第3話 俺と美少女の「カノジョ契約」②

 シャワーの音がする。

 アコーディオンカーテンの向こう側には洗面台兼脱衣所があり、その奥には女の子がシャワーを浴びている。

 いや、俺が別に変な気を起こしているわけではない。

 そもそも北条はいつもクラスでも大人しい……、というか、大人しすぎて暗い。

 もしも、スクールカーストというものが実在するならば、ど底辺に位置づけられているであろう生徒だ。

 いつも、本を読んでいる姿しか見ない。まあ、たまに図書委員会の仕事で一緒になると、テキパキと仕事をこなしている雰囲気がある。

 そういえば、あの時も先輩たちに絡まれていたっけ……。


 **********


 入学して間もないころだったと思う。図書委員で北条さんと一緒になった時に事件は起こった。

 図書室ではお静かに、これは当たり前のことだ。

 とはいえ、昼休みとか……時間帯によっては誰もいないときもある。

 で、そこをつけ狙われるときもあるのだろう。


「おっ、大人しめだね」

「ちょ、ちょっと止めてください」

「そんな黒縁眼鏡かけてさ~。何も知らないんだろう?」

「何の話ですか?」

「本好きでもそう言ったジャンルは見ないってこと? 初心だねぇ……」


 バサバサッ!!!


 本が床に落ちる音がする。

 さすがにヤリ過ぎ………。

 俺は角からにゅっと顔を出す。

 北条さんは本棚にはりつけにされるような格好で立たされていた。

 うっすらと涙を浮かべている感じがする。

 助けるのが遅かったか……。それは謝らないといけない。


「ごめん、助けるのが遅くなって」

「…………へ? あ、あの………」


 彼女は茫然と俺の方を見ている。

 襲い掛かろうとしていた男は、彼女から手を離さずにこちらを睨みつけてくる。

 ああ、こんなところにもいるんだな、残念な男というものが……。

 力でしか物事を支配できないような男というものが………。

 即座に俺はスマホのカメラでパシャリと1枚撮影する。


「ちょ、お前!? 何しやがる!?」

「それはこちらのセリフなんだけどな……。図書館ではお静かにって習ってないですか? 先輩」

「うるせぇーよ!」


 と、いきり立った先輩は俺の顔面に向かって、殴り掛かってくる。

 で、普通はここで避けるのが普通かもしれない。

 が、俺には2つの理由があって、避けずにいた。

 ゴッ!!!!

 鈍い音と同時に俺の頬に先輩の右手で殴打される。


「きゃあっ!!!」


 さすがに北条さんも怖くなったのだろうか、悲鳴を上げる。

 俺もガクッと膝をつく。

 て、マジで痛ぇ——————————————っ!?!?!?

 2つの理由の一つは、俺が殴られることによって、物的証拠になるということだ。

 あの写真だけを見せても、十分に証拠になるだろうけれど、こうやって殴られさえすれば、先輩を退学処分に追い込めることくらいできるだろう、と。

 それともう一つの理由は、とても簡単なことだ。

 単に俺の運動神経がそこまでいいというわけではない、ということ。

 こればかりは俺が普段から運動を心がけてやっておかなければ、難しいだろう。


「ったく! 邪魔しやがって!!」

「相思相愛じゃない関係で、男が女の子を襲ったら十分に犯罪だと思いますよ」

「まだ、痛めつけられたいのか!?」


 怒りを通り越した先輩は、俺の胸ぐらをつかみ、本棚に押し付けられる。

 あー、これ、もう一発殴られるヤツだろうか……。

 先輩はもう俺に対する怒りから、自身の保身のことなど露にも思っていないのだろう。


「先生! こっちです!」


 北条さんの声がする。先生を呼んできてくれたのだろうか。

 他の生徒のざわついた声も聞こえてくる。

 ちらりと視界の端に見えた、体育教師の姿に俺は少し安堵する。

 が、先輩は極め付きの一発で俺を殴った。

 くそっ! 何なんだよ、この先輩は………。悪いのはお前の方だろうが………。

 俺は薄れ行く意識の中でそんな悪態をついた。

 その後、先輩は退学処分となり、警察によって捜査を進められるようになったらしい。

 あの後、俺が授業に復帰したら、北条さんが首が引きちぎれるのではないだろうかとすら思うほど、何度も頭を下げてきた。

 あとあと、保健医の先生から聞いたのだが、病院に運ばれた際、付いていこうとしたらしい。保健医の先生が同伴することになったので、彼女は授業をそのまま受けることになったらしいが……。


 **********


 とはいえ、そのころから、確かに何かとあれば、彼女がへまをしている瞬間に出くわして、手助けしていたような気がするけれど……。

 その結果がまさか今日のようなことになるとは………。

 俺は部屋に散らかったものをゴミ袋にサクサクと入れて、本などは部屋の端に寄せておく。

 まあ、邪魔にならない程度であれば問題ないだろう……。

 ゴミ袋をきゅっと括り付けると、キッチン隅に寄せておく。

 そのタイミングで、浴槽のドアが開く音がする。

 アコーディオンカーテンの向こう側には北条さんがいる……。

 女の子を部屋にあげたことなど皆無の俺にとっては、この時間をどう待てばいいのか手段を持ち合わせていない。

 ドライヤーの音がする。女の子は髪の毛が長いから仕方ないよな……。

 その音がやみ、アコーディオンカーテンが開く。

 と、いつもの三つ編みではなく、ロングヘア―の北条さんが立っていた。

 俺のTシャツとハーフパンツを着ている北条さんの姿に目をそむけたくなる。

 いつもの黒縁眼鏡を掛けているからか、ボサッとしている雰囲気しかないのは普段と変わらないのだが。


「シャワー、ありがとうございました。服まで貸していただいて……」

「そんなの気にしなくても別にいいです。それより、カギをどうするかですね……。何なら、守衛のところに行って、頭下げます?」

「そうですね……。私の部屋には予備はあると思いますので……」


 そう言って、彼女はリビングに出てくる。


「あ、わざわざ掃除してくださったんですね」

「といっても、ごみを集めて、本を端に寄せただけですけれどね」

「お心遣い、感謝いたします」


 と、彼女が歩こうとすると、俺の中学時代のズボンが長いのか、裾をひっかけてしまう。

 彼女はそのまま躓いて、前に倒れ込む。


「きゃっ!?」

「だ、大丈夫ですか……?」

「あ、はい。ふ、藤原くんが下敷きに!?」


 そう。瞬間的に体が動いていた。

 彼女を支えようとしたが、床が濡れていて、俺がそのまま、彼女に押されるまま倒れ込んでしまう。

 リビングの床にラグを敷いてあったので、頭を床に直撃させることはなかった。

 が、俺の胸のあたりに柔らかい感触がする。それだけではない。

 お風呂上がりのふんわりとした香りがしてくる。

 ああ、ダメだダメだ——————!!!

 俺は意識の限り、気持ちを押さえつける。

 と、同時に彼女を起こし上げる。

 が、その時彼女と目が合った。

 今まで合ったことのない瞳どうしが…………。

 先ほど倒れ込んだ瞬間に彼女のトレードマークともいうべき黒縁眼鏡が投げ出されたのであった。

 つまり、今、俺が見ているのは彼女の素顔。

 そして、この素顔は見たことがあった。

 いや、俺が一目惚れしてしまったその顔だったのだ。


「ゴミを捨てていたお姉さん!?」


 俺が素っ頓狂な声を上げる。

 彼女は「きゃっ!」と両手で顔を覆う。

 顔はすでに真っ赤になっている。


「ふ、藤原くん! お、落ち着いて話を聞いてもらえますか?」


 彼女は両手の指の隙間から俺をチラリと見つつ、そう訴えかけたのであった。

 北条さんが隣のゆるふわお姉さん!?

 俺の頭はその接点がどうしてもつながるようには、思えなかった—————。

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