第332話 三国連合vs.島津⑩島津義久vs.伊東義祐

 遡って十月五日 未の三つ刻(1400) 真幸院 島津義久軍


 島津の本隊である義久軍は、再編して合計一万四千五百であった。戦場を東西に流れる川内川の北の大明神城に四千五百、残りを南側の柿ノ木城という配置だ。


 大明神城に歳久を入れ、南は義久と副将新納忠元が率いる。


 義久はまず、歳久は動かず待機するように命じた。そして忠元には、二千を別働隊として山ぞいに南東へくだり、白鳥川と出水川をわたって、妙見原の背後、桶平城を獲るように命じたのだ。


 本隊である八千は、池島川沿いに東進して妙見原の伊東軍本陣を目指す。


 ■十月五日 未の四つ刻(1430) 妙見原 伊東軍


「申し上げます! 敵本隊は池島川沿いにわれらに向けて進んでまいります!」


 義祐は取り巻きと将棋を指している。


「殿、動きました! いかがされますか」


 荒武宗並が聞くが、義祐は将棋盤から目を離そうとしない。殿はどうされたのだ? この期に及んで、勝つ気がないのか? そう思う他なかった。


 伊東軍の陣形は、大軍を妙見原に布陣させたため、通常よりも中央部が分厚い長方形になっている。


「案ずるな。数は? 今わかっているものでよい。それから陣形は?」


 まだ、目は離さない。


「は、数は八千。陣形は、魚鱗、いえ鋒矢に近いでしょうか」


「なに? 鋒矢じゃと? しかも八千、数に間違いはないのか」


 最初に聞いていた一万五千の約半数である。残りの半分はどこに行ったのだ? そう義祐は思ったが、こうも言った。


「その軍に義久はいるのじゃな?」


「は、それは間違いなく確認しております。また、兵も五、六千を大明神城へ控えさせております。それゆえその兵数かと」


 伊東軍には情報の精度と新鮮度がなかった。宗並や宗昌は、頻繁に間者を放ち、敵である島津軍の動向に神経をとがらせていた。


 しかし、せっかく上げた情報も、取り巻きを通る段階で取捨選択され、真に必要な情報が義祐には届いていなかったのだ。


「殿、おそらく一部は別働隊として動いておるものと考えられます」


「何を根拠にそのような事を申すのだ?」


「は、それがしの配下の者の報告です」


「わしのところには来ておらぬぞ」


「そんなはずはありませぬ、しかとお伝えいたした」


 宗並は取り巻きをギロリと睨む。取り巻きはまったく気にしない様子で、義祐に耳打ちする。


「そもそも、鹿児島を出たのが一万五千というのも正しいのか? いずれにしても、敵は魚鱗、鋒矢の陣形じゃ。義久は兵法を知らぬのか」。


 義祐は高らかに笑った。飯野城に入っている義弘、そして大明神城の歳久をあわせても一万五千に満たない。この状態でぶつかれば、純粋に兵の数の勝負になる。


 しかも本隊は八千、伊東軍が有利である。


「仮に北の敵が我らの右翼を襲ったとしても、こちらも右翼は五千。来るとわかって備えていていれば、同数の敵など問題にならぬ」


 義祐は、島津に対してこう考えていた。


「中央突破でもするつもりか? われらが囲んで終わりぞ。殲滅してくれよう」


 確かに、一般的に考えればそうかもしれない。


 しかし、相手はあの島津である。兵の個々の戦闘能力はもとより、指揮官の能力と統率された集団の強さは、誰もが知るところである。


 駄目だ、もう殿の耳には取り巻きの声しか入らぬのか。これではまるで国を滅ぼした宦官ではないか! 宗並は歯ぎしりをして悔しがる。


 もっと前から、義祐の身の回りにいる人間の素性や行動を監視しておくべきだったのかもしれない。誰でも褒められて、おだてられれば悪い気はしない。


 しかし批判や忠告は、耳が痛いを通り越して、それを言う人間の人間性まで疑わせ始めてしまう。そして何も受け入れなくなる。


 今の義祐がまさにその状態であった。


 やがて、鋒矢の陣のように突出した義久の本隊と、分厚い義祐の本隊がぶつかった。大軍同士のぶつかり合いである。辺りには怒号が鳴り響き、歓声が上がる。


 激戦に次ぐ激戦、乱戦に次ぐ乱戦が始まったのだ。


 さすがに突撃、突破に特化した鋒矢の陣を操る島津である。当初は義久の軍勢が、伊東の本隊にくさびを打ち込み、穴をあけるかのように戦況は進んでいた。


 しかし、そこはやはり数に勝り、分厚く布陣した伊東軍である。


 徐々に義久の軍の勢いは殺され、ついには押しては退き、体勢を整えてはまた押すという、膠着状態に陥ったのだ。


 この機を逃さぬよう伊東の本陣もさらに分厚くなっていく。


 やがて最初に鋒矢の陣形のようだった義久軍は、徐々にその鋭さがなくなり、魚鱗に近くなっていったのだ。


 その時、時を同じくして、島津に動きがあった。


 北に布陣していた歳久軍と、飯野城に入っていた義弘が南下してきたのだ。


 合流した二軍(以下義弘軍)は川内川を渡ってさらに南下し、田之上城と古城の城兵も合流し、池島川の北岸で横陣を組み、二千ほどを川上に向けて東へ移動させた。


 義久の中央軍はすでに勢いがなくなり、徐々に押され始めている。伊東の本陣に押されてくの字にへこんでいるのだ。


「はあっはっは~! 見よ! あの無様な島津の軍を! あのような軍に昨年敗れたのか? 信じられぬ」


 義祐は高らかに笑い、取り巻きも笑う。取り巻きは戦のなんたるかも知らぬ文官である。ただその場の熱気と、優勢に進めている伊東軍の雰囲気に飲まれているだけだ。


 荒武宗並と山田宗昌は、それぞれ右翼、左翼に配置されていた。


 分厚い魚鱗の陣のように秩序なく変化してしまった軍を、何とか両翼だけでも保とうと必死で指揮していたのだ。義祐は邪魔な二人を遠ざけたかったのだろう。


「申し上げます! 敵軍は池島川の北岸に布陣しなおしております」


「なに! まずい、殿に報告せよ! 攻撃をやめ、防ぎつつ後退すべし、と。中央に投入する形になった元の両翼の兵も戻すようお願いしろ。それから、左翼の山田どのにも状況を伝えるのだ!」


 はは! と短く伝令が答え、足早に去っていく。


 ■義祐本隊


「申し上げます! 荒武様より伝令、敵軍池島川の北岸に布陣、包囲の危険これあり、防備しつつ後退と、両翼の兵を戻すようにお願いしております」


 伝令が息を切らせながら義祐に伝える。


「な、馬鹿な事を! 優位のわれらが、なぜ後退せねばならぬのだ。臆病風とはこの事よ。戻って伝えよ。後退はせぬ、おのれの仕事を全うせよ、とな」


「は、ははあ」


 義祐は、鋒矢から魚鱗と陣形を変え、本隊を下がらせて、両翼から包囲しようとする義久の意図を見抜くことができなかった。


 そもそも、兵力に劣る軍が包囲をするなど、考えも及ばなかったのだ。


 ■山田宗昌軍


「なに? 宗並どのが? あいわかった。用心されよ、と伝えるのだ」


 同じことを考え、行動していた宗昌は、伝令にそう伝える事しかできなかった。いましがた義祐より臆病者呼ばわりされ、左翼の防衛に集中せざるを得なかったからだ。


「申し上げます! 敵襲にござります!」


「なに! どこからか?」


「は、南からにございます!」


 予感は、的中した。義久が東進するまえに新納忠元に率いさせた、別働隊二千が襲いかかったのである。新納忠元は攻撃するとともに、敵の退路を断つ。


 ■義祐本隊


「なんじゃ、まだ崩せぬのか、何をやっておる」


 すでに、分厚かった義祐軍は様変わりしていた。


 後方に両翼の兵と残った中央軍、そして突出してしまった義祐の本陣が、長方形のように東西に伸び切ってしまっていたのだ。後方の軍までは指揮が行き届きにくい。


 対する島津義久は、中央に兵を残し義祐軍の突撃を防ぎつつ、両翼を増強させ、半包囲を完成させていた。


 ほどなく、伊集院忠倉隊と島津義弘隊から、


『栓を封じた』


 との伝令がきた。島津軍は包囲の輪を徐々に閉じていく。


 それからは一方的であった。伊東軍の兵の死体が山積みとなり、阿鼻叫喚地獄となったのだ。ここからはもう、伊東軍に戦局を覆す術はなかった。


 荒武宗並と山田宗昌は態勢を整え、軍を再編し反撃に転じようと試みたが、どうにもならない。突破口をみつけ、命からがら撤退するのがやっとであった。


 結果、『第二次木崎原の戦い』とでも呼ばれるであろうこの戦闘は、戦死者七千を出して伊東軍の惨敗に終わった。


 運良く死なずに包囲を抜け出した兵も、その多くは街道沿いに配置された伊集院忠倉の軍に捕らえられたのである。


 次回予告 第330話 三国連合vs.島津⑩屈辱、停戦か継戦か

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