第475話 義昭、流浪将軍となる

 元亀二年 九月二日 京都 室町御所


 信長が義昭に提示した条件は二つであった。


 人質を出す事と、異見十七箇条を認める事である。義昭にとってはどちらも認められるものではなかったが、交渉の余地はない。


 なにせ和睦という体の降伏なのである。


 そして信長の条件の中には、京からの追放は含まれていなかった。


 つまり、京都にいて最低限の品位が保てるくらいの生活はおくらせてやるから、俺のやることに黙ってハンコ押して何もすんなよ、という意味だ。


 異見書を出してさんざんこき下ろしておきながら、殺したり追放すれば、逆賊となる(思われる)のを考慮しての事なのだろう。


 信玄死すとは言え武田はまだ健在であり、上杉もいる。畿内とその周辺の大名は放置しておき、朝倉を倒した後に各個撃破していけばいい。


出がらしの状態の幕府であったが、おとなしくさえしていれば、まだ利用価値はあると考えたのだ。


 しかし、当の義昭はそうは思わなかった。


 どちらにしても異見書はばら撒かれ、今以上に自分と幕府の権威は失墜する。


これから何をやろうとしても、すべて信長の許可が必要になる、完全な傀儡将軍となるのだ。


 極めつきは人質である。


 義昭には正室はいなかったが、側室との間に生まれたばかりの子(史実では来年)がいた。するとここで義昭にひとつの疑念が生まれたのだ。


 息子がいれば、自分はいなくても良いのではないか? 譲位させて息子につがせ、十六代将軍として据えてしまえば、思いのままに牛耳ることができる。


 異見書には六代将軍義教や十三代将軍の義輝の行い、そしてその死について書かれてあった。


それはつまり、言う事を聞かないと二人のように殺されても仕方がないぞ、と脅しているようなものだ。


 殺される。


 その強迫観念が義昭を動かした。


 助命の条件で息子を差し出したものの、本当に生かされるのか保証などどこにもない。逃げるしか、生き延びる道はないのだ。


 生きてこそ、生きてこそ幕府を再興できるのだ。


 ■九月九日 京都 大使館


 信長は朝倉の抑えとして浅井軍を残していたが、武田軍の撤退が明らかになり、信玄の死が判明した時点で退却を命じていた。


 雪解けの二月の出陣以降、半年以上にわたる長丁場となっていたのだ。


 純正が中国地方を平定して、日本海を経由して小浜に兵糧弾薬が運び込まれてはいたが、兵の士気はいかんともしがたい。


 また、これ以上滞陣すれば、冬の到来とともに動けなくなってしまうからだ。


 同時に伊勢の神戸三七郎信孝に命じて養父の神戸具盛を隠居、幽閉させ、家督を継がせた。


 さらに反織田である、家老で高岡城主の山路弾正忠らを切腹・粛正して、百二十人の家臣を追放したのだ。


 南伊勢も同様である。北畠三介信雄に命じて、北畠具教と具房親子ならびに一族を粛正し、伊勢の支配を盤石なものとした。


「公方は、どこへいったのかの?」


 信長が純久に尋ねる。


「それがしにはわかりかねます。然りながら、頼るべき所は限られてくるかと。おそらくは若江の三好、いかがされるのですか?」


 純久の答えに対する信長はそっけない。


「公方には何もせぬ。こちらには稚児とは言え息子がおる。めったなことはせぬであろう。ならばこちらも、あえて何もせぬ」


 脅威が去ったわけではないが、今のところ反織田は延暦寺と本願寺、そして雑賀に三好義継、松永弾正である。


 摂津の反信長勢力は三好長治が平定しているので、気にする必要はない。


「しかし、われに刃向かい、そして公方を匿いたる罪は許されぬ。再び攻めて滅ぼさん」


 南近江はすでに平定したので、伊勢の神戸と北畠に伊賀の国衆を抑えさせ、信長自身は松永と若江三好に当たることにしたのだ。


 ■九月十五日 諫早城


「いわんこっちゃない」


 純正はあきらめ顔とあきれ顔と、なんとも言えない複数の感情が混ざった顔でつぶやいた。


 将軍義昭が信長の要望を聞いて降伏(和睦)をしたものの、京から逃げ出した、という報を受けての事だ。


「いったい公方様は何がしたかったのだろうの」


 傍らにいる直茂、弥三郎、庄兵衛、清良、直家、官兵衛の戦略会議室のメンバーに、愚痴なのかすらわからない言葉を発した。


「策士策に溺れる、とはよく言ったものにございます。戒めにすべき事にございましょう」


 直家。希代の謀将と呼ばれた男はそうつぶやく。


「われらとしては今までと同じく朝廷を戴き、幕府は……公方様は官職を辞してはおりませぬゆえ、まだ将軍にござりますれば、もし我らに近づく兆しあらば、相応に処すればよいかと」


「当たり障りのないように、という事だな」


 官兵衛の言葉に同意の返事をする。


「左様にございます」


「直茂はいかがか?」


「は……」


 直茂はしばらく考えた後に、ゆっくりと話し始めた。


「されば、畿内とその周りにおいては、一、二年で片がつきましょう。河内の三好を降し、松永を降せば、残るは本願寺にございます。ただし、その前に越前の朝倉を滅ぼすかと」


「うむ」


 会議室の室長である直茂の言葉に、全員が耳を傾ける。


「上杉と織田は盟約をむすんでおりませぬが、親交がございます。また、国境も接しておりませぬ」


「ふむ」


「武田も健在とは言え、信玄の死が露呈するのは時間の問題であり、これから二年ないし三年は新しき当主、諏訪四郎にとっても足場固めが要り申そう」


「そうであろうな」


「は、そして朝倉を滅ぼし本願寺を、これはどれほど従わせるか存じ上げませぬが、その後は丹波ならびに紀伊を平定するかと思われます」


「うむ。われらは何とする?」


 直茂が答える。


「われらは、いままで通りでよろしいかと存じまする。織田家とはそのままに北と南に力を注ぐのが肝要にて、南は言うに及ばず、蝦夷地との交易にて銭を増やし、先々は奥州を見据えていかねばなりませぬ」


「いや、奥州って……。西は俺が治めるが、東は弾正忠殿が……」


 純正の言葉に、六人全員が正対して真面目な眼差しを向ける。


「御屋形様、御屋形様は西は小佐々で東は織田で、とお考えになっているようにございますが、いまだかつて織田と小佐々で、そのような取り決めはなされておりませぬ。また、朝廷はもとより幕府もそのような命は出しておりませぬ」


 確かにその通りである。


 純正と信長が対面したとき『私利私欲で領土を拡げているのではない』『天下静謐のため』などと二人が話をして、たまたま『西』や『東』の話になっただけの事である。


 朝廷や幕府の許可どころか、二人で交わした起請文があるわけでもなく、言質をとったわけでもないのだ。どう転ぶかわからない。


 それに、上杉もいれば武田も健在、そして関東には北条がいるのだ。


「さらに、上杉、武田、北条と織田が対する事になった時、わが小佐々が与すれば負けることはないでしょうが、かなりの時を要すると存じます。その時勝つか負けるかは、どれだけ地力があるかによるのです」


 五人は何も言わないが、そうだそうだ、という顔をしているのが見て取れる。


「そうなった時、いかに兵の損を抑え、銭の入目を抑えるかが肝要にござる。お味方にすべきは多いに越したことはござりませぬ。仮に奥州がわが小佐々の支配下になったとて、それで静謐が得られれば、弾正忠様もそれに異を唱える道理はございますまい」


「……」


 肥前彼杵の一領主として平凡に平和に暮らすという純正の夢が、西日本どころか、日に日に大きくなっていくのだった。

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