第15話 第四章「姉弟喧嘩」
「プラムを調査隊から外すべきだ」
少年を運んで一人地上に戻ったシルバーは、リンジェルにそう進言した。
「アイツの隣にはずっと俺がついてた。離れた時間は十分もない。それでも倒れた。攻撃を直接食らったわけでもなく、毒の余波でやられたんだ。さすがに脆すぎる。これ以上は危険だ」
「それは、私の指示を加味した上での判断ですか?」
リンジェルは尋ねる。彼女はシルバーに、慎重さを控えろと指示していた。
「そうだ」
肯定する。念の為、ではなく、ここがデッドラインだと彼は考えていた。
「確かにアイツには、お前が見出すだけの素質がある。だが、敵地で戦わせるにはまだ早い」
「今回の攻略作戦はテレパシーを前提にしています。プラムがいなければ破綻しますよ?」
「調査隊の指揮は俺に一任したんだろう。なら任せてくれ。なんとかするさ」
薄紅の長髪をメイジーに梳かされながら、リンジェルは配下の言葉に耳を傾ける。
「プラムが死んで一番困るのはお前だろう?」
「そうですね」
彼女はクッキーを一枚取り、食べた。
「残念です」
話を終えると、シルバーは急ぎ下水道まで戻っていく。
プラムが倒れた原因は、帽子ネズミが放った毒煙だった。僅かながら吸い込んでおり、その効果が後になって表れたのだ。他の十九人には何の異常もなかったことから、生来の加護の有無が影響していることは明らかだった。
パフェは病室で目覚めたプラムに、リンジェルの決定を伝えた。
次からは下水道に行かなくていい、と言う時、彼女の表情は微かに綻んでいた。倒れたと聞いて心配したし、悲しんだが、それ以上に、もう危険な目に遭わなくていい、という安心感が大きかった。
「嫌だ」
プラムは静かに、言った。
「え……?」
それは強い口調ではなかった。だが、確固たる拒絶だと、わかった。
目が。紫色の目が、突入の前とは別人のように焦げて、黒い。
「嫌だって……どうして?」
パフェは動揺していた。
役目を果たせず帰って来たプラムは、複雑な心境を抱えているだろう。だがまさか、拒絶されるとは思っていなかった。
「どうしてって、そんなの、僕の力が必要だからだ」
ベッドから上体を起こしたプラムは、当然じゃないかと言わんばかりの顔をしている。やはりその態度は静かで、大きな変化はない。それでも、彼の中にある欲の塊のようなものが、全身から滲み出ているように見えた。
「大丈夫よ。皆なら何とかしてくれる」
リリビィが隣で宥める。
倒れたと聞き、彼女も見舞いに来ていた。
「そんなわけないだろ」
プラムは反発する。
「僕意外に伝達役ができるわけないじゃないか」
「プラム、落ち着きなさい」
「落ち着いてるよ。だからできないって言ってるんだ」
表情こそ平静を保っているものの、声色には焦りがあるようだった。彼は目を伏せ、悔しそうに口を引き結ぶ。
「やっと、皆の力になれてるんだ」
パフェは同情せずにはいられなかった。
加護のないプラムの人生は、様々な場面で不自由が付きまとい、その度に人の手を借りてきた。本人はずっとのんびりとした様子で気にしていないように見えたが、本当はずっと、責任を感じていたのだ。
しかし、だからと言って許すわけにはいかない。
「ダメだよ。先生にも言われたでしょう」
「ええ、これ以上は許可できません」
初老の医者がパフェの言葉を引き継いだ。彼は膝をついてプラムと目線を合わせる。
「プラム、あなたの身体の一番の問題は、脆いことじゃない。治療できないことです」
幼少の頃から何度も伝えてきた言葉を、医者はもう一度繰り返す。それは無能であるがゆえの最大の欠陥であった。
カーネリアン王国の医療のほとんどは、加護の防御力と回復力があることを前提としている。
プラムが風邪をひくと、多くの医者は苦労する。風邪薬なんてものは存在しないからだ。なぜなら加護を持つ者は、大半のウイルスをものともしない。ある薬と言えば、風邪には適さない過剰なものばかり。
怪我でも病気でも同じだ。町で一番の医療機関であっても明確な対処法を示せず、手をこまねくことが多かった。
今のプラムがまさに手の施しようがない状態で、治癒の加護で症状を和らげているだけだった。体内の毒物を完全に浄化できたわけではなく、顔色もまだ青いのだ。
「次に何らかの魔法を食らえば、弱った身体では耐えきれるかどうか。それが対症療法すら叶わないものであったなら、その時はいよいよ危険です」
パフェはプラムの手を握り、懇願するようにする。
「お願い。今度はもう、死んじゃうよ」
やはり、加護を持たないがゆえに。
「死んでもいいよ」
と、プラムは言った。
何を言われたのか、パフェは一瞬、わからなかった。
「ぁ……ぇ?」
「殺しに行くんだから、命を懸けるのなんて当り前じゃないか」
強がりではないようだった。現実が見えていないわけでもないようだった。
プラムは死の危険を受け入れていた。祖国のためにと命を投げ出す特攻兵。パフェは義弟に、そういう破滅的な覚悟を幻視した。
目が黒い。紫の色彩をしているはずなのに、どうしようもなく黒く見える。
さっきパフェは、責任感から思い詰めているのだ、と同情した。
そんな生半可なものではない。何か本能のような、生き物の根幹にあるものが、プラムの中で燻っている。
「そ」
震える。
「なんで……そんな……」
「だって、神様は勇敢な人の方が好きでしょ?」
パフェは沈黙した。
「……かみさま?」
「パフェだっていつも言ってるじゃないか。神様に報いるように生きるんだって」
彼女の頭の中は、この時、色々な、色々なものがよぎって、ぐちゃぐちゃになった。なぜそんなことを言い聞かせたのかと、心の底から後悔した。
ぐちゃぐちゃになった彼女は、どう訂正すればいいかわからず、さらに、プラムが家出した時のことを突如思い出し、無理やり気丈に振る舞った。
その末に、いつもよりも綺麗な顔で微笑んだ。
「プラム、ごめんね。それもう気にしないで。嘘だから」
今度はプラムが驚く番だった。義姉の中にある感情が、かつてないほどに歪んでいる。
「え?」
「教会で習ったことも、学校で教わったことも、全部忘れて。経典なんて燃やしちゃえ。神様なんていい加減な存在、もう、信じなくていいからね」
あまりにも衝撃的なことを言うものだから、プラムは唖然とした。
パフェが神様をどう思っていたか、一緒に暮らしている彼は当然知っていたが、それをハッキリと外で口にするなんてどうかしていた。
絶対にやってはいけないことだ。
だって、リリビィが正気を疑っている。
医者の心に、怒りが沸々と湧き上がっている。
「聞き捨てなりませんよパフェ。あなた今なんてことを」
医者は眉を立て、食ってかかる。
「待って先生」
リリビィが間に割って入る。パフェの肩を掴み、宥めようとする。
「パフェ、今のはよくないわ。撤回しなさい」
普段ふざけた調子の彼女も、この時ばかりは焦燥を浮かべていた。
パフェは必死な制止に一瞥もくれず、プラムにだけ向き合っている。
「神様なんかのために戦おうとしてるの? なら、もうやめて。私のために、行かないで」
表情と内面が滅茶滅茶だ。完全におかしくなっていた。
おかしくしたのはプラムだった。
「まだふざけたことを言うのか……!」
医者が激怒する。
「ええ、言いますよ」
パフェが言い返す。
言い返した、パフェが。人を傷つける言葉に誰よりも敏感な彼女が。
「先生はどうして神なんて信じられるんですか?」
「何?」
「あんなに頑張っていたグレイ様は、無惨に殺されました。大切に守ってきたイーグル地区は、魔物に襲われています。神様が本当に人を見てくれてるのなら、こんな酷いことにはならないって思いませんか!?」
「趨勢は決していない! 魔物は討ち倒される! 何を悲観的になっているのですか!」
「皆疲れています! 喧嘩は毎日のようにあって、加護も乱れています! それなのに、何も起きてないって言い張るんですか!?」
「……! 信仰が足らない未熟者だからだ!」
「足らない!? これだけの聖地を築き上げてもまだ足らないって言うんですか!? 神様がこれ以上を求めてるのなら、それこそ、冗談じゃない!!」
医者の頬が痙攣している。時代に逆らってまで信仰を守り続けた一員としての誇りが、爆発する。
「出て行きない背信者!! あなたはこの地にふさわしくない!!」
「パフェ!!」
プラムは大声を上げ、それ以上の彼女の言葉を遮った。
「もういいよ……やめて。わかったから……」
「本当に?」
彼女は振り返って、じっと義弟の目を見つめた。
「本当に行かない? そばにいてくれる?」
プラムはもう、完全に冷静になっていた。冷静になると、テレパシーを思い出す。
辛い感情が濁流のように流れてくる。
最初にネズミが見つかった日から今日に至るまでの一ヵ月余り、彼女が抱えてきたストレスが、何度も何度も心を踏みつけにする。
主人が死んだことの悲しみも、義弟が奪われそうになっていることへの恐怖も、王女への怒りも、プラムは全てわかってしまう。下水道に行っている間、彼女がどんな思いでいたのかも含めて、全て。
文字通り共感する。とても耐えられなくて、泣きそうになる。
こんな切なる想いを知っていながら、否と言える者は人の心がないとすら思った。
だから、うんって、言おうとしたんだ。
言おうとしたのに、蘇ってしまう。
ネズミの執念。
熱が引かない。
火のような血液が身体中を巡って、脳みそが焼ける。焦げる。
あの瞬間プラムを貫いたのは、強烈な憧れだった。もう一生かかっても味わえないんじゃないかというほどの、莫大な羨望に飲み込まれた。あんな世界を知ってしまったら、忘れることなんてできない。
――自分は一生このままなのか。
――ようやく必要とされたのに、今応えられなければいったい何だって言うんだ。
プラムは、ただ無理をしてみたかった。一日の終わりに、今日もつまんなかったなって思いながら眠りにつくのは、もう嫌だった。
「パフェ」
恐る恐る、言う。
「僕は、戦いたいんだ」
この時パフェは、少なからず失望した。
プラムはとても素直だ。心からの願いはきちんと受け入れてくれる。今回もそうなると、どこかで期待していた。
離れていってしまう、と思った。どうすればいいかわからなかった。
だから、
バチンと、音が鳴った。
プラムは頬に痛みを感じる。殴られた。パフェに。
「あ……」
殴った彼女の方が驚愕して、手をわなわなと震わせていた。
リリビィがその肩に手を乗せる。
「家族に暴力を振るったわね、パフェ」
彼女は声を低くし、怒りを滲ませている。
「出なさい」
顎で病室の扉を示す。
パフェは立ち上がり、気を失ったような足取りで背を向けた。
プラムはその姿に、内臓まで抉るほどの深い傷を見た。なんてことを言ってしまったんだと、酷い後悔に苛まれた。
「ごめんなさい」
プラムの謝罪に、彼女は一瞬足を止める。何も言わずに出て行く。
「先生、さっきのパフェの発言は、どうか内密にしていただけませんか」
リリビィはプラムの病室から離れた廊下で、医者を説得していた。
「それはできません。あんな裏切り、許してはいけない。貴女こそなぜかばうのです」
医者の言葉に感情的な響きはなかった。むしろ冷静に、グレゴリオとしての立場を問うてくる。
「お願いします。今回だけは見逃してください」
彼女は目を伏せる。
「あの子が神を恨みたくなる理由に、心当たりがないわけではないでしょう?」
パフェは一人、蹲っていた。
実の家族を全員亡くした彼女にとって、プラムは何よりも大切な存在だった。そのプラムに手を上げた事実が苦しくて、息ができない。
膝を抱え、ボロボロと涙をこぼしていた。
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