九州探題小佐々弾正大弼純正と信長包囲網

肥薩戦争

第316話 島津の脅威、日向・大隅・肥後の連合軍が織りなす戦国絵巻

 永禄十二年 七月二十六日 諫早城

 

 島津家を弱体化させるために、日向の伊東、大隅の肝付、南肥後の相良が三国同盟を結んだ。


 弱体化させるためというより、日々強大になっていく島津に対抗するために、といった方が正しいだろう。島津が肝付陣営の禰寝氏を籠絡して以降、危機感を募らせた肝付が呼びかけたのだ。


 南肥後の相良は、小佐々と不可侵の盟約を結んでいたため、無断で他者との盟約に参加することはできなかったが、しっかりと事前に連絡がきたわけだ。


 しかも、支援してくれ、という要望と一緒に。その三者の目的ははっきりしている。発起人となった肝付は大隅の統一であり、島津に奪われていた領地の回復である。


 伊東氏は先の戦の目的であった真幸院と、北郷氏が治める庄内地方を支配下に置くことで日向の統一をなすこと。飫肥地方の南半分は、肝付が領有していたため除外している。


 そして南肥後の相良氏は、島津に奪われた伊作郡の大口村周辺を取り返す事であった。しかし正直な所、どこが父祖伝来の土地で、どこが欲している土地なのかはわからない。


 先祖伝来の土地を取り返すと言っても、どっちが正しいのかわからないのだ。ともあれ、小佐々はこの三者を支援することで島津の勢力拡大を防ぐという戦略になった。


 小佐々家としては積極的には参戦しない。四国と南方がおさまってから、万全の状態で島津と対峙しようという戦略だ。そういう訳で四国は一年と期限を決めている。


 肝付はまず寝返った禰寝を攻めるはずだ。時を同じくして伊東は真幸院、相良は大口城を攻めるだろう。


 純正は海路にて佐伯湊から日向南部油津の湊、種子島から大隅の肝付の志布志湾へ送っている。人吉城は陸路輸送だ。さしたる問題もない。


 大量なので時間はかかるとしても、兵糧三千石や矢弾は十分すぎるくらい輸送している。兵糧は、一万の兵が三ヶ月は食べられる量だ。


 おそらく肝付軍はほぼ全軍を禰寝討伐に向けるであろう。その数はおおよそ二千五百。三国同盟がなせるわざだ。伊東が島津勢を牽制してくれるおかげで、兵力を南に割けるのだ。


 対する禰寝は、主城の国見城をはじめ五つの支城群で防衛に当たる事が予想される。しかしいかんせん、数が少なすぎる。


 かき集めても千、いや、千いるかどうか。島津の後詰めがくれば、野戦になるかもしれないが、来るまでは間違いなく籠城戦である。


 そして問題は島津の戦略である。


 現状三方に敵をおっているが、それぞれに兵を分割してあたるのは得策ではない。常識的に考えれば早期決戦だ。戦力的に互角とは言え、長期戦となると兵糧・矢弾の問題がある。


 その早期決戦に、どこを選ぶかが問題となってくる。


 伊東の予想兵力は四千五百だが、それはあくまで最低限。現に昨年、二万の兵で飫肥を攻めている。無理して集めたのかもしれないが、底力はあるという事だ。


 過去には大友が二万の兵で豊前をせめ、臼杵城の防衛にさらに五千動員できた事例がある。あながち嘘ではないだろう。


 しかし伊東は真幸院(宮崎県南部山沿い地域の旧名。現在のえびの市、小林市、高原町の総称)を攻めるとして、昨年の木崎原の敗戦は、強烈な記憶である。


 その凄惨な負け戦は、将兵に刻み込まれているはずだ。攻めるにしても慎重になるだろう。


 伊東は相良の大口城攻めの様子や、肝付の国見城攻めの状況をみて動くのではないだろうか。そう純正は考えていた。二万とまではいかなくても、一万程度は出すかもしれない。


 必然的に大軍になれば大量の兵糧が必要になるが、今回は小佐々から潤沢な兵糧が支援される。そうなると、話は違ってくる。そうでなくても、昨年の飫肥城攻めで五ヶ月も包囲したのだ。


 その時島津貴久は、耐えられずに和平を申し出ている。結局飫肥(宮崎県の南部、日南市中央部にある地区)は、肝付と伊東で分割統治するようになった。


 純正は今回の戦に対して、積極的には介入しない。資金や兵糧、弾薬は支援しても兵はださない。あくまでも黒子の存在だ。


 ただし意思統一と命令系統、そして連絡を密にとるように、とだけお願いをした。米のとれない薩摩に比べて、日向や肥後は豊かである。そして今回は小佐々の支援もある。


 兵力が互角でも、底力があるのは連合軍だ。負ける要素は見当たらない。ただし、相手は寡兵で伊東を破った島津である。そして純正は、連合軍がゆえの弱さ、意思決定の問題点を心配していたのである。


 また、これは純正が言うまでもなかったが、出兵は九月の稲の刈り入れが全て終わってからとなった。長引いても来年の春先の田植えの時期まで行動できるようにだ。


 小佐々軍と違って足軽農兵は農繁期は戦ができない。厳密に言えばできないわけではないが、農作業ができないから領民に嫌われるし、収穫も遅くなる。


 そこで刈り入れが終わるまでの間、三者はお互いの兵の動かし方を協議する。考えうる島津の動きに対して、どのように連携して動くかを、何種類も考えて煮詰めるのだ。


 一箇所で行われる戦闘ではない。日向、大隅、薩摩の三国にまたがって行われる大規模な軍事作戦なのだ。綿密な連携がとれなければ、ただの烏合の衆となる。


 三者が協議をしている間、純正は四国からの宗麟の状況報告を受けた。瀬戸内海の情勢を三河守から聞いたり、京都の純久からの、山のような書状に目を通す。


 あわただしい毎日を過ごす中、翌月、八月に入ると信長が南伊勢に侵攻したとの知らせが入るのであった。

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