第486話 第4代ヌエバ・エスパーニャ副王 マルティン・エンリケス・デ・アルマンサ

 1571年(元亀二年) 11月12日 ヌエバ・エスパーニャ メキシコシティ


「なんだと? そんなバカな事があるはずがない!」


 スペイン艦隊のマニラ侵攻軍の全滅の報告を受け、ヌエバ・エスパーニャ副王であるマルティン・エンリケス・デ・アルマンサは驚嘆の声をあげる。


 ちょうど庭園で昼食をとりながら、側近と談笑しているところであった。

 

「レガスピが死んだ? ありえぬ話だ! 東インドの未開の民族に、なぜ負けたのだ?」


「は、それに関しましては先週11月2日に、アカプルコに戻りました船に生存者がおりました。これは艦隊の船ではございませぬが、その者を控えさせておりますので、直接お聞きください」


「うむ、通すが良い。馬鹿な、あり得ぬぞ……」





「副王殿下、私は遣フィリピーナ艦隊所属にて、マニラ侵攻を仰せつかったレガスピ提督麾下の海軍士官、ホセ・デ・エステバンと申します。このたびは拝謁の栄誉を賜り、感謝の至りにございます」


 ホセは拝謁する為に身ぎれいにしてきたものの、悲壮感までは拭い去れず、無念の言葉を口にした。


「副王殿下、このたびは自分のみが生き残り、無念の至りにございます」


「よい、よいのだ。よくぞ生き延びた。それで……どうなのだ? なぜわが艦隊は敗れたのだ? 未開の蛮族しかおらぬ海域ではなかったのか?」


「はい、仰せの通りにございます。しかし、ザビエル(フランシスコ・ザビエル)やトーレス(コスメ・デ・トーレス)、フェルナンデス(フアン・フェルナンデス)などのイエズス会修道士よりもたらされていた話とは、まったく違ったのです」


 ホセは歯をかみしめながら話す。


「どう、違うのだ? ジパングの船は大して速度もでない上に、大砲も積んでおらぬのだろう? 鉄砲はあると聞いたが、それでもたかが知れておる。負けるはずがないのだ」


 副王マルティンはまだ信じられない。やがて無敵艦隊と呼ばれるようになるイスパニアの艦隊が、一隻も残らず壊滅させられた事実を認める事ができないのだ。


「恐れながら副王殿下、ヤツらは我らと同じ船、ガレオン船を持っておりました。さらに同じ大砲、おそらくはカルバリン砲かと思われますが、それを備えた船を複数運用していたのです」


 副王にとっては信じられない事だが、ホセは自分が体験したのだ。事実をそのまま話す。嘘でも何でもない。


「カルバリン……カルバリン砲? 余はそのカルバリン砲とやらを知っておるが、わが艦隊が使っているカノン砲より威力が弱いのではなかったか? そのような大砲を積んだ船など、恐るるに足りぬであろう?」


「はい、確かにカルバリン砲は威力が弱い。その代わりカノン砲より飛ぶのです。敵はそこを上手く使って攻めてきたのです」


 ホセは会敵した時からの様子を事細かに話し始めた。


「まずは、わが艦隊は十隻、敵は二十隻以上でした。大きさは我が艦隊の船より小ぶりでしたが、数の優位をもって半包囲してきたのです。そして、あり得ない事が起きたのです」


 ホセが今でも信じられない、といった口ぶりで続ける。


「1レグア(現在スペインで5572.7m)は離れている距離から……撃ってきたのです!」


「何だと! 馬鹿な! そんな大砲があるわけがない。いかにその、カルバリン砲がカノン砲より飛ぶとしても、1レグアなどあり得ぬ」


「その通りです。当たるはずもありません。われらは風上を取り、大砲の射程まで接近して砲撃を試みようとしました」


「うむ、それで?」


「次の瞬間、私の船も含めた僚艦、至近の海面に、頭上から砲弾が降り注いだのです!」


「何い! ? そんな事があり得るのか?」


「あり得ない、事もありません……」


「どう言うことだ?」


 副王は、いまいちピンときていないようだ。


「大砲の仰角、つまり大砲の砲身の傾きですが、それを上げることによって、より遠くへ飛ばすことは可能なのです」


「……うむ」


「しかし、大砲というのは遠くへ飛ばすことは出来ても、当てる事は簡単ではありません。しかしながら敵の艦隊は、その大砲の砲身を傾ける方法で撃ってきたのです」


「当たったのか?」


「はい。驚いた事に当たりました」


「……」


「しかし先ほども申し上げたように、かなりの高さに弾を撃たねばなりません。弾は風に流され、被害はでましたが、撃沈は免れました。わが方を壊滅させるには至らなかったのです」


「では我が艦隊のカノン砲の射程まで近づく事はできたのだな?」


「はい、そこで撃ち合いとなり敵も至近距離で撃ってきましたが、わが方に分がありました」


「……? ではなぜ負けたのだ?」


 スペイン艦隊は先月、1571年10月にオスマン帝国艦隊を破り、オスマン帝国の地中海での前進を防いでいる。しかし、まだその事を副王マルティンは知らない。


 そしてまさに、地球の反対側では信じがたい敗北を喫していたのだ。


「敵もさるもの、巧みに船を操ってわが艦隊の弾幕をかいくぐり、接舷し白兵戦となったのです。悔しいかな小回りが利き、速度も速いのです。砲撃での損害の影響もあり、さらにやつらの常軌を逸する強さは、まるで悪魔の如きでございました」


 ホセは嘘をついていない。


 自身が経験したこと、感じた事を率直に話しているのだ。こういう報告は、得てして保身に走りがちであるが、ホセはそれをよしとはしなかった。


「そうか、そうで、あるか……。そう……か。にわかに信じがたい事ではあるが、そなたが言うのであれば間違いはないのであろう。そして今となっては確かめる術もない。さて……」


 副王マルティンは途方に暮れた。


 本国に報告しなければならない。ヌエバ・エスパーニャ副王の権限内であれば問題はなかったが、十隻もの船が沈められ、艦隊が壊滅したのだ。


 しかもレガスピが戦死したのである。


 かなり意気消沈している副王に対し、ホセが口を開いた。


「殿下、この件とは別の意味で関わりのある、重要な者どもをここに連れてきております。謁見叶いましょうか?」


 そう言ってホセは、三人の名前と簡単な紹介をしたのである。

 

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