第320話 留学生名簿と島津の危機

 永禄十二年 九月十四日 諫早城


 信長からの返書が届いたのはその頃だった。近況報告と留学生のリストだったが、中学生部門に九鬼澄隆がいた。澄隆? 嘉隆ではなく澄隆である。


 まさか? と思って純正は書状を読み進めると、なんと、南伊勢平定とあった。


 日付は九月二日で史実より一ヶ月早い。九鬼家は北畠の圧迫を受けていたから、服属を見越して澄隆を入れているのだろうか。気の早い話だ。


 それにしても、これを書いたのはおそらく陣中であろう。八月の十日から中ごろに、届いていたはずだ。それほど重要視していたのだろうか。


 留学生の一覧も添付されていた。


 中学校留学組には蒲生氏郷、津田信澄、織田信忠、九鬼澄隆、生駒一正、松浦光、小岐須盛経、稲沢貞昌、神保春茂、牲川義清、芝山秀時、吉田兼宗、鷲見保義、十市忠之、高山ジョアン太郎右衛門(以下ジョアン)の合計十五名。


 大学留学組は堀秀政、毛屋武久、佃十成、松井康之、真木島明光の五名。しかし、既存の四名もそうだが、人的リソースを投入している以上、落第や留年もあると事前に書状で伝えている。


 小佐々側はイレギュラーな対応をしている。一般学生に追いつかなくても恥ではないが、そのまま学んで四年たったとて、証書は与えられない。


 普通に考えたら、中高の七年を足して十一年かかるかもしれない。しかし、それは受け入れる側としては責任を負うものではないし、考えてみれば当たり前のことだ。


 九鬼澄隆は、ひょっとして、そのまま海軍兵学校に入れるつもりか? 純正は直感した。信長の考えていることはわからない。歴史を知っていても、心の中まではわからないのだ。


 いや、中学組は、卒業してそのまま海軍兵学校と陸軍士官学校コースかもしれない。十分に考えられる。


 それにしてもちょうど二十人、目一杯放り込んできた。メジャーな人間もいれば、誰? というくらいの認知度の人もいるが、歴史オタクの純正は全員知っていた。


 この二十人と既存の五人が小佐々の文化に触れてくれれば、歴史が変わる、かもしれない。純正はそういった期待と不安、両方を感じながら、外務省と文科省に一覧を送った。


 ■九月十六日 


 刈り入れが終わり、伊東、相良、肝付が動き出した。十五日と日程を決めて、それまでに刈り入れが終わっていれば行動を起こすように決めていたようだ。


 さて、島津はどう動くであろうか。


 肝付軍は、一旦全軍を鹿屋城へ集め南下する作戦をとった。


 錦江湾沿いの街道を南へ進み、※禰寝氏支配下の諸城を落としていく。純正の予測どおり、肝付良兼は全軍の二千五百を投入して、一気に国見城まで落とすつもりのようだ。


 禰寝氏の本城である※国見城の北には、支城として※神川城、※高城があるが、※禰寝重長は重要視していなかった。どう頑張って動員しても千人程度だ。


 重長はその二城には旗指し物を多く入れ、あたかも兵が詰めているような気配を作り出した。多少でも時間稼ぎができれば良いと考えていたのだ。


 しかし良兼はすぐにそれを看破すると、確認のために城になだれ込んだ。すると予想通り兵は逃げた後である。兵糧や武器なども持ち出されており、文字通りもぬけの殻であった。


 ■国見城 禰寝重長


「申し上げます! 敵は神川城、高城を落とし、城の北半里(約2km)の菅原神社に陣を構えております」


 伝令が重長に伝える。


「ふん、やはり張子の虎では足止めにもならなかったか」


 重長は予想通りと言わんばかりの口ぶりでつぶやく。


 重長が籠もっている国見城は、東の山々から西へ張り出した台地に築かれている。東以外はまさに崖で、急峻な地形をうまく使った要害であった。


 その高さ一町半(150m)の台地全体が城になっており、小さな集落のようなものを形成している。畑作もしていて水の手もあり、全てをまかなう事はできないが、兵糧の足しにできたのだ。


 東の正門前には二重の空堀と土塁がある。南には西の禰寝の湊から東へ蛇行して伸びる雄川が流れていた。禰寝の湊は禰寝水軍の本拠地であり、交易の湊でもある。


 さらにそれを挟むように西から支城の瀬脇城、水流城、富田城があり、川の北側には野間城があった。


 重長はその国見城に兵五百、支城にそれぞれ百ずつをいれて守備させた。相良、伊東と手を組んで、しかも小佐々の支援を受けるとなれば状況はかなり厳しい。


 しかし、盟を結んでいた肝付を裏切ったのだ。どんなに島津の言うことが正しかったとしても、裏切り者のそしりは免れない。だから、負けるわけにはいかなかった。


 そのため兵糧は事前に準備し、矢弾も島津に援助を要請した。三ヶ月から四ヶ月は籠城できる兵糧を各城に運び入れてある。


 肝付軍は力攻めではなく、持久戦で攻める事が予想された。今回は二千五百を動員しているようだが、無理をすれば六から七千の兵は集められただろう。


 その場合、島津の後詰めが来る前に城を落とす必要がある。禰寝単独と肝付では国力の差は歴然である。数倍の敵に攻められれば、危うい。


 しかし、今回は違う。三国同盟が成り、小佐々の支援が十分にあり、時間の余裕もあるのだ。腰を据えてじっくり兵糧切れを待つであろう。


 ■九月十七日


 作戦開始予定の十五日から二日が過ぎた。相良は大口城を半包囲した状態で待機している。伊東は飯野城の二十八町(3km)南の妙見原に布陣した。両軍とも肝付軍と同じ様に持久戦の構えである。


 伊東軍は城を包囲こそしなかったが、一年前と同じ轍を踏まないように、十二分に注意した。


 前回の敗因は情報不足や戦術の失敗、指揮官の戦死による指揮系統の混乱、連携の不備、兵士の慢心や不慣れなど、多岐にわたるものがあった。


 今回は事前にしっかりと情報を収集し、兵の配置や敵の動きの予測など、時間に余裕があるので十分に対策をねることができる。


 また、前回は島津の偽計で相良軍は退却となったが、今回は援軍として考えられる大口城の新納忠元を封じ込めている。


 対する島津軍には、まだ具体的な動きは見られなかった。三方向から攻められた場合、彼我の戦力比で自軍が優位であれば、同じ様に三分割すればよい。兵の負担はあるだろうが、いずれ多い方が勝つ。


 しかし、今回は同数である。守備側の利はあるが、持久戦となれば劣勢は免れない。


 そうして無為に数日が経過した。

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