第333話 サンチャゴ要塞の完成とスペインの動静
永禄十二年 十月 諫早城
純正が対島津戦線における伊東、相良、肝付連合軍の戦況を聞き、頭をなやませていた頃、昨年十一月から始めていたフィリピンの要塞が完成した。
人員六千名を投入し、一年がかりで完成したのだ。
ここに約三千の兵と入植者、職人その他含めて合計で六千人を定住させる。兵はもちろん、定期的に入れ替えを行う。
人件費一人百文(12,000円)で六千人、一日で六百貫(7,200万円)、月で一万八千貫(21億6,000万円)となった。
完成まで一年かかったので、二十一万六千貫(259億2,000万円)である。
実際には材料費やその他の経費がかかっているので、もっと数字は上がる。日当は相場の倍以上だが、遠隔地で、しかも聞いたこともない場所にいくのだ。
当時の人にしてみれば、外国というよりも宇宙、異世界に近いかもしれない。そんな危険に身をさらし、重労働な環境で働くため、危険手当的なものをかけたのだ。
報告によると、作業員は適宜本国に帰ってくるようだ。幸いにして、熱病で体調を崩したものはいたが、死者はでなかった。
現代でいえば不十分でも、考えられうるマラリア対策と、衛生環境の改善に力をそそいだおかげであろう。
並行して周辺の部族との交流や同盟の話も進めていた。これも良好な関係を築けているそうだ。
フィリピンには七つの主要文化圏、国とも言える地域があり(当時)、独自の言語を用いて基本的に全てが国内(地域内)で完結している。
ルソン島北部にはパンガシナン語、イロコ語、カガヤン語を話す人々の住む地域(以降北ルソン国と表記)だ。
二つ目は中央部にタガログ語と一部にカパンパガン語を話すマニラ湾・バタンガス・ミンドロ地域(以降マニラ国)がある。
ここに純正たち小佐々家の拠点がある。要塞を建設し、入植を行って地域住民ならびに周辺部族とともにスペインの脅威に備えるのだ。
三つ目、南東部にはビコラノ語を話すビコール(以降南ルソン国) 地域がある。
また、ミンダナオ島にも二つの地域があった。一つは北東部のブトゥアン人やカラガン人の住むブトゥアン・カラガ地域(以降北東ミンダナオ国)である。
もう一つは南西部のマギンダナオ語を話すマギンダナオ人が占拠する、マギンダナオ(ミンダナオの語源か? 以降は南西ミンダナオ国と記載)だ。
スールー諸島はそれ自体でスールー地域(以降スールー国)を形成している。
ルソン島とミンダナオ島の間にあるのがビサヤ地域(ビサヤ国)で、セブ島を中心としてビサヤ語を話すビサヤ人が住んでいる。
もちろん、完全にそれぞれが孤立していたわけではない。いわゆる一般人との交流がなかっただけで、地域をまたいで交易をする商人の存在があった。
主にマニラ国のタガログ人、ビコール人、中国人、ブルネイ人、シャム人などである。小佐々家はそのすべてと親交を結んだ。
日本の特産品と小佐々の名産品は珍重されているらしい。
直接売買しても十分に利益はでるが、バンテン王国や富春やカンボジア、アユタヤとの交易を考えると、拠点としての重要度はかなり高い。
フィリピンからの輸入品は、陸稲・ヤシ油・ココナッツ・バナナ・水銀・青銅・木材・石墨・魚肉・丸太・砂糖・銅鉱石・マニラ麻・パチュリ・真珠など。
陸稲? 陸の稲、という事だろうか、と純正は考えた。
いや、おそらく畑で育つ稲なんだろうが、これは売れるのだろうか? いや、あいつらの事だ、どうにか加工して、例えば『南蛮餅』とか言って売りそうな気がする。
要するに素人ではわからないものを、独特の発想で銭に変える才能にかけては、真似できないという事だ。
マニラ麻は丈夫で、船舶係留用の綱に用いられる。これは、台湾や琉球で栽培できるか試してみる価値はあるだろう。海軍の増強には必須であるし、商用にも使えるはずだ。
真珠は国産があるし、バナナは琉球もあるし台湾もあるから、なしだな。
銅鉱石はいいかもしれない。この辺は質と量と価格で、どうか? という所であろう。パチュリ……純正はどこかで聞いたことがあった。
フィリピンのマラリア対策で、玄甫がいっていたハーブのひとつだったか? 思い込みならごめん、誰にごめん?
やはり戦の事を考えるより、純正は内政や商売を考えるほうが楽しい。
「それでどうなのだ、各国というか、各領土の王との会談は、攻守同盟などは結べそうか」
純正は三回目の練習航海から帰ってきた籠手田安経に聞く。国外の外交官としての役割もある練習艦隊司令は、状況を詳しく説明する。
「は、おおむね良い方向に進んでいるかと考えまする」
四年前の永禄八年(1565年)の四月二十七日、レガスピ隊がセブ港に到着。住民の歓迎は嘘で実際は戦闘が始まった。二千人ほどの原住民はスペイン側の大砲と火縄銃に驚いて退散したという。
その後レガスピは集落に入って防衛に適した場所に要塞を築いた。このあたりまでは純正も知っている。詳細を安経にさらに聞いていく。
十日後には占領を正当化するための条例を発布したようだ。こういう条例は誰に対してなんだろうか? 文化も歴史も言葉も違うのに、意味があるのだろうか。
そう思いつつも純正はさらに聞く。台湾やフィリピンに駐屯地を設営し、入植しようとするのだ。しっかり情報を精査して、対応を誤らないようにしなければならない。
占領条例公布後、セブ港とグアダルーペ河口に面した土地に、居留地を建設開始。
これがいわゆるサンペドロ要塞である。要塞内部には教会や修道会の建物、倉庫や多目的な家屋、兵舎や住宅、井戸などが建設されたのだ。
六月一日にヌエバエスパニャ(メキシコ)への帰還が試みられ、十月に太平洋横断に成功したらしい。それから数回往復しているようだ。
まずいな、航路はもうすでに発見されているようだ。そう純正は考えた。やはり、マニラ侵攻はまもなくだ、と。
その後レガスピは住民の懐柔に努めたが、やり方が無茶苦茶である。
和平に同意するか、否かの二択で、同意した場合は住民はスペイン王の臣下になり、税を納めなければならない。嫌だ、と言えばもちろん討伐対象である。
しかし、セブ王のトゥパスを始め、無理やり和平に応じた地域はまだしも、それ以外の地域は知ったことではない。
「しかし、そのような事をしても、服属などせぬであろう?」
安経に聞く。
「さようにございます。特に食糧問題は深刻で、武力の面では圧倒的にイスパニア軍が優位なのですが、原住民には、食糧を出さない、という究極の武器がございます」
レガスピは、三百人の屈強な兵士を食わせるために、遠征を繰り返すしかなかったのだ。当然食糧提供を拒んだ村は攻撃された。
負の連鎖だな、と純正は思った。
「そしてもう一つございます」
「なんだ」
安経がニヤリと笑いながら言う。
「ポルトガルとイスパニアが、揉め事を起こしております」
なに? これは追い風かもしれぬ、そう純正は思ったのだ。
これは、マカオのポルトガル人外交官から聞いたのですが、と安経は前置きをした。
「ポルトガルはフィリピンからの撤退を、イスパニアに要求したそうにございます。イスパニアはこれを無視。そして昨年、ポルトガルはセブ港を封鎖し、スペインを窮地に追い込んだようです」
安経はキリシタンである。相手がカトリックなら、話が早いし信頼を得やすい。
「ほう、それでどうなった?」
純正の顔は真剣そのものだ。
「マカオには往路と復路、二回寄ったのですが、復路での情報です。その後ポルトガル艦隊はなぜか撤退し、イスパニアは九死に一生を得たようです」
うむ、とうなずいて、続きをうながす。
「今年の七月に、イスパニアは食糧が豊富で封鎖が難しいパナイ島に移りました。ただ、湿地帯で健康的ではなく、さらにイナゴの発生で食料危機に陥っているそうです」
「うむ」
「そしてそのころ、それがしがマニラをたつ少し前ですが、ボルネオからスールー諸島を経て、マニラに向かう貿易ルートがあることが分かりました」
「つまり?」
「殿が言われていた、マニラ侵攻が近い可能性がある、という事です」
純正は考えている。
今までの話をまとめて、小佐々にとって有利な点がある。
一つはスペイン兵が三百から五百程度の兵力だという事。もう一つは食糧危機に陥っている事。さらに住民に無理を強いて、略奪行為を行っている事。
最後に、領有権とスペインの略奪行為を巡ってポルトガルが対立している事。
以上のことを加味して、純正は安経に告げた。
近いうちにトーレスを通じて東南アジア(東インド)での協力関係を密にすること、戦力の把握、住民との友好関係の維持向上、兵糧攻め、封鎖の検討とするように伝えたのだ。
もちろんフィリピンと日本を往復している艦隊司令にも同様の話をした。そしてなにより、セバスティアン一世の親書の返書が数通ある。
着々と防衛準備を進めるのであった。
次回予告 第333話 停戦か継戦か
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