第341話 肥薩戦争⑧砲撃の嵐、和議の拒否

 十月十日 午三つ刻(1200) 日向 児湯郡西米良村 米良城 米良重種


「その、修理亮様より、再三の登城命令がきております」


「わかっておる! 何度も言うておるではないか、今は登城できぬと」


 まったく、何もわかっておらん。だいたい殿はどうしたのだ? なぜ殿ではなく修理亮殿なのだ。まさか、いや考えたくはない。それこそ伊東は終わりぞ。


 島津との緊張状態が続き、先の負け戦だ。島津からも間諜が入ってきておる。今のところ断っておるが、この状態でわしが領国を空けられるわけなかろうが。


 昨年の木崎原までは良かった。いや、その前から傾向はあったが、少なくとも飫肥役の頃までは殿は英邁で、まさにわが主たるお方であった。


 しかしいつからだ? 名前も知らぬ渡辺の某や斉藤なにがしかの讒言かわからぬが、取り巻きの言う事しか聞かぬようになった。こたびの出陣もわしは反対したのじゃ。


 三国の盟に小佐々の支援、これがあればそうそう負けはせぬ、と。あえて今大軍を率いて攻め込む意味がない。しかしてこの負け戦だ。


 父の代よりわれら米良家は相良、伊東と結んでその武威を知らしめておった。


 嫡子であるわしが家督を継いで石見守を称したあとも、残りの五人の兄弟を米良村、平野、山陰城主、諸県紙屋、穂北一円に配して支配してきた。


 その重要さをわかっておられんのか?


「しかし殿、これ以上断れば、あらぬ疑いをかけられますぞ」


「みなまで言うな。わかっておる。今は体調不良で伏せており、島津との国境も騒がしいゆえ行けぬと申せ。それでも来い、というのなら仕方がない」


  ■十月十一日 辰三つ刻(0800)薩摩 ※内城下


「なんだこれはなんだこれはなんだこれは」


 城下に入って※義久は連呼した。義久だけではない。※義弘も※歳久も似たようなものだ。辺り一面逃げ惑う人々ばかりであった。


「おい、そこの者、これはいったい何とした事だ」


 荷物を背負って家族を伴い逃げている男をつかまえて、義弘が聞く。


「ひえっあっ! お、お侍さま……。どうしたもこうしたもありません。いきなりどおんどおんどおんって、ものすげえ音がしたと思ったら、お城めがけて石が降ってきよったんです」


 平伏した男がぶるぶると震えながら答える。その震えは侍に対するものなのか、砲撃に対するものなのかは歴然としている。


「な、ん、だと?」


 義弘は聞き返すが、男は先を急いでいるようだ。


「うそじゃありません。こりゃあもう、逃げにゃなんね、と思うて。わしら上伊敷村に親戚がおりますから、そこへ向かいます。どうか、どうか」


 義弘は男を解放した。そして義久と歳久を見る。


「城へ急ぎましょう」


 うむ、と義久はうなずいて、一行は内城へ急いだ。城内は騒然としている。義久たちが戻ったのを知ると、みんなが口々に叫んだ。


「殿がお帰りになったぞ!」


 全員がおおお、という歓声を上げる。さらに一行は、一際大きな声で指示をだし、家臣たちを指揮している者へ近づく。


「奥方様らと御一門の方々は、全員昨日のうちにお逃げになったのか?」


「はい、山田村の川口城へむけ、みな避難いたしましてございます」


「よし、あそこは海から二里は離れておるゆえ、安心であろう。お主も行け、しっかりお供せよ。おい、それはいい、家宝と必要最小限のものだけでよい!」


 義久の家族や一門の安否を気遣い、残った人員で危険を顧みず家財道具の運び出しを行っている。


「※義朗よ、無事であったか」


 純正に砲撃の中止交渉を行った川田駿河守義朗である。


「殿! との、よくぞ戻られました!」


 険しかった顔に笑みがこぼれる。


「みな、無事か? 小佐々は、小佐々はどこにおるのだ!?」


 義朗の両肩を掴み、揺さぶって聞き出そうとする。


「との、との、あれは、あれはいけませぬ」


 義朗は顔を見合わせようとしない。


 顔を背けながら、一昨日の九日、禰寝の城から砲撃が始まったことを話し始めた。


 こちらの大砲が全く届かない距離から、何十もの砲弾が降り注いだこと。交渉に行った船は、千石どころではない、とてつもなく大きな船だと言うこと……。


 数え上げればきりがない。とにかく小佐々は、常識を遥かに超えた、考えられない軍だという事を伝えたのだ。肩を揺らす義久の動きが止まった。


「して、その小佐々はどこにおる? 今日は攻めては来ておらぬのか?」


 義弘が尋ねる。


「は、今日は素通りしてございます。おそらくはもっと奥深く入り込んで、平松城、岩劔城、諏訪城、建昌城……大隅加治木城、富隈城、上井城、廻城……」


「もうよい! もう良い!」


 小佐々はすべてを潰すつもりなのだ。


「無論、各城に遣いは出し申した。逃げるべし、と。もはや、なす術がありませぬ」


 義朗は口惜しそうにつぶやくが、事実である。この時点で義久ら島津軍にできる事はない。


「和議じゃ」


 義久がぽつりとつぶやいた。


「和議より他あるまい。日の本のどこに、このような鬼神のごとき所業ができる者がおるというのだ」


「兄上、もう少しお考えになってから……」


「何を考えるのだ? 徹底抗戦か? 勝てるならよい。勝てるのか? 無駄死にであるぞ」


「……」


 二人は何も言えない。


 和議の使者となった義朗が、ふたたび純正のもとへ向かうのであった。 


 ■午三つ刻(1200) 大隅加治木城沖 第一艦隊 旗艦金剛丸 艦上


「またわいか(お前か)。なんや(なんだ?)、まだなんかいいたか(言いたい)事のあっとか(事があるのか)」


 純正はうんざりしている。


「は、それがし主命にて、和議の申し出に参りました」


 艦橋に純正はいない。完全にルーティンになっているから、賓客室で紅茶を飲んでいる。平伏している義朗をみて、ため息をつく。


「和議? なんで?」


「は、なんで、とおっしゃいますと」


「なんで俺たちが和議をしなくちゃいけないのか? って事だよ」


 少しだけ純正はイライラしているようだ。


「それは、これ以上の戦はお互いにとって……」


「あー別に構わんよ。こっちはそっちの攻撃でけが人も、死人もでたけんね。止めるつもりはまったくない。帰って(帰んな)」。


 純正は平伏した状態の義朗から目をそらし、紅茶を口に運ぶ。


「悪い、もういっぱいもらえるかな?」


 給仕に紅茶を頼む。義朗の手がぷるぷると震えている。


「この屈辱……とか考えとるかもしらんけど、知ったこっちゃなかけんね。そいに和議ば結ぶ理由のなか。必要もなか。考えもなかし(ないし)、しとうもなか(したくもない)。そいに……」


 純正は少し考えてから言った。


「なんで義久がこんとや? 大将がこんで(来ないのに)なんばしたかとや(何がしたいんだ)? あーもうめんどくさか(面倒くさい)」。


 残った紅茶をぐいっと飲み干し、純正は言い放った。


「飽きたけん(から)帰っけん(帰る)。明日またくっけん(来るから)、用のあっとやったら(用があるなら)本人が来いって言うとけ」


 攻撃を止めていた艦隊であったが、義朗が帰ったあと、種子島へ帰っていった。

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