハグ』である。


 戦国時代の日本では考えにくい事であるが、小佐々の領内は別である。


 奨励はされないが、純正自身がそれっぽい事をするので、自然と広まっていく。


 特に秀政は留学を経験し、ハグの文化も経験済みである。特に今回、喜びもひとしおどころか、感極まれり、なのだ。


 今後はビーハイブ炉にもこの耐火レンガを使い、陶磁器製作にも転用ができる。


 そして鉄の精製にはどのような形状の炉が最適か? ヨーロッパの高炉のようなものは大量の鉄をつくるのに適してはいたが、問題点もあったのだ。


 高炉に関しては、すでに技術輸入が進み、実用化されている。


 しかし問題点があった。


 炉内が高温に達するので炭素が鉄に混じり、できあがった鉄は炭素分の多い銑鉄で、可鍛性がない(刀鍛冶のように叩いて強化できない)脆い物であった事だ。


 そのため青銅や銅のように、鉄を鋳造する産業がヨーロッパでは発達するのであるが、本当に有用な鋼にするには、どうしても炭素分を減らさねばならなかった。


 その問題をどう解決したのかは不明だが、イギリスでは鋳鉄砲の製造に成功している。

 

 さらに高炉でコークスを使った際には、不純物であるリンや硫黄の混入がさけられなかった。


 これらが混入しても鉄は脆くなる。そのため、いかにしてリンや硫黄を除去するかが大きな課題となったのだ。


 忠右衛門と秀政の戦いはまだまだ続く。

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