第317話 交換留学生と新規留学生 学力問題発生
永禄十二年 八月一日 諫早城
(まいった、そうだよ)
純正は、諫早城内の会議室(10~20名収容)で、居並ぶ家臣の前で頭を抱えていた。先日の信長からの要請である交換留学生の期間延長と、新規の留学生の年齢と学力試験の問題である。
鍋島直茂との問題は解決した。直茂は、受け入れをすることで織田の勢力が増す事を懸念していたのだが、そこは純正が信長を全面的に信用する、という事で半ばゴリ押しのように納得させられた。
しかし今回は、そういった戦略的な問題ではない。実務的な問題なのだ。まず、年齢の問題。そもそも交換留学生という試み自体が初めてである。
信長が送ってきた留学生は、下は森長可の十二歳から上は奥田直政の二十二歳までの開きがある。中学校一年生と大学四年生もしくは新卒社会人くらいの差があるのだ。
現代で言えば大人と子どもである。当然学力も違えば、一般常識や思想その他の考え方、判断力のもととなる素地が全く違うのだ。
もちろん、この時代の大人は元服をしてからである。
だから、理屈的には全員大人ではあるのだが、知識レベルが違うのだ。小学校レベルの算数や国語、いわゆる読み書きや算盤は問題ない。
暴論と言われるかもしれないが、現在の中学一年生がいきなり社会人として働いているのと同じ事だ。
戦国時代は日本全国で群雄が割拠していた時代。
そしてこの時代の高度な教育とは、当然現代日本の大学教育(いわゆる近世の、小佐々の洋風教育制度)などとはまったく異なる内容であったのだ。
戦国時代の高度な教育といえば武芸や戦略、そして文化に教養、哲学や宗教的な知識に、領内統治の方法や外交、法律知識などが該当するだろう。
武芸というものを現代に置き換えるなら、無理やり体育、それから部活動であろうか。また剣術は剣道部、弓術は弓道部、牙術は乗馬クラブ、槍術なんて……あるのだろうか。
ともあれ戦国時代に必須の身を守るための手段が、現在では警察や社会規範がかわりとなっている。そのため学生時代に経験していないものは、護身術として必要にあわせて学んでいる程度なのだ。
戦術や戦略などは、防衛大学校くらいであろう。文化や教養としては詩歌、書道、絵画、茶道などがあるが、これも現代では必須ではない。
哲学や宗教的な知識となってくると、もっとニッチだ。
儒学、禅学、仏教、神道のすべてが専門の大学や学部、もしくは専門学校に入学しないと学べない。『儒学とはなんぞや』程度しか知らないのだ。
統治方法は政治家にならないと実体験で学べない。特殊な講義として大学にあるかもしれないが、趣味の域を出ないであろう。外交は外務省に勤めるか外務大臣にならないといけない。
法律は、法学部だ。法務省の官僚にしたって、全員が法律に詳しいわけではないだろう。士業、いわゆる弁護士や司法書士、行政書士といった業務に携わる人間だけが学ぶ。
要するに、つぶしがきかない、とでもいうのだろうか。
「玄甫よ、医学や薬学を教える上で、問題はあるか」
純正は、以前に留学生五人に紹介した、医学部と薬学部の主任教授である東玄甫に聞いた。
「問題、といいますか、これが問題、ある意味では問題なのかもしれません」
純正の顔が曇る。
「なんだ、なにか言いたげだな。苦しゅうない、忌憚のない意見を申せ。俺はそんな事で怒ったりしない」。
「は、されば、勉強熱心なのです。五人とも探求熱心なのは良いことなのですが、そのせいで講義が進まないのです。それで他の受講生から白い目で見られると言うか、いじめではありません。ただ……」
「ただ?」
純正は続きを言うように促した。
「他の受講生から不満が出ているのです。五人を特別扱いしている、と。もちろん講師陣にそんな意識を持っているものはおりません。ただ、質問の内容が他とは違うのです」
「どう違うのだ」
無論、特別扱いなどしない。しかし、他の生徒にそう見えてしまい、学内の雰囲気が悪くなるのはいただけない。学習の効率も悪くなるかもしれないのだ。
「はい、例えば医学部では、アンドレアス・ヴェサリウスの著書である『ファブリカ』を用いて講義をする事があります」
うむ、とうなずく純正。
「その際の質問が、通常の高校を出ている学生、または受験して合格した学生がしない質問なのです」
ううむ、と考え込む純正。
現在小学校の一部、そして中学校と高校の教師は、大学の教授もしくは准教授、そして講師が兼任している。
または留学経験者で大学外の勤務や、海軍兵学校もしくは陸軍士官学校の卒業生で構成されているのだ。(業務配置の一環として)
それでも慢性的に人が足りない。肥前以外では依然として旧来の教育スタイルだ。八年という短期間で急激に伸びた弊害とも言えるが、加えて教える側の問題もある。
大学生に教える教授や准教授、あるいは講師が、小学生や中学生にわかるように教えるのはむずかしい。
純正は、教育学部を作ろう、と決定した。
話がそれたが、要するに、彼ら五人に対しては中学生に教えるように話さないといけないし、質問のレベルを下げなくてはいけないのだ。
人材不足とはいえ、欧州留学者が教える大学、そして陸海軍学校の卒業者が教える学校では、それなりにヨーロッパの文化や常識に触れる。
その学習の過程で一般的な戦国時代の人々が知らない、ある意味、学ぶために必要な最低限のものは身についていく。
要するに子供が初めて家族と外にでかけて、あれなに? これなに? と質問ぜめにするのと同じ状況が起きているのだ。それも五人分である。
それが二十人となると、講義どころか全てが滞る。
「天文学部でも同じです。医学部とどの程度違いがあるかわかりませんが、天動説と地動説の違いもそうですし、ユリウス暦と今の暦の違いを教えるのも一苦労です」
そう答えたのは天文学部の太田和九十郎秋政である。外務大臣の太田和利三郎の次男にあたり、教授であり、純正の従兄弟となる。
三人の会話には専門用語も入っていたので、集まった家臣の中には首を傾げる者も多かった。
「言わんとする事はわかった。そこまでひどいのか」
純正は二人に問う。
「はい、正直に申し上げて、専属の質問用講師をつけなければ、どうにもなりません」
それだ! と純正は叫んだ。
「留学生にマンツー、いやいや、個別ではなくて五人から十人に一人、専門の先生をつけるのはどうだ? そうすれば進行は滞らないだろう?」
「補講、いやこの場合は補習ですか……」
玄甫は考え込む。
「いやいやいや、聞いてた純ち……いやごにゃごほんげふん。殿、さきほども人材不足という話をされていませんでしたか? 今は人が足りぬのですよ」
秋政が言う。もっともだ。
「五人のうち森どのは十二歳。元服しているとはいえ、中学生です。その紙に書いてある、奇妙丸という人も十三歳ではありませぬか。中学校に入学させるならまだしも、大学は無理です」
重ねてもっともだ。しかし、多少の学力、いや、ここでは教養と経験といったほうがいいかもしれない。長可と直政にその差はあっても、小佐々の学制内という事で考えれば、学力は同じであろう。
だからといって、全員が同じ様に中学生として学ぶだろうか?
今は新しい事を学ぶという事ではなく、あくまでも、見聞を広めるという意味合いが強いのだ。
だからこそ、直政は長可に対して、人生の先達としての立場がある。しかし、周りが全員十歳近く年の離れた人間という環境で、学べるのだろうか。
これは直政に限った事ではなく、これからくるかもしれない、留学生全員に言える事だ。
議論は、難航した。
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