第12話 第四章「迷宮探査」


「聖剣」


 躍りかかるネズミを、戦士長の光の剣が両断する。続けてかかってきた二体も斬り伏せると、彼は前衛に指示を飛ばす。


「左の通路を塞げ! まずは右から落とす!」


 前方、二股に分かれた道から、魔物の群れが同時に迫り来る。最前線に立つ三人は光の壁を隙間なく張り、指示通り左を完全に遮断する。

 開け放たれた右側から襲いかかる十体のネズミに、戦士長は眦を決し、足に加護を込める。


「うるぁっ!」


 踏みつけた床が砕け、コンクリートがめくれ上がる。巻き込まれたネズミは地面から弾き出され、宙を舞い、無防備な格好を晒した。


 そこに、右手に集めていた光の塊を放出。下水道全体を照らすほどの光量をぶつけられた十体は、なす術なくその身を焼かれ、塵となって消滅する。


「うわつよ」

 後衛の戦士の一人が、思わず呟いた。


 戦士長の強みは、加護の出力とそれに由来するパワーだ。

 荒々しい光は繊細さに欠けるが、強化された筋力による重い一撃は、それを補って余りある。威圧感のあるその姿はまさに要塞であり、前方からの敵をほぼ一人で防ぎ切っていた。


『川から五体』

 テレパシーが調査隊の脳内に響いた。


「中衛、任せる!」


 戦士長が前方から目を離さず指示を出すと、中盤で構えていた三人が反応し、右脇を流れる汚水の川を警戒する。


 暗がりの奥に、二隻の小型ボートが浮かんでいた。片方に三体、もう片方に二体のネズミが乗っており、こちらに向かってくる。一見するとおんぼろな木のボートは、何らかの魔法が施されているのだろう、モーター式かのように、凄まじい速度で突っ込んでくる。


 汚れた水飛沫を上げる二隻は勢いそのままに飛び上がり、五体のネズミが一斉に地上に降り立つ。鋭い牙を光らせ、調査隊に襲いかかった。戦士たちは剣を振り、斬って捨てる。


『後ろからもう三隻!』

 再びテレパシー。


 見れば、川のさらに奥、戦士たちの光が届かない位置に三つのボートが横向きに一列で並べられている。その上に立つ九体のネズミは手を器用に扱い、握り飯を作るように何かをこねていた。


 それを調査隊に向け、投擲。

 近接戦に対応していた戦士たちに、小さな泥団子が降りかかる。


 それは、下水の底から取り出されたヘドロの塊。魔法により毒性を強化されており、食らえばひとたまりもないことは明白だった。


 中衛の一人はネズミを両断すると、加護を腕に集め、ヘドロをガードする。

 しかし、直撃した毒は彼の想定よりも強く、纏った光に沁み込むように侵入すると、腕を焼いた。


「いっ」

 戦士は痛みに呻き、思わず敵から目を逸らす。


『まだ来る!』


 さらに四隻のボートが直進。地上部隊の援軍となって十体が躍りかかる。隙を見せた戦士に迫った。


「下がって」


 危機に晒された彼を突き飛ばし、割って入ったのは、調査隊で唯一の修道士だった。

 手を前に突き出し、詠唱。


「【裁き】」


 浄化の光が炸裂する。

 まともに食らった五体は消滅する。かろうじて躱した五体も重傷を負っている。

 動きが悪くなったところに聖剣が閃き、瞬きの間に十体が絶命した。


「悪い助かった」


 戦士は毒を自ら浄化しながら頭を下げる。修道士は礼はいらないとばかりに手で制す。


 シルバーを除き、調査隊の中で最も強いのはこの修道士である。

 都市部で傭兵をしていた経歴を持つ彼は剣の扱いに優れており、また現在は教会に身を置いていることから、高等な簡易儀式をいくつも収めている。近中距離戦において万能な働きが可能な彼は、隊の中核を担うエースであった。


「歌だ!」

 戦士長が短く言った。


 修道士はその指示に応じ、万能手としての技術の一つ、聖歌を歌い上げる。

 美しいテノール調べが響き渡った。


 光を帯びる歌声は下水道を反響し、戦士たちが届かない広範囲にまで浄化の作用を施す。


 泥団子による援護射撃を行っていたネズミたちは、耳を塞ぐ。しかし無駄な抵抗だ。音の波はその小さな体を震わし、鼓膜を揺さぶり、聴神経から脳に侵入して焼き潰す。九体は立ったまま気絶し、川へ沈んでいった。


 強い。

 頼もしい味方に、一同から笑みがこぼれる。

 前衛に戦士長、中衛に修道士、二人がいれば、どんな敵も恐るるに足らない。


 さらに、


『シルバー、後ろから来てるよ』

「任せろ」


 背後から襲いかかる、三十以上のネズミ。


 シルバーが振り返り、分厚い光の壁を張ると、それだけで一本の通路は隙間なく塞がれ、蓋をされた。

 立ち往生するしかないネズミに彼は、光の奔流を叩き込む。白い輝きが埋め尽くし、晴れる頃には、魔物は跡形もなくなっている。


 たった一人で最も難しい後方を担い、完封したシルバーはさらに別格だった。王族の私兵が、その実力のほどを見せつける。


 精鋭三人を擁する調査隊は強く、道中は順調そのもの。かなり早いペースで進めている。


 前方を片づけた戦士長が振り返った。


「プラム、他に魔物は?」

「もういない」

「よし。この先に川のないエリアがある! そこで休むぞ!」


 一同は従い、進む。




 床に腰を下ろし、戦士たちは互いの加護で傷を癒し合う。小さな切り傷であろうともその都度治し、万全を保つよう努める。


「交代する」


 回復した戦士は通路の見張りを代わり、道の先を警戒する。


 暗い下水道だが、調査隊の纏う加護の輝きにより、視界は良好に保たれている。よく見ると、エリア全体がマーブル模様に変色しているのがわかった。改めて、魔物の領域なのだと思い知る。しかし、変化はそれだけではない。


 中央で地図を広げる戦士が言った。

「やっぱ道が全然違う」


 彼は今いる場所を指でなぞろうとして、諦める。無理もないことだった。何せこの場所は、地下三階である。


 おかしいことだった。下水道をそこまで深くに作る必要はないし、そういう設計がなされたという記録もない。

 どころか、中は迷路のように複雑怪奇。合理性の欠片もない歪な構造をしており、道の継ぎ目はバラバラ。全体を一度分解にし、切り貼りしたとしか思えない形をしていた。


「『ピクシー』の仕業だろうな」


 シルバーが言う。それは、『シアター』と並び称されるほどの魔物社会の業者の名前だ。


 ピクシーの生業は、建造物の迷宮化。依頼されればどこにでも現れ、魔窟を作って帰っていく、お伽噺の妖精のような連中だった。


「だいたいリンジェルの言った通りになったな」


 東四番街に魔物が出現しなかった時点で、彼女は敵が籠城する可能性を視野に入れていた。その段階から籠城に適した業者をリストアップし、メイジーに対策の準備を進めさせていたのである。ピクシーもその一つだった。


「マッピングはできているか?」

「これ」


 シルバーが尋ねると、戦士は手書きの地図を差し出す。それを見ながら、これから進むべき方角を二人で話し合う。



「いいぞプラム。索敵が的確になってきた」

「よかった」


 後衛の一人が、テレパシーによる報告に高評価を与えた。


「元々センスがあるんだろうな。情報の取捨選択ができてる。初めてとは思えない腕だ」

「ほんと!?」

「ただ、時々雑念が混ざるのは改善点だな。いきなり『お腹すいた』とか言うからビックリしたぞ」

「ごめん。気をつける」


 戦士は豪快に笑うと、プラムの背中を叩く。


「あと、時々注意が散漫だ。なんか気になるのか?」

「ああいや、違うんだ。うん、それも気をつける」

「肝が据わってるのはいいが。緊張感がないのもよくないぞ」


 それだけ言うと彼は去り、見張りを交代した。


 プラムは頭を振ると、注意された通り、集中するように努める。

 集中力の低下は、テレパシーが深化したことの弊害であった。無機物に宿る感情まで読めるようになった彼の頭の中には、これまでとは比べ物にならない情報量が流れてくる。急激に伸びた力に振り回されている形だ。


 一つ前に休憩を取ったエリアは恐らく、ダイニングのようなところだったのだろう。ネズミたちの食事中の感情が頭から離れなくて、ついその後の戦闘中に、『お腹すいた』などと考えてしまった。


 食事による至福。

 あれは紛れもなく、生活の面影だった。


 今いるエリアもそうだ。子供を育てるスペースなのだろう。あちこちに親子の感情が色濃い。優しさ、幸福、愛、を感じる。それは、地上に宿る人間の感情と同質のもので、尊い、とプラムは思った。


「……」

 コイツらを殺すのだな、と思った。



「油断した。毒があんなに強いとは」

 先の戦闘で泥団子を食らった戦士は、ただれた皮膚の痕を見ながら愚痴をこぼす。


「それだけじゃないよ」

 修道士が訂正した。

「私たちの加護が弱まってるんだ。魔物の領域だからね」


 マナが充満する下水道には、当然地上のように光で満たされていない。攻撃も防御も数段劣るものとなる。纏っている加護も、徐々に薄くなっているようだった。


「地上と同じ感覚でいると足元をすくわれるよ」

「了解した」

「皆も聞いてくれ!」


 修道士はそこで、全体に向けて喚起する。


「最深部に進むにつれ、加護の純度は落ちていく。体の調子を確認して、その都度戦い方を調整するんだ。いいね」


 一斉に返事が来る。


 戦士長は立ち上がった。

「全員、回復は済んだか?」


 一同は頷く。


「シルバー、準備はできたか?」

「ああ」

「全体に共有してくれ。済み次第、調査を再開する」


 調査隊は、休憩時間を最低限に留め、先を急ぐ。

 リンジェルの指示は、速攻である。




 調査隊は速度を落とさず進む。


 その後、三度の戦闘と四度の休憩を経て、懐中時計の針は午後五時を指していた。日光が入らず暗いが、毎年極夜を経験する彼らは慣れている。時間を見失うことはない。


 問題は空間の方だ。

 現在は地下六階。階段や縦穴を六度降りたというだけで、細かい段差を繰り返しているため、本当のところはわからない。

 分かれ道の数が尋常ではない。エリアの一つ一つも細かくなっている。いよいよ迷宮じみてきた。

 方向を失う感覚に心を削られながら、しかし平静を保ち、進む。


 久しぶりに一本道が続いていた。

 安堵を覚え、無意識に釣られるように歩いた、その突き当りだった。


 入口がある。

 壁の一面に、大きく開いた口だけがある。


 その口には、毒々しい色合いの膜が張られていた。何らかの魔法であることは明らかだった。プラムはもちろん、調査隊の誰もが危険を予感した。


 膜は静かに構える。

 こっちに来いと、誘っている。



       ♦



 この膜は何なのか。確かめるために、調査隊は虫籠を取り出した。中には二匹の白い虫が閉じ込められている。罠を判別するための道具だ。

 シルバーがその虫を取り出す。


「今からこの内の一匹を、膜の中に飛ばす」

 彼は説明する。

「膜に入った一匹が死ねば、もう一匹も死ぬ。毒を受ければ、もう一匹も毒を受ける。そういう虫だ」


 その虫は、ネンカ呼ばれる蚊だった。独特な生態をしており、必ず双子で生まれてくる。双子の片方の変化は、いかなる状況であろうともう片方に伝染する。その奇妙な特徴は迷宮探査に限らず、医療など様々な場面で重宝されていた。


 シルバーはネンカの片方をプラムに見せる。


「プラム、コイツの気配を覚えられるか? 小さいが」

「覚えた」

「よし」


 放たれたネンカは白い羽を懸命に動かし、膜に飛び込んだ。

 もう一匹のネンカを観察する。生きている。何か変化があるようにも見えない。


「プラム、どこにいる」

「すごい遠くにいる。後ろ」

 プラムは振り返り、天井を見た。


「上だ。四階……いや、三階に行ってる」

「地下三階か?」

「そう」

「ワープゲートだな」


 転移魔法。膜をくぐると別の空間に飛ばされる。ピクシーの迷宮にそういうものがあることは有名だった。地下六階に位置するこの入口は、地下三階のどこかと繋がっているらしい。


「しばらく様子を見る」


 時間をかけ、ネンカの変化を窺う。

 一分、三分、十分。ネンカは相変わらず生きている。体調を崩すような兆候もない。

 少なくとも、ゲートを超えても十分は生存できることが証明された。即死するような罠もないのだろう。


「敵はいるか?」

「……ごちゃごちゃしてて、わからない」

 三階分の高低差だ。プラムの感知も精度が悪い。


「でもいる気がする」

「なぜそう思う?」

「コイツが」

 ネンカを指差す。


「他の生き物を感じてる、ように見える」

「そうか」


「入るのは危険じゃない?」

 戦士の一人が意見した。

「全員が同じ場所に飛ばされるとは限らない。それか、途中で魔法を切られて分断されるかも」


「いや、そのどちらもできないはずだ」

 シルバーは首を横に振る。

「確か理論上不可能だって、パフェが言ってた」

 プラムが付け足した。


 彼は読まされたノートの最初の方のページを思い出す。たしか、そういうことが書かれていたはずだ。パフェとの勉強が役に立った。あれだけ量を積んでいても、優先順位は考えていたのだなと、今理解する。


「違う空間同士をくっつけるのってすごい大変らしい。だから解除したり、別のとこと繋げ直すのも難しいみたいなんだ。『糊でつけたものが剥がれないのと一緒』って言ってた」

「なるほど」


 戦士は納得したと同時に、パフェの知識量に感心する。

 その説明を信じるなら、ゲートに入り直せばいつでも帰って来れるということだ。分断、幽閉。想定し得る最悪のケースは否定されたと言える。


「ふむ」

 シルバーは考え込む。


 迷っている。普段の彼ならば、もうしばらく様子を見るところだ。しかし今回は、リンジェルからの指示があった。迅速さを優先させてください、慎重は封印です、と。

 さらにその上で、調査隊は全員守り切ってください、地区全体の士気に関わりますので、とも言われた。


 要するに、自分のスタイルを殺しながら、最高の結果を出せと言っているのだ。無茶な命令にも程がある。舐めやがって。

 舌打ちを抑え、決断する。


「侵入する」

 シルバーは短く言った。

「視察ではない。討ち倒しに行く。いいな」


 戦士たちは頷いた。下水道に入る前に、全員覚悟は決めている。今さら尻込みする者などいない。


 戦士長が告げる。

「突入」


 陣形を整え、ワープゲートを潜った。

 通る際、瞬間移動をしている、という感覚はなかった。ただ隣の部屋に移った、という感じだ。本当に転移したのかと疑いたくなる。その、先。


 広い部屋だった。奥行きはかなりある。幅は約十ヤード、高さは約六ヤード、といったところか。


 ネズミがいた。手前に二体。奥に、数えきれない。


『奥の百体が、ステージ3』

 プラムがテレパシーで伝えてきた。

『手前二体はステージ4だ』


 プラムでなくとも、二体が強力な個体であろうことは察しがついていた。何せ格好が違う。


 右のネズミは、とんがり帽子に体長ほどある杖を持っている。

 左のネズミは、エメラルド色の重鎧を身に着けている。


 どちらの装備もネズミサイズで小さいが、『キャンディ・プラネット』製の魔道具だろう。侮ることはできない。


 調査隊は剣を抜いた。中断に構え、戦意と加護を研ぎ澄ます。


「恐れるなよ」

 戦士長が前線で鼓舞する。

「敵は多いが、これだけの対格差がある。押し切るぞ」


 すると、鎧のネズミが懐から何かを取り出した。小さくて判然としないが、錠剤のようだった。飲んだ。瞬間、


 膨らんでいく。ネズミが。

 二足歩行の脚が肥大化していく。腕が二回りも三回りも大きくなり、ミシミシと音を立てる。鎧はなぜか砕けることなく、膨張する胴体に合わせて大きくなる。

 みるみる、みるみる巨大化していく。


 帽子のネズミがその巨体に隠れた。

 調査隊は見上げ、唖然とする。


 赤い眼球がギラリと光った。瞬きだけで人一人を殺せてしまいそうなほど、大きな目だ。


 高さ約六ヤード。頭が天井についている。両腕を広げ、ほとんど通路を覆うような形になって、ネズミという名の壁が顕現する。


「デカくなっちゃったよ」

 修道士が呟く。

「こっちが不利になったな」

 戦士の一人が言う。

「恐れるなよ」

 戦士長は誤魔化す。


 さらに、背後で重い物が蠢く音がした。

 下水道の壁がひとりでに変形し、ワープゲートが覆われる。出口が塞がれる。


「閉じ込められたわけじゃない」

 シルバーが静かに言った。

「いつでも壊せる。怯むな」


 しかし、とプラムは思った。

 逃げる手間が一手、増えた。


 戦士たちは顔を上げた。赤く巨大な眼に、臆することなく視線をぶつける。

 戦士長が号令する。


「かかれ!」


 激突する。

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