第19話 第五章「屍」


「こいつら、わざと町を狙ってやがる……!」

 C隊の一人が喚いた。


 十万体の本隊を相手取っている部隊であり、最も人手が足りない。足止めはしているものの徐々に押され、戦線は北へ。防衛ラインは東二番街まで下がりつつあった。

 トンカチを持つネズミの数も最も多く、手がつけられない。


 周囲の家々は七割ほど破壊され、瓦礫の山になっている。周辺住民があらかじめ家を出ていなければ、被害は建物だけでは済まなかっただろう。


 強力な加護を宿し、頑丈な教会だけがぽつんと残っている。町民が避難しているその場所を、ネズミは何度もトンカチで打ちつけた。軍人たちはその首を斬り飛ばし、退ける。

 壊れはしない。しかし、壁面に大きな亀裂が走っている。


 東三番街の広場、歴史ある噴水が叩き割られた。偉人の銅像が胴体から真っ二つに折れている。今回のネズミの襲撃時にも鳴り響いた警鐘が、槌を振られるとともに、最後の一音も奏でることなく塵になった。


 ネズミたちは、脚を斬り落とされようが、腹を裂かれようが、内臓を引きずりながらトンカチを振り回してくる。命ある限り、町の痕跡を一つでも多く無に帰していく。


 トンカチに集中しすぎれば、「腐食」の爆弾が再び猛威を振るう。

 町が腐っていく。変色していく。


 命を削った攻勢に出ている敵に、確実に侵略されている。


 グレゴリオ家の人間が一人死ねば、地区の加護は大きく落ちる、という表現は正確ではない。加護を宿す誰が死んでも、何が壊れても、光は鈍っていく。そこに程度の差があり、村の中核であるグレゴリオ家の場合はそれが顕著、というだけだ。


 ネズミの大侵攻によって、多くの物が壊され、穢された。地区の守りはその分だけ脆くなっている。



       ♦1



 一番街に津波が押し寄せる。

 黒いネズミの群れが激流となって、町の景観を丸呑みにしていく。


 加護が薄まっていく。メインストリートが変色していく。家々が捻じれていく。


 追われているのは、道を塞がれて教会の庇護を受けることができなかった三番街、二番街の住人たち。あるいは、囲まれて逃げ場を失っていた一番街の住人たちだ。


 トンカチを持ったネズミは、人を攻撃するか、町を攻撃するかの二択で揺さぶりをかけてくる。


 A、E隊の軍人たちは、その二択に乗らない。

 トンカチを狙い、光を浴びせる。あるいは斬り落とす。武器がなければ建物は壊せず、結果一択になる。


 しかし、いかに彼らが工夫して迎撃しても、数の力は絶対的だ。

 徐々に徐々に、追い詰められていく。下がるしかなくなる。


 四番街、三番街の破壊が響き、纏う加護も弱くなっている。

 それでも、彼らは卓越した剣技を駆使し、一体でも多くのネズミを削っていく。


「寄せろ! もっと端まで!」


 後方で壁を張りながら、シルバーが指示を出す。


「削りが足りない! 潰せ潰せ! カバーが遅い! 裏を見ろ!」


 下水道で調査隊に向けたものとはまた別種の指示だった。省略が多く、あまりにも簡潔。素人には何を意図しているかまるでわからないだろう。

 しかし軍人たちは明確な指針を得たように、迷いなく動き出す。ネズミを斬りながら、互いにアイコンタクトを取り合い、流れるような連携を見せる。


「分けろ!」


 大通りを埋め尽くすほどの魔物の群れ。


 加護の盾を作った幾人かの軍人は、正面から突っ込んでいく。

 強引に体をねじ込み、彼らは奥深くまで割って入ると、壁を展開。


 縦一列に真っ二つ。大群を強引に分断する。

 分かれたネズミたちは、西へ、東へ、二手に切り離される。


 西を選んだ半分を狙い、十人の軍人が飛びかかる。

 横から殴りつけるように、裁きの光。

 西へ西へ、さらに寄せられていく。


 進む先々に軍人が、あるいは光の壁が立ち塞がり、ネズミはどんどんと狭い道へ誘導される。


 暗い袋小路に嵌められたが最後、火葬が待っている。


「聖火」


 シルバーの光が、魔物を跡形もなく焼き尽くす。

 狭所に追い込み、炎で制圧する強力な一手。


 もう一方に分かれた群れも東に寄せられ、同様に灰と化す。

 たった二発で、千体以上を焼き払った。


 しかし、殲滅したのはあくまで先頭集団。その奥からは第二、第三の黒い波が次々に押し寄せてくる。


 次第に炎を浴びず、抜け出す群団が現れ始める。

 防衛網に侵入され、対応に人手を割く。ラインが下がっていく。


 数が多すぎた。突破される。

 町を抜け、村にまで魔の手が届くのも時間の問題だ。

 村の加護が弱まれば、いよいよ危ない。


 家々が変色する。メインストリートが歪む。


「焦るなよ」

 シルバーが全体に警告する。

「俺たちは時間を稼げばいいんだ」


 その時、


 遠く。三番街の辺りに、白い雷が落ち、瞬く。

 遅れて、悲鳴のような嘶きが空に響き渡った。


 衝撃で、軍人たちの体が僅かに持ち上がる。空間を丸ごと切り裂くような甲高い轟音に、皆が耳を抑える。


 次いで、雷の三度落ちる。チカチカ、と光る。


 嘶きが連続する。強烈な音の塊は、心臓を停止させるかというほどの衝撃を人々に与え、避難した町人たちも、十分に離れた位置にいる村人たちも、恐怖の絶頂を味わう。


 誰もが、強力な魔物の攻撃か、と顔色を蒼白にする。

 反対に軍人たちは、希望の笑みを浮かべた。彼らはこの雷を待っていた。



        2



 アックスは、三番街を通るメインストリートの、その真ん中に立っていた。


「こちらアックス。各隊、グレゴリオ家の避難状況を説明しろ」


 トランシーバーで呼びかける。ノイズ音が走り、A隊からE隊まで、順に報告が返ってくる。彼は脳内で数を数え、全員の無事を確認すると、目を前に向ける。全身に、厳粛な加護を纏った。


「B隊、C隊は下がれ。後は私に任せなさい」


 命令された二隊は、異議を唱えず撤退する。


 東四番街から出現した十万体は、彼らの働きにより八万に数を減らしていたが、微々たる違いでしかない。たった一人に全てを任せるなど、あり得ないことだった。


 しかし、軍人たちの顔色には何の不安もない。むしろ頼もしさすら感じているようだった。それは、アックスならば八万を相手取れるという信頼の現れであった。


 雪崩のような勢いで向かってくるネズミと、相対する。


 三十代後半であるところの彼は、一見すると若々しい女性のようであった。いやそもそも、人間であるかどうかすら疑わしい。

 全身の肌は恐ろしいほど均等な乳白色であり、輪郭の存在を忘れさせる。

 両の瞳は白濁しており、眼球の白との境目が見えない。

 表情もどこか機械的であり、長い白髪と軍服がなければ、マネキンのように見えたことだろう。


 あるいは、人は彼をこう表現する。整った容貌と、加護に宿る神秘が相まって、まるで天使のようだ、と。


「【聖地を侵犯し、子らの眠りを妨げる、不届き者どもよ】」


 アックスは唱える。

 静謐な声は、しんと凍りつくような怒りを孕んでいる。


 途端、雪が止む。白かった雪雲はさらに純粋な白に塗り替えられ、荒々しい稲妻を内側に溜め込んでいく。


 白濁した瞳が閃く。


「【神の怒りを知れ】」


 雷が落ちる。


 爆散。


 直撃したネズミはもちろん、周囲三十ヤードにいたネズミの四肢は飛び、胴は千切れ、頭は吹き飛ぶ。

 それだけでは終わらない。炸裂した電撃の余波が蛇のように大地を走り、地面に転がる不浄の命を突き刺し、貫き、皮膚を筋肉を骨を心臓を、墨にしていく。


 たった一撃で、先頭の集団を滅殺する威力。


 どんな反撃を受けても、一度たりとも怯まず進撃し続けたネズミは、とうとう足を止める。

 生まれたばかりで、複雑な思考力を持たないはずの赤子すらも、パニックを忘れて呆然と立ち尽くす。

 彼らは今日、絶望を理解した。


 アックスの白濁した目を見る。そこには怒りが宿っている。

 どんなに謝ったとしても、どんなに逃げ惑ったとしても、決して許さず、あらゆる手段を用いて息の根を止めに来る。そんな、老獪な殺意を肌で感じ取る。


 本能に刻まれた恐怖が暴れ出す。


「【神の怒りを知れ】」


 雷の雨が降る。


 白い光は、ネズミの全身を焼いた。

 安らかな死など許さない。世界に存在する全ての痛みを凝縮したような連撃を受け、ネズミどもは苦しみながら死んでいく。


 雷は東西の三番街を制圧し、三十秒が経過する頃には、八万の魔物は死に絶えている。


 白い電気が明滅する町並み。アックスはその光景に背を向けると、村の方へ悠然と歩き出した。


 白雲は、彼に付き従い、イーグル地区の空を北上。二番街へと向かってゆっくりと移動していく。


 A隊、E隊の一部が対応していた残りのネズミに、雷が落ちる。

 町民が避難した教会に群がっていたネズミに、雷が落ちる。

 町を破壊して回っていたネズミに、雷が落ちる。

 逃げ遅れた町民を追い回していたネズミに、雷が落ちる。


 隠れている者も、企んでいる者も決して見逃さず、必中必殺の一撃を確実に食らわせる。


 そして一番街。シルバーたちが対応していた約五万のネズミにも、雷の雨が降る。


 つんざく嘶きに、誰もが目を閉じ耳を塞ぐ。

 もう一度目を開いた時には、全てが終わっている。


「任務完了」


 アックスの一言に、軍人たちは息をついた。

 大侵攻はネズミの総攻撃であると同時に、最後の手段だったはずだ。二十万体、全滅した。これで本当に終わりだ。


 アックスは加護を解き、同時に白雲も晴れる。天使然とした雰囲気が、やや薄まった。


 町人たちは混乱していた。轟音に怯えていただけだった彼ら状況を理解できず、周囲を窺っている。安堵とも恐怖ともつかない微妙な表情で固まっていた。


「全隊、まだ気を抜くなよ!」


 シルバーは一番街の軍人とトランシーバーに向けて、気を引き締めるよう喚起する。


「ネズミは全滅したが、まだフクロウが残っている! B、C隊は三番街から二番街の、A、E隊は一番街の避難誘導だ! はぐれた者、孤立した者の確認も怠るな!」


 了解、と応じ、一同は迅速に動き出す。

 それを見届けると、今度は個別チャンネルに切り替えた。


「メイジー、近くにパフェはいるか?」

『隣に。代わりますか?』

「ああ、地面の『これ』が何なのか、意見を聞きたい」


 シルバーは足元を見る。

 そこには、町が破壊され、大地の加護が薄まるにつれて浮かび上がってきた、黒い紋様があった。


 黒く太い線は途切れず、三百六十度、視界に収まる範囲の外側まで、どこまでも伸びている。とても大きい。おそらく、イーグル地区全域をすっぽりと覆うような、巨大な地上絵のようなものが描かれている。


 記号か、文章か。少なくとも、通常のマナによる変色とは明らかに異なる。線や文字の配置には、魔法的な意図が感じられた。



『まだだ!』



 シルバーの頭に、切迫した念が届いた。


「どうした、プラム?」


 トランシーバーに尋ねる。チャンネルはそのまま。プラムがメイジーたちのそばにいるのは知っていた。


『ネズミを殺すんだ! 早く!』


 テレパシーで返って来る言葉に、シルバーは眉を顰める。


「何を言ってる。ネズミはもう死んでいるぞ」

『いいから殺してくれ! 頼む!』

「?」


 改めて、彼は一番街を見渡す。


 雷が落ちたことによる光の痕跡が、大地を隙間なく埋め尽くしている。そこに横たわる無数のネズミは原型がなく、どう見ても絶命している。

 警告の意味がわからない。


 すると突如、

 黒い紋様が光を放った。


「!?」


 シルバー、アックス、軍人たちは警戒し、構える。


 彼らだけではない。三番街にいるB、C隊や町人、教会に避難していた者たち、村人やグレゴリオの面々も、同じように黒く輝く足元を窺い、身を硬くした。

 地区全域が、同じ不可思議を共有していた。


 やがて、闇色の光は炎のように揺らめき、ネズミの死体にまとわりついていく。

 シルバーはそこで、あり得ない現象を目撃した。


 ネズミは、間違いなく死んでいた。

 一体残らず、完膚なきまでに、命を焼き尽くされていた。五体が弾け、バラバラになった個体が九割を占めていた。


 しかし、運良く原型を保った一割がいた。

 その一割は、大地から黒いマナを吸い上げ、そして、


 ドクンと、

 失った心臓が跳ねるかのように、奴らは上体を起こす。


 目は虚ろ。肉は爆ぜ、ほとんど骨だけ。脳は当然、働いていない。

 奴らはそれでも動き出す。引きずるような足取りで、狂気を孕んだ表情で、人間を滅ぼすために、動き出す。


 神の雷に打たれたネズミは、しかし乗り越え、蘇った。

 それは「屍」の魔法。死してなお、動き、敵を葬るための、執念の魔法。


「はぁ!?」「しぶっとい!」


 軍人たちは思わず声を上げた。

 意識を切り替え、臨戦態勢に入ろうとする。だが、あまりの驚愕に集中力を欠き、万全とは言い難い。


 アックスの雷は、凄まじい威力なだけあって厳しい条件があった。しばらくは扱うことができない。


「キィィィァァァ――――ァァッ!!」


 二万の死体が奇声を上げた。

 再び、襲いかかる。

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