第305話 予土戦役、宗麟の狙い③河野通宣の決断

 永禄十二年 六月十日 伊予 太田城


 宇摩郡、新居郡の国人衆の陣払いは、その他の国人にも大きな影響を与えた。周敷郡、桑村郡、越智郡、野間郡の国人達だ。


 河野氏の伊予支配体制はもろく、毛利の援軍と、来島村上水軍との連携の上にかろうじて成り立っていたのだ。我先にと東の二郡の国人にならって陣払いするものもいれば、残るものもいた。


 ただ、仮に残っていたとしても士気の低下は否めない。


 小佐々軍の北上が始まれば、喜多郡の宇都宮軍とともに、宇和郡の西園寺を降伏させた軍まで北上してくる。毛利との約定で河野は攻めない、となってはいるが、そんなもの役にはたたないのだ。


 通宣のもとへは、何度も送った毛利への援軍要請の返書が届いていた。内容はみなくてもわかっている。


 ・今回の援軍要請を深く受け止めるとともに、河野家の厳しい状況に、心から同情する。

 ・残念ながら援軍を送るのは厳しい。それ以外はできる限り援助する。

 ・毛利家としては領地や領民を守り、尼子の残党狩りに全力を注いでいる。

 ・小佐々との和平を勧める。われらの了承は必要ない。

 ・情報の共有や、継続した同盟関係の維持を希望する。


 なんだこれわあああ!


 通宣は叫び声をあげ、顔面を真っ赤にさせながら、書状を破り捨てた。すうはあ、すうはあ、すうはあ。冷静になどなれないものを、無理にでも冷静になろうとあがく。


 心から同情する? できる限り援助する? 和平を勧める? 同盟の維持? 馬鹿か! さらに叫んだ。和平など、とっくの昔に断られておるわ。


 通宣は、怒りと焦りと絶望と、その感情が順に自分を襲うのを感じていた。


 保身に走り、同盟を組んでおきながら、小佐々が敵になった途端に我関せず。ご都合主義はさすがの謀将元就の孫。援軍も送らないのに、さらなる同盟を希望する? 


 笑わせるな、ありえぬ。こちらから願い下げだ。


 通宣は吐き捨てるようにつぶやき、部屋に誰も入れるなと近習に命じた。一人になって今回の経緯を冷静に分析しようと試みたのだ。なぜだ? どこからおかしくなった?


 これまでは、われら河野と西園寺が結び、土佐の一条と宇都宮に対抗しておった。その構図でわれらに毛利と来島村上、一条に大友がついて争うようになった。


 これは、九州進出を目指す毛利の、大友を背後の伊予から脅かしたいという戦略のためだった。同様に大友も、北九州の毛利の戦力を四国に分散して九州侵攻を遅らせようという意図があった。


 そうだ、問題ない。ここまでは問題ないのだ。


 問題は、大友が滅んだこと。いや、滅んではいないが、独立勢力ではなくなった事だ。それから元就の死。これによって毛利の積極戦略がなくなった。


 そしてさらに長期化している尼子の反乱。予想外に長引く戦に、じりじりと毛利も体力を削られているのだ。中途半端な兵を投入したところで、平定はできない。


 つまり、伊予にまわす兵力がないのだ。


 われらの情報収集、分析も甘かった。大友がいなくなれば、一気に勢力の均衡が崩れ、われらに優位に運ぶと考えたのだ。しかし実際はその逆であった。


 一条が長宗我部の対応に追われている隙に、われらは喜多郡を手中に収めるはずであったのだ。


 ここだ、ここで兵を退いておくべきだったのだ。小佐々の狙いは長宗我部から一条を救うことなどではない。最初から伊予が目的だったのだ。


 大友が動いたという事は、小佐々が動く、動けば勝ち目などない。状況判断が甘く、行動が遅かった。ではどうするか? 過ぎたことを考えても仕方がない。


 すでに西園寺には書状を送った。服属もやむなし、われを気にせず行動せよ、と。はからずも輝元が寄越した書状と、同じことを自分がやっていたのだ。


 通宣は自分が滑稽に思えた。


 では、この後どうするか? おそらく西園寺は服属するであろう。そうでなくとも、小佐々に勝てる要素がない。宇和郡は小佐々の手に落ちる。


 われらと言えば、どうだ? 半数近くの国人が陣払いをし、事実上の離反ではないか。伊予半国を治めるのもやっとだと言うのに、これでは伊予守など名前だけだ。


 毛利との盟もこれまでにしよう。守ってくれぬ盟主など、いらぬ。決心した通宣は、行動が早かった。


 問題なのは服属を願いでる時期と、条件である。時期に関しては早いほうがいい。しかしこちらで最低限の条件を考えておかなければ、無理難題を言われるかも知れぬ。


 毛利とは、従属に近いとは言え河野は独立した大名である。


 それゆえ伊予国人のなかには、毛利に従うというより、河野に従っているという認識のものがほとんどだった。小佐々に下ればどうなる?


 いや、今ですら統率を欠いているのだ。陣払いをしている国人に、何と言ってわれらに従えと言えるのだ。ここは、小佐々に任せよう。他家を心配している場合ではない。


「房実、おるか」

 通宣は家臣の※平岡房実を呼んだ。


「はは、これに」

「小佐々に下る」

「は、よく、ご決断なさいました」


 通宣はあっけにとられた。房実は自分の決断を予期していたのではないか、と思ったからだ。


「なんだ、驚かぬのか」


「はい、殿であれば、それが唯一の河野が生き延びる道だと、お考えになると思っておりました」


「ぬかせ」

 通宣は鼻で笑いながらも、有能な家臣こそ大事であると、しみじみ感じた。


 家中にまとまりがない中で、房実は智勇兼備で忠義を尽くし、軍事・政治の両面によく通宣を補佐していた。


「して、条件はなんとする」

「は、されば国人衆に関しては捨て置きましょう」


 うむ、と通宣はうなずく。


「最低でも、本領の温泉郡で二万七千石。欲を言えば温泉郡、伊予郡、浮穴郡の三郡で八万七千石でしょうか」


「そうだな。房実、難しい役目だと思うが、行ってくれるか」

「かしこまりましてございます」


 かくして服属条件交渉へと、伊予河野家重臣、平岡房実は向かった。


 ■大友陣中


「性懲りもなく、まかりこしました。平岡左近にございます」。


「おお、よう参られた左近どの。ささ、こちらへ」

 宗麟は上機嫌である。


 それもそのはず、先の長宗我部との和平交渉では、要望通り浦戸の割譲ならぬ租借が成立した。さらに沿岸部の湊も商船・軍船の区別なく寄港できるようになったからだ。


 年間の租借料として五百貫を支払うが、大した出費ではない。小佐々の年貢石高の、百分の一にも及ばないし、後でしっかり返してもらう算段だからだ。


 それにその数倍の利が見込める。浦戸の城と湊をさらに整備し、産業を起こし交易を行う。小佐々領の産物を販売できれば、さらに利が出るであろう。


「それで、ふたたび参られたということは、服属であるか」


「はは、御意にございます。どうか、お許しいただきますよう、お願い申し上げます」


「是非もなし。歓迎致す。それで、条件はいかがか」


「は、されば、できますれば本領の温泉郡、伊予郡、浮穴郡の三郡を安堵いただきとうございます」


 あいわかった、と宗麟は即答した。無論最終的には純正の裁可を仰がなければならないが、四国戦役における全権を委譲されているのだ。


「よろしいので?」


「うむ。殿の裁可を仰がなければならぬゆえ、数日は必要だが、安心して待たれるが良い」


「はは、ありがたき幸せ」


 予想外の宗麟の反応に驚きを隠せない房実であった。


 ともあれこれで、東予の平定はなったも同じである。河野が小佐々に服属し、中予から東予は遠からず平定されるであろう。


 しかし本命の、純正から課せられた西土佐と西伊予の平定は、いまだになされていなかったのであった。

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