第20話 結月くんの実家①

 大きなお屋敷のようなその家は驚くほど手入れが行き届いていた。

 客間へ通された私たちはそこで藤原くんは足を伸ばす。


「あ、あの……失礼じゃないですかね……」

「別にいいよ。まあ、父さんが入ってきて挨拶をするときは身なりを整えれば……」


 さすがに朝から新幹線の移動というもので、それほど歩いたわけではないけれど、疲れていたのは事実。

 それに帰省することになったのも急な話だったので、準備にドタバタしたという感じもある。

 とは言えども、私は客人なので、大人しく座っておくことにした。

 襖紙がすらりと開き、人の気配を察する。

 振り向くとそこには光の反射で少しブラウンがかった髪をした少女がお茶の入ったガラスコップを載せたお盆を手に持っていた。

 自然と藤原くんが体を起こす。どうやら小腹が空いているらしく、お菓子は欲しかったようだ。


「失礼します」

「あ、はい………」


 何やら冷気すら感じるようなツンとした口調でそう言って入ってきた少女を見て、私はピンときた。

 この人がもしかしたら、藤原くんの妹さんなのではないだろうか、と。

 麦茶とお茶請けのお菓子を置く。

 そのまま無言で立ち去るのだろうかと思いきや、そのまま藤原くんの横に距離を詰めた状態でちょこんと座る。


「おい……。近すぎないか?」

「大丈夫。いつもの距離だから……」

「てか、まずは挨拶をしなさい」

「てか、この人は誰?」

「え? あ、私? ごめんなさい! 私は北条翼って言います。結月くんと同じ学校に通っていて、今はルームシェアをしているの」

「ふーん。私は藤原香ふじわらかおる。中学二年生です」


 そう言うと、猫のように藤原くんにべっとりと甘えだす。

 もしかして、お兄ちゃん好きってやつ?


「夏なのに暑いだろ?」

「そんなことない。この部屋もクーラーは利いているから大丈夫だよ?」

「いや、そう言う問題じゃなくてだな……」


 どうやら妹ちゃんには手を焼いているようだ。


「もしかしたら、数か月ぶりだから甘えたいって気持ちがあるんじゃないかな……」


 私は何とか場を取り繕うようにそう答える。

 藤原くんは香ちゃんを引きはがそうと必死になっている。

 しかし、抱き着く握力が凄い。


「急にお兄ちゃんが女を連れて帰ってきたって聞いたから、私が給仕をしてみたわけ」

「女を連れ帰るってもう少し言い方があるだろう」

「で、お兄ちゃん、翼さんとはどういう関係?」

「え!?」


 そこでウッと躓く。

 もしかして、何か問題でもあったかしら……。

 普通に健全なお付き合いをしているだけなのだけれど————。


「もしかして、お兄ちゃんの彼女?」


 香ちゃんは見透かさすように私を見てくる。

 私はそれを一心に受け止めたうえで、深呼吸する。


「うん。そうだよ。入学して以来、結月くんには色々と助けてもらってね。マンションでも部屋が隣同士で意気投合しちゃって、一緒にお付き合いすることになったの」

「じゃあ、敵」

「何でっ!?」


 ええっ!? 今の展開ってそういう展開だったっけ?

 いや、違うくない?

 さっきの場合は、香ちゃんが、


「そうなんだ! じゃあ、翼さんは私のお姉ちゃんになるんだね!」


 的な展開を切望していたのだけれど、まさかの敵認定ってどういうこと!?

 私はショックのあまり愕然としかけてしまう。

 ええ、魂が飛び出してしまうかと思いましたよ。


「おいおい。香……、お前、言葉がきついぞ……。俺と翼が付き合っているのは事実だし、それは母さんも知っていることなんだから……」

「私は認めない!」


 いや、あんたは姑さんかよ!?

 私は思わず言葉が出かけるが、何とか喉元で抑え込んだ。


「翼はそんな敵視する人じゃないって……」

「だって、私の大好きなお兄ちゃんを奪い取ろうとしたんでしょ!」

「—————え?」


 私は思わず目が点になってしまう。

 そして、数秒間の沈黙の間に頭の中で情報整理がなされた。


「お兄ちゃんのこと好きなのね」

「当然よ! 結婚してもいいと思ってるもの」

「さすがにそれは無理だぞ……。血がつながってるからな」


 しっかりと諭す藤原くん。

 それに対して、ぷぅっと膨れつつ、藤原くんの腕を抱きしめて、


「別にお兄ちゃんと既成事実を作ってしまえばいいんだもん!」

「いいわけあるかーっ!」


 さすがに藤原くんも大きな声出しちゃうよね……。

 てか、既成事実ってさっきも聞いちゃったけれど、藤原くんの家の人って既成事実が好きなのかしら……。


「どうせ、お兄ちゃんのことだから、まだ翼さんとはしてないはず」


 ピクリと私と藤原くんが反応する。

 それをあざとく見た香ちゃんはニヤリと見て、


「やっぱりね。お兄ちゃん、お父さんと違って奥手だから絶対に女の人に手を出したりできないと思ったんだよねぇ~」

「あはは……。まあ、結月くんは私の気持ちも考えてくれてるんだよ……」

「とにかく、香。俺のことを好いてくれるのは有難いけれど、血縁上、結婚できないんだからさすがに度を超すことだけはやめてくれよ……。それに俺は香に翼とも仲良くなって欲しいと思ってるんだ」

「私が翼さんと?」

「うん。香は料理が好きだろ?」

「うん! お兄ちゃんとの結婚のための花嫁修業と思って料理しまくってるからね」

「いや、花嫁修業は俺じゃない人のためであってもいいから……。ちなみに翼も料理が得意でいつも色々と作ってくれているんだ」

「なるほど……。お兄ちゃんの胃袋を掴もうとしているのね」


 どうして私は悪役路線確定の中で香ちゃんの話が進んでいるのだろう。

 おーい。私、そんな悪い人に見えます?


「この可愛らしさに料理の腕が上手いなんて……。これで床上手だったら勝てない」

「と、と、床上手!?」


 床上手って、つ、つまり、よ、夜の………エッチのことだよね?

 私は経験ないから上手くないよ!?

 と、言いたくなったが、さすがに藤原くんのご実家に来てそんな言葉を出すわけにもいかず、大人しく黙ることにした。

 が、その行為は香ちゃんに入らぬ誤解を与えたらしい。


「む、無言なのは、もしかして上手すぎるってことかしら……。余裕の沈黙ってこと!?」

「ち、違うよ!?」


 そこで私はようやく声を出せた。

 いやぁ、焦ると人間は言葉が自然と出るようになるんだね。


「私は結月くんとのお付き合いが初めてなんだから、そういう経験はないんだよ……」

「何だか、知っていそうな感じの初心な反応はどうして?」


 うっ……。初心な反応していました?

 もしかして、顔が少し赤らんだりしていたことかしら……。

 まあ、そりゃあなるわよ……。だって、経験はないけれど、情報としては取得済みだから……。


「ああ、たぶん、それはマンガでそういうのを読んでるみたいだぞ?」

「——————え?」


 どうしてそこで藤原くんがそれをバラすの!?

 どうして私の形勢が悪化するようなこと言ってくれちゃうのかな……。


「へぇ……、マンガなんだぁ~」

「まあ、ちょっとね……。ほら、少女コミックって乙女の嗜みみたいなところがあるじゃない?」


 私はとても苦しい言い逃れをしようと画策する。

 とはいえ、自分で言いながら、かなり苦しいと思うのだが……。

 さっきまでぴったりと藤原くんにくっついていた香ちゃんが、こちらの方に身を乗り出す。

 客間のローテーブルに手を突いた状態で————。


「私と同じ人がいるなんて!」

「え?」

「翼さんってそういう少女コミックをよく読まれるんですか?」

「え? あ、うん。まあ、告白されてもよく分からない人と付き合うことはないように全部振ってきたからそもそも恋愛というものにからっきしでね。だから、情報源として少女コミックを使っていたの」

「分かる! 分かり身が深い!」


 と、彼女は私の手を両手で握りしめてくる。

 ちょっと待って!? この目はどう見ても、同類を見つけたオタクの目———!

 私を敵対していた美少女は、どうやら私と同類の恋愛偏差値平均以下だったらしい……。

 でも、兄妹恋愛ものってちょっと凄いものを選んじゃってるよね……。

 あー、これって長くなりそうなやつかな……。

 ま、いっか。妹さんと仲良く出るのならば—————。

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