硫黄は温泉のあるところならどうにかならないかなあ… 雲仙とか…
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
はい、それは私も考えました。長崎だから雲仙の有馬とか。
たしか、同盟じゃないけど、大村の兄弟でしたからね^^
そういえば火縄銃で思い出しましたが、平成時代で実際に公式に江戸時代のと同じ製法の火縄銃と弾と火薬で試射した記録が残っています。
弾は丸くライフリングも無い銃身なので命中精度は落ちますが命中時の威力は予想をう上回る結果でした。
なぜなら現代の弾のよりも口径が大きいので50mの距離から命中すると当時の兵士の胴丸や革鎧くらいなら簡単に貫通でき胴体命中なら致命傷になりうるものでした。
この距離だと厚さ10㎝の板がギリギリ抜けなくて竹で作られた盾も角度によっては抜けていたそうです。
この頃の絹って実は布団にしか出来ない位、質が悪いんですよね。糸にできるようになるのにかなり努力が必要だったようで
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
養蚕がさかんになるのは江戸時代以降で、
それでも全国品質がバラバラだったから富岡紡績所?に
統一したようですね。
うーん、まあ、時間かけます。
今後とも宜しくお願いします^^
フランキ砲購入は史実だと1576年輸入だから15年ほど前倒しですかね、平戸松浦でも所有していたのは知らなかったです。
転生者(父)がいた分その辺りも変化があったのかな。
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
そうですね。ウィキによると大友宗麟が1576年に輸入してますね。南蛮貿易は平戸松浦でもやってたので、記録が残っているいないだけで、もしかすると輸入していたのかもしれません。
そのへんはアバウトなところもありますが、ご容赦を。;;