第311話 五里霧中~対島津三国同盟と四国中国戦略~
永禄十二年 七月二日 大隅 検見崎城
「殿は禰寝を攻めるおつもりらしいが、勝てるのか」
「勝てる勝てないではなく、裏切られたから当然の粛清、という事だろう」
「ばかな、だとしても勝てる算段がなければ意味がない」。
「そうだ、島津に寝返った今、当然島津の後詰めが来るであろう」
「その通り、北の相良は木崎原で逃げておる。国人の半分を小佐々に引き抜かれたというぞ」
「各々方いろいろとご意見はあるでしょうが、ここは相良と伊東の両家と組んで、島津に当たるしかないと考えるが、いかがか」
そう発言したのは肝付家親族衆、検見崎兼書である。検見崎家は、肝付氏初代兼俊の四男である兼友が初代となり、親族衆として支えてきた家柄であった。
兼書には十九歳の嫡男兼泰がいた。
親子で文武に優れ、禰寝が寝返った際も、今討つのは時期尚早として主君を懸命に押さえていたところなのだ。
「その通りだ。血気盛んな殿で頼もしくはあるが、今は時期ではない。それにわれら単独では、もはや島津に抗うことは到底できぬ」
兼書が言うと、集まっていた家臣の一人が同意する。すると他の家臣もうなずく。
「相良が四千五百に伊東が四千五百、そしてわれらの二千五百で一万千五百。この状態で、ようやく禰寝を討てる」
しかし、と家臣の一人が疑問を呈す。
「相良もそうだが、伊東も木崎原で負けたばかりだ。そう簡単に兵を出すだろうか」。
当然の疑問である。しかし、相良にしても伊東にしても島津の野心には危機感を抱いていた。今この時点で、なんらかの手を打っておかなければならないのは、両家とも同じなのだ。
「心配はござらぬ。相模の深水長智は目先の利く男だと聞いておる。何もせねば、状況が悪くなるのはわかっておるであろう」
居並ぶ家臣全員を見渡して言う。
「そして伊東には荒武宗並がおる。今この時に盟を結ぶことに意味がある、と訴えれば、必ずや同意するであろう」
兼泰も、父を前に口には出さないものの、同じ思いである。
「まず、殿を説得し、そして相良と伊東へ向かう。それが成されなければ、わが家中に先はない」
■肥後 古麓城 数日後
「殿、そろそろ腹をくくらねばなりませぬぞ」
家老の深水長智が言う。四月に小佐々へ向かったのは不可侵と、島津が攻めてきた時には助勢をするという条件の確認であった。
しかし、完全に裏目にでた。小佐々にとってはどちらでも良かったのだ。まさに、やぶ蛇である。条件の見直しどころか、服属を提案してきたのだ。
迫って来たわけではない。提案だ。
「わかっておる。小佐々への服属の件であろう? いつでも構わぬとは申していたが、あまり長引けば下手な疑いをかけられよう」
相良義陽は苦い顔をする。なぜこうなった。いずれこうなる運命だったのか? 北天草の国人が離れた時からか? 国人の心をつなぎとめておけなかった、自らの力不足か?
そう自問自答する。
「さようです。お家の存続を考えるか、あくまで独立を貫くか。しかし今の状況では、われらのみでお家を維持するのは不可能にございます」
名よりも実をとるか、どうすべきか義陽は考えていた。
しかし服属となれば、内政はある程度自治が認められるが、外交の権限はない。大幅に権力が限定されるのだ。
しかし、服属をすれば家は安泰だ。盛者必衰の理はあるが、小佐々の当主はまだ若く、有能だと聞く。そうでなければ大友を下して四国に出兵までできるまい。
南には島津の脅威が迫っている。
ここで舵取りを誤れば家が滅ぶのだ。すでに服属の提案から三ヶ月が経った。いい加減に態度を決めねば、心証は悪くなる一方だ。
長智と義陽、二人で十分に検討しているなか、肝付の使者と名乗る者がやってきた。
■肥前 諫早城
「殿、まずは四国の戦勝、重畳にございます」
「うむ」
諫早城内の小会議室で、鍋島直茂、尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛の三人が喜びを述べる。
「長宗我部は、良かったですな。これで南海路の拠点ができ申した」。
直茂の顔がほころぶ。
「さようにございます。寄港地は多いに越したことはございませぬ」。
弥三郎も同意する。
「浦戸を実質わが領地とする事ができれば、上方との交易をはじめ、大使館とのやり取りも楽になりまする」
庄兵衛は南海路の有用性を再認識しているようだ。
三人の言葉にこそばゆい思いの純正であったが、気がかりな点はもちろんあった。
「さりとて伊予はまだ平定しておらぬ。西予がわが勢力下に入れば良いと考えていたが、東予と逆になったの」
純正の言葉に弥三郎が答える。
「西園寺の平定、そうですね、西予であればよいです。しかし東予となると、かなり利権がからみます」
そこなのだ。小佐々の基本方針は『降りかかる火の粉は払う、降りかかりそうなら予防する』である。
今回の一条救援では、一条の直接的な脅威であった長宗我部を叩くだけでよかった。しかし、伊予にまで戦線を拡大した。
それは一条が宇都宮と組んで西園寺、河野と戦っていたからだ。いずれ戦う火種である。そして、戦っている、という大義名分もあった。
結果的に一条は服属したのであるが、降り掛かっていた、もしくは降りかかるかもしれない、火の粉を払うため、伊予にまで出兵したのだ。
しかしそれにより、毛利家と村上水軍、そして山陽の三村、宇喜多、浦上などの大名・国人の利権がからむ瀬戸内の権益に首を突っ込む事になってしまった。
「今後、毛利とどのように付き合っていくか、それによって伊予への介入の仕方が変わってくるの」
そう言って小佐々純正は考え込む。
「との」
「なんだ」
庄兵衛が純正に尋ねる。
「三河守殿の報告をどう思われますか」
先日、毛利と中国地方全域の諜報を担当していた空閑三河守から、報告があったのだ。
「うむ、放置、という訳にもいかぬであろう」
純正の答えに庄兵衛は続けた。
「はい、毛利は先だっての河野の件で詰問状を送って参りました。それに対し殿がこちらの見解を述べ、争うつもりはない、お互いの理解が必要だ、との返書を送ったはずでございます」
うむ、と答える純正。
余計な戦はしたくないし、するべきではない。
伊予攻めの際は、小佐々が不利にならないように、東予に事実を流布し国人たちと会ったのだ。あとはどうしようが、あちらの勝手だ。
しかし、と言った後、
「毛利は東予の国人や豪族を調略して、わららに対し影響力を増そうとしています。われらとしても水面下で調略を行い、国人を懐柔して毛利を牽制することが肝要かと存じます」
と庄兵衛は続けた。直茂もそれに同意し、
「庄兵衛の言う通りです。そのためには、まずわれらの利益や立場を理解してもらい、伊予全域を一つにまとめる必要があります」
と続ける。
純正は好戦的ではない。戦いたくもない。
しかし同時にこうも考えていた。
『毛利は将来、将軍の呼びかけに応じて信長包囲網に参加する。信長と盟を結んでいるわれらとは、いずれ敵となるのだ』と。
弥三郎は額を寄せて考えた後、
「宇喜多や三村とも連携を取ることで、毛利への牽制になります。どちらかと盟を結ぶなり、通商を持ちかけるなどいたしましょう」
と提案した。
純正はしばらくの沈黙の後、頷いた。
「その方針で進めよう。しかし、盟を結ぶのは三村だ」
断言した。
「宇喜多は危険だからな。今、宇喜多は浦上に反旗を掲げている。そして播磨では赤松宗家と分家の争いだ」。
純正は頭の中に地図を描き、整理するように話す。
「播磨と備前、備中には関わらぬ。織田が播磨の揉め事に介入し、宇喜多とは織田と近づいているようだが、わららは関知しない」
頭の中で筋道がはっきりとし、雲が晴れたように穏やかだ。
「毛利にしてみても、味方の三村と近づくことに文句はないであろう。そして織田にしても、宇喜多の敵と結んだところで、領国を接しているわけでもない」
今の状況では、毛利は純正が何をしても疑ってくるかもしれない。しかし、なにも敵と組んで毛利を攻めるわけではないのだ。純正が毛利に文句を言われる筋合いは、ない。
三人は純正の決定に耳を傾け、真剣に聴いている。
「あと五年は問題ないであろうが、いずれ織田と毛利は決裂する。さらに十年もたてば、国境を接するようになる」
三人は息をのむ。
「その時は、さすがに中立とはいくまい、織田だ」
基本的に親織田は変わらない。毛利とも付かず離れずだが、国境を接しているぶん、いずれは衝突するだろう。しかし、最低でも、五年、五年以内で島津をなんとかしなければいけない。
こうして小佐々家の毛利に対する戦略と、伊予、瀬戸内海での方向性は決まった。しかし誰も予測はできない。純正でさえ、変わる歴史を見てきたのだ。
慎重に慎重に、熟慮を重ねて行動を決める。
純正は、自分の決断に自信を持っていた。少なくとも、自信があるように家臣には見えた。しかし現実は、その決断が正しいかどうか、歴史の裁きを待つしかなかったのだ。
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