第340話 肥薩戦争⑦裏切りと崩壊

 十月十日 午三つ刻(1200) 中津川村(鹿児島県姶良郡湧水町)


「馬鹿なことを申すな! そのような事、あろうはずがない!」


 義久は立ち上がって伝令に向かって怒鳴り散らした。義弘は飲んでいたお茶を吹き出さないように懸命にこらえ、咳き込んだあと口を拭い、発言した。


「いったいどうしたというのだ。詳しく申せ」


「はい、されば、昨日九日の巳の四つ刻(1030)ごろにございます。まず禰寝の湊の南にある瀬脇城が襲われ申した。小佐々の、敵の軍船から大砲の砲撃があり、なすすべもなく城は破壊されました」


 歳久が、質問する。


「あの城は海から天守まで三町はあろう。二町くらいまで近寄ってきたのか?」


「申し訳ありません。そこまでは。ただ、その後国見城も砲撃し北上してきたのでございます」


「馬鹿なことを! 松崎の浜から数えても天守まで二十町はあるのだぞ、届くはずがない!」


 伝令は本当の事を話しているだけなのに、怒鳴られて少し萎縮しているようだ。


「すまぬ、取り乱してしまった。続きを聞こう」。


「はは、その後北上し西岸の天保山、大門口、南波止の砲台を次々に砲撃し、破壊いたしましてございます」


 義久と義弘は開いた口がふさがらない。呆然として、ただ聞いている。


「ばかな、われらの大砲はどうしたのだ。小佐々から大友が盗んだ絵図面を写し、明や南蛮(東南アジア)から入手したフランキを改良したものだぞ」


 歳久は努めて冷静を装ってはいるが、その声は少し震えている。


「はい、もちろん応戦いたしました。しかし、届かぬのです。折からの向かい風で、五町も飛ばず、対して小佐々は風上から撃ってきました。太刀打ちできません」。


 歳久は言葉にならない。言いようのない感情であった。この伝令は決して嘘はついていないであろう。この状況で嘘をつく意味がない。


「先程、国見城の件でも話しましたが、おそらく二十町から三十町、台場から離れて撃っておりました」


 歳久は頭を抱えてなにやらブツブツ言っている。伝令からの報告は以上であった。決死隊の突撃も、内城と東福寺城が砲撃された事も知らない。


 しかし、容易に想像できる事であった。しばらくして、義久が口をひらいた。


「相わかった。休むが良い」


 そう言って義弘と歳久の顔を交互に見た。


「信じ難き事ではあるが、由々しき事態だというのは間違いなかろう。ここは騎馬で先行しよう。急ぎ内城へ戻ろうぞ」。


 三人は騎馬隊のみで先行して内城へ戻ることとなった。


 ■十月九日 午三つ刻(1200) 佐伯湊 第三艦隊


『発 総司 宛 三艦 秘メ ワレ 島津ト 開戰ス 三艦ハ 速ヤカニ 食糧彈藥ヲ 補給シ モツテ 志布志城ヘノ 攻撃ヲ 開始セン モツテ 降伏セシメ 薩摩沿岸ノ 諸城ヲ コトゴトク 攻撃セン 秘メ ◯ロク 酉サン(1800)』


 日田までは通信で、そこから豊後国(大分県)玖珠郡戸畑村までは飛脚で、そしてそこからは馬で二日と半日かかったのだ。


 手旗、火振り、発光、飛脚、馬、伝馬で最適なものを使った。


 小佐々領内においては街道の整備とあわせて、通信設備の拡充を急がなければならなかった。肥前ではほぼ主要な街道は舗装され、信号所も伝馬宿も完備されている。


 ついで筑前、そして筑後と北肥前の服属順と天草島内、隈部の領地の順である。そして最も遅れているのが豊前と豊後なのだ。


「なんだこれ! 三日もかかっているじゃねえか!」


 通信文を読んだ深沢勝行は驚いている。諫早から佐伯湊なら、通信を使えば一日でつくのではないか? 事実、そうである。


 四国戦役では四国内で済んでいたし、大友戦では海軍の仕事は輸送に移送。肥前内で戦っていた頃の記憶しかない勝行にとっては、ここまで遅いとは思わなかったのだ。


 他国では当たり前でも、一度でも通信や伝馬制を体験すると遅く感じる。ともあれ勝行は指示に従い、大隅半島へ艦隊を動かすために指令を出した。


 四国への輸送は佐伯水軍に任せ、第三艦隊は行動を起こす。


「信秀、出港までどのくらいかかる?」


 艦隊司令の姉川信秀准将に聞く。勝行の無茶振りにも何とか対応する苦労人で、しかも優秀である。


「は、上陸した乗員の帰艦と食糧弾薬の積み込みも含めて、早ければ明日の午前中には終わりましょう。遅くとも昼過ぎには出港できるかと」。


「やはり、それくらいかかるか。では昼過ぎに出港して、直接志布志に向かい攻撃できるか? それとも一旦種子島へ向かったほうがよいか」。


 信秀が考えながら渋い顔をする。


「志布志で一戦どころか、そこまでいけませぬ。日没までに日向の大淀の湊(宮崎市)へつければよいかと」。


「なに? そんなに風が悪いのか?」


「はい。しかし翌日は朝から出れば、なんとか昼過ぎまでに志布志につきまする。一刻や一刻半くらい戦におよんでも、日没までには種子島へつくかと」


「相わかった。では準備いたせ、日向の大淀を経て、明日志布志を攻撃する」


 ■十月十日 午三つ刻(1200) 日向 都於郡城 


 城内は沈痛な面持ちの面々ばかりである。義祐の姿はない。


 伊東家中には受け入れがたい事であろうが、さきの戦で討ち死にしたのである。取り巻きは主を守ろうともせず、逃げ惑い、挙げ句に殺された。


 そして上座には、やつれ果てた祐青がいた。決戦から五日経ち、都於郡城下には、真幸院から命からがら逃げてきた兵が、そこかしこにいた。


 これはまるで、大戦で負けたようではないか、そう資は感じた。


 しかし、三国同盟は決戦を避け、持久戦で島津を干上がらせる大計ではなかったのか? なぜ伊東の兵がここまで焦燥しているのだ。まさか本当に……。


「待たせたな、大和守どの。見ての通り忙しゅうてな、すまぬ」


「とんでもございませぬ。ご尊顔を拝し、恐悦至極にござります」


 祐青は笑っているが、無理しているのがわかる。顔が青い上に頬がこけている。これは、食べていないのもあるだろうが、心労からきたものであろう。


「それで、こたびはいかがした」


「は、それでは申し上げまする。こたびは、われら小佐々家中への服属を勧めに参りました」


 祐青のまゆがぴくりと動くが、それを感じさせないくらい焦燥している。注意深く見なければわからないかもしれない。


「それは、大和守、わが伊東に、小佐々家に降れ、下風に立て、と申しておるのか」


 精一杯の虚勢であろうか。義祐が存命であれば一笑に付し、帰れと言うのであろうが、状況がそれを許さないようだ。


「修理亮様、まずは心を落ち着かせましょう。話を聞くだけなら、問題ありませぬ」


 荒武宗並である。あの乱戦の中を生き延びて、祐青を伴って都於郡城まで帰ってきたのだ。山田宗昌もいる。


「大和守どの、それはいったいどういう事ですかな」


 宗並が詳細を聞こうとした時であった。


「申し上げます! 石見守どの……」


 石見守どの……と伝令が言った瞬間に、場がぴいんと張り詰めた。


「石見守どの、米良石見守どの、寝返ってございます!」


 伊東家の崩壊が始まった。

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