第7話 期末テストとご褒美を。(破)③

 ふぅー……………。食ったなぁ……。

 ガラスコップに入れたキンキンに冷えた麦茶をグビッと飲み干す。

 額から汗が滴り落ちるのが良く分かる。

 暑い夏にキムチ鍋なんて……と思ったけれど、案外これはいける。

 そもそも熱い鍋物を夏に食べてはいけないなんて誰も決めたことではないのだから。


「凄く美味しかった! それに何て言うのかな。気分転換的なものができたよ」

「気分転換になりましたか……。それは私の読み通りですね」


 そう言えば、さっき、食事の前に北条さんがそんなことを確かに言っていたような気がする。

 俺ははにかむと、彼女は一瞬だけ視線を逸らすような素振りの後、


「そうでしょ? 暑い夏だからこそ、熱い鍋を食べるのも一興ですよね」

「それは否定できなくなったな……。それに野菜とかもこれほど多く食べられるのなら、鍋は最高だよな」

「はい。藤原くんの栄養管理のことを考えても、鍋は良いと思いますね。あと具だくさんのスープなんかもいいですよ」

「具だくさんスープですか。それも野菜がたくさんで良いかもしれませんね」

「スープだけで十分におかずになるので、あと一品を用意すれば、それだけで十分豪勢な晩御飯になりますからね。サラダも不要です」

「そっか。スープで食べているんですもんね」

「はい!」


 こうやって見ていると、北条さんは本当に食事を作るのが楽しいんだろうな……。

 食事の話をしているときの彼女は、本当に光り輝いているように思える。

 となると、普段は一人でそんな食事を食べていたのか。

 それって楽しかったんだろうか————。

 不意に俺の中には、彼女のこれまでの食事の光景が勝手に想像できてしまう。

 とはいえ、これはあくまで想像の範疇から抜け出すことはできないのだが……。

 作るのが大好きな北条さんが、作った食事を誰とも語ることなく一人で食べている姿————。

 いや、何だかツラ過ぎるだろ……。

 でも、そうだと決まったわけじゃない。


「本当に料理をするのが好きなんだね。今、話をしている北条さんは凄く生き生きとしていたよ」

「え? あ、そうですか……? まあ、普段は作っても一人で食べるだけなんで、あんまり楽しくなかったから……。学校では大人しくしてますけれど、出来ればこうやってお話をしていた方が楽しいと思います。それに、こうやって食べてくれる人がいるのは、私自身が嬉しいんだと思います」


 ああ、これ、想像に近い状態になっていたんだな。

 それって何だかうつ病みたいな状態じゃない? とか言ってはいけない。

 それを切ってしまったら、何とも空気の読めない男だと思われてしまうではないか。

 そこで、この状況下で出来ることと言えば、何事もなかったかのように振る舞い、彼女を安心させることしか他ならない。


「じゃあ、これからは安心ですよね。俺が北条さんの温かい気持ちのこもった食事を食べるんですから。こんなに嬉しいことはないでしょ。栄養価も富んでるので」


 そう。それは本心からだ。

 俺が普段食べているスーパーの弁当(18時からタイムセール!)に比べれば、北条さんの食事は、身体も心もしっかりと温めてくれる最高の料理だと料理のできない俺の中では分類されている。


「これからもしっかりとお願いします!」


 俺は両手を合わせて、祈るような素振りをする。

 と、北条さんは何やら顔を朱に染めて、恥ずかしがっているような感じだった。


「お、俺、何か余計なこと、言いましたか?」

「え!? あ、いえ……。そんなことないです」

「じゃあ、俺も片づけ手伝いますね」


 そう言うと、俺は茶碗やら鍋をシンクへと運ぶ。

 彼女も後を追うようにやってくる。


「俺、洗いますね」

「え? あ、お願いします! じゃあ、私は洗い終えたものを拭きますね」


 洗い始めると普段からやっていた行程に、北条さんが入ったことでスムーズに事が運ぶ。


「何だかスムーズに終わりましたね」

「本当ですね。私もこんなに早く終わるとは思いませんでした」

「変ですよね。まだ、それほど出会ってから日も経っていないのに」

「そうですね。息がぴったり合うような感じですね」

「夫婦ってこんな感じなんですかね?」

「夫婦ですか!?」


 北条さんは素っ頓狂な声を上げる。

 いや、普通に夫婦ってこういう優しさから成り立っているのかな……というたとえのつもりで言ったんだけれど……。

 北条さんはやっぱり真面目な人なのだろうか。

 ひとつひとつの言葉をダイレクトに受け止め、そして、それに対して、正直に返答をしようとしている。

 そう言う姿から見ても、彼女がとても真面目であることがわかる。

 北条さんは顔を真っ赤にしながら、しどろもどろな状況で、俺はどう声を掛けてあげるのが良いのか分からないでいる。

 ティロリン♪ ティロリン♪

 突如電子音が鳴り響く。


「あ! お風呂が沸きましたね! キムチ鍋を食べて、汗をかかれたでしょうから、お風呂に入ってはどうですか?」

「いえ、さすがに女の子より先に入るのは気が引けます。先に北条さん、入ってください! もう、洗い物も終わったんですから。お風呂を待っている間に単語の復習でもしておきます。後半は数学の問題集を解く予定なので、それまでに暗記系の復習もしておきたかったので」


 俺はそう言うと、彼女にお風呂を促す。

 いやいや、さすがに俺が入った後の湯船に北条さんを温もらせるのは、どうもおかしい感じがしたので、先に彼女に入ってもらうことにする。

 『勉強合宿』という名目で今日から始まったけれど、別に隣りなのだから、普段使い慣れている方が良いと思うのだけれど……。

 俺はタブレットPCを立ち上げると、そこに入れてある暗記カードアプリを立ち上げる。

 日本史のカードを選ぶと、それをタップして出題された問題にこたえていく。

 北条さんと一緒にノートを確認したこともあって、その時のキーワードが頭に入っていることから、すらすらと暗記カードが進んでいく。

 合格率92%———。

 まあ、初日にしては上出来なのではないだろうか。

 これを継続していけば、暗記している量がおのずと増えることで、正答率は上昇していくと考えられる。


「まあ、まだ2週間前としたら、上出来な方だよな」


 彼女はまだ入ったばかりで浴室の方からはシャワーの音が聞こえてくる。

 以前、北条さんが雨に打たれた日もこうやってシャワーを浴びていた。

 あの時は、俺にとったら、女の子を初めて家に迎え入れたのだから、どう対応すればいいか悩んでしまっていた。これは当然のことだ————。

 今回は、すでに何度か話したことのある状態だから、少しは心の余裕が持てる。

 が、シャワーの音をいざ耳にしてしまうと、今、浴室には北条さんがいるということを想像してしまう。

 しっとりと濡らした黒髪。そして艶やかな白い肌————。

 て、何を考えているんだ!?

 健康な男子とはいえ、勝手に妄想を膨らませることはさすがに宜しくないという背徳感で胸が潰されそうになってしまう。

 いや、さすがにダメだろ————、と。

 俺は頭を左右に振り、想像していたものを振り払う。

 早々と暗記の確認を終えたので、数学の問題集を取り組み始める。

 こちらはこちらで基本編であれば、サクッと解けるが、応用になると北条さんの手ほどきが必要となりそうな問題が多い。

 だからこそ、まずは基本的な問題を取り組んでいく。

 集中すれば、そういう邪念からも解放されるはずだ。

 そして、いくらかの時間が経った。


「おおっ! 数学も調子いいですね」

「———————!?」


 俺は驚き、後ろにぶっ倒れそうになってしまう。

 そこには風呂上り間もない、北条さんが俺の課題を覗き込むような姿勢でかがんでいた。

 思わず、見てはいけないものが視界に入りかける。

 俺は再び俯く。


「あれ? どうしたんですか? 藤原くん」

「あ、いいえ、ちょうど解き方を思い出したので……」

「そうですか。自力でも解決できるようになるなんて、本当に藤原くんは可能性ばかり秘めてますね」


 何だか、彼女は素直に俺のことを褒めてくれる。

 でも、俺はここで声を大にして彼女に謝罪したかった。

 北条さんの見えそうで見えないところを目で少し追ってしまっていたということを————。

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