第265話 感謝を忘れた男

 九月十九日 巳の三つ刻(1000) 筑前花尾城


 返還交渉の件を知らせるため、小佐々純正は花尾城を訪れた。何事もなければ交渉終了後の話をし、納得してもらえれば、そのまま傘下に入らせるつもりだった。小佐々領内諸法度による取り決めだ。


 小佐々領内諸法度による国人衆の扱いは次の通り。


『領主ではなく代官として領内を統治。所領の石高は相談により決定。あわせて出来高の俸祿を加える』。

 筑前の会盟で立花、高橋、秋月は本領安堵で今まで通りの待遇であったが、それ以外の国人はすべてこの通りにしている。所領の石高は減るものの、実質的な収入は変わらないような俸祿を取らせている。


 もちろん毎年査定を行い、収益の増減で加増減封を行ったり、不祥事が起きれば減封などの処分をする。幸いにして今のところ大きな不祥事はない。信賞必罰の統治形態である。みなが納得し励んでいる。


 以前は四つほど選択肢があったのだが、選ぶ国人がおらず、ほとんどこの二つであったため、現在はこの二つのみを選ばせる様になっている。


「弾正大弼殿! いったい今まで何をしておったのですか! われらの松山城はおろか、門司城も小倉城も落とされしまったではありませんか!」

 開口一番、杉重良が言った。


「な、に?」

 純正の顔色が変わった。落城には間に合わなかったが、しっかりと交渉し返還してもらう方向で進んでいる。喜んでもらい、そして感謝してもらえる事を期待して行ったのだ。なのに、何だこの対応は。そう純正は思ったのだ。


「麻生殿、麻生殿も同じく、われらが来るのが遅かったせいで、山鹿城が落とされたとお思いで?」

 純正はまったく表情を変えずに、傍らにいた麻生興益に聞いた。興益は純正の態度の変化に敏感に反応し、硬直している。


「え、あ、いや、とんでもありません。弾正大弼殿、様のお助けなくば、兵糧も矢弾もつき、為す術はありませんでした!」


 さらに硬直した。純正が物凄い形相をしていたのが、目の前にいてわかったのだ。駄目だ、逆らっては駄目だ、家が潰される、そう直感したのだろう。弾正大弼殿から様へ言い換えた事で見て取れる。それほど純正は怒っていたのだ。


「そもそも、なぜわれらが血を流さねばならなかったのだ? 毛利とは不可侵は結んでおったが、攻守の盟は結んでおらなんだ」


 正論である。攻守の盟は結んでおらず、しかも毛利に見捨てられたのなら、赤の他人の一地方国人だ。救援を乞われても、助ける義務はない。しかし、そこに打算があったとしても、助けに行こうと動いたのだ。


 それを感謝の言葉の一つもないとは、純正でなくてもいい気はしない。癇に障って嫌味の一つでも言うであろう。


「無論要請があれば助ける事もやぶさかではない。しかし、お主らは毛利の援軍がないとして、われらに鞍替えをした立場であろう? その気持ようわかる。われらも五年前は、吹けば飛ぶような肥前の田舎の、彼杵の一国人であった」


 五年前は彼杵の半島と志佐領、平戸松浦、その他あわせても五万石前後の弱小大名であった。大名と言えるのか? その程度の家格だ。


「家を守るために必死になるのは十分わかる。しかし! 『何をしておったのだ!』だと? お主、それが助けてもらった側が言う言葉か? ありがとうございます、感謝いたします、が人として当たり前の道理ではないのか?」


 杉重良は面食らっていたが、状況を飲み込み顔が青くなっている。


「申し訳ございませぬ。決して、決してそのような事はございませぬ。弾正大弼殿、様には感謝してもしきれないほどの恩義が出来申しました。この御恩は必ず、ご奉公にて返させていただきたく存じます」


 必死で釈明する重良であったが、純正の眼中にはすでにない。何かを決めたようだ。

「長良殿、松山城はなぜあんなにも早く落ちたのだ」

「そ、それは道雪の奇襲と猛攻にたまらず……」

「その方が道雪が来るとわかっても備えもせず、慢心し、夜襲も警戒しておらなかったから、まんまと計略にはまったのではないのか? 一日どころか一夜で落ちるとは、情けない。着の身着のまま逃げたのであろう?」


 そ、それは、となんとか言葉にしようとする重良であったが、言葉にならない。

「門司城はどうなのだ? 仁保隆慰(たかやす)は勇猛に戦って、衆寡敵せず城は落ちたが、何のためだ? 主君であるそなたを守るためであろう。それが当たり前とは申すなよ。虫酸が走る」。


「そして小倉に逃げたお主は、何もせず城を捨てたのであろう? 松山も、門司も小倉も、お主にとってはその程度のものだったのであろうな。だからそのように一戦もせず、いや、松山では一戦したか。しかしあれは奇襲であるからな、数えまい」

「であるから、一戦もせず逃げた上に『何をしていた』などと言えるのだ」


 杉重良は冷や汗が止まらない。今この瞬間に何がなされようとしているのか、必死で考えている。


「そんな領地なら、いらぬな」

 純正はぼそっと言った。


「え、今なんと?」

 重良は聞き返し、事態の把握と改善に努めようとするが、純正は聞く気がない。この男には武士の矜持も武門の誉れもないのであろう、そう純正は考えていた。所領はいらぬな。家族が食えるだけの禄があれば十分であろう。


(北九州市小倉北区と南区、門司区に、あと京都郡。銅に石灰石に珪石に鉄鉱石、宝の山だわ。それから、そうだ、仁保隆慰は召し抱えよう。知勇兼備な男と聞く。そういう人材は木を選ばないと)。


 そう純正は考えた。重良にはもったいないと考えたのだ。


 そして傍らにいた麻生興盛は、助け舟を出すどころか、火の粉が降りかからないようにするので精一杯であった。

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