第5話 あったかご飯と秘密の勉強会②
香ばしい鶏肉の焼けた匂いが鼻孔を刺激する。
一気に胃液が溢れだして、今すぐ食べさせろと言わんばかりに、口内にも唾液が溢れてくる。
そう。北条さんは見た目(失礼!)以上に女子力の高い女性だったのだ。
いや、そもそも俺が見た北条さんと言えば、学校ではスクールカーストど底辺の陰キャな感じだったし、ゴミ出しの時に見たのは、ボサッとした感じのゆるふわお姉さんだったから、家事をこなすことができるというイメージがとんと湧いてこなかった。
しかし、彼女は俺の家のキッチンに立つと、手際よく料理を作っていった。
ダイニングテーブルに並べられている食事を見て、俺はただ驚くしかできなかったのだ。
「お口に合えばいいんですけれど……」
彼女はエプロンを外すと、俺の真向かいに座る。
俺はゴクリと唾液を飲み込んだ。
目の前には、鶏肉の香草焼き、キャベツとレタスなどの野菜をふんだんに使い、彼女特製のドレッシングで和えたサラダ、それにオニオンスープ、そして白ご飯が並べられてある。
「二人で食べるので、少し頑張ってしまいました」
北条さんは照れを隠すようにそう言った。
見た目、香りともに十分に満足できている。
「すごいね……」
「あはは……。勉強ばかりしていて、こうやって料理をすることでしかストレス発散ができなかったので」
彼女は少し視線を外してそう言った。
何だか訳アリのように—————。
でも、敢えて今は触れる必要はないだろう。
誰もがプライベートな問題を持っていることだから、敢えて踏み込まないのはお互いの信頼関係のためでもある。
仮の恋人関係でもある「カノジョ契約」というよりは、そこは人としての問題になってくるような気がしたから……。
「早速、頂いてもいいかな」
「ええ、しっかりと食べてくださいね!」
早速、鶏肉の香草焼きに手を付ける。
パリッと焼きあがった鶏もも肉の皮が美味い。それに鶏もも肉にもいくらか手を施したのだろうか。柔らかく、鶏肉の肉汁がじゅわっと溢れてきて、病みつきにさせてくれる。
サラダもふんわりとレモンの香りがするが、サラダのみずみずしさと相まって、酸味がそれほど主張されていないところが良かった。
オニオンスープもわざわざ玉ねぎを飴色になるまで炒めた上で作り出していた。俺ならば、間違いなくインスタントをコップに入れて、お湯を注いで完成だ……。いや、たぶん、オニオンスープなんて洒落たものを飲もうとすら思わないだろう。
「どれも凄く美味しい!」
「あ、ありがとうございます」
北条さんは俺の言葉に照れて、俯いてしまう。
「本当に美味しいね。北条さん、料理が上手いんだね」
「本当に、ストレスの発散と趣味でやっているだけです。そんなに褒められるような味じゃないですよ」
「そうなんだ……。でも、ウチの実家なんか、大家族で食べる分、大鍋でドカンと煮込んだような煮物とか、簡単に出せる魚料理が多かったからなぁ……」
「そうなんですね。でも、それならば、ひと工夫すれば、こういった料理もできますよ」
「え? そうなの?」
「はい。今日のこの鶏もも肉の香草焼きは、オーブンとかは使わずにIHヒーターのグリルを使って焼いたんです。だから、藤原くんの家で魚を焼いているグリルを使えば、同じように作ることができますよ」
「へぇ~そうなんだ!」
「それにIHヒーターのグリルでも無駄な脂を落とすことができるので、ヘルシーに作ることができますから、良い意味でのダイエットにも繋がります」
「そうなんだ。北条さんは本当に料理に関しても詳しいんだね。いい奥さんになれそうだね」
「ええっ!?」
「え?」
北条さんが突如、動揺し始める。
えっと、俺は何か間違えたことを言ったのだろうか。
もしかして、料理を褒め過ぎたことに問題が?
それとも、「いい奥さんになれそうだね」という発言は今どきはセクハラ問題に直結するような言葉なのか!?
いや、貶したり誹謗中傷の意味が含まれていたら問題だけれども、そうでないならば別に咎められるようなことではないと思うのだが……。
北条さんの方にチラリと視線をやると、彼女は顔を赤らめながら、ご飯を箸でチマチマと食べている。
怒っているという感じではなさそうだ、と俺は判断する。
「ごめんごめん! でも、これは本当に美味しいよね。こんなご飯が来月からは毎日食べさせてもらえるのは、嬉しいなぁ~」
「はうぅっ!?」
何やら攻撃を喰らったような呻き声を上げる北条さん。
うーん。俺は一体、どんな発言をすればいいのだろうか………。
困惑気味な俺は何気ない会話をしつつ、食事を楽しんだ。
もちろん、彼女は心ここにあらずのような様子で食べていたのだけれど————。
私は少し後悔していた。
よくよく考えると、私が料理を作っているのは、ストレスの発散のためだ。
美味しいものを味わえる楽しみを待ちわびながら、食事を作ることは私にとっては苦でも何でもなく、それは楽しみであった。
だから、スーパーで藤原くんを見かけた時に何気なく夕食を作らせてほしいというのは、これまでの感謝も含めて、何かお返しができればと思っていたからであった。
本当にそれ以外の何も深い意味などなかったのである。
それが、まさかこんなことになるなんて—————。
私が意気揚々と藤原くんの家のキッチンをお借りして晩御飯を作る。
彼の部屋に電子レンジはあれど、オーブンレンジがないということで、鶏もも肉の香草焼きはIHヒーターのグリルを使うことにした。IHヒーターはマンションの備え付けであって、藤原くんの部屋にもあることは知っていたから。
サラダも作っておいて、食べる直前に自家製ドレッシングで和える段取りまで終えていた。鶏もも肉を焼いている間に、オニオンスープも作る。千切りにした玉ねぎを飴色まで炒めた上で、コンソメ、塩コショウで味を調えたうえで完成である。
藤原くんのお母様が選んだであろうオシャレなダイニングテーブルの上に盛り付けた食器を並べていく。
さすがに食品関係の記事を連載しているだけあって、食器の選び方もセンスを感じる。
もちろん、藤原くんがそれを使っているかどうかは定かではないけれど。
まさか、こんな感じで私が作った料理を藤原くんに食べてもらうことになるとは……。
しかも、それだけではなかった……。
料理の説明をしたあとに藤原くんは————、
「そうなんだ。北条さんは本当に料理に関しても詳しいんだね。いい奥さんになれそうだね」
「ええっ!?」
「え?」
いい奥さんになれそう—————!?
いやいやいや、いきなり藤原くんは何を言っているのかしら……。
単に私が料理を振舞っただけで、最大にも程があるほどの賛辞が私に投げかけられたのだから。
不意打ちにもほどがある。私にとっては、賛辞ではなく惨事としか思えない。
藤原くんはどうしてそんなことを事も無げに自然に言えてしまうのでしょうか……。
そりゃまあ、女の子に食事を作ってもらったうえで、貶したり誹謗中傷をしてくる人がいるのだとしたら問題だけれども、実際にそんなことをしてくるのはそれこそ、ほとんどいないであろう。
それに貶されるようなレベルの料理であるならば、むしろ、異性に向かって料理をするとは言わないはず……。それは自己評価に繋がることを知っているから……。
私は動揺が隠せずに顔を赤らめながら、ご飯を箸でチマチマと食べるしかできなかった。
「ごめんごめん! でも、これは本当に美味しいよね。こんなご飯が来月からは毎日食べさせてもらえるのは、嬉しいなぁ~」
「はうぅっ!?」
もう! どうして、藤原くんはこうなんですか————!!
思わず卒倒してしまいかけましたよ!?
藤原くんは優しいですけれど、私にとっては心臓に悪いな………。
でも、料理を褒めてくれたのは嬉しかったんだけれどさ————。
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