第257話 再び笛吹けど踊らず

 九月十一日 巳の一つ刻(0900) 豊後 臼杵城


 なぜだ!なぜまとまらぬのだ!?昨日使者から口上を聞いてすぐに出陣の陣触れを出したにもかかわらず、まだ出立しておらぬとはどういう事だ!臼杵城の兵は城外の兵を含めても五千がいいところだ。


 そこから援軍を捻出できるとしても限度がある。朝日嶽城と栂牟礼城の兵は合わせて千もおらぬから、千五百から二千送れば十分であろう。それなのになぜまだ出立できぬのじゃ。百姓共もかき集めればなんとか二千くらいにはなろうに。


 大友宗麟は焦っていた。和平交渉が始まってしまっては、戦闘行為は出来ない。もし起こしたならば交渉は中断、和平など出来ないからだ。だから交渉が始まる前に事を収めたかった。栂牟礼城までは朝出発すれば夕方にはつく。


 そして次の朝出発すればその夕方には朝日嶽城につくのだ。


 宗麟の分析はこうだ。


(栂牟礼城も朝日嶽城も、われらに助けを求めてきたほうが優勢だときく。しかし念のため、早く終わらせるために援軍を要請したと。そうであれば一日もかけずに城を取り返す事が出来よう。仮に今この時に小佐々と和平交渉が始まったとしても、わしのところに届くのに一週間はかかる)


(そしてわしのところに援軍を要請したならば、敵は小佐々にも援軍を要請していよう。しかししていたとしても、筑前の純正のところまではさらに時がかかるであろう。一週間か十日そこらであろうか。その間に海部郡を取り戻すのだ)。


 しかし、あまり時間がかかれば純正の知るところになる。それが宗麟が焦っている理由である。もちろん戦況が思わしくなく、国人衆の離反が相次いでいることもあろう。しかしそれは、すでに起きている事であるからどうにも出来ない。


 城下では、


「小佐々の殿さん、まだ若いんじゃないか?」


「そうらしいな。まだ二十歳にもならんらしいが、既に七年で肥前を平定し、筑前、筑後、北肥後も手中に収めておるそうじゃ」


「そんな殿さんに、大友の殿さん、打ち勝てるのかのう?」


「うーむ、厳しいかもしれぬな。なにせ兵の数も武具も、それに金銭の面でも、あちらが上回っておるからのう」


「それに小佐々の殿様のところは、長男は戦に出なくてもええらしいんじゃ」


「ああ、聞いた聞いた。年寄りばかりの家や、男手が一人しかおらん家も出さんでもええってな」


「それよりも、我々農民とは違う、戦だけやる専門の兵隊がおるらしいんよ」


「いつも訓練してるし、野良仕事とは関係ないから、稲の刈り入れや田植えの心配もしなくてええらしいぞ」


「それで強いんじゃろうか」


「豊前の香春岳では家老の吉弘様が全滅したと聞いたで」


「なんと!本当かね?」


「ああ、それだけじゃなく、筑前の岳山の方では雷神の道雪様も、敵の武器や陣形に手も足も出ないらしいで」


 こんな会話がそこかしこで囁かれていた。小佐々が仕込んだ忍びの石宗衆による噂の流布もあったが、実際に大友軍の士気は低かったのだ。豊前筑前攻めでも、領内のいたるところからかき集めた。


 さらに臼杵城の防衛のために老人までもかき集めて、つまることろ出がらしも出がらしだ。絞り出しても何もでない様な状態だったのだ。当然そんな事では士気が上がろうはずがない。


 豊前の城を落とした勝ちの噂もたちまちに消え、筑後が小佐々に制圧され、敵が豊後に侵攻して日田郡と玖珠郡も奪われたとなればなおさらだ。良い噂はすぐに消え、悪い噂はどんどん広がるものだ。


 宗麟は迷った。このまま兵が集まるのを待つべきか、それとも貴重な城の守備兵を援軍に回すか。しかし待てど暮せど、兵は集まらない。結局一向に集まらないのに業を煮やし、虎の子の城兵二千を援軍に回すことにしたのだった。


 城の城兵に準備をさせ、出立できたのは翌十二日の昼過ぎ、未の三つ刻(1400)であった。大将は田原親賢、国東郡の田原本家の分家筋にあたる。当主ではないが、もととも対立しがちだった国東郡の本家との調整役として重宝していたのだ。


 父親は六十前で、後数年で家督をつくであろう。決して凡庸ではなかったが、常に宗麟の近くにいるため、他の家臣からのやっかみも多い男であった。


 ■九月十二日 未の三つ刻(1400)


 親賢は大将として出陣するのは初めてであったが、表向きは寝返ってはいない国人の、お家騒動のようなものである。そこまでの気負いはなかった。


 実際宗麟の呼びかけに応じなかった国人は、様々な理由をつけたものの、表立って反旗を翻したわけではない。したがって討伐する名目もない。しかし今回は援軍の要請がきたのだ。大義はこちらにある、と考えていた。しかし、兵の士気は低い。


 これで戦えるのだろうか。出陣の前に兵の見回りを行ったが、まさに、顔が死んでいる。そういう表現が当てはまるくらい、兵の気持ちは沈んでいたのだ。親賢の姿をみて居住まいを正すものの、雰囲気でわかるのだ。


 本来ならば強行軍にて救援に向かわねばならないが、この状態の兵が付いてこれるはずがない。逃げ武者がでてもこまる。二刻ほど、距離にして二里弱のところで野営した。この速度でいっても、明日十三日の申三つ刻(1600)くらいには到着する。


 親賢は逃げ武者が出ぬ程度、しかし遅すぎないギリギリを見定めながら行軍した。

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