第13話 第四章「キャンディ・プラネットの威力」
ネズミたちの全身からマナが吹き荒れる。
暴風のように暴れ、下水道をさらに侵食せんと迫る。
「【天界】!」
調査隊が一斉に、同じ詠唱を紡いだ。
彼らの足場を中心に光が展開され、下水道を浄化していく。
波のように蠢く闇と光が、エリアの中心で激突する。
領域の奪い合い。
この最初の奪い合いは、絶対に負けてはならない。マナの侵略を防ぎ、自分たちに有利なエリアを確保する。そうでなければ、圧倒的な不利を強いられるだろう。
二つの力は拮抗し、定着する。
調査隊は自陣側の半分を光で塗り潰し、陣地を奪い取ることに成功した。魔物の城に、地上と見劣りしない神聖な空間が生み出された。光が漲る。
「ぎぃぃぃぃぁぁぁぁああああああああ!!」
巨大ネズミが、齧歯類とは思えない凶暴な声を発し、前進した。
ただの前進。重い足を持ち上げ、前へ。加護の領域に侵入する。
一歩踏み出すごとに下水道を揺さぶり、自重を感じさせるのっそりとした動きで、筋肉の塊が迫り来る。
「止めろ!」
最前線の三人が壁を張り、大きな腹に押しつける。しかしネズミは意に介さず、体重差を武器に進み続ける。
中衛の戦士が飛びかかった。
「聖剣」
三本の銀閃が走る。鎧を避け、肩と脇腹の肉を断つ。
ネズミに堪えた様子はない。傷は浅く、出血も少ないようだった。分厚い肉に阻まれた。大木のような腕を振り回し、戦士たちをどけると、さらに前へ。
「聖剣」
中衛の二陣目。今度は四本の光の剣。
前進する。止まらない。
「聖剣」
三陣目。止まらない。
進み続ける巨大ネズミによって、調査隊は後ろへ押し込められていく。そのまま壁際まで追い詰められ、二十人を丸ごとプレス。圧死させられるまでのビジョンが見えた。
しかしその前に、戦士長が立ち塞がる。
後衛まで下がっていた彼は、前衛が足止めしている間に加護を溜め、身に纏う。
体勢を低くした彼は地を蹴り、爆進。助走をつけたタックルを食らわせる。
その一撃は鎧を凹ませ、腹を貫き、内臓にまで突き刺さる。
呻き声を上げた巨大ネズミは腹を押さえ、二、三歩下がる。倒れそうになるところをどうにか踏ん張り、領域の境界線で立ち止まる。
「畳みかける! 行くぞ!」
指示に合わせ、退いていた中衛が一斉に加速する。前衛も壁を解き、すぐさま剣に持ち変えて飛びかかる。
十四の剣が魔物の心臓を狙う。
『回避!』
警告。
同時に、十四の横顔を赤い光が照らす。
壁から火炎玉の群れが飛んできた。
攻撃体勢だった戦士たちは、ストップ。躱し、受け流し、加護を固めて防御し、各々対処する。
パチッ、と指を鳴らす音がした。
その瞬間、火炎玉が爆発。轟音と熱波が加護の領域を埋め尽くし、戦士たちは吹き飛ばされる。
無事に着地したのが四人、何とか受け身を取ったのが五人、危ないところをシルバーに助けられたのが五人。
「ナイス壁」
称賛の声が上がる。
後ろから戦場を俯瞰していたシルバーは爆発に合わせて十枚の壁を張り、被害を最小限に留めた。
「傷負った奴は下がれ! 後衛、治癒しろ!」
戦士長の指示も束の間、巨大ネズミが前衛の眼前まで迫っている。
太い両腕が何度も振り下ろされる。地面が陥没、あるいは破砕。狙われた前衛はすんでのところで連撃を掻い潜り続ける。
ツルッと、突然、戦士の一人が足を滑らせた。
「え」
バランスを崩し体が傾いたところに、体重の乗った拳が襲いかかる。
直前で戦士長が割って入り、両腕でその一撃をガード。衝撃に骨を軋ませながらもカウンターの斬撃を見舞い、巨大ネズミを退けた。
「大丈夫か?」
「はいっ」
無事を確かめている暇もない。
『回避!』
左右の壁が赤く光る。再び火炎玉が吐き出された。
かと思いきや、そのうちの半分が両断され、爆発する前に消滅する。炎を斬り伏せたのは、跳躍した修道士の華麗な剣技だった。
「二度は食わない」
残りの半分をシルバーが抑え込み、爆発のダメージはゼロになる。
「交代する!」
回復を済ませた中衛が前に出た。巨大ネズミの攻撃をいなす役を彼らが引き継ぐ。その間に前衛は下がり、治癒を受ける。
声を出す余裕を取り戻した調査隊は、情報共有を始めた。
「あの火炎玉は何だ? トラップか?」
「いや、壁に穴が空いてる。突き破って来たんだ」
「他の部屋から撃たれたってこと?」
「違う。デカい奴の隙間からチラッと見えた。帽子のネズミの魔法だ」
「ってことは、『潜って』、『曲がって』、『爆発する』炎か。いい杖持ってるね」
前を張っている中衛の戦士たちは、巨大ネズミの拳を受け流し続ける。着地の瞬間、僅かに足を滑らせたが、問題なく躱す。
「なんか滑らないか?」
「滑る」
「それに暗くない?」
「暗い」
繰り出された三度目の火炎玉。戦士は下がりながら目を眇める。光っているはずの炎が見えづらい。魔法による暗転だ。
修道士も視界を遮られ、七つしか炎を斬り落とせない。
「【光よ】」
後衛の一人が詠唱する。光の小球が発光し、下水道を昼にした。
パチッと、音がする。
残りの二十一が連鎖爆発。調査隊は再び吹き飛ばされ、受け身を取って転がった。
「交代する」
治癒を終えた前衛が戻り、本来の位置に戻る。
中衛は転がったついでに下がる。
巨大ネズミは鬱陶しそうに唸った。傷を負わせたはずの相手が戻ってきたことに憤り、もう一度潰してやると暴れ回る。
「やかましい!」
戦士長の痛烈な拳が突き刺さり、大きな顔面が凹む。巨大ネズミは背中から倒れ、地響きがする。
「他に確認できる状態異常は!?」
巨体を沈めた彼は確認を取った。
「体が痺れる。動きづらい」
「麻痺、氷床、暗転の三つか。原因は?」
「後ろの百体がずっと杖を振ってる。多分それだ」
巨大ネズミの留守を埋めるように、炎が一層飛び交う。
光の壁で防ぎながら、前衛は話し合う。
「杖百本使って環境ごと変えてるってわけか」
「それにしては弱いだろ」
「安物の杖なんでしょ」
魔物の戦術が大まかに明かされる。
前を張る巨大ネズミはあくまで盾であり、メインは奥に控える炎の杖と環境攻撃。
火力戦で削り潰すのが狙いだろう。
「歌!」
修道士の聖歌が響き渡る。
百体のネズミは耳を塞ぎ、杖を取り落とし、その環境攻撃が和らいだ。状態異常が剥がれ、起き上がった巨大ネズミの攻撃が躱しやすくなる。
「全員、耐性をつけろ!」
戦士長の言葉に従い、調査隊は加護による防御を調整する。寒冷地に住む彼らは、日頃から寒さに耐性をつけた加護を纏っている。それを、麻痺、氷床、暗転に対しても行うだけだ。ほとんど万全の状態になり、動きが軽快になる。
戦士長は声を張り上げた。
「後ろを狙うぞ!」
敵の戦術に正面から応じる必要はない。崩すための手を打つ。
「前のデカブツは無視だ! 前衛が隙を作る間に、中衛は中に斬り込め!」
『待った!』
そこに、プラムから強い制止がかかった。テレパシーを通して、彼の焦りまでもが脳内に伝わってくる。
『行っちゃダメだ! 帽子のネズミは誘ってる!』
プラムには、敵陣の中央に立つネズミの黒い企みが見えていた。中に入ってくれば必ず勝てると言わんばかりの自信すら感じられた。
『切り札がある!』
「罠か……」
戦士長は舌打ちすると、切り替えた。
「作戦を変更する!」
逸った選択を引きずらず、冷静になるよう努める。
「中衛の四人は前に来い! まずはこのデカブツから潰すぞ!」
力強い応答。
調査隊は陣形を組み直し、攻撃型の構えを取った。前線に並んだ八人が加護を高め、巨大ネズミに駆け出そうとした。その時、
「あ……え!?」
プラムの直感が、強烈な警鐘を鳴らす。
遅れてそれを感知した。
「回避っっ!!」
テレパシーも忘れて叫ぶ。時間差で、危険の位置だけはどうにか伝える。
全員の視線が、一斉に二時方向へ。
暗闇から、一本の針が伸びてきた。戦士の一人の脇腹に向けられ、貫かんとしている。
間一髪のところで、シルバーの壁が間に合った。針は防がれ、敵の姿が露わになる。それは、ローブを纏ったネズミだった。
プラムは感情を読み、その個体をステージ4と断定する。
三体目が隠れていた。気づかなかった。オレンジと同じだ。気配が希薄すぎた。いや、それよりも何よりも、もっとまずいものがある。
ネズミはローブを深くかぶり直し、その姿が再び闇に溶ける。
「あの針」
プラムは声を震わせる。
「あの針、ヤバい」
「ああ、あれはまずいぞ」
隣に立つシルバーが、その直感を肯定した。彼は全員に、武器の正体を伝える。
「あれは、『必殺』の針だ」
♦
何度目かわからない爆撃が炸裂する。
前衛の戦士は加護を高め、防御しようとしたが、光の制御がブレた。熱への耐性が足りず、皮膚が焼かれる。
「ぐ、ぅぅ」
思わず目を瞑りそうになって、強引に開く。視界を塞ぐのが恐ろしかった。目を開けることに全力を注ぐ。
そのせいで今度は氷床への耐性が薄れ、足を滑らせ、転ぶ。
仲間の前衛が転んだ彼を持ち上げ、後方に下がる。同時に中衛が入れ替わり、留守の前方をカバーするはずだった。
しかし、誰も来ない。中衛は熱心に周囲を見回すだけだ。前の状況を見ていない。
「おい、交代!」
ハッとした中衛二人が遅れて入る。だが遅い。巨大ネズミは腕を引き絞っている。
巨拳への反応が遅れ、防御が雑になり、一撃かする。ダメージを受けた前線が一歩下がると、巨大ネズミはすかさず一歩、距離を詰める。
この一歩分の違いは大きい。自陣が狭くなり、回避や交代に僅かな窮屈が生じる。その窮屈を突いて爆撃が来れば、さらに余裕のない防御となる。
余裕がなければ雑になる。雑を繰り返せばズレが生じ、本来のリズムを崩す。そうなれば巨大ネズミはさらに一歩、詰めるだろう。
悪循環の始まりとなる一歩だ。対処し、取り返さなければならない。しかし、それをする冷静さこそ、今の戦士たちには欠けていた。
「おらっ!」
戦士長が大きな腹を殴り、強引に一歩退かせた。彼は冷静だった。
だからよかった、とはならない。全体分の負債を単騎で補っている形だ。寄りかかりすぎればいずれガタが来る。
「やべ」
後衛の一人が麻痺の耐性を怠り、数秒、動けなくなった。
奴はその数秒を見逃さない。
闇に、針が閃く。
『五時!』
シルバーの壁が防ぎ、後衛を狙った一撃は不発となる。
ローブのネズミは姿を消す。狙われた戦士はへたり込んだ。
「はっ、はっ」
針があと、拳一つ分のところまで来ていた。今確かに、死にかけた。
心臓が暴れ回る。全身が小刻みに震えている。
シルバーはその後衛を強引に持ち上げた。加護を与え、恐怖を浄化する。
「立て。しっかりしろ」
「……はいっ!」
調査隊の動きが精彩を欠くのは、ローブのネズミの影響だった。
攻撃する、防御する、躱す。そうした思考の一つ一つに「必殺」がチラつき、動きの質が落ちている。無理もないことだった。針がかすりでもしたら、文字通り死ぬのだから。
加護の光で中和すれば何発か受けれると頭ではわかっている。だが、それで安心できれば苦労はない。
存在するだけで意識を縛る。それほど、「必殺」の二文字は重い。
さらに、針の使い手も優秀だった。奴は隙があって、かつ逃走可能な場面でしか現れない。針を振るう度に、死にかけたという心理的ダメージを必ず刻み、姿を消す。
ローブには「隠密」系統のマナが付与されているようで、プラムでも直前にならなければ感知できない。それも、不安に一枚噛んでいる。
「ふっ」
修道士は巨大ネズミに跳躍し、鎧の間を巧みに斬りつける。
この状況下でも運動量を落とさず、聖歌も途切れさせない精神力はさすがの一言だった。彼がいなければ状態異常が猛威を振るい、とっくに総崩れになっていただろう。
しかし、修道士の体力も無限ではない。歌いながらの飛び回るのは当然疲れる。
『回避!』
壁から火炎玉。
防御が疎かな戦士たちを守るため、彼は全力で動き、四分の三を斬り落とす。
全力を出せば当然、息が切れる。息が切れれば、歌がかすれる。歌がかすれれば、状態異常。
暗さで炎を見落とした戦士が、大きく吹き飛んだ。ズレていく。
巨大ネズミが再び一歩、踏み出す。
近寄られたことに前衛は慌て、焦る。
そこに針は来る。
『九時!』
すると戦士長は突如、戦士と針の間に割って入った。
シルバーの壁は間に合っていた。出てくる必要はなかった。しかし、彼はあえてその針を、手の平で受ける。
「ぐああぁぁっ!!」
絶叫。
針が刺さった瞬間、戦士長の身体に、電撃と表現しても生温いほどの死が、駆け巡った。
息を荒くし、苦悶を浮かべる彼は、それでも踏ん張り、立ち続ける。
調査隊の顔が真っ青になった。
「全員、見たなぁ!?」
戦士長はそこで、絞り出すように大声を上げる。
「俺は針を食らった! だが生きてる! 生きてるぞっ!」
胸を張り、精一杯の気丈をアピールする。
「一撃じゃ死なない! 恐れるな!」
それは、命を削る発破であった。戦士たちの集中を取り戻すための荒療治。そして、その効果は絶大だ。無事を目撃した戦士たちの恐怖が、急速に薄まっていく。
「心配もいらない! 俺ならあと二撃は耐えられる!」
嘘だった。体感でわかる。あと一撃食らえば確実に死ぬ。
だが、それを正直に伝える必要はない。
「かかれぇっ!」
血を吐くような号令とともに、戦士たちは飛びかかる。動きは精彩を取り戻している。
ネズミが踏み出した一歩は、再び帳消しにされる。
「すごい……」
プラムは呟いた。
調査隊の感情がわかる彼だからこそ、戦士長の行動がどれほどの効果をもたらしたか、鮮明にわかる。
勇気、親愛、責任が、彼らの聖剣に宿っている。感情のノッた斬撃は、巨大ネズミの胴に深い傷をつけた。
完全に息を吹き返している。この状況を作り上げた戦士長を、心から尊敬する。
勝てる、と思った。
心は、そう思っていた。
しかし直感が言っていた。まずい、と。
ネズミを最初に見つけた時と同質の毒々しさが、頭の中で暴れ回っている。
帽子のネズミも不気味だった。拮抗にまで押し戻され、あわや逆転されるかという雰囲気すら漂っているというのに、余裕が少しも揺らいでいない。
なぜ。
その理由はすぐに明らかとなる。
戦士の聖剣が、巨大ネズミの鎧に阻まれた。
「チッ」
彼は舌打ちし、もう一撃かます。それも弾かれる。
他の斬撃も同じだった。前線には八人の前衛、中衛が立ち、巨大ネズミと相対しているが、隙のない彼らの連撃を、奴はことごとく防いでいる。戦士長や修道士の剣まで弾かれていた。
防御が上手くなっている。
いや、攻撃が下手になっている……?
エメラルド色の鎧が光っている。
「爆撃来るぞ!」
戦士長が叫び、修道士が炎を斬った。
爆発。熱波と衝撃が襲う。何度も受け、対応もパターン化され、簡単に防げるはずだったそれを、多くの戦士たちがまともに食らった。
吹き飛ばされ、壁に体を打ちつけ、陣形が崩壊する。
麻痺で動けなくなっていたせいだ。
「おい、歌は!?」
修道士がハッとする。歌が途切れていることに、彼自身でさえ気づいていなかった。
歌い直す。戦士たちは急ぎ、各々で陣形を立て直す。
その立て直しの動きすら、散漫。
プラムは訝しんだ。
鎧のエメラルドがチラつく。
「……あ? あ!」
そこでプラムは、とんでもないミスを犯した。
ローブのネズミが視界の端に映っている。感知もできている。なのに、報告するのを忘れた。
『七時!』
ギリギリ。薄皮一枚のところでシルバーが間に合い、針は防がれた。
プラムは安堵する以上に、肝を冷やした。
「どうなってる?」
後ろから俯瞰するシルバーは、呟きを落とす。
調査隊全体に、何らかの異常が起きていることは間違いなかった。動きが悪いわけではない。精神も安定して見える。ただ、何かに引きつけられるかのように、陣形がどんどん崩れていく。
「必殺」に動じていなかった修道士、プラムの二人までもミスをするのは尋常ではない。
彼らだけではなく、シルバーもそうだった。針を防いだあの瞬間、壁を張るまでに一瞬の間があった。
一瞬、視線が泳いだのだ。そのせいで加護の制御が遅れた。
エメラルド色の鎧を見つめる。
「――!」
シルバーは気づき、自らの加護の耐性を調整した。
思った通り、意識の異常が完全に取り払われている。
彼は調査隊に起こる変化の原因を看破した。
それは、巨大ネズミの鎧に施された、エメラルド色の塗装。クジャク属のマナ属性「脚光」だ。
効果は視線誘導。脳を錯乱させる精神攻撃の一種だ。
全員、鎧しか目に入らなくなっている。
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