第4話 母親の来訪と一つの提案③

 ピンポーン!


 俺は休日の朝をインターホンの音で目が覚めることとなった。

 もう少し、休みたいと考えていたので、布団にもぐりなおそうとする。


 ピンポーン! ピンポーン!


 が、どうやら客人はそんなに俺を甘やかしてくれないらしい。

 母さんは今日はこちらに棲んでいる友人と会うと言っていたので、まさか、朝から俺のところに来ることはないだろう。

 と、なると一体誰が何の目的でわざわざ日曜日に高校生の部屋に押し掛けるというのか。

 考えても答えが出るようには思えない。

 とはいえ、このまま放置していても、さらにインターホンを鳴らされると迷惑極まりない。

 俺は渋々起き上がって、インターホンのモニターを見る。

 そこには北条さんが立っていた。

 いつもの黒縁眼鏡を掛けている。が、髪の毛はいつものようなツインテールではなく、昨日のお風呂上がりのようなゆるふわっとした感じだった。

 俺はドアを開けると、


「遅いですよ……」


 と、睨みつけられた。

 まあ、仕方ない。事実、俺は開けるのが遅かったのだから。


「ごめんって。で、どうしたの?」

「昨日お借りした服を返そうかと思いまして」


 そっと差し出された紙袋の中には、俺が昨日貸した服の上下が綺麗に洗われた状態で入っている。


「え? いつ洗ったの?」

「昨日の夜に洗って干しておきました。今の季節なら、朝までに乾きますよ」


 へぇ~、そうなんだ。それならば、服の予備とかが少なくてもいけるなぁ……。

 て、そう言う問題ではないのかもしれないが。


「あと、昨日の………」

「『カノジョ契約』のこと?」

「そう! それです!」

「もしかして、一晩経って、気が変わったとか?」

「え?」

「いや、さすがにフリとはいえ、俺と恋人関係になるのって嫌なんじゃないかなって思ってさ」

「それは逆に伺いたいですね。そもそも学校での私を見て、付き合いたいと思いますか?」

「うーん。別にいいと思うけどな」

「そうでしょ……。嫌ですよね……、て、ええっ!? 嫌じゃないんですか!?」

「え? 何で嫌になるの? て、こんなところで立ち話もなんだから、家に入る?」

「そ、そうですね。じゃあ、少しお邪魔します。あ、その前に施錠してきます」


 そう言うと、北条さんは自身の部屋のドアを閉めて、再びこちらに戻ってきた。

 彼女を招き入れると、リビングに座ってもらう。

 小さなローテーブル(冬場にはこたつになる仕様のものだ)があるからだ。

 俺は彼女を案内した後、サクッと部屋着に着替えると、リビングに戻る。


「えっと、何か飲む? と言っても、コーヒーか紅茶しかないけれど」

「じゃあ、コーヒーを貰います。藤原くんはこれから朝食ですか?」

「ああ、休日はゆっくりがモットーだからな」

「ゆっくりって……もう9時を過ぎてますよ」

「ちょうどいい時間じゃね?」

「時間が勿体ないとは思わないんですか?」

「思わないかも……」


 俺は来客用のカップにインスタントコーヒーをサクッと入れて、湯沸かしポットから沸き立てのお湯を注ぐ。

 俺もコーヒーを入れて、近くにあった菓子パンを手に取る。


「はい、お待たせ。砂糖とミルクは好きに使ってくれていいから」

「ありがとうございます。私は普段からブラックを飲んでるので、砂糖とミルクは不要ですね」


 そう言うと、彼女はカップを手に取ると、髪がかからないように左手で耳もとにかき分けつつ飲む。

 何だか、良いところのお嬢さんみたいなんだけど……。

 その……容姿とか振舞いとかが………。


「昨日はサンキューな」


 俺は菓子パンを飲み込むように食べて、コーヒーを啜る。

 残念ながら、俺にはコーヒーを嗜むというまるで、どこぞの貴族社会のようなことはできない。いや、そもそもやったことがない。


「いえ、こちらこそ、正直助かりました。本気で路頭に迷うかもしれないって焦りがありましたから」

「そこまで追い込まれてたのか!?」

「まあ、さすがに雨に濡れたまま、部屋の前で寝るなんてことしたら、風邪をひいてしまうと思ったので」

「そりゃそうだな。それよりも、『カノジョ契約』に関してなんだろ?」

「はい………」

「俺は別に北条のことを仮でも恋人として見た場合、何も思わないけれど?」

「何も思わない………」


 どうして、そこで落ち込むんだ?

 自分がどう思いますかって訊いてきたんじゃないか。


「あー、難しいな。別にそう言う意味じゃなくってさ。学校での北条はさ、確かに見た目では大人しそうな陰キャな感じだけれど、それでも努力はしてるじゃん。学年1位になろうと思ったら、努力しなかったらできないと思うんだけどな」

「……………」

「どうしてそこで無言になるんだよ」

「いえ、新手の私に対するストーカーかと思いまして」

「んなわけねーだろ!?」

「冗談ですよ。では、このまま『カノジョ契約』は続けるということでいいですね?」

「ああ、北条さんに何か問題がなければ、だけどな」

「私にはそういう色恋沙汰は、ないも等しい存在ですから、むしろ楽しみたいと思っているくらいですね」

「あ、そう。じゃあ、簡単なルールでも作っとかないとダメだよね」

「そうですね。まあ、学校でも、気軽に話してもらうくらいは大丈夫ですよ。もちろん、それは図書委員として、そしてクラスメイトとして、という当たり前の範疇ですけれど」

「それは大丈夫だ。そもそも勉強を分からないところを聞くとかくらいだろうし……。あと、連絡先の交換はしておいた方が良いだろうな。また、ああやって母さんが突撃してきたら面倒だし」

「そうですね。では、LINEのアカウントを交換しておきましょう。あと、何か気になることはありますか?」

「えっと……」


 俺はそのとき、ふと彼女の方を見た。

 ふわりと甘い香りがしたからだ。

 すると、LINEのアカウントを交換するために、俺の方に前のめりになっていた彼女と顔が近くなってしまう。

 いつもの黒縁眼鏡をかけているのに、ツインテールじゃないと、何だか可愛い気もするな……。


「北条さんのキャラ的なものはどうする?」

「キャラって何ですか……?」

「えっと、この間、母さんに見られたのが、素の北条さんだったじゃない?」

「あ、そうでしたね……。では、藤原くんと出会うときは、素の私でいることにします。ただ、学校ではもちろん、普段の私になりますけれどね」

「ああ、それでいいと思う。北条さんなりに他に気になることはあるの?」

「あ、あの……、こんなことを言ったら、笑われてしまうかもしれないんですけれど……」

「ん? 何か笑うことでもあるの?」

「あ、いえ……。実は私、男子と付き合ったという経験がゼロなんです。だから、普段は何をすればいいのかなって……。手は繋ぐべきなんでしょうか!?」

「ええっ!? いきなり、手を繋ぐのか!? それはもう少し後になってからでいいんじゃないかな……」

「そ、そうですよね。それを聞いて、少し落ち着きました……。本当にそう言う経験がないので、どうすればいいか分からないし、どんな反応をすればいいのかも全然分からないんです」

「じゃあ、恋愛経験っぽい知識はどこで?」

「えっと、小説とマンガです」

「あー、なるほど………」


 それはかなり偏った知識になるのではないだろうか……。

 もちろん、ジャンルにはよるけれども、ラブコメなんかだと普通に距離感とかの縮め方が、そういうイベント的なものがバシバシと起こるからそれに従えばいいだけだもんな……。


「まあ、その辺もゆっくりとでいいんじゃないかな……」

「そうですよね! あ、でも、昨日、藤原くんのお母様が仰っていたことは魅力的かなって思ったりしてます」

「えっと、何の話だっけ?」

「ほら、お母様が仰ってたじゃないですか。ルームシェアしちゃえばいいって。確かに私、家事全般できるので、藤原くんの汚部屋を何とかできるんじゃないかって……。あと、栄養が偏り過ぎているのも気になったので……」


 と、彼女は俺が食べていた菓子パンの袋をチラリと見ている。

 まあ、確かに栄養に気を使って、何か食べているかというとそうではない、というのが本当のところだけどな……。


「いやいや、でも、そこまでしなくても—————」

「とはいえ、一緒にいたほうが、『カノジョ契約』的にも恋人っぽい距離感も分かるようになるかもって思ったんです……。だけど、ダメですかね?」

「………う~~~~~~~~~~む」


 そりゃ、家賃は俺の母さんが出してくれているので、二人で食費や光熱費などを折半するだけでいいのだから、これほど得なことはない。

 それに来客用(主に母さんが来た時用)としての部屋がひとつあるので、そこが彼女の部屋にすれば何も問題ないとなる。


「わ、分かった……。ルームシェアしてもいいよ」

「ありがとうございます! わ~、これで寂しい夜はなくなるんですね! 夜更かしとか楽しそう~!」


 えっと、そういうのって女子会って言って、女の子同士でするんだよね?

 俺とやっても楽しいものなのかね……。


「では、期末テスト明けに引っ越しをすることにしますね!」

「メチャクチャ急じゃないですか!?」


 ウキウキとした感情を隠さずに喜んでいる彼女に対して、俺は素でツッコミを入れるしかできなかった。

 本当に大丈夫なんだろうか……。

 何だか、嫌な予感しかしないんだけれど………。

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