第302話 河野通宣の苦悩

 永禄十二年 六月三日 ※伊予太田城 


「なに!? 大友、いや小佐々の援軍が伊予に入って来ただと?」


 ※河野通宣は伊予太田城に入城して、大友と宇都宮の六千と対峙していた。そんななか聞かされた、さらなる大友の援軍に驚きを隠せなかったのだ。


 そもそも、ここに援軍として大友軍が現れる事自体、おかしいのだと通宣は思った。


 大友は昨年小佐々に敗れ、服属している。その主君筋の小佐々は基本的に不戦主義だ。われらの戦いには、積極的には関わって来ないはず、そう思っていたのだ。


 援軍とは基本的に、自軍の勝ちを確実にしたい時、もしくは不利を覆す時に要請するものだ。毛利は尼子と戦うのに集中している。そして大友は小佐々の傘下である。


 状況的に毛利は援軍を出せないし、小佐々は身にかかる火の粉でない限り動かない。


 両軍ともに援軍がなければ、河野・※西園寺対一条・宇都宮の勝負となる。数では拮抗しているが、地の利では河野・西園寺軍に利があった。


 通宣にしてみれば、敵である宇都宮を南北から挟撃さえすればよかったのだ。しかも土佐の一条は東の※長宗我部を警戒せねばならない。


 全軍を北上させる事など、できるはずがなかった。


 ところが一条は、別の事情で全軍どころか、まったく北上できない事態に陥っていたのだ。東の長宗我部が、吾川郡と高岡郡に侵攻してきたせいで、その防衛に兵を割かなければならなくなっていた。


 それだけなら通宣の読み通りである。一条が東の防備に兵を割いている隙に、西園寺と挟撃してさっさと宇都宮領を攻めとれば良かったのだ。


 ところが、予想以上に長宗我部軍の進軍が早く、蓮池・片岡の二城を落としたのだ。吾川郡と高岡郡の東三分の一を制圧した長宗我部は、さらに進軍し、姫野々城を落とす勢いを見せた。


 ここで、河野通宣の運命が変わった。


 一条が単独で長宗我部と相対していれば良かったのだが、あろうことか、大友に援軍を頼んだのだ。


 こうなれば状況は一変する。大友は小佐々家中であるから、必ず小佐々の援軍がくる。どちらの援軍も来ないという前提が崩れるのだ。


 まずは毛利に援軍を頼もう。そう通宣は考えた。たとえその数が千でも二千でも良かった。戦況を優位に進めるには、毛利の援軍が必要なのだ。


「伊予に入ってきた小佐々軍の数は? 今の状況はどうなっているのだ?」

 伝令に詳細を聞いた。


「なに? 常盤城はすでに落とされ、天ヶ森城へ進軍しているだと?」


 まずい、これでは数だけではなく、地の利まで敵に渡ってしまう。通宣がそう考えたのも無理はない。


 当初は宇都宮の領地を、西園寺と南北から挟み撃ちする予定であった。


 一条は長宗我部に備えねばならぬので、西園寺へは押さえの兵ほどしか置けない。西園寺も押さえだけ残し、北上できる算段だったのだ。


 これは、仕切り直ししかない。時間が経てば経つほど、河野・西園寺軍は不利になる。


「和議じゃ和議! わしは和議を結ぶぞ! 西園寺にその旨を伝え、大友にも使者を出せ!」


 ■大友陣中


「申し上げます! 河野通宣より、和平の使者がお目通りを願っております」


「ようやく来たか」

 宗麟は、まるで使者の来訪を予期していたかのように、静かにつぶやいた。


「通せ」

「はは」

 すぐに謁見を許した。


「お目通り叶い感謝いたしまする。河野伊予守様が家臣、※平岡大和守にございます」

「うむ」

 宗麟は短く答えた。


「用件は予想がつくが、聞くとしよう」

 和平の申し出とわかっていたが、あえて言わなかった。


「は、わがあるじ伊予守様は、一条兼定様と和平を結びたく、それがしまかりこしました」


「ううむ、われらに利のある和平ではないな。断る」。

「な! 条件も聞かずお断りになるとは、それはどういう事でしょう」


 使者の平岡大和守は、今は膠着状態だが、小佐々の援軍によって、自軍が不利になるのはわかっていた。


 だからこその和平交渉であったが、即答されるとは考えてもいなかった。


「どういう事も何も、われらに利がない。それだけの事だ。他に何がある?」


「われらは十分に争ってまいりました。しかしどちらかが勝つわけでもなく、ずるずると長引いておりまする。これ以上長引けば、いらぬ苦労を無垢の民にさせまする」


 ※大和守はもっともらしい事を言っているが、苦労をかけるならば、戦など仕掛けてこなければ良い。そこに焦点を当てれば、どちらが仕掛けたなど、あまり意味がない。


「だから、われらがこれから勝ち、いらぬ苦労を永久にさせぬようにするのだ」


 大和守は、その言葉の意味を瞬時に理解した。


「あくまでも戦を続けるおつもりか? われらを潰せるとでも? われらには毛利がおりますぞ」。


 打って変わって少し強気にでる大和守であるが、宗麟に一蹴される。


「来ますかな、毛利が。二万ですか、三万ですか? 尼子ごときに手こずっているのに、援軍を出しましょうや?」


 大和守は返す事ができない。


「出せても五千が良いところではないの? それに、勘違いしてもらっては困る。毛利とわれらは不可侵の盟を結んでおるが、河野とは結んでおらぬ」


 そして……と、宗麟は続ける。


「西園寺を攻めてはおるが、河野を、攻めてはおらぬぞ。無論、やられたらやり返すがな」


 そうなってくると、毛利が援軍を出す名分がない。大和守は、なんとか言葉を考えているが、思いつかない。しかし、宗麟が言っている事は、屁理屈ともとれる。


「それは、詭弁、屁理屈というものではありませぬか」

 やっとの事でひねり出した。一歩間違えれば宗麟の逆鱗に触れるかもしれない一言だ。


「ははははは、確かにそうかもしれぬ。屁理屈かもしれぬな。しかし、その屁理屈がまかり通るのだ。おぬしらの大義名分はわれらにとって屁理屈、またその逆もあろう」


 宗麟は身をもって知っていた。


 筑前しかり、小佐々との和平しかり。純正の屁理屈に筑前を平定され、また長増の屁理屈ともとれる弁舌によって、和平がなって大友は救われたのだ。


「ではわれらは、一体どうすればいいのでござるか!?」

「それをわしに聞かれてもしょうがない。帰って主君と話されるがよい」。


 取り付く島もない。大和守は悔しがるも、なんの成果も得られぬまま、帰るしかなかった。


 ■伊予太田城


「おお! 大和守、どうであった?」

 大和守の帰りを今か今かと待ちわびていた通宣は、知らせを受けるなり出迎えに行ったのだ。


 しかし、次の瞬間に絶望の淵に落とされる事となる。

「なんだと!? 和平は結ばぬと? 結ばずしてどうするのだ。このまま戦を続けるというのか?」


 通宣は大和守に矢継ぎ早に聞いた。

「は、結ばぬと。毛利は来ぬだろうとも言っておりました。ただし、毛利との不可侵の盟があるゆえ、河野は攻めぬ、と。あとは好きにされよとも」。


 なんだなんだなんだ!?


 いったいどうすればいいのだ? 通宣は思案するが、案が浮かぶ訳もない。


「申し上げます!」

 伝令が幕舎の中に入ってくる。

「何事か!」


 通宣はイライラを隠そうともせず、当たり散らすように聞く。


「はは、高峠城の石川通清様をはじめとした、宇摩郡(現在の愛媛県四国中央市、新居浜市の一部)、新居郡(現在の新居浜市、西条市の大部分)の国人衆が、陣払いを始めておりまする」


「なにい!!?? わしは知らぬぞ、何も聞いてはおらぬ。いったいどうしたと言うのだ」。


「もしや」

 大和守がつぶやいた。通宣は聞き逃さない。


「なんだ! 大和守、なにか思い当たる節でもあるのか?」

「いえ、確証はございませぬが、小佐々の調略ではないかと」


「調略だと? おのれ、戦はせぬと言いながら、調略をかけるとは」

 通宣は怒り心頭であるが、なす術がない。


「大和守、勝手に陣を払う事許さぬと触れをだせ。それから、おい! その方なにか聞いておらぬか、なぜ陣払いをするのかを」


「はは、その、理由でございますが、これはよくわかりませぬ」

 そう伝令は前置きをした後で、


「ただ、国許で何か起きた、とは申しておりました。それから、小佐々が二万の大軍で攻めてくる、毛利は援軍を出さないのではないか、なども言っておりました」


 なんだそれは? 大和守が宗麟から言われた事と、今まさに起きている事を言っておるではないか。通宣は間違いなく、小佐々の調略だと確信したのだ。


「大和守、大友にもう一度使者として向かい、この状況を説明させよ」

 そう通宣は大和守に命じようとしたのだが、


「恐れながら殿、それは事実であり、調略ではありませぬ。わざとそのような情報を流したのでしょうが、だとしても、知っていることを罪だとは申せませぬ」


 大和守はにがにがしく思いながらも、また屁理屈なのかと、宗麟とのやり取りを思い出した。


「では、その情報を流したとして、陣払いをするように仕向けたのではないのか?」

 確かに、嘘や騙しではないにしても、真実を告げ、条件を出せば調略である。


 何が調略で、何が調略でないのかなど、もはや無意味な議論であった。国人衆が陣払いをして、国許に帰れば、戦力は半分近くになるのである。話にならない。


 通宣は、苦渋の決断をする他なかった。

「降伏は、せぬ。しかし、戦をしかけもせぬ。このままじゃ。西園寺には単独で和平を結ぶもよし、降伏するも抗戦するも自由だと伝えよ」


 国許に帰る国人を止めはしなかった。しかし離反が起きぬよう大和守に最善をつくすよう伝え、がっくりと肩を落とし、床几に倒れ込むように座った。


 伊予河野氏第三十八代、河野通宣の喜多郡制圧の野望はここに潰えたのであった。

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