第21話 第五章「ネズミの計画」


「対処法は確立されました。ひとまず、子供たちは無事です」


 会議室でパフェが言うと、幹部たちは深い安堵の息を吐いた。

 大侵攻から三日。新たな異常に、人々は走り回り続けた。ようやく峠を越えたと言えるだろう。


 しかし、休んでいる暇はない。一同は続く説明に耳を傾ける。


「今回の異常の原因は、ツキシズカの花でした」


 パフェが口にしたのは、地区の象徴とも言える花の名前だ。薄桃色をしたその花は、村や町の至る所に咲いている。


「地区にある全てのツキシズカは、マナに侵され、別物になっていました」


 会議室が驚愕する。


「全て!?」

「はい、恐らく全て」

「そんな馬鹿な」


 驚くのも無理はない。マナを含んだ物質は変色や捻じれなどの変化が現れるが、ツキシズカにはそれがなかった。なぜ変化しなかったのか。その前に、全てを改造するなど可能なのか。疑問が浮かぶ。


「それを説明するためにまず、地区に浮かび上がった黒い紋様について見解を伝えます」


 今も大地に刻まれている巨大な印。子供たちの異常は、あれが現れてから始まった。


「仮に『魔法陣』と呼びますが、あれは、記録した魔法を無限に発生させる回路です」


 いまいち理解できていない幹部たち。パフェは例を挙げる。


「例えば、火の魔法なら燃え続けるとか、そういうことです。あの魔法陣には『花を改造する魔法』が記録されていて、陣内にあるツキシズカはずっと改造され続けていました。魔法陣はいわば、工場のようなものです」


 だから、全てが別物になった。


「ただ一方で、地区は加護で満たされています。改造する魔法の力に対し、打ち消す加護の力が働き続け、変化が現れなかった。それが今になって発現したのは、大侵攻によって加護が弱まったからでしょう」


 ツキシズカは着色料として優秀であり、地区では当たり前に使われている。特に衣服や、顔料などだ。稀に料理でも扱う。


「私たちは、改造されたツキシズカを知らずに使い、マナを生活の中に取り込み続けていたのです。成人した私たちは強い加護に守られているだけで、子供たちと同じように、顔には毒が付着しているはずです」


 幹部たちは凍りつき、確かめるように自分たちの顔を触る。


 ネズミの親玉は実に狡猾であった。加護の性質を逆手に取って工作を隠し、地区の文化を利用してマナを散布する。

 服も、装飾も、壁紙も、それらがある家全体も、村や町の空気も、当然人間の身体も、既にマナに侵されている。


 前村長のグレイの皮膚や胃から検出されたマナと、ツキシズカのマナが一致したことからも間違いない。



 以上のことから推測されるネズミの計画はこうだ。

 柱であるグレゴリオを殺害する、人々の精神状態を不安定にするなど、とにかくどんなやり方でもいいので、地区の加護を決定的に弱らせ、花のマナの効力を発揮させる。


 あとは自動的だ。

 人間の体は内側から外側からボロボロと崩れ出し、一人一人死んでいく。その度に加護は弱まり、魔法陣は加速して、さらにマナを吐き出す。そうして一日もかからずに地区は全滅し、魔物に丸ごと奪われる。



 皆、ゾッとした。

 今ここにある生活は、限りなく脆い薄氷の上に成り立っていることを理解する。


 もし大侵攻が止まらず、あれ以上追い詰められていたらどうなっていたか。

 いやそれ以前に、もし王族の勢力がいなかったら、プラムがネズミに気づかなかったら、どうなっていたか。

 考えるだけでも恐ろしい。


 パフェは続ける。


「薬は作れますが、地区の全員に配るほどの量はありません。ひとまず、生態系の許す限りツキシズカを取り除きましょう。服や顔料も、全て」


 全体は静かにうなずく。


「並行して、極夜祭の準備も進めるのです。そうすればきっと――」


 そこまで言ったところで、パフェは口を噤んだ。


 会議室の反応が悪い。活力はなく、空気が重い。極夜祭という単語を発してからだ。

 疲労を隠しきれず、淀んでいる。



       ♦



 珍しく、雨が降っていた。

 天より注がれる一滴一滴が、星明かりにキラリと瞬き、幻想的だ。しかし、雨を受ける草花や土の方は、酷く濁っている。


 赤黒く、血のような変色がこびりつき、花壇に植えられた花々は捻じ曲がっていた。加護を完全に失い、魔法の植生へと塗り替わってしまったものも少なくない。昨日まで住んでいた家が別世界へと変貌している様は、虚脱と哀愁を誘う。


 極夜祭は三日後に迫っていた。

 被害区域の浄化、破損した装飾の入れ替え。やらなければならないことは山のように残っていた。

 しかし、村人も町人も呆然と立ち尽くし、あるいは無気力に座り込んでいた。


 もう無理だ。元通りにすることはできないし、どうせまた壊される。三千年続いた極夜祭は、自分たちの代で途切れるのだ、と。


 ネズミは葬った。しかし、まだ黒幕は見つかっていない。もしかしたら死んでいるのかもしれない。わからない。考えたくない。

 フクロウは残っている。魔物は他にも潜んでいる。極夜祭を行い、加護を取り戻さなければ、自分たちの命が危ない。

 それでも、誰も動こうとはしなかった。皆疲れていた。何もしたくなかった。


 涙を流す者がいる。

『はじまりの村』で生まれた者は、祭がどれほど大切なもので、どんな思いで受け継がれてきたのかをよく教えられる。誇りを持ち、生き甲斐を見出している者も大勢いた。自分たちの代で終わらせてしまうというのは、とても辛いことだった。


「パフェは、光の雨を知っているか?」

「知っています」

「いや、知らないさ」


 カールは否定した。

 二番街の瓦礫の前で、傘を差してたたずんでいる。背筋は伸びているがそれだけで、表情は暗い。


「パフェはまだ生まれてなかった」


 彼は傘から手を出し、雨粒に触れる。


「三十年前まではな、光る雨が降ったんだ。星の反射じゃないぞ? 雨そのものが光ったんだ。雨雲だって白かった。それが、光の雨だ」


 空を見上げる。灰がかった雲から、不純物を含んだ雨が降る。


「こんなものじゃなかった。本当に本当に、綺麗だったんだ」


 カールの顔が歪む。地区の光がくすんだその日から、彼の夢は決まっていた。以来三十年間、澄んだ空を取り戻すため、誰よりも努力してきた。


「パフェにも見せたかったよ」

「見ようよ」


 第三者の声が割り込んだ。プラムだった。


「え、どこから来たの!?」

 パフェは驚き、辺りを見回す。


「僕も見たいからさ、光の雨。今年も極夜祭やったらさ、絶対降るって。あ、休んでていいよ! 今まであんまり役に立てなかったから、僕が頑張るんだ!」


 暗い空気を吹き飛ばすように、快活と笑うプラム。

 その背後を見て、二人は仰天した。


 大侵攻によってできた瓦礫が、紫色の光を帯びて宙に浮いている。アパート一つ分の大きさがあるように見えるそれを、何の苦も無く運んでいた。


「これすごいんだよ。サイコキネシスって言うんだってさ。腕が一万本くらいある気分だ。これなら、復興もあっという間に終わっちゃうかもな」


 皆が消沈する中、プラムはただ一人、縦横無尽に動き回り続けていた。

 元々体力があった彼は、宙を舞う機動力と重い物を持ち上げる腕力を得て、加護のないハンデを覆す大活躍を見せていた。大侵攻の際にコツを掴んだらしく、覚えたての力を使いこなしている。


「これなら祭具を運んでもいいよね? ね? ね?」

「ふっ」


 勢いに、カールは思わず笑う。


「お願いするよ」

「よっしゃ!」


 プラムは喜び、宙で一回転する。


 復興が終わる、というのはさすがに気のせいだ。どんなに頑張っても二週間はかかる。しかし、彼の明るさを見ていると、本当に何とかなってしまうのではないかと思わされる。


 プラムは地を蹴り、ふわりと舞いながら去っていく。瓦礫たちは彼を先頭に、子分のように後ろをついて行く。


「休んでていいからー!」

 と、もう一度言った。


 声が遠ざかっていく。背中が小さくなっていく。

 これまでは、プラムがどこへ行ってしまっても、場所さえ見当がつけば、パフェは探して追いつくことができた。


 今は、たった二歩、三歩で、もうこんなに離れている。

 とても遠い。


 プラムは、心が強い。

 どんな時でも普段通りでいられる胆力がある。どんなに嫌われても、命の危険があっても、臆することなく立ち向かう勇気がある。人並みに落ち込むことも時にはあるが、それも少ない。

 プラムほど逆境に強い人間を、パフェは見たことがない。


 彼が通りかかるたびに、うつむいていた町人たちが少し笑って、希望の欠片を取り戻していくのがわかった。


 彼女の心が言っている。

 彼は、こんな辺境の村に収まるような男ではないと、言っている。


「パフェ」


 背後から呼びかけられた。リンジェルがいた。メイジーに傘を差させている。


「お話があります」

「一段落したら、すぐに」


 リンジェルは微笑み、粛々とした所作で踵を返す。


「図書館で待ってます」

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