第11話 第四章「決戦前」
「下水道にはプラムも同行させます」
会議室がどよめく。上座のリンジェルはそれを涼し気に受け止める。
「そればかりは承服しかねます!」「彼が死んでしまう!」「加護がないのですよ!?」
反対意見が次々に飛んだ。
真っ当な主張であった。東四番街とはわけが違う。正真正銘の魔物の城だ。それもステージ4の。足を踏み入れただけでもマナに侵されるだろうことは容易に想像できた。加護がないとはそういうことだ。
「シルバーを預けます。私の護衛を外れ、付きっきりでプラムを守るのだから、大丈夫ですよ」
「しかし――」
「必要なことです。受け入れなさい」
「いいや、受け入れない」
強い声が否を唱えた。
カールは机を叩いて立ち上がり、リンジェルを睨みつける。
彼は先日ネズミの毒を食らい、死の淵をさまよったが、強い責任感から会議に出席した。加護の回復力があるとはいえ当然万全ではなく、顔色はすこぶる悪い。付き添う修道士たちが安静にするよう呼びかけている。
しかし、黙っているわけにはいかなかった。これまで委縮していた彼はとうとう憤り、息を切らしながら、王族と相対する。拳も、肩も、白髪も、目も、身を焦がす怒りで震えている。
「人を……村の子を道具のように扱うのも大概にしていただきたい……!」
「誤解です。私は誰よりもプラムを想っているのですよ?」
「黙れ小娘!! いったいどの口がほざくのか! 調和を軽視する貴女のやり方は到底受け入れられない! 提案は断固として拒否する!」
「提案ではありません。決定事項を伝えているのです」
「このっ――」
殴りかかろうとしたのか、少なくとも危害を加えると捉えられたのだろう。カールが前のめりになった瞬間、息を詰まらせる。
メイジーがその首に短剣を添えている。
「無礼者」
「メイジー」
「失礼しました」
リンジェルが短く咎めると、彼女は楚々として下がった。
カールの目は恐怖に見開かれ、脂汗がだらだらと流れている。しかし、怒りも拒絶も、毛ほども揺らいではいない。
「プラム」
「何?」
リンジェルは隣のプラムに目を向け、次に会議室を見渡す。全員に聞こえるように指示した。
「この場にいる全員に、口を使わず、何か適当な言葉を伝えてください」
意味がわからず、会議室の面々は眉を顰める。プラムも同様だった。口をポカンと開け、首を傾げている。
『え、喋るなってこと? ジェスチャーとか? それに適当な言葉? えー、何にしよ。適当な言葉、適当な言葉……あれ?』
沈黙。幹部たちが頭を押さえ、驚愕している。その視線はプラムに集中している。
「もしかして、なんか伝わった?」
プラムが尋ね、一同は生唾を飲んだ。彼は何も喋っていない。にもかかわらず、その思考が頭の中に流れ込んできた。
「い、今のは……?」「こ、声が響いた」「? 皆さん何の話をしてるんです?」
どうやら伝わらなかった者がチラホラいる。彼らは他の者と事態を共有できず混乱していた。リンジェルはもう一度指示する。
「プラム、同じように、次は『りんご』と伝えてください」
「え」
『りんご? えーりんごかー、あんま好きじゃないんだけどな。まぁいいや、りんご! あ、雪降ってきた』
今度こそ全員に伝わったようだった。無論カールにもだ。彼は動揺が怒りを上回った表情で固まっている。魔法ですら味わったことがない不可思議。答えを求め、一同はリンジェルに注目する。
「今のは、テレパシーと呼ばれるものです。加護の代わりに、彼が授かった力の一つです」
リンジェルは、まるでトロフィーを見せるようにプラムを手で示し、自分のことのように誇った。
「この力があるから彼が必要なのですよ。下水道は閉鎖空間です。もし分断されたら、閉じ込められたらどう対処します? 伝統を守るのも一長一短ですね。『ディアタウン』ですら通信機器を扱うには不十分です。彼を同行させないと言うのなら、それこそ死にに行くようなものなのですよ」
彼女の言い分はぐうの音も出ないほど正しかった。誰も反論できない。
リンジェルは微笑むと、宣言した。
「三日後、調査隊を再編成し、下水道に速攻を仕掛けます」
声を高らかにして、続ける。
「速攻です。狙いはネズミの城。それ以外は全て無視です。地区の防御も最低限で構いません」
薄紅の瞳が光る。
「さぁ、ぶっ潰しに行きますよ」
その後、多数決が行われ、賛成多数によりプラムの同行が決定した。
町人側の幹部の半数には後日、メイジーから賄賂が送られた。
「どういうことですか!?」
パフェは会議の決定に正気を疑った。裏切られたような気分になった。血相を変え、ほとんど掴みかかるような形でリンジェルと向かい合っている。
メイジーは警戒を露わにする。
「言葉の通りです。承諾していただけますね?」
「嫌です。嫌です!! 危険な目に遭わせないって、言ったじゃないですか!!」
「事情が変わりました。とにかく急がなくてはなりません。そのためには、プラムの力が必要です」
彼女の顔には怒りと、絶望があった。哀れだ。これを前にして少しの同情も抱かない者は、悪魔か魔物かの類でしかあり得ない。しかし、リンジェルは泰然としていた。
パフェの中で焦燥が累積していく。どれだけ大声を上げても、悲しんでも、王女は淡々と返すだけだ。かかしでも相手にしてるみたいで、まるで手ごたえがない。
「…………、…………プラムを連れて、森に入ったのは本当ですか?」
引き絞るように尋ねた。リンジェルは何でもないように言う。
「知っていたのですね」
「どうして!? どうしてそんなことしたんですか!? 死んじゃったら――」
「必要な、ことだったのですよ」
遮られる。『必要』という単語を強調され、息を詰める。
「今回もそうです。必要、なんです。そうしなければ負けてしまうのです。想像してみてください。大切な人が魔物に蹂躙される様を。抉られ、潰され、毒に侵され、魔物にされてしまう者もいるかもしれません。王女である私には、皆を守る義務があるのですよ」
パフェは言われた通り、想像してしまう。生まれ育った地が奪われ、人々が踏みにじられる血みどろの光景を。生々しく、それだけで吐き気が込み上げてきた。目を逸らす。
途端、それまで鉄のようだったリンジェルの瞳が悲しげに潤んだ。責任による疲弊を感じさせる表情だ。
「ごめんなさい。ですが会議室の皆さんは、心無い提案に賛同してくださいました。その意味を、わかっていただけませんか」
苦渋を噛み締めるような声色だ。
そんな弱々しい顔をされるとは思わず、パフェは狼狽えた。雲の上の権力者だったリンジェルが、彼女の中で人間になる。
「私にも立場があるのです。どうしても、この国を守らなければならない。お願いですどうか、力を貸してください」
なんて、なんて卑怯な言い回しだろうか。わかっていながらパフェは、言葉を紡げない。何も言えない。
憎悪に近しい感情が、温厚な心根に去来した。普段の彼女からは考えられないような、様々な毒気が頭をよぎる。カタカタと震える。奥歯を噛み潰す。いっそ勢いのままに、全部ぶちまけたくなる。
しかし、できない。地区の危機的な状況も、上に立つ者の重圧も、パフェは理解していた。半端な理性が邪魔をして、感情的になり切れない。
脳みそが軋むように痛む。心が二つに引き裂かれそうになる。それほどの葛藤だった。
「…………っ、……………………はぁっ……………………、…………ぁぁ」
うつむく。ぎゅっと目を閉じる。決断する。
「……………………はぃ」
「ありがとう」
実に簡単だった。
リンジェルは心の中でほくそ笑む。
彼女はパフェをコントロールする方法を理解していた。
パフェは優しすぎた。相手を尊重する献身性、健気さのあまり、他人の気持ちを汲み取りすぎる。その精神はまさに聖地に住まう者の鑑であり、それはそれは人望も厚かったことだろう。しかし、家族を守るにはあまりにも弱い。
だからリンジェルは同情を誘う言葉を選んだ。特に、『立場』という単語の使いどころには気を遣った。それだけ成功したなら、後は簡単だ。何せ、パフェの方から勝手にリンジェルの気遣ってくれるのだから。
無理があってもいい。見え透いた嘘でもいい。
少しでも、かわいそう、と思わせれば、彼女はもう何もできない。
この瞬間から、プラム・ブルーの手綱はリンジェルが握ったも同然だった。
♦
下水道への突入は三日後。性急で余裕がない。だが不可能ではない。準備に奔走し、地区はさらに慌ただしくなる。
教会の広間では、調査隊に指定された面々が集結し、席についていた。シルバーは壇上に上がり、一同を見渡す。
「今回の調査隊の指揮官を務めることになった、シルバーだ。よろしく頼む」
挨拶もそこそこに、彼は本題を切り出す。
「まず陣形だが、防御を専門とする俺は、後衛の最も後ろを張ることになった」
たった一言で矛盾が発生した。王族の護衛を担うほど優秀な盾役であるところのシルバーは、隊を守れる最前線にいなければおかしい。ある程度の事情を察している戦士たちは、苦笑いを浮かべる。
「なぜこんな意味不明な陣形になったのか説明する」
彼は、隣に座るプラムの肩に手を置いた。
「彼を守るためだ」
穏やかな口調で続ける。
「加護のないプラムを前線に置くわけにはいかない。彼につくよう指示されている俺も、必然的に後ろに下がらなければならない」
「えっと、ごめんなさい?」
プラムが謝った。
「君のせいじゃない」
シルバーは否定する。
「ウチの王女様のせいだ」
彼は昨日のやり取りを思い出す。会議が終わった後のことだ。
あ、プラムにあなたをつけるって言っちゃったので、よろしくお願いしますね、とリンジェルは事後承諾を押しつけてきた。
今になって怒りが込み上げてきた。額の血管が浮き出る。
「信頼してますの一点張りでのらりくらりだ。限界ギリギリまで無茶を押しつけてきやがってあんのクソガキクソガキクソガキ」
目元を歪めて愚痴を吐くシルバーからは日頃の苦労が窺えた。一同は冷や汗をかく。
その後ろの廊下を、件の王女と従者がちょうど通りかかった。
シルバーは振り返って睨みつける。
リンジェルは投げキスを返す。
「チッ」
盛大な舌打ちが飛んだ。王女は笑いながら去っていく。
大きなため息をつくと、彼は調査隊に目を戻し、話を続ける。
「村の戦士たちが精強で助かった。おかげで前線を任せられる」
調査隊に編成された面々は、大役を任されるだけあって皆実力者だ。その研鑽のほどは、彼らの纏う加護が証明してくれている。
「戦士長」
シルバーは、中でも一際優秀な者を呼ぶ。
「戦闘中、全体の指揮はあなたに任せる。どうか立場を切り離して、俺に対しても強気な指示をお願いしたい。後ろからサポートをする」
「わかりました」
「硬いな。言葉遣いも対等で構わない」
「では、任せろ」
力強く頷くと、シルバーは全体にも目を向け、他の者もそうしてくれ、と言外に伝えた。一同はややぎこちなく、首肯する。
「緊張してるね」
すると、プラムが突然そう言った。
彼は集中する視線を浴び、その不安を感知しながら、柔らかく微笑んだ。
「大丈夫だよ。みんな強いんだから」
この中で誰よりも若い少年が、誰よりも朗らかでいる。調査隊はぱちくりと瞬きをした。一人が尋ねる。
「お前は平気なのか?」
「平気だよ」
プラムは即答した。
「みんなが守ってくれるでしょ?」
何でもないように、そう続けた。
戦士たちはまず真顔になって、次に笑顔をこぼし、最後に、呑気なものだと息を吐いた。
「仕方ない。守ってやろう」
戦士長が言うと、全員が声を揃えた。
シルバーは感心する。空気が明るくなり、隊はあっという間に一丸となった。精神的な問題はほとんど解決したと言っていい。
狙ってやったのだろうか、と少年を覗く。その紫の瞳の奥底は、誰にも見えない。
翌日。
プラムはパフェとともに、図書館で魔物の勉強をしていた。
先生がパフェで、生徒がプラムだ。しかし、この先生は非常に心配性なことが欠点である。目の前には、勤勉な彼女がこれまでまとめてきた大量のノートと、図書館のあちこちから集められた分厚い本たちが山と積まれている。
プラムはそれを、見上げる。それだけでお腹いっぱいになりそうだった。
隣に座るパフェは懇願する。
「お願いお願いお願いお願いお願い全部読んで全部読んで全部読んで全部読んで」
「さ、さすがに無理だ」
「ダメだよ! 全部大事なんだからっっ!!」
「そんな……」
プラムはもう一度、本とノートの山を見る。
げんなりする。やる気が萎えていく。
そんな彼の表情を見て、パフェは両目を盛大に潤ませる。
「プラムが死んだらイヤだぁぁぁぁぁ!!」
「わ、わかったよ……」
勢いに押されて、ノートから一冊手に取る。
図書館司書が近寄ってきた。
「パフェ、気持ちはわかるけど静かにね。図書館だから」
「…………ごめんなさい」
プラムの距離でギリギリ聞き取れる程度の小声で謝った。白い肌が羞恥心で真っ赤になっている。
ノートは丁寧にまとめられていて、読みやすく、わかりやすい。自分以外も読むことを念頭に置き、様々なことに気を遣って書かれていることが感じ取れる。その他にも、どれほど強い想いで勉学に励み、文字を綴ってきたのか、その献身性が伝わってくる。
これもテレパシーなのだろうか。プラムは、物に染みついた感情まで読み取れるようになっていた。
パフェの横顔を見る。いつも通りの繕った表情だ。その中身が、心臓が潰れそうなほどの心配で埋め尽くされていることもわかっている。
ただそれとは別に、なんだか元気がない。
決戦前夜。
調査隊に選ばれた者たちは、戦いまでの時間を家族とともに過ごす。
これもまた儀式である。三千年前から、人々は大きな戦いの前の晩、血の繋がった家族とともに、決まった時間に決まった作法で、決まった夕食を取る。硬いパン、豆のスープ、鳥の干し肉だ。
世界中に広がる加護の文化の中で、この儀式ほど同じ形で普及し、受け継がれてきたものはない。どの大陸、どの国、どの地方、どの地区、どの町村であっても、戦いの前夜、人々は同じ流れを踏襲する。
世界に数多ある簡易儀式の中で、最も強力なものの一つである。儀式の質は年月だけでなく、信仰する人の数でも決まるからだ。最も信仰される儀式は、最も強い。
プラムは肉に口につけて、舌を出した。
「あんま美味しくないよこれ」
「三千年前の料理だからね。当時はこれでもご馳走だったんだって」
薄すぎてほとんど水みたいなスープが口の中に広がる。パンは噛む度にゴリゴリと音がする。
「残しちゃダメだよ? いつもの食事と一緒。丁寧に食べるの」
パフェは同じものを、顔色一つ変えずに咀嚼している。背筋は伸びて、所作も綺麗だ。プラムも真似をして胸を張る。
「加護は丁寧な生活に宿る。毎日決まった時間に起きて、ご飯食べて、一生懸命働いて、人に優しくして、寝て。それをずっと繰り返すの。そうすれば、超人になれるんだってさ」
ベイリアル教の経典に記されている最初の一説だ。この国で育つ子供は、皆同じことを習う。だから人々は、清く正しく美しくあるよう努める。
その点で言えば、プラムは落第だった。
「僕の生活全っ然丁寧じゃないぞ」
彼はパフェとは違い、規則正しい毎日を送れていない。時間はつい忘れてしまうし、服は汚してしまう。化粧が乱れなかった日は一日としてない。
「大丈夫だよ。プラムはいつも頑張ってるんだから。神様はきっと見てくれてる」
彼女は義弟の手を取る。
「きっと無事に、帰って来れるからね」
その言葉はプラムに、というよりも、パフェ自身に言い聞かせているようだった。
この儀式もそうだ。ほとんど気休めに近い。
加護のないプラムに儀式を施したところで、与えられるのは外付けの加護でしかない。加えて、家族の誓いは済ませたとはいえ、二人の間に血の繋がりはない。二重の理由から、たとえどれほど丁寧に祈りを捧げたとしても、それほど効果はないのだ。
それでもパフェがやりたいと言うのなら、プラムはその気持ちを尊重したかった。
「心配?」
尋ねるまでもない。彼女の心は、不安の煤で覆い尽くされている。
「大丈夫だよ。僕は生きて帰って来る。そんな気がする」
パフェはやはり繕って、砕けた様子で微笑んだ。
「それは、勘?」
「そう、勘。本当に、なんの根拠もないやつ」
いつもの直感ですらない、ただの思い込みだ。なのにどういうわけか、プラムはこの思い込みに強い自信を持っている。
恐怖も緊張もまるでない。これから死地に飛び込むというのに、まったく死ぬ気がしなかった。
「さっきコイン投げたら表だったし、平気だよ」
「うん。そうだね」
その夜は、ずっとパフェと手を繋いでいた。いつもより長い時間を一緒に過ごした。寝る時も、お互いに身を寄せ合った。
♦
東四番街の入り口には、調査隊とその家族が集まった。他の村人も町人も、大勢見送りに来ている。
調査隊はシルバーとプラムも含めてちょうど二十人。加護は人数が増えるほど輝きを増すため大部隊であることが望ましいが、狭所で戦う以上多すぎても不利を生む。どちらも補う形を考えた結果が、二十人だ。
シルバー、十七人の戦士、一人の修道士、プラムは、互いに強く抱き合う。
加護は基本的に、人と人との接触で分け合うものである。戦いの前に一人一人の加護を与え合い、光を研ぎ澄ます。
戦士たちは軽鎧を、修道士は祭服を纏う。プラムは普段通りの制服だ。装飾を増やし、化粧を少し厚くしている。全員が、戦いの際につける銀製のペンダントをしている。
「プラム」
出発の前に、パフェが声をかけてきた。悲しそうな心持ちで、精一杯の笑顔を作っている。
背中に腕を絡め、抱擁された。プラムも抱き返す。
「いってらっしゃい」
「うん」
体を離すと、シルバーがやって来た。
「信用できないかもしれないが」
同じく軽鎧を纏い、ペンダントをつけた彼は、青い瞳に覚悟を宿し、パフェに向き合う。
「彼は必ず生きて返す。この俺の命を懸けて」
パフェは頭を下げる。
「リンジェル」
「初陣ですね、プラム」
プラムは出発前、最後にリンジェルに声をかけた。彼女は心なしか上機嫌だ。プラムに激励の言葉を送ろうとしている。だが、そんな話をしに来たんじゃない。
「お前、パフェに何かしたか?」
敵意を向ける。眉を寄せ、王族を睨みつけた。
「いいえ。何も」
「怒るぞ」
「説得と、支配をしました。勝つためにやむを得ず、あえて彼女を傷つけました」
言葉に嘘はなかった。
「次やったら許さないからな」
「心に留めておきます」
握手をする。リンジェルから加護を受け取り、プラムは踵を返す。
「リンジェル様」
メイジーが近くに寄ってくる。
「思ったよりも深い絆で結ばれているのですね」
プラムの背中を見送りながら、リンジェルは呟いた。
彼女には企みがあった。姉弟と接触する度に少しずつ感情を誘導し、足並みが崩れるよう試みてきたのだ。
そろそろ苛立ちが募ってギクシャクする頃かと思っていたのだが、どうやら結果は逆になった。明確に計算違いだ。
「これ以上は危険ですね。修正しましょう」
パフェは、調査隊を見送る人々の群れを、後ろから眺めていた。
彼らは黙祷し、手を組み、揃って祈りを捧げている。神様どうか、戦士たちを守ってくださいと、お願いしている。
なんて滑稽なのだろうか。
彼らだけではない。神様を信じる地球人類は、みーんなみんな、どうかしている。もちろんパフェも、どうかしている。
「神様なんか、信じたって……」
呟き、彼女は虚ろな目で天を仰ぐ。
それは、『はじまりの村』を擁する聖地において、決して許されない思想。
パフェは神様のことを、これっぽっちも信用していない。
今日は雪が降っていた。
加護を宿す白い雪だ。天からの祝福に調査隊は勇気を漲らせ、その足取りは確かなものになっていく。
巣の中心部。そこを左に折れると古めかしい階段があって、その先には、深く掘られた雨道が続いている。
大きなトンネルがあった。廃墟と化す以前から長らく使われていなかった場所で、加護も弱いために侵食の影響を強く受け、ボロボロ。
暗く、先が見えないその奥には、下水道に繋がる門がある。
二十人で突入するにあたって、狭いマンホールは使わない。ここが入口だ。
マナの香りがする。
プラムは、強力な気配をハッキリと感じ取っていた。今ならわかる。ネズミの親玉が、いる。
「全員」
シルバーが振り返った。
「聖杯を前に」
調査隊は足を止め、円陣を組み、懐から金色のカップを取り出す。合金でできたその聖杯と樽の中にある赤ワインは、触媒である。決戦の儀式だ。
重要な戦いを前にした戦士たちは、聖杯の酒を交わし、互いの勇姿と健闘を祈る。背中を預ける同朋として誓いを立て、生還を約束する。これも、古くから受け継がれている仕来りである。
杯を傾け、重ね合わせる。
すると、赤い酒から白い粒子が立ち昇り始めた。
シルバーは全員の目を見回し、問う。
「皆、覚悟はいいな」
しんと静まり、答えはない。代わりに、力強い十九の眼差しが返って来る。
「ここから先は、引き返せない。どれほどの敵が待ち構えているかも、わかっていない。俺たちは三隊のうちの第一陣だ。二陣、三陣が続くためにも、失敗はできない。逃げず、臆さず、死力を尽くすことを誓えるか?」
各々、頷く。そこに緊張の色はあれど、怖気づいている者は一人もいない。
「だが、まぁ」
そこで、シルバーは口調を崩し、雰囲気を柔らかくする。
「安心していい」
彼は左手を胸元に添え、自らを指し示す。
「この俺がいるからだ」
その姿には、王族の守護者としての責任と、数多の修羅場を潜り抜けてきた重みがあった。
調査隊は相好を崩し、そして、すぐに引き締める。
杯からは、大きな加護が溢れ出している。
「さぁ、滅ぼしに行くぞ」
聖杯を打ちつけ、飲み干した。
器を投げ捨てる。
戦士たちは入り口に向かい、歩き出す。
カランと、雨道に金属音が連なり響く。杯が転がる。
儀式は成った。全員の肉体から、光が漲っている。
「突入」
二十の影が、暗闇に消えていく。
戦士たちとともに暗いトンネルに身を溶かしながら、プラムは、よくないことを考えていた。
少しだけ、ワクワクしている。
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