第16話 第四章「初代」


 プラムは、神様に愛されていない。




 三日経って、病院から外出を許可されるようになった。

 夜だ。空は澄みわたり、満天の星が輝いている。


『ディアタウン』の一番街を歩く。

 近くにはオレンジがいてプラムを護衛しているらしいのだが、どこにいるかまるでわからない。梟の森で会って以降、すっかり警戒されてしまっている。


 先日、病室に訪れたリンジェルは、オレンジを貸します、と言った。君は敵に危険視されているようです、という説明だった。パフェにもお願いされましたしね、と付け加え、彼女は出て行った。


 ちなみに、下水道の攻略は多少滞ったものの、順調に進んでいるらしい。最初から、プラムは必要なかったのだ。



 町には光が溢れている。

 建物も、道も、ちょっとした小道具も、もちろん人も、清らかな光に覆われて美しい。

 見える景色が、みんなみんな光っているのだ。


 プラムはどうだろう。身体からは垢が出て、汗が流れて、服にも汚れがついて、ちっとも浄化されない。薄汚く、見えてはいないだろうか。


 装飾が施され、景観は日を追うごとに華やかになっている。町も模様替えだ。家々には、プラムも以前作った卵の飾りや、麦を模した編み物が飾りつけられている。ガラスの魔除けもあった。この景色を見ていると、極夜祭の時期が来たんだ、と実感する。


 もう午後七時を回っているのに、人々はあちこちで作業していた。今年は色んな事件が重なったから忙しいのだ。賑々しい。


 人と人との間を、様々な道具が行き交う。


 大人の一人が、もう一人の大人にはさみを手渡した。すると、渡された方の加護が少し大きくなった。はさみを返すと、返された方も大きくなる。

 人の加護がはさみに渡って、そのはさみを通じて、また別の人に加護が渡る。そういう風に、加護は巡っていく。あのはさみは、これから何十人もの人の手に渡っていくだろう。その度に、人々はお互いの光を分け合い、守り合う。


 プラムには、それができない。プラムの手にはさみが渡ってきたとしても、何の意味もない。


 彼の横を、小さな子供たちが通りすぎていった。籠を運んでいて、その中には飲み物の瓶がたくさん入っている。

 子供たちが一歩、道路を蹴るたびに、足跡に光が灯った。白い息を吐くたびに、空気が光った。加護を持つ者が走るだけで、大地は強く頑丈になる。呼吸をするだけで、空は美しく澄んでいく。


 彼らは働く大人たちに、飲み物を配って回っていた。加護は優しさに宿る。あの瓶の一本一本が、はさみと同じだ。また巡って、多くの人を助ける。


 小学生の方が、プラムよりもよほど地区に貢献している。


 加護だ。

 社会は加護で回っている。

 だから、プラムにはできないことが多いんだ。




 境界線を越え、『はじまりの村』に入った。足元に雑草が生い茂る。

 少し先に小高い丘があった。そこから、村が一望できる。


 家は点々としていて、視界には、収まり切らない程の小麦畑が、どこまでもどこまでも広がっていた。

 村は小麦の名産地としても有名だ。多くの場合、小麦と聞けば黄土色を思い浮かべるだろうが、この村で育つものは白い。加護の色だ。


 寒冷で、日照時間の短い『はじまりの村』で作物が育つのは、やはり加護のおかげだった。毎日丁寧に光を与えられた畑は、際立って輝いている。加護の光で育った麦には、太陽光で育ったものとはまた違う味わいがあり、美味しい。


 その場に座り込む。物思いに耽る。


 プラムは小さい頃、迷子、という感覚がよくわからなかった。生命を感知できる彼にとっては、誰がどこにいるかなんていつでもわかることで、少し離れたくらいで大騒ぎする村人たちは心配しすぎじゃないかと思っていた。

 感知がプラムに特有のものらしいと自覚したのは十歳をすぎてからで、それからは、頑張って大人しくするよう努めた。


 プラムは睡眠時間がとても短い。一時間も寝れば元気に活動できた。何となく毎日寝ているだけで、本当は三日間くらい起きていても平気なんじゃないかとすら感じている。

 村人たちはそんなプラムに、体に悪いから寝なさい、と何度も言い聞かせた。心配をかけるのもよくないと思ったから、皆と同じ時間に布団に入って目を閉じた。眠れないから、ずっと寝たふりをしていた。プラムはその時間が嫌いだった。とても退屈だから。


 パフェと喧嘩したあの日、彼女は、プラムが変わってしまったと思っていたようだった。

 多分、違う。


 プラムの中には、ずっとあったんだ。

 押さえつけてきただけで、ずっと。発揮される時がなかっただけで、ずっと。

 あったんだ。この、バラバラになるみたいな、衝動が。


 けれどこの衝動も、迷子や睡眠と同じだ。きっと、誰も理解してくれない。

 皆悪気があるわけじゃない。プラムを想っているということはよく伝わってくる。


 ――でも、それでも、

 同級生たちの白い目が、頭を過った。


 ――どうして、わかってくれないんだ。

 膝を抱えて蹲る。


 加護は神様からの愛である、という説がある。

 大昔に書かれた小説に、そのような一説があったのだ。神様は一人の女を愛し、女と同じ人間のことも深く愛していた。だから魔物に襲われる人間に同情し、加護を与えたのだ、と。


 加護の文化圏で育つ子供たちは、童話という形でその物語を伝え聞く。

 信憑性は低い。しかしロマンがあり、多くの人々に受け入れられてきた。


 その説を信じるのなら、

 加護を持たないプラムは、神様に愛されていない。


 神様だけではないかもしれない。村人も、町人も。プラムのことなんて、本当は誰も――。



 時々、すごく時々、

 悲しいことがあったり、落ち込んだ時に思い出す。


 疎外感。


 プラムは宇宙人か何かで、地球人のみんなとは違うのではないか。わかり合いたくともわかり合えない、一緒にいてはいけない存在なのではないか。そういう感覚に、陥る。

 今がそうだ。


 同じように光って、同じように風に揺られる小麦たちが、とても仲良しに見えた。



       ♦



 パフェは二番街の坂を下っていた。

 病院に行くとプラムがいなかったので、探しているのだ。彼のいるところにはいくつか心当たりがあった。長年探し回り続けた甲斐あって、お気に入りの場所は大体把握している。


 どうしても謝りたかった。

 そうしなければ、もう会えなくなってしまうような気がした。


 おかしなことだ。プラムは突然いなくなることはあっても、消えてなくなってしまうわけではないのに。


 足が逸っている。加護の光が不安定に明滅している。


 この三日の間に、何度か頭を過ったことがある。

 自分は、プラムの邪魔になっているのではないか。


 だから病室にいなかったのではないか。だからこんなに見つからないのではないか。人の居場所がわかる義弟にとって、隠れるなんて簡単だ。逃げられてるんじゃないか。


 脈絡もなく不安になっている。走っているわけでもないのに息切れしている。

 だから、


 一番街を抜けた先でプラムの背中を見つけた時、パフェは本当に嬉しかった。


 近寄って、声をかけようとする。

 その接近を感知したのか、ピクリと彼は反応し紫の頭を上げる。ゆっくりと振り返り、先に口を開いた。


「やぁ、パフェ」


 強烈な違和感が襲いかかってきた。

 パフェは返事もできず、立ち上がった少年を呆然と見つめる。


 今聞いた声はとても爽やかで、色気を含んだものだった。

 腰に手を当て、薄く微笑む姿はあまりにも大人びている。眼差しなんて口説いているかのようだ。


 目の前にいるのは、正真正銘プラムだ。けれど、口調も、姿勢も、表情も、彼のものとはまるで違った。


「誰……?」

 パフェは恐怖する。

「誰!? プラムに何をしたの!?」

 もうやめてよ、と泣き喚きたくなる。


「ごめんな。驚かせるつもりはなかったんだ」


 怪しげな男は一方で、落ち着いた様子を見せていた。彼はパフェを安心させるように笑うと、自身の胸に手を添える。


「プラムを乗っ取ろうなんてつもりはない。これはアイツの体だ。用件が済んだらすぐに返す」

「用件?」

「ああ、君と話がしたくてな」


 やはりプラムのものと違う真摯な表情を作ると、男は自らの名を名乗る。


「俺はアルベール・オーリオーだ、って言えば、わかるか?」


 パフェは目を見開く。それは知っている名前だった。

 グレゴリオ家を出る少し前、前領主のグレイは、プラムの身元についてある仮説を提示した。その話の最初に登場した名前が、アルベール・オーリオー。


 しかし、それでもパフェは、何が起きているのかまるで理解できていなかった。

 どう対応すればいいのか、どういう態度を取ればいいのか決めかねて、混乱する。何も定まらないまま、おずおずと口を開く。


「二重人格って、ことですか……? あの子は、そんなに追い詰められていたんですか?」

「二重人格か。当たらずとも遠からずだな。ただ、別に追い詰められたわけじゃない。元々こうなんだ」


 アルベールは息を整え、語る。


「プラムは――」


 彼は、プラム・ブルーの出自にまつわる事実を打ち明けた。それは、グレイの仮説を概ね肯定するものであると同時に、決定的な一部を大きく覆すものであった。


「嘘……」


 全てを知ったパフェは、とても、とても大きなショックを受けた。

 崩れ落ちそうになる。プラムがこのことを知ったらどうなってしまうだろうかと想像し、胸が裂ける。息が荒くなる。


 受け止めるまでにしばらくの時間を要した。心を落ち着けて、頭を整理して、ゆっくりと、順番に飲み込む。アルベールは何も言わずに待っている。

 ようやく会話ができるところまで回復した。


「話というのは、そのことですか?」

「いや、これからだ」


 彼は否と言い、続ける。


「まず、流星群を落としてたのは俺だ。このことはプラムも知らない。俺が勝手にやってたからな」

 人差し指を立て、星空を示すようにする。


「そんで、近々八発目を落とさなくちゃいけなくなる」


 その指を、真下に向けた。

「ここだ」


 血の気が引いた。

 過去七度の流星群は、全て人間の町や村が侵略される直前に観測されている。彼の言葉が意味するところはつまり、


「負けるって、ことですか?」

「ああ、負ける」

「どうしてそんなことが」

「勘だ」


 アルベールは清々しい程に言い切った。自分の頭を指で叩く。


「俺の勘は当たるんだ。わかるだろ?」


 プラムが度々発揮してきた、不可思議な直感力。それが自分にもあると、彼は言っているのだ。


「地区全体に嫌な感じが漂ってる。俺の時代にはなかった匂いだ」


 村を見下ろす彼の目は眇められ、事態の深刻さを物語っているようだった。

 パフェは胸に手を当てて、深く呼吸をする。重い事実を噛みくだいていく。


「なぜ、それを私に?」


 この時アルベールは、初めて言いにくそうにした。


「お願いがあってな」

「お願い?」


 彼は小さく頷く。僅かに間を置き、意を決した。


「プラムを、好きにさせてやってくれないか?」


 パフェは少し、呆然として、

 やがてポロポロと、涙がこぼれ出した。


 一つ一つ、大切なものが失われていくようだった。

 感情が追いつかない。気が抜けたように表情は固まって、涙を流し続ける機械になる。


 アルベールは痛ましそうに目を伏せた。プラムと同じだ。気持ちがわかってしまう。息をついて、彼は続ける。


「俺が流星群を落とせば勝つのは簡単だ。四番街は諦めてもらうしかないが、それ以外は村も、町も、人も、守れる。けど、それじゃダメなんだよ」


 胸に手を添え、自分自身を示すようにする。


「この体はプラムのもので、今はプラムの代だ。使命を果たすのはプラムでなくちゃいけない。俺が出しゃばりすぎるのはよくないんだ」


 紫の瞳には、強い責任と覚悟が宿っていた。厳かな表情には歴戦の風格がある。前任者の顔だ。

 彼は相好を崩し、天を見上げるようにした。


「やっと起きそうなんだ」


 微笑みには、希望が滲んでいた。誰にも計り知れないような万感の想いが、声にはこもっている。


「のんびりしてる奴だからな。ずっと眠ったままなんじゃないかってひやひやしたよ」


 苦笑いを浮かべる。

 後任のことを楽し気に語るその顔は、兄のようでもあった。


 アルベールはパフェを見つめる。


「君のおかげだ」

「え」


 突然話を向けられたパフェは、声を落とす。


「プラムは幸せだよ。今はちょっと落ち込んでるけどな。同じ脳みそなんだ。間違いない」


 彼は片目を瞑り、あえて茶化すようにする。

 しかしすぐ頭を振り、真剣な表情を作ると、心からの誠意を込めて言い直した。


「ありがとう」



       ♦



 その夜、プラムは夢を見た。


 いつか見た夢とよく似ていた。そこはどこまでも白い空間で、何もない。目の前には、プラムとまったく同じ姿形をした少年が立っている。プラムは成長して十四歳になったので、その少年も十四歳の背丈だ。


 いるのは、彼だけではなかった。その後ろに、たくさん、二百人はいるだろう人々が、プラムのことを見守っている。男も女もいるが、若者ばかりで年長者が少ない。プラムより小さな子供も、少なからずいた。


 彼らは声を揃えて、一斉に言うのだ。

 起きろ、と。

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