第25話 第六章「奇跡」


 数え切れないほどの魔物の群れが、雨によって切り拓かれた町を悠々と歩き、とうとう村まで進軍する。


 フクロウ、モグラ、ヤク、ウマ、ヒツジ。

 ネズミが集めた魔物の全勢力が集結している。奴らが一歩足跡をつけるごとに、大地の変色は濃くなっていく。もはや白い輝きは失われ、地区は魔物の領域と化していた。


 大群の前にプラムは単騎、立つ。


 殺意が満ち満ちて、空気が重い。窒息しそうだ。マナの混じった酸素は体に合わず、息苦しい。

 苦しさを、心地良く感じている。


「ごめんね、パフェ」


 パフェは甘い。甘いものをたくさんくれる。けれど、

 僕はそろそろ、辛いものとか、苦いものとか、そういうのが、食べたい。


 プラムは剣を抜いた。研ぎ澄まされた、純白の刃が露わになる。

 魔物は各々の爪を研ぎ、あるいは、武器を構える。


 互いの戦意が膨れ上がっていく。


「命は平等に尊い。けど僕は、お前たちを拒む」


 切っ先を向ける。

 ――平和は勝ち取るものだ。

 ゆえに、


「滅べ」




 疾走する。

 軍勢に、正面から突っ込んでいく。


「サイコキネシス」


 手を光らせ、念力を前衛にぶつけた。

 先頭、二足歩行のヤクの群れが、吹き飛ばされ、衝撃で弾かれ、何回転もしながら宙を舞っていった。


 その奥に控えていたウマは怯まず、少年を迎撃しようと迫り来る。

 三体、三つの凶器が、呼吸を合わせて翻る。


 最初に振り下ろされた斧を、プラムは躱した。

 身を捻り、返す刀で首を切断する。

 赤い血が飛び散る。


 一。


 続くナイフと槍。

 軸足を回転させるだけで回避し、同様に斬り殺す。


 二、三。


 間髪入れず、ヒツジが四体襲いかかる。

 四足歩行が二体、二足歩行が二体。角と蹄が、少年の肉体を貫かんとする。


 プラムは跳躍し、地面と体を平行にして一回転。

 回転斬り。


 四、五、六、七。


 着地。前へ。

 大群の懐へ潜り込む。


 八、九、十、十一、十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八、十九、二十。


 一振り一殺。

 勇者の剣が閃く度に、血が舞い上がる。

 流麗な剣技は確実に急所に差し込まれ、絶命させていく。


 彼は魔物が立ち塞がる前方を、直進する。

 壁になる敵は次々に斬り倒され、障害にならない。一直線に風穴が空いていく。


 その先。

 一際大きな、二足歩行のウマが現れた。目が赤い。ステージ4と推測される。


 プラムを狙い、蹴りの一撃が鞭のように伸びてきた。

 頭をずらして避け、がら空きになっている胴に剣を引き絞る。


 一閃。

 しかし、躱された。


 上体を逸らしたウマは胸元に浅い傷をつけただけで、死に至っていない。

 一振りで殺せない。強い。


 だが、

 ウマが体勢を立て直そうとしてその一瞬で、勇者はもう距離を詰めている。


 息を飲む暇も与えず、足をかける。

 バランスを崩した腹に、左拳を振り抜く。

 ウマは背後にいた仲間たちを轢きながら吹き飛ばされていく。


 苦鳴を上げ、血の混じった涎を垂らしながらなんとか踏み止まり、顔を上げた時には、

 剣を構えたプラムが目の前にいる。


 自分で殴り飛ばした敵に、走って追いつく俊足。


「華剣、バラ」


 四閃。

 斬り刻まれたウマの肉に、血の華が咲く。


 華剣。初代勇者アルベール・オーリオーが考案したとされる剣技。流麗な体捌きと技の冴を特徴とした、美の剣だ。極めた者が刃を振る姿は、芸術品とまで称される。斬られた者の血がまるで花弁のような形をすることから、華の名を冠するようになった。

 クローンの記憶に宿る初代の一撃が、炸裂した。


 プラムは倒れたウマの死体を念力で掴み、正面に投げ飛ばす。

 千ポンドの体重を弾丸の速度でぶつけられ、魔物たちの肉が爆ぜる。骨が砕ける。


 同時に、最初に吹き飛ばしたヤクの魔物たちが空から降ってきた。

 各所で潰れる音と、悲鳴が上がる。


 少年は紫光を全身に纏い、跳躍。

 ふわりと高く飛び上がる。


 軌道上の空中にいたフクロウを一、三、五体殺しながら、敵陣のど真ん中へ。


 着地とともに、念力を込めた衝撃を大地に炸裂させる。

 周辺の魔物は吹き飛ばされ、大穴が開いた。


 体勢を立て直したヤクの魔物から、太い角を光らせて向かってくる。

 最初の一体を躱し、斬り殺す。


 一。


 同じことを繰り返す。

 斬って、斬って、斬り殺す。


 囲い込む三つの首を回転斬りの一閃で落とす。

 構えられた盾ごと両断する。


 十五体目を刻んだところで、敵の出方が変わった。


 無闇に突っ込むのではなく、隊列を組み、連携を取り直している。

 先頭の一体が防御に徹し、正面で気を引いている間に、死角から次々に攻撃が飛んでくる。


 拳、爪、斧。視界の外からの三撃。プラムは、全て見えているかのように回避する。


 そして、剣を持たない左腕を引き絞る。紫光が集まる。

 固まってかかって来るなら、もう一度吹っ飛べ。


「サイコキネシス」


 魔物が宙を舞う。

 組み直した隊列が再び散り散りになっていく。


 攻撃の手を緩めてはいけないと、上空に散開したフクロウたちが矢を放ってきた。

 味方に当たるのもやむなし。なりふり構わず少年を狙う。


 毎秒百発近く降りかかる矢。

 プラムは、躱しながら斬る。斬りながら躱す。

 足を止めない。フクロウも見ない。目線は常に前。地上の敵だけ。ヒツジの、ウマの、首を落とす。


 遠くで、

 砲撃音が三つ、連なった。


 弧を描いく砲弾の軌道を見た魔物たちは、一斉にその場から離れる。

 取り残されたプラムの付近に、着弾。

 魔法により、強化された爆風が吹き荒れる。


 少年は弾き飛ばされ、受け身も取れず転がった、

 フリをする。


 隙ができたと勘違いし、躍りかかって来るモグラが七体。

 全て真っ二つにする。


 砲撃で退いた魔物が再び向かってきた。

 プラムも地を蹴り向かって行く。


 すると突如、背後から風が吹いた。

 フクロウ四体が魔法で大気を操っている。

 風の壁に背を押された少年は過剰に前に踏み出し、敵に自ら体を献上する形になる。


 しかし彼は慌てない。

 風に逆らわず、あえて前進する。

 勢いに乗り、一瞬で三体に死をもたらすと、自然の力を利用してさらに素早く剣を振るう。


 一、二、三、四、五。


 突風が竜巻に変わる。

 腕を取られ、足が浮き、肉体の自由が奪われる。

 それすらも利用する。


 取られた腕を伸ばして無理やり一体斬り、竜巻の回転に合わせて二体斬り、空中に飛び上がったならフクロウを三体斬り落とす。


 そのまま自らの念力で宙を泳ぎ、空中から地上へ。地上から空中へ。

 縦横無尽に、華麗に動き回る。

 制限された動きの中で、躱しきれない矢は念力で弾く。


 十八、十九、二十、二十一、二十二。


 続いて、

 砲撃音。


 再び黒い砲弾が三つ、プラムに迫る。

 その黒塊を彼は、念力で掴み、空中に留めた。

 そしてお返しとばかりに、砲撃手に向かって二発投げ返す。


 村の高台が爆散する。

 大砲を動かしていたネズミ――数少ない生き残りの二体が潰れて死ぬ。


 残りの一発は背後。風を操るフクロウたちに直撃させる。

 爆発とともに竜巻が止み、プラムは三十秒ぶりに地に足をつける。


 着地して、膝をついた。

 その瞬間が隙だと、大型の魔物十体が、八方から一斉に襲いかかってきた。


 テレポート。

 座標はそのまま、十ヤード上へ。


 少年を殴りつけようとした腕が空を切る。突如として姿を消した標的を、奴らはまだ見つけられていない。


 周囲を見回し、混乱する大型たち。

 プラムはそこに、上から念力をぶつける。百倍の重力を叩きつける感覚で。


 圧死、圧迫死、窒息死。

 地べたに顔をつけ、十体はことごとく死んでいく。


 死体を避け、今度こそ安全に着地した。


 その目線は、前。

 剣を構える。


「華剣、ガーベラ」


 疾走。流れるような連続切り。

 進路上にいた魔物は命を散らし、群生するガーベラのように死に花を咲かせた。


 僅か二十秒の間に、五十体がこと切れる。




「強いな」


 シルバーは眼下を見下ろして呟いた。

 一騎当千の、圧倒的な戦いぶりだ。彼はその戦闘を慎重に観察しながら、加護を高め、いつでも助けに入れるように準備している。


「援護なんて野暮なことしちゃダメですよ」

 リンジェルは目敏く咎めた。

「彼の足を引っ張らないよう、民を守ることに集中してなさい。それで充分です」


 軍人たちに逃がされた村人や町人たちが、地区の外縁から戦いの趨勢を見守っている。今は結界の内側で守られている彼らだが、いつ魔物の標的になるかわからない。シルバーは人々にとって最後の砦であった。


 パフェは震える手を組みながら、プラムを見ている。血も傷つく姿も苦手な彼女だが、目を逸らさず、ちゃんと見ている。見ていてと、言われたから。


「状況次第だ」


 シルバーは無闇に肯定しない。彼はリンジェルの判断に私情が混じってることを見抜いていた。主が好きにやりたいのならいい。自分は一歩引いた位置から、カバーできるように備えておく。


「敵が対応し始めている」




 念力をぶつけようと振りかぶった腕が、風で弾かれる。

 不発に終わる。


 開けられたはずのスペースから敵が流れ込んできて、対処せざるを得なくなる。

 問題ない。斬って開ける。


 プラムは剣身を五つ、閃かせた。

 五体殺せるはずの攻撃だった。


 しかし受け流され、二体逃れる。

 殺し損ねたヤクとウマが、首と心臓を狙っている。


 テレポート。

 死角に回り込む。

 が、瞬間移動した先に四本の矢が飛んできた。


 咄嗟に躱しながら瓦礫を浮かべ、フクロウに投げつける。

 一体殺すが手応えが悪い。あと三体は打ち取れていた攻撃だった。読まれ始めている。


 念力で左右を切り拓いて強引に道を作り、直進するがすぐに囲まれる。

 空への逃げ道もすでに塞がれている。


 これまで、一振り一殺のペースだったからこそ十分なスペースが確保できていた。だが、攻撃が回避されるようになり、五体殺せていたところが四体になれば、その分包囲が狭くなっていく。


 念力を放つには溜めがいる。長剣を振るには敵との距離が近すぎる。


 テレポート。

 大きく外へ。上空へ逃げる。


 すぐに矢が飛んできて、間髪入れずに魔物が押し寄せてくる。

 移動先も読まれ始めている。


 百戦錬磨の記憶を引き継いでいるとはいえ、プラム自身はほぼ初めての戦闘だ。長引くほどに動きが単調になっている。

 思い出そうとする。こういう状況では、どうすればよかったか。


 砲撃。

 六発、空中にいるプラムに向けて飛んでくる。

 同時に、地上から投げられたヒツジが四体、彼の目の前に飛んできた。


「?」


 意図がわからない。斬る。

 血を流しながら、ヒツジは魔法を使う。白い体毛が肥大化し、視界を遮る壁となった。


「え」


 砲弾が見えなくなる。

 テレパシーでも、無機物の位置は正確には捉えられない。


 後方に大きく回避。空中を飛び回る。逃げに徹する。


 爆発。

 熱風が吹き荒ぶ。フクロウに操られた風が、プラムを焼こうと追いかけてくる。


 地上の魔物たちが岩を次々に投擲し、弾幕を張る。土を魔法で固めた威力の高いものも混ざっている。

 初めて防戦を強いられる。

 数の優位を活かされている。攻勢に出る隙が生まれない。


 さらに飛び上がってきたのは、凄まじい跳躍力を発揮したウマ八体だ。

 蹴りで直接狙ってくる。あるいは投擲の壁になり、視界を狭めてくる。

 さらなる防御をせざるを得なくなる。


 逃げ回る。

 逃げながら、思い出した。


 プラムは角度をつけ、高く高く飛び上がっていく。

 こういう時は、攻撃の届かない遥か上空から一方的に――、


「ソう、来るだろうナ」


 高度百メートルの地点で、プリンスが待ち構えていた。

 プラムは、彼の存在を感知できていなかった。


 高度二十メートル近辺を飛び回るフクロウの群れ。空の警戒はそこまでで十分だと油断していた。

 プリンスは、子分をあえて低空に留めることで、感知の範囲を限定させていたのだ。その遥か外側で待ち続けている自分に、気づかせないために。


「我々が何年空ニいると思っていル、エエ? ニンゲン」


 急降下。

 重力の力を借りた鋭い体当たり。


 躱しきれず、腕で防御する。真下に突き飛ばされる。

 さらにプリンスは翼を羽ばたかせ、黒い突風を放つ。

 落下が加速する。


「ぐ、うぅぅ……!」


 一気に地上に引き戻される。

 投擲の射程内に入るギリギリのところ。プラムは何とか制御を取り戻し、体勢を安定させた。


 だからと言って安心している暇はない。


 砲弾が目の前まで迫っていた。

 フクロウとウマが囲み、プラムを捕まえようとしている。

 上にはプリンス。下には大量の魔物。逃げ場がない。


 大丈夫。

 左手に紫光が集まっている。


 飛び上がる間に、十分溜めた。


「サイコキネシス」


 球状の衝撃波。

 長く溜めた分威力は高く、範囲も広い。

 空間そのものに大穴を空けるように、生き物も攻撃も、何もかもが弾き出されていく。


 敵の退いた大地に、安全に着地する。


「あ」


 しまった、と思った。

 わざわざ降りる必要はない。空から攻撃していればよかった。まだ、地上で生きてきた習性に憑りつかれている。


「……」

 プラムは視線を動かさず、周囲の気配を感知する。


 あれだけの念力を食らわせ、手傷を負わせたにもかかわらず、魔物たちはすでに体勢を立て直し、円陣を作って取り囲んでいる。

 プラムの一挙手一投足を窺い、じりじりと距離を詰めてくる。睨み合いだ。


 どうする。

 また同じように攻撃を仕掛けても、対処されるだろう。どころか次はもっと上手く捌かれ、反撃を受けるかもしれない。多勢が相手では、一撃を受けるだけでも致命的だ。数で押し込まれ、一気に畳まれる恐れがある。


 矢や砲弾の装填が完了すれば、すぐにでも攻撃は再開される。ゆっくり考えている時間はない。必死に頭を回転させて、戦いの記憶を呼び起こす。体力にはまだまだ余裕がある。取れる手段はいくらでもあるはずだ。


 どうする。

 この後の対応が勝敗の分かれ目だ。


 緊張が、高まる。



 その時、

 足元に光を感じた。



 チラと、プラムは目線を下に向ける。

 それは大地から湧き上がる、村の加護の残滓だった。


 大侵攻に魔法陣と、度重なる攻撃の中で完全に消滅したと思っていた、神秘の輝きだ。白い煙のように立ち上り、自らの存在を主張している。

 見渡してみれば、瓦礫と草花の至る所に、淡い光が宿っていた。


「チッ」


 魔物の一体が足の焼ける感覚に苛立ち、踏み躙ってマナを込め、塗り潰す。他の者たちも同じようにするが、光の粒子は地の底から次々に湧いてくる。地区は再び輝く。


 ああ、まだ生きていたんだ。


 三千年の伝統は伊達ではない。風前の灯を、しぶとく、しぶとく繋いでいる。長く紡がれてきた人々の想いは強い。極夜祭が開かれたことは、無駄ではなかった。


 加護は、爪先からプラムの全身に伝わる。

 少年を包み、力を与えていく。



 突如として、情景が蘇った。

 呼び起された記憶は、はっきりと輪郭を帯びた映像となり、脳内を駆け巡る。




『ごめんなさい……ごめんなさい……』


 女が、涙を流していた。二十代後半に見える。知らない顔だった。なのにどういうわけか、愛おしさが込み上げてくる。彼女は血まみれのプラムの手を握り、反対の手で頭を支えている。


『私たちに、あなたを守る力がなかったから』


 プラムの視界は傾いていて、女と、広がる青空が見える。

 違う。プラムではない。これは死ぬ間際の、アルベール・オーリオーの記憶だ。


 アルベールは手を伸ばし、女の頬に触れた。それから多分、笑ったのだと思う。笑顔を見た彼女は涙ながらに眉を上げ、決意を表情に浮かべる。


『見てて。もしも、もしも生まれ変わるような奇跡があったら――』


 女は、アルベールの手を握る。

 そこには、まだ彼女一人にしか宿っていない、弱々しい加護の光がある。


『私がきっと――』


 ま、も、う、ぁ、ぁ――、


 音が遠のいていく。

 視界が薄まっていく。




『頼りにしてるぜ、相棒』


 男がプラムの肩を叩いた。これも知らない顔だ。彼はおんぼろな装備を身に着けており、白い光を薄っすらと纏っている。


 別の記憶だ。衣服、建物、文明レベルに大きな差があるように見えた。これは何百年後の、何代目の勇者の記憶なのだろう。


 教会の前に、同じくおんぼろな戦士たちが集結している。現代人のプラムだからおんぼろに見えるだけで、当時としては一級品なのかもしれない。彼らはこれから、魔物と戦いに行く。生きて帰れるようにと祈り、互いに抱き合う。


『生き延びて、生まれる子供の顔、見ようぜ』


 男と勇者も抱き合う。触れ合いを好む、加護の文化だ。光が根づき始めている。


 加護は、宗教とともに広く伝わった。アルベールの妻か、姉妹か、大切な人の決意は、実を結んだようだった。

 教会には女性の像があった。彼女によく似ている。




『託したぞ……!』


 これもまた、別の記憶。やはり数百年後、数十代先の勇者の記憶のようだった。

 知らない男が死にかけている。頭から血を流し、片目が潰れ、その背後では赤々とした炎が町を焼いている。


 男は大きな加護の光を宿した手を懸命に伸ばし、何代目かの勇者に手渡す。


『こんなところで途切れさせちゃいけない! 繋ぐんだ! 未来に!』


 勇者の身体は光を受け、白さを増す。

 反対に、男の身体は緑に変色していく。


 肉体がマナに侵食されていく。

 魔物化していく。


『未、ライ、ニ……』


 彼は化物の顔になって、果てる。

 カラスの魔物の群れが飛び立ち、空を覆い尽くす。




『千年前から、加護は随分と力を落としてしまった。平和な世に神は必要ないと、多くの人々が思ったからだ。しかし私たちは、この光を受け継いでいかなくてはならない』


 グレイ・グレゴリオがそう言った。二百十四代、プラムの記憶だ。

 十歳の誕生日、彼はプラムをグレゴリオ教会に連れて、いつも以上に厳格な顔で話をした。


『まだ聖女ベイリアルの本懐は遂げられていない。大昔に交わされた約束を果たすまで、神を繋ぎ止めなければならないのだ』


 約束って?

 十歳のプラムはたしか、そんな風に尋ねた。


『さぁ、何なのだろうな。三千年の間に、忘れられてしまったよ』


 グレイは、女神の像を眺める。




 大地から伝わった加護が、プラムの肉体に浸透していく。

 彼の心臓。その奥底に眠る白い光に、覚醒を促す。


 加護は愛に宿る。最も深く、最も強く。




『お、おいしい……?』


 幼いパフェが、プラムの顔を覗き込んでいる。


 この記憶は、今でもぼんやり思い出す。四歳か五歳か、もう忘れてしまったが、熱を出したプラムに、パフェが初めてご飯を作ったのだ。彼女はこの時、九歳か十歳。当然、今より出来映えは悪い。彼女の手料理は、この時から甘かった。


 美味しかったから、おいしい、と答えた。

 パフェは安堵して、満面の笑みで微笑んだ。


『じゃ、じゃあ、明日から毎日作るからね……!』


 宣言通り、彼女は本当に毎日作った。一日だって、欠かすことはなかった。




 今一度、自らに問う。

 ――プラムは、愛されているか。




「うん」


 天を仰ぐ。

 神様が、微笑んだような気がした。


「いっぱい、愛されている」



 肉体から、白い光が湧き上がる。

 外付けではない。正真正銘、身体の内側から溢れ出した、プラムの加護。蓄積した分の莫大な粒子が天高く昇り、光の柱となって顕現する。


 取り囲む魔物たちは、眩しさに目を覆った。にじり寄っていた足を止め、警戒心を露わにしている。


「あっはは」


 プラムは自身の身体と、昇っていく光を眺める。その足元を中心に輝きが広がり、変色した大地が塗り替わっていく。


 クローン人間に、加護が宿る。




 皆が、その瞬間を目撃した。

 リンジェルたち王族の勢力、グレゴリオの一族、事情を知る村人たち、プラムと関わったことのある町人たち、そしてパフェは、一様に目を見開く。


 一人の少年に神秘が降り立った、その光景を、呆然と見つめている。


 無能の苦労と苦しみを見てきたグレゴリオの一人が、ふと、呟いた。


「奇跡だ」


 パフェは膝から崩れ落ちる。


「は、ぁぁ……」


 目の前で、愛情の結晶が輝いている。


「あああぁぁぁぁぁぁ……!!」


 白い瞳から、大粒の涙を流している。リリビィが涙ぐみ、その肩を支えている。


 十年、かかった。何をしても効果がなくて、失意に暮れる日々だった。小さな希望を見つけては、その度に絶望して、何度も心が折れそうになった。

 パフェ一人の力ではない。それでも、彼女の献身が奇跡を呼んだ。ようやく、報われた。


 神様は、見ていた。



「【誓約をここに】」


 リンジェルは、一歩前に出る。


「【汝の剣は、王たる我が威信の分身である。汝の志は、主たる我が誇りを写す鏡である】」


 詠い上げるは『決闘の儀式』、その口上。


 地区一帯を闘技場と解釈して強引に術を用い、プラムに強力な光を施す。

 祈りを捧げる彼女の身体と、戦場全体に宿る加護が発光し、研ぎ澄まされていく。


「【双方、怯まず、臆さず、一切の卑怯を犯さず、騎士の名に恥じぬ精悍な心をもって挑まんことを――】」


 リンジェルはそこで、何かを考え込むようにし、詠唱を切った。


 周りにいた者たちは訝しむ。

 まだ術は完成していない。このままでは失敗する。


「【――ああ、やっぱ、いいや】」


 口上とはまるで関係のない、話し言葉が飛び出した。


「【うふふふ……あははははははははははっ】!」


 大笑い。

 完全に集中が途切れている。なのになぜか、儀式も詠唱も、解けることなく繋がっている。握っていたペンダントからも手を離し、祈りまで放棄して、彼女は拍手した。


「【おめでとう、二百十四代目。君はとても恵まれている】」


 詠唱を改造する。もう好き勝手に、喋りたいことを喋っている。

 伝統、形式を重視する加護の仕組みの反対を行く離れ業。恐ろしい技量だ。王女の傲慢は、世界の法則すらも平伏させる。


「【祝福の印として、私の加護を贈りましょう。代わりにあなたは、勝利を献上しなさい。今日の、この先の、幾億の勝利を、私に】」


 興奮した面持ちで、高らかに、高らかに詠う。

 その正のエネルギーこそが、常識外の言霊を成立させる要。神様は人の想いを尊重する。儀式はより強く、光り輝く。


「【私は欲しがりだけど、とても飽きっぽいんです。魅了してください。君の歩む道の先が、栄光であることを私は期待している】」


 両腕を広げ、世を見下ろした。


「【ぜ~~~~~~~~~~~~~~~んぶ】」




「【踏み潰せ】!」

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