第306話 予土戦役、宗麟の狙い④宗麟、バカ息子を蹴る、殴る
永禄十二年 六月十四日 土佐 高岡郡 姫野々城
「こお~の、大馬鹿者があ!」
ぐわしゃん、と音をたてて崩れ去ったのは、土佐一条家当主の一条兼定である。兼定は訳が分からず、尻もちをついて倒れ込んだ自分の体を起こしながら言う。
「何をなさるのです、義父上」
頬を手で押え痛そうにしている。
「何を、だと!? それすらわからんのか、この愚か者が!」
今度はびんたである。周りには一条家の家臣もおり、公衆の面前で罵倒された兼定であったが、反論することができない。
すでに長宗我部との和平はなり、安芸郡からは撤兵を開始している。浦戸には城代として佐伯惟教の次男である鎮忠を置いた。
浦戸特別行政区の浦戸城と湊の管理施設には、小佐々家の七つ割平四つ目の家紋の旗が掲げられている。
宗麟は河野通宣の服属を受け、陣を引き払い土佐の高岡郡に入っていた。伊予と土佐の国境である鷲が森城から姫野々城へ向かっていたのだ。
長宗我部軍に落とされていた片岡城と蓮池城を検分した後、伊予宇和郡の西園寺領へ向かう手はずだった。
そして、事件が起きた。
■前日 姫野々城
「そうれお前たち、飲め飲め、唱え唱え、踊るのだ~」
兼定は顔を真っ赤にさせてベロンベロンである。その両脇で兼定に身を寄せている妖艶な侍女は、まるで遊女のような出で立ちだ。
「いやあ、殿、めでたいですなあ。さすが殿、殿のお力でお父君が援軍と相成りました」
「まこと、その通り」
上座に近いところに座っている取り巻きが、兼定の機嫌をとるような言動をする。確かに長宗我部との和平はなり、一条最大の脅威は去った。しかし、いまだ戦時である。
このような宴席は家中をたるませる、と重臣の土居宗珊などは諌めたが、聞く耳をもたない。仕方なく宴席に出席していた宗珊であったが、我慢できずに退座しようとした。
その時である。宴会の間の戸がバシャン、と音を立てて開き、南蛮風の甲冑姿の宗麟が現れたのである。宗珊と、一緒にいた小島政章が平伏する。
「これは、左衛門督様」
「出雲守よ、これは一体どうした事だ」
宗麟はあえて、宗珊ではなく、先日援軍の要請にきた小島政章に聞いた。それだけ信頼され、家中でも重要な席にあると考えたからである。
宗珊をはじめ政章のような知恵者、忠義者がいるのに、なぜこのような乱痴気騒ぎが起きているのだ。
宗麟は理解に苦しんだ。過去の自分を見ているようで、つらかったのだ。
永禄のはじめ、三年くらいであろうか。一時宗麟も遊興にふけっていた時期があり、重臣の戸次道雪に諌められたのだ。
事の次第を聞いた宗麟は、兼定に近寄り、無理やり宴席をお開きにさせた。
兼定は宗麟がいるにもかかわらず、うるさくわめいたが、徐々に状況が読めてきた周りの家臣達に説得された。宗麟は政章に対し、
「さきほど出ていった町娘には謝罪をし、十分な謝礼金を渡しておくのだ」
そう言って手で促した。二人の町娘が泣きそうな顔をして、襟元が緩んだ着物を直しながら走り去るのを見ていたのだ。
■戻って六月十四日
「それで、どう申し開きをするつもりだ」
宗麟の顔は険しい。とても愛娘を嫁がせた娘婿に見せる顔ではない。
群雄割拠し血で血を洗い、戦に明け暮れた、戦国九州を生き抜いた大名の顔である。兼定はまっすぐ宗麟の顔を見る事ができなかった。
「いえ、これはその、違うのです」
「何が違うのだ」
「こたびの戦勝の宴、そう、戦勝の宴なのです」
「こたびだけでなく、月になんども催していると聞くが?」
「いえ、それは」
本当の事なのだから反論のしようがない。
月になんども理由をつけて、宴を催しては散財している。これでは民はたまったものではない。長宗我部の話が半分だとしても、あながち嘘ではないようだ。
宗麟はなんとか取り繕おうとして、ジタバタしている兼定が哀れだった。わしは政略結婚とはいえ、このような男に娘を嫁がせたのか。そう思ったのだ。
ため息をつき、兼定に聞いた。
「それでそなた、こたびの一件、どうするつもりなのだ」
本題に入った。長宗我部との和平と河野の服属があり、一条の盟友である宇都宮は服属を願いでてきた。しかし西園寺は、まだ頑強に抵抗していたのだ。
公家の矜持というものなのだろうか。傍流とはいえ清華家の家系である。下風にはたてない、などという理由で戦を続けているのだろうか。
それを言えば、小佐々は源朝臣である。宇多天皇を祖とし、敦実親王を初代とする家門の流れをくむ。どちらが優れているなど、馬鹿げた考えだ。
そういった事もあり、宗麟はここで油を売ってはいられなかったのだ。
「どう、と言いますと?」
「……、どうするのか、と聞いておる」
兼定は理解ができないようだった。卑屈な顔になり、機嫌を伺うような口ぶりになる。
「それはその……銭、いや領地……の割譲をせよ、と?」
宗麟はため息をついた。
「また長宗我部が攻めてきたらなんとする」
「和平がありますゆえ、考えられませぬ。それに、一条に小佐々がついている事は、誰もが知っております」
「では、その和平は誰がなした? 誰が長宗我部を攻め、誰が河野を下して、中予と東予を平定したのだ」
それは父上が……、と兼定が言い終わる前に宗麟は、
「わしではない、殿じゃ」
そう言い放ち、訂正をした。
「わしが言いたいのは、もはや一条に、土佐半国を治める力はないであろう、と言っておるのだ」
「な! 何を」
兼定の顔色が変わった。今までのように宗麟の顔色を伺うのではなく、奪われまいとする、守りの姿勢と表情だ。
「何をおっしゃいますか、いかに義父上といえども、度が過ぎますぞ」
「何が度が過ぎているのだ? 守れるのか、土佐半国を」
宗麟は怒っているのではない。昨日の件もあるが、あれは内面の問題であるから、本人が意識を変えてやり直せば済む事だ。しかし、今回は違う。
小佐々家の軍を動かし、金を動かし、物を動かしたのだ。被害は少なかったものの、兵の血も流れた。
血縁関係である以上、同じ事が起きれば助けない訳にはいかないが、そう何度も助ける訳にもいかない。さらに悪い事に、今のままではそうなる可能性が高いのだ。
元親の牙はまだ抜かれてはいない。
「どうなのだ、兼定」
「それは……」
兼定は答える事ができない。明確な国家戦略がないのだ。小佐々の参陣で一条は滅亡を免れた。いなければ、滅んでいたという事だ。
そして浦戸を除けば、長宗我部の領地が削られた訳ではない。
「何も考えていないのか?」
無言で下を向く兼定を見て、宗麟は諭すように言う。
「どうすれば国を強く、富ませ、こうして長宗我部の脅威にそなえると、なぜ即答できないのだ?」
「……」
「国事を考えたくないのか? 面倒なのか、それとも宗珊や政章に小言を言われるのが嫌なのか?」
「それは……」。
兼定は一度は宗麟の顔を見るも、すぐに下を向く。怒られて下を向く子供のようだ。嫌われたくないし、認められたいけど、何もない。何も言えない。
そんな時にみせる仕草だ。
「兼定、その方は隠居せよ」
「な! それは……」。
宗麟は、ではどうすればいいのだ? 仮に、仮に能力があっても、やる気のない者に渡っていけるほど、この戦国の世は甘くない。そう心の中で叫んだ。
「……宗珊、政章よ、その方ら天地神明に誓って兼定を支えると誓えるか」
「はは、もちろんにございます!」
二人は傍らで事の成り行きを見守っていたが、隠居話がなくなりそうだと分かると、声をそろえて誓った。しかし……と宗麟は続けた。
「殿にはそのように報告をするが、一条は服属、そして本領のみとする」
小佐々の兵を置いておった方が、有事の際に援軍にくるより安上がりである。それに安心できる。
「幡多郡の西、四万石だ。一族郎党を養うには十分であろう。残りは小佐々の直轄地とする」。
兼定は落胆して見えたが、どこかほっとしたような、肩の荷を下ろしたような、そんな顔をしていた。これで一条の危機は去ったのだ。
領国の三分の二以上を失ったことは、兼定の心に深い傷を残したのかもしれない。しかし、傷になるか成長の礎となるかは、今後の本人の精進しだいである。
「では、これにて」
宗麟は立ち上がり、兼定と二人、残りの家臣が平伏する。宗麟は姫野々城を後にし、高岡郡の蓮池城、片岡城をまわった後、西園寺領へと向かった。
こうして、土佐の地図は大きく塗り替えられたのである。
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