第297話 土持親成と伊東義祐、日向の国をどうするか?

 永禄十二年 五月 二十二日 諫早城 正室 舞の居室


「お! 動いた動いた! 今蹴ったぞ! これは間違いなく男子じゃ」


 純正は正室である舞の方に寄り添い、まだ見ぬお腹の子をさすりながら顔を寄せて言う。その顔はまるで別人である。


 降伏して来た敵に対する厳しい顔、留学生達に見せる人懐こそうな顔、または純久や父親に年甲斐もなく甘える時の顔、少し先輩の勝行と冗談を言い合う時の顔、その顔のどれとも違う、父親の顔というのであろうか。


「ふふふ、殿、まだ男子と決まった訳ではありませんよ」


 舞がにこやかに笑いながら言う。もうあと一月、二月すれば子どもが生まれるのだ。二人にとって初めての子供であり、男子であれば跡継ぎである。戦と政務に追われてなかなか時間がとれない純正にとって、やっと、無理やり作った時間である。


「との」

「殿はいませーん」

「何をお戯れを。殿、よろしいですか」

「ですから、殿はいませーん」


 純正は、せっかくの時間を邪魔されまいと、冗談でそらそうとしている。


「……弾正大弼様」

「弾正大弼様もおりませーん」


 家臣の対応に、さらに冗談で返すが、


「弾正大弼様、日向の縣松尾城主、土持親成が家臣、藤田左近と申すもの、火急の用件にて、お目通りを願っております」


「……あいわかった。支度いたすゆえ、待つように伝えておけ」

 そういう事なら仕方がない、と諦めたのか、口調が違う。


「舞よ、せっかく時間を作って一緒に過ごそうと思っていたのに、すまぬな」


 申し訳無さそうに言う純正に対して

「そのお気持ちだけで結構でございます。舞は殿に愛されていますゆえ、お子が生まれた時までとっておきます。お家の大事であれば、どうぞお気になさらず」

 と、にこやかに笑いながら返す。


「すまぬな、無理をするでないぞ、何かあればすぐにお付の者に言うのだ。それから何をするにでも一人で行ってはならぬぞ。重いものも持ってはならぬ、それから……」


「殿、もう大丈夫です、まったくもう」

 くすくすっと舞は笑う。この笑顔にいつも純正は癒やされるのだ。


 ■謁見の間


「待たせたな。弾正大弼である」。

「はは、土持親成が家臣藤田左近にございます」

「うむ、はるばるご苦労であった、面をあげよ、こたびはいかがした」


 上座に座って早々に切り出した。


「はは、わが主命にて、弾正大弼様に服属を願いたく存じ上げまする」

「ふむ、服属とな」

「はは」

「それは願ってもない事だが、なにやら事情があるようだな」


 純正は他の方針もそうだが、細かな事は現場に任せている。つまり基本的な方針を大枠で決めて、その枠内であれば、現場が判断できる様にしているのだ。現在でいうところの実務者会議とでも言おうか。


 今回のような外交に関わる件であれば、単純な服属なら、純正がわざわざ謁見しなくても許可を出し、詳細を外務大臣である利三郎以下が決めれば良い。しかし日向は、島津との緩衝地帯である伊東がからんでくる。


 対伊東に関しては、基本的に傍観という方針であったからだ。


「はは、われら土持家は元来、日向北部の縣を中心に栄えてきた家門にございます。数代前までは薩摩の島津と連携し、協力して勢力を保ってきました。しかし水島の変を境に島津とは袂を分かち、空白となった日向守護を伊東氏と争って参りました」


 ふむ、と純正は軽く相槌をうつ。


「しかしながら奮闘及ばず、所領の多くを失い、以後はその回復に努めておりました。それゆえ当初は島津とは誼を結ばず、豊後の左衛門督様に従っておったのです。そして昨年弾正大弼様が、左衛門督様を配下に収められました」


 うん、と言いつつも、純正の表情が少し変わった。この縣は大友戦の際、いちはやく大友から距離を起き、独立の気配を伺っていたのだ。純正にしてみても、隣の国人までは目が行き届かなかった。要するに、忘れていたのだ。


「本来であれば、すぐにでも伺うのが筋なのでしょうが、南の伊東が邪魔をしまして、なかなか動けず今に至りました。なにとぞお許しいただきますよう、お願いいたします」


「謝る事はない。それより遠路ご苦労であった。しかし、伊東は木崎原で島津に負けて以来、勢いは弱まっていると聞くぞ」


 純正は当然の疑問を口にする。


「はい、確かに影響力は弱まっております。しかし、だからこそのお願いなのです。伊東はその敗北を挽回するために、大友家が小佐々家に敗れたのを幸いに、われらに狙いをつけ縣を併呑し、力を回復しようと目論んでいるのです」。


 守りを固め力を回復しつつ、弱いところを攻め、国力を増強する、理にかなってはいるし、縣は独立勢力であった。多くの指揮官を失い、精神的支柱をなくしているのは確かだが、兵力としては、投入した兵はわずか三千。


 やりようによってはまだ、巻き返しの利く数字である。しかし九州においては三強の時代はとうに過ぎた。北は小佐々、南はおそらく島津になるであろうが、その二強の争いになるのは目に見えている。


 独立を保つためには強者に頼る事も大事なのだ。しかし、伊東義祐という男は状況判断が甘いのか? それとも名門の意地があるのだろうか。もし、しっかりと彼我の戦力や周囲の状況をみているとすれば、島津を押さえるのは今しかない。


 禰寝が寝返ったとは言え、まだ大隅は島津の支配下にはなっていない。今を逃せば時とともに状況は悪くなる一方だ。それをわかって縣を併合しようと考えているのだろうか。


 順番が違う、と純正は思った。


「あいわかった。土持の服属認めるとする。伊東の件は、まあ、心配するな。こちらから文を出して、手出し無用と伝えておこう」


「はは、ありがたき幸せにございまする」

 左近は平伏した。


「疲れたであろう、今宵はゆるりと休まれるがよい」

 純正はねぎらいの言葉をかけ、退座した。


 二日後、日向の都於郡城、伊東義祐のもとに土持服属の使者が向かった。

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