第300話 関白の苦悩と信長の決断 ~四国の戦乱と純正の思惑~

 永禄十二年 五月二十四日 京都 二条晴良邸


『尊厳なる主上へ、


 土佐の郡、土佐の長宗我部元親と申す者より上奏いたす。


 傍らの吾川郡、および高岡郡の領民より救いの声あり。彼らの領主一条は伊予攻めのため、厳しい軍役と賦役を民に課し、領民は難儀しております。


 元親、一条にこの旨を伝えたれど、元親には無関係な事とされたり。しかしながら、領民からの嘆願は絶えず、我が領民も吾川郡、高岡郡の領民と親類縁者多し。


 故に元親、一条を攻めざるを得ず、吾川郡および高岡郡の民を救い得たり。


 然るに、一条は親類の大友と小佐々より援軍を得たり。元親はこれ以上の戦闘を望まず。一条、兵を引けば元親も兵を引く意志あり。


 故に、天皇陛下の尊き力を借りて、朝廷による和睦調停を願う次第であります。


 主上のご健勝と、我が国の平和を心より祈る。


 土佐郡の長宗我部元親』


 長宗我部元親からの上奏文の内容を見た二条晴良は、途方に暮れていた。


 要点はこうだ。


『隣の一条の住民から殿様の徴兵や徴収が厳しいので、何とかしてくれって言われた。だから一条に改善してくれって言ったけど、内政干渉すんなって言われた。


 さらに陳情が続く。自領の民の親類縁者も多いので、仕方なく一条を攻めた。一条の援軍に大友や小佐々もいたけど、結果的に住民は解放できた。


 なので、これ以上は戦いたくないから、一条が撤兵したら俺たちも撤兵する』


 上奏文の長宗我部元親の敵は一条兼定であり、親類である。そしてその援軍である小佐々弾正大弼純正は娘婿である。


 身内びいきと言われても、一条や小佐々に味方したいのが人間だ。しかし立場は関白で、朝廷における摂政としての役割を忘れてはいけない。


 二条家は五摂家でもあり、晴良は関白ではあるが、小佐々の金で成り上がったと揶揄する一派がいない訳ではない。だから公平に判断しなくてはならないのだ。


「純久よ、いったいどうすればいいのだ。関白として、そして朝廷の最大の功労者の一人である純正の義父として、正しい判断とはなんだ」


「公(きみ)の御心に従うが如く、行動されるのが良いと存じます」


 純久の返事は身も蓋もない。


「ただ、殿よりこのような書状がまいっております」


 どのようなものだ、と晴良は純久から上奏文を受け取る。


『猶予


 小佐々弾正大弼純正

 伏し奉る。


 我が国四国土佐の長宗我部元親、我が家中の大友左衛門督と親類なりき一条兼定を攻め候。


 事の前の通告もなく、また、その理由も未詳なり。元親、一条が領民に厳しき軍役や賦役を課すと述べ奉り候、然れども、軍役と賦役ありつつも、それは領民にとって無理ならざる範囲にて候。


 加えて一条は伊予の西園寺、河野と戦闘を展開せんと奉り候。これは盟を結んだ宇都宮が河野、西園寺に南北から攻撃を受け、救援に赴かんがためなり。


 長宗我部元親はこの事態に一切関与せざりき。私利私欲のために戦いを仕掛けたりと申せんばかりに。


 故に不本意なれども我、純正、大軍をもって伊予、土佐を鎮定し、主上の宸襟を悩ます種を取り除かんと存じ候。


 我が決断が、主上の御心に適うものならんことを、深く願わんばかりに。


 以上 恐々敬具』


 なんということだ、まったく真逆ではないか、そう晴良は思った。


 要するに、


『長宗我部元親が、家臣の親戚の一条兼定を攻めましたので攻撃するという事。

 事前の通告も理由もなかったため、一条自衛のための援軍である事。


 一条が領民に課している軍役や賦役は無理のない範囲だという事。

 一条は盟を結んだ宇都宮が河野と西園寺に南北から攻められたので、これを攻めた事。


 長宗我部はまったく関係ない事。

 長宗我部の私利私欲の戦いである事。


 結論は、純正が不本意ながら大軍をもって伊予と土佐を平和にします。

 陛下を悩ませないようにしますので、どうかそれをお許しください』。


 これが要約だ。晴良は考え、迷っていたが、それを察したかのように純久が言った。


「関白様におかれましては、すでにお心のなかでお決めになっていらっしゃるのでは? ただ、立場上身びいきだと言われるとよろしくないので、裁定のための使者をお遣わしになるのが良いかと」


「感謝する。すまぬな」。

 晴良は自分の背中を押してくれた純久に、感謝の言葉を述べると、日々の業務にもどった。


 ■同日 申一つ時(1500) 京都 妙覚寺


「純久、これはいったいどうした事だ? どうすればよい」


 信長は送られてきた二つの書状を見比べながら、駐洛小佐々大使の純久を呼びつけて聞く。


「上総介様も、関白様と同じ事をおっしゃいますね。本当はもうお決めになっていらっしゃるのでしょう?」


 純久は信長から手渡された手紙を一読し、笑みを浮かべて信長に返す。


「ふん、言うようになったではないか。長宗我部も純正も、まったく真逆の事を言っておるゆえ、判断がつかぬのじゃ」


 純久は黙って聞いている。


「二人ともそれらしい事を言っておるが、そもそも長宗我部元親という男、わしは知らぬ。会った事もない男と、二度も会った男、どちらを信じるかは明白じゃ。それに小佐々とは盟を結んでおる」。


 純久は、まだなにも言わない。


「なんとか申せ純久。たしかにお主の言う通り、すでに答えは決めておる。両者の言い分が等しく正しいとすれば、どちらに加担するかも明白だ」


 純久は飲んでいた茶碗を置き、話し始めた。


「さようにございますね。長宗我部元親という男、上総介様の義弟の義弟になられるのでは? しかもその方は明智日向守様の家臣だとか」。


 信長はうむ、と返事をする。


「であれば日向守様は、よしなに、とおっしゃったでしょう。しかし、織田家中と小佐々家中の事はご存知のはず」


 その通りだ、と信長。


「では調停のための使者は、日向守様になさいませ。長宗我部に有利な条件ではなく、どちらに利するものでもなく、平等な和平を条件にするのです」


 信長が驚いた顔で聞き返す。


「平等な条件? 純正はそれで了承するのか? 書状によると四国を平らげるなどと、大風呂敷を広げておったぞ」


 純久が、ふふふふ、と思い出したように笑う。


「それが殿なのです。そう言うところが子供なのですよ、まったく。それにしても長宗我部は、今のところどうでも良いのです」


「どういう事だ?」

 信長が聞き返す。


「利は長宗我部に求めていない、と言う事です。とれれば儲け、のような心づもりなのでしょう」


 信長はなんとなく理解したようだ。少し考えて、なるほどな、と。


「日向守様をご使者に立てれば、斉藤どのの顔も立つでしょう。有利ではなくとも、不利でないだけましなのですよ。このまま戦を続ければ、間違いなく滅ぶのは長宗我部なのですから」


 すごい自信である。そこにいなくても、まるで戦況がわかっているかのようだ。


「ただな、公方様がどう動くか、と言うのが悩みの種なのだ」


 信長は面倒くさそうに頭をかく。


「公方様はおそらく、長宗我部を推したいのではないでしょうか」


 信長の顔が曇ったのを純久は見逃さなかった。


「私の推論ですが、三好の代わりに長宗我部が四国を押さえれば、いつでも援軍として呼べまする」


「何のためにだ」

 信長の言葉が鋭い。


「聞かずとも、お気づきになっているのではありませんか」


 信長はそれには答えなかったが、


「そうなれば、是非もなし」

 とだけ言い、無理やり会話を終わらせた。


 数日後、信長は義昭を納得させた。その後朝廷と示し合わせた後で、明智日向守が、調停役として四国に向かったのであった。

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