第10話 第三章「王子を名乗るピエロ」


 私が何をしたとしても信用してくれますか? とリンジェルは最初に尋ねてきた。風に音を拾われないよう、屋内で、小声でだ。

 プラムは了承した。彼女の心に、僅かながら善性を感じたからだ。


 たった二人で梟の森に侵入する。

 現在の森は二層構造だ。外側を取り囲む、本来の緑色の森。内側の、マナに染まった黒い森。


 黒いエリアに足を踏み入れると、すぐに魔物の気配に囲まれた。姿を隠し、こちらの様子を窺っている。

 そのことを伝えると、リンジェルは両手を上げた。私に合わせろ、という意識を察し、プラムも同じようにする。


「降伏します」

 潜んでいるフクロウたちに向け、第一声に言い放つ。


「私はカーネリアン王国第十二王女、リンジェル・アリア・アメジストです」

 上げたままの右腕には、王族の証である銀の腕輪がある。


「取引がしたい。私には権力があります。そちらの要求の大半は叶えることができるでしょう。ボスに会わせていただけませんか」


 一部のフクロウに、困惑と警戒の気配があった。言葉を理解できる個体なのだろう。彼らの動揺を察し、言語能力のないフクロウたちも行動を決めかねている。


 すると、黒い風が吹いた。風にはくぐもった音が乗っており、それは何らかの指示だったのだろう、全体の意思が統一される。


 一体のフクロウが、二人の前に姿を現した。知性のある顔つきをしている。


「ツイてこイ」


 プラムとリンジェルの手に、木製の手錠がかけられる。二人は森の奥深くへと連れられる。



       ♦



 黒い森を歩く。木も、葉も、雑草すらも黒い。代わり映えしない景色がしばらく続いた。


 道筋を記憶させないためだろう、何度も意味のない蛇行をさせられた。視界が悪いことも相まって、やがてプラムは方角を見失う。歩いて、歩いて、小高い丘を越えた。

 それを境に、森が鮮やかな翡翠色に変わる。そこにあったのは、


「集落だ……!」

 思わず呟く。


 木造りの家が並び、その間をフクロウたちが飛び交っている。家の全てが木の上にあり、生態の違いを窺わせる。大木は例外なく捻じれており、色鮮やかであっても、魔界であることに間違いなかった。

 黒い森に隠された三層目。フクロウの巣だ。


 感嘆する。東四番街で感じたものとはまた違う。異なる生活感に圧倒される思いだ。


「木の実が光ってる」


 夜で日が落ちているにもかかわらず、フクロウの村は明るい。木の枝の先にある黄色い果実が街灯の役割を果たしているからだ。

 これも魔法だろう。どんな魔法なんだ? と、思わず覗き込んでしまう。


「ねぇリンジェル、見て」


 手が拘束されているプラムは、肩で一本の木を示す。その木からは不自然な形で幹が突き出し、蛇口のような形になっていた。


「あれなんだろう」


 まさか水が出るのだろうか。眺めているとフクロウが通りかかり、翼を手のように扱って幹を捻った。本当に水が出た。


「うわぁすごっ!」

「オ前、ウルサいゾ!」


 案内役のフクロウが怒った。




 二体のフクロウがプラムたちを乱暴に掴み、飛び立つ。その先、巣の中で最も高い位置に、一際大きな家があった。二人は投げ入れられ、その家に転がり込む。


 一目でボスの住処だとわかった。

 一部屋ながらも、室内は花や実などで豪奢に飾りつけられている。木材の質も良いのか、他の家よりも艶があった。シャンデリアを模した明かりが眩しい。奥には意匠を凝らされた椅子が王座のようにあり、そこに、一体のフクロウが不遜に構えていた。

 プラムたちはその前に座させられ、見下ろされる形となる。


「歓迎するゾ侵入者、クククク」


 ボスは、赤い目を醜く歪めた。燕尾服に似た衣装を身に纏い、大きな翼で嘴を覆うようにして、せせら笑っている。


「お初にお目にかかります。私は――」

「イらン」


 名乗ろうとしたリンジェルは、軽薄な声に遮られる。反対に、彼の方から名乗った。


「我輩の名はプリンス、フクロウの長ダ。この場でハ、我輩の名だけガ価値あるものと心得ロ。人間ノ名など記憶するニ値しなイ」


 なんだコイツは、とプラムは思った。表情にも内面にも、嘲りの色がありありと表れている。僅かなやり取りで、このフクロウを嫌いになった。


「まず言っておク。お前たち人間ハ、頭が悪イ!」


 プリンスは上体を大きく逸らし、胸を張り、最大限の高飛車を披露すると言い放つ。


「どれほど頭が悪いカ証明しよウ。小僧、その髪の色ダ」

「え、僕?」

「そうダ、その不必要に派手な色! それハ虚栄心の表れダ! 人間ハ地位に固執し、威厳などとイうくだらないものノために髭ヲ伸ばス! 髭すら生えなイ青二才の貴様ハ髪の色かと思うト、なんとも滑稽でナ」

「これは地毛だ」

「虚言まで吐くとハ、哀れなことヨ。クククク」


 一方でリンジェルは、コイツ馬鹿なんだな、と思った。

 プリンスの言い分は、又聞き程度の知識に自らの思想を無理やりあてはめたもので滅茶苦茶だ。プライドの高そうな性格も相まって完璧すぎる。


 そもそもプリンスという名前は何なのか。自分でつけたのだとしたら道化すぎる。笑いを堪えるのに必死だった。

 こんな挑発に揺さぶられる者などいないだろう。


「なんだとぉー!」

 いた。プラムが怒っている。


「君、意外と短気ですね」

「なんでだ! バカにされたら怒るだろ!」


 感情的な様子にプリンスは上機嫌になり、今度はリンジェルに目を向ける。


「だかラ訂正しロ。我輩はバカではなイ」


 彼女は一瞬、何のことかわからなかったが、すぐに思い出す。リンジェルは村に来た翌日、大空に向かって、バーカバーカ!! と言った。


「あれ気にしてたんですか? うふふふふ」

「訂正しロと言ってるんダっ!」

「申し訳ありませんでした。あなたは賢いです、プリンス」

「頭を下げル姿は惨めだナ。頭が悪イ」


 形だけの謝罪に満足した様子のプリンスは、尊大に息を吐く。所作の一つ一つから自己顕示欲が窺えるようだった。

 彼は大仰に翼を振るい、手の平サイズの竜巻を発生させ、見せびらかす。


「見ロ、この風ヲ! 数百年前、リーヴス地方の同胞が作り上げタ『音を拾う風』。それヲこの我輩ガ改良したものヨ。人間は通信機、などとイうものを使うらしイガ、あんなもノ、我輩に言わセればガラクタも同然。無駄ニ複雑、無駄ニ緻密、無駄ニ堅苦しい名前までつけたがル。ククク、頭が悪イ。頭が悪イ。この風の完成度を見ヨ。雲泥の差、じゃあないカァ?」


「お言葉ですが、その魔法は集音の精度や双方向のコミュニケーションなど、様々な面において通信機に劣っていませんか?」

「ククククク、人間にハ理解できまイこの素晴らしサ。だかラ頭が悪いというノダ。だが恥じるコトはないゾ? 下等な人間ハ、魔法が使えなイのだからナァ!」

「すごーい」


 リンジェルは心にもない称賛と、拍手を送った。


 おだてられたプリンスは鼻息を荒くする。蒸気機関車に勝るとも劣らない。ひとしきり満足した彼は落ち着きを取り戻すと、脚を組んで座り、肘を立て、再び見下すように構えた。


「さテ、降伏するンだったカ?」

「はい。もう勝ち目はないと諦めました」


 プリンスは耳に翼をあて、音を拾う。


「村ハまだ戦ってイるようだガ?」

「降伏は私一人の意思です。裏切ってきました」

「クククククククク、仲間を見捨てたカ! いいゾ、それなりニいい判断ダ! だが――」


 それまで軽薄なばかりだったプリンスの、空気が変わる。


「――頭が悪イ」


 プラムは殺意の高まりを感じ取る。


 背後に控えていた二体のフクロウが素早く動き、石のナイフを二人の喉元に突きつけた。続いて家に入ってきた九体が円を作るように並び、至近距離で矢を構える。

 外では数十体のフクロウが何重にも陣を張り、逃げ道を塞いでいた。


「見え透いタ罠だナ。この程度で我輩を騙せると思ったカ」


 尊大な態度はそのままに、プリンスの表情は、先程までと違う知性ある風格を漂わせていた。


「ククク、短絡的な王もイたものだナ。何を狙っテいたんだぁ、ンン?」

「待ってください。騙してなどいません。私は本心から――」

「本心だとシテも、魅力のなイ提案であることに変わりハないのだヨ。我々ハ、我々の手デ、この地を奪い取ル。人間の手など借りン」


 魔物としての誇りを覗かせながら、彼は涼し気に言い放つ。リンジェルに歪んだ赤い目を向ける。


「遺言はあるカ?」


 彼女は諦念のこもった息をつく。


「では、最後に質問させてください。私たちは、ネズミの城を三ヵ所まで絞りました。神殿、学校、下水道です。ですがどれが本命か計りかねています。気になって夜も眠れません。教えていただけませんか?」

「ククククク、教えるワケがないだろウ! 最期の悪あがキまで稚拙とハ! 頭が悪イ! 頭が悪イ! 頭が――」


「下水道……?」


 プラムは呟いた。

 高らかなフクロウたちの嗤笑が、凍りつく。


「今、下水道って言ったよね。頭の中で」


 プリンスはプラムを見た。嘴を開いて、絶句して、何も言えないでいる。


「ああ、いいですね。その間抜けな顔」


 リンジェルは、刃物が喉にあるとは思えないほどの、至福の笑みを浮かべていた。


「出し抜いている側だと勘違いした者が、嵌められたと気づいた時の、顔。大好きなんです」


 嗜虐的な表情だ。とても王女とは思えない。プリンスはなおも状況を整理できておらず、表情には動揺があった。


「自分には人間に勝る知性があると、勘違いしていたんですね。うふふふふふふ」

 口角を上げる。


「お前、頭が悪い」

「殺セ!!」


 フクロウたちは一斉に動く。

 ナイフが頸動脈を断ち、矢が頭を貫く。

 その直前、


 一陣の風が吹き抜けた。

 フクロウたちが次々に突き飛ばされ、倒れていく。


 気がつくと、プラムたちの前に一人の少女が立っている。


 何が起きたかわからず呆けるプラムは、かろうじて視覚が捉えた情報を整理する。どうやら、目の前の少女が風と見紛うほどの早業を魔物たちに叩き込み、守ってくれたらしい。

 が、自信がない。それほど速かった。


「遅いですよ、オレンジ」

「す、すすす、すす、すみません……っ!」


 オレンジと呼ばれたその少女は、名前の通りオレンジ色の髪をしていた。とんでもない実力者であろう彼女は緑の瞳に涙を溜め、ビクビクと及び腰になっている。


「え、だ、誰?」

「私の護衛その二です」

 リンジェルは微笑み、指で二の形を作る。いつの間にか手錠まで外れている。


 護衛? 驚愕する。気がつかなかった。感知できなかった。いったいどこにいたんだ。


「リ、リンジェル様ぁ……」


 オレンジは震える声で呼びかける。忙しなく目を動かし、敵を数え、今にも泣き出しそうになっている。


「さ、ささささささ、作戦とか、あ、ああ、あ、ありますよ、ね? ね? ね?」

「ありません! 逃げてください!」

「わあぁぁぁぁぁん! そんなことだと思ったあぁぁぁ!」


 プラムとリンジェルの腰が、オレンジの両腕にひったくられる。

 彼女の足に、膨大な白光が集中する。

 地を、蹴る。


 疾走。

 フクロウの包囲網は、オレンジを素通りさせた。


 違う。逃げられたと気づかなかった。

 目は白い線しか追えず、たっぷり三秒も遅れて、エ? と後ろを振り返る。


 追エ! 追エーッ! とプリンスが叫ぶ。


 景色がすさまじい速さで流れていく。

 翡翠色の森が黒になったと思ったら、その黒すらも緑に変わっていく。

 魔法の領域で、加護は二人分しかないにもかかわらず、驚くべき速度だ。


「何これすげええぇぇぇぇ…………――――」

 という声すらも置き去りにされていく。


「楽しいでしょう?」とリンジェル。

「楽しい!」とプラム。

「楽しくなんかないですぅ!」とオレンジ。


 景色はさらに移ろい、もう『はじまりの村』が見えてきた。


「待テぇぇぇぇェ!!」

 背後からプリンスが迫る。


 それなりに速い。しかし追いつけない。

 どんどん距離が離されていく。


 肩に担がれていたリンジェルは、追ってくる彼と目を合わせ、微笑んだ。

 大きく手を広げて、投げキス。

 プリンスの表情がピキリと歪む。


「バイバーイ♡」


 屈辱的な叫び声が響き渡る。




 森から脱出し村の東端に出ると、プラムは辺りを見回す。


「あれ、オレンジは?」

「気にしないでください。人見知りなんです」

「ああ、そう」


 あっという間にいなくなってしまった護衛その二の気配はやはり感知できず、足取りは追えない。

 いや、と彼はそこで思い直す。感情の残滓のようなものが、薄っすらと帯のように続いていた。その先には上手く隠された足跡がある。


「ありがとう。助けてくれて」


 プラムが呟くと、気配は一瞬、跳ねたように大きくなり、またすぐに消えてしまう。


 オレンジの気配は極めて希薄だった。虫よりも静かかもしれない。今までの彼だったなら、残滓すらも感じることはできなかっただろう。プリンスの時もそうだ。あの時のプラムは感情だけではない、はっきりと、心の声を聞いた。

 読心の力が、深くなっている。


「ねぇリンジェル」

「なんですか?」

「僕には、何ができる?」


 リンジェルは微笑む。


「理想の自分を思い描いてください。それらは全て実現する。君ならね」


 心臓が泡立つ。手の平に浮かぶ薄い血管に、血が激しく巡っているのがわかる。

 理想の自分。それは、どんな。


 ぼんやりと、彼は丘を降りていく。




「プラム! やっと見つかった!」


 降りると、村人の一人が血の気が引いた様子で迫って来たので、プラムは目を丸くする。


 村での戦いはすでに終わっていた。モグラは全て捕らえ、あるいは殺している。しかし、安堵の色はどこにもない。皆目の前の彼と同じような顔色をしていて、特に医術に関わる修道士たちが駆け回っている。


 何があったのか尋ねて、ようやくそれを知った。

 カールがネズミの毒にやられて、意識不明の重体だと。前村長のグレイがやられた時と同じことが起きたと。


「あら?」

 対応できているのではなかったのか、とリンジェルは驚く。


 プラムは急ぎ、町の病院へ向かう。



       ♦



『はじまりの村』は、地球全土を見渡しても類がないほど特殊な領域である。その最大の理由は、『生きた聖地』であることだ。


 村は発展を拒み、千年前の文化を保ち続けてきた。産業、建築、エネルギーなど、あらゆる技術が大昔で止まっており、景観も当時からほとんど変化がない。時間が止まった遺跡のような場所だ。


 文明の発展に逆らうというのは容易なことではない。時代の最新技術は世界を侵食するように広まり、その度に、聖地は危機に晒されてきた。そうした事態に対応するため、当時のグレゴリオ領主は周辺に、『スクラップタウン』と呼ばれる町を作り上げた。


 町の役割は、文明の利器を受け入れる傘。電化製品、水道技術、教育などの侵略を留める防波堤と言い換えてもいい。


 人道を疑うような低賃金で貧困層から雇われた町人は、町を維持するためだけに日夜働く。一方で村人たちは、純度の高い加護の恩恵を受けながら、文明の甘い汁だけを啜る。


 歪な構造は軋轢を生み、やがて村人と町人は対立するようになった。

 その解決に尽力したのが、若き日の前領主グレイ・グレゴリオだった。差別を解消し、町の名を『ディアタウン』と改め、その甲斐あって現在の二者は、不和を残しつつも協力し合える関係に落ち着いている。


 しかし、十年前にフクロウの魔物が出現したことで、対立は再び激化。東四番街の住人を失う事態にまで発展した。


 そうした出来事を繰り返さぬよう、グレイは懸命に働き続けた。一月前に予定していた外出もそのための取り組みであり、その道中をネズミに襲われ、殺害されたのである。



 リンジェルはメイジーを引き連れ、有名なカーツォ神殿を訪れていた。

 千年前のグレゴリオの行いは、非難されるべきものだろう。しかしと、彼女は思う。


 当時の町人たちを犠牲にして守られた聖地は、本当に美しい。眼前の神殿に宿る加護は、雄大で、深く、静か。月明かりが後光のように差し込めば、王都よりもよほど神様がいそうに見える。


 加護のいいところは、自然の光を妨げないことだ。おかげで、星空は満天に輝き、オーロラのグラデーションはこんなにも輝いている。



 千年前の景色を楽しみながら、リンジェルは歩く。


 カールがネズミの手にかかった原因は、護衛の戦士のミスだった。一ヵ月に及ぶ緊張状態の疲弊ゆえ。そして、村人と町人の伝達ミスゆえ。グレイを失ったことが、ここに来て響いている。体よりも先に心が乱れている。


 続けざまにグレゴリオの二人が倒れたことで、地区の加護はくすんでいる。伴って不安が伝染し、光の純度はさらに落ちる。

 極めてまずい状態だ。敗戦の空気が漂い始めている。


 敵はただでさえ周到に準備を進めており、こちらは後手を強いられている。その上に気力まで死んでいたのでは、いよいよどうしようもなくなってしまう。現時点でかなりの劣勢であることは疑いようがない。


 早急に手を打ったとしも、果たしてどこまで巻き返せるか。

 魔物と相対してきた経験則、プリンスの発言の端々にあった自信、状況。それらを鑑みて、リンジェルは呟く。


「もう詰んでるかな、これ」




 病院に行くと、パフェがいた。パンをかじっている。

 咀嚼する口が、リンジェルを見て止まった。見られた、という顔をしている。


「うふふ、いけないことしてますね」

「な、何も食べてないです!」

 彼女はパンを背中に隠した。しかしすぐに、


「あ、ダメダメ、嘘はダメ」

 と考え直す。


「本当は食べました、夜食……」

「いいじゃないですか、背徳の味です」

「プラムには言わないでください!」

 と、言った後、病院だったことを思い出して口を噤む。


「プラムには言わないでください」

 小声で言い直す。


「そのプラムは一緒ではないのですか?」


 リンジェルは首を回す。二人はいつも一緒にいる。てっきり近くにいると思っていた。


「私もほんの少し毒を受けてしまったらしくて。念のため離れてるんです」


 ネズミの毒に感染力がないことは確認済みだが、加護を持たないプラムは例外の可能性がある、と彼女は説明した。


「カールは、一命を取り留めたそうですね」

「はい。本当によかった……」


 領主が助かったというのに、パフェの顔は浮かない。うつむいて、噛み後の残るパンを眺めるだけだ。


「今日が初めてじゃないんです、夜食。最近忙しくて、食べる時間がなくて、生活がずれてしまって。神職の使用人がこれじゃいけませんよね」


 彼女は声を落とす。その背には、重い罪の意識がのしかかっている。


「主様が亡くなったのも、カール様が襲われたのも、私が悪いんでしょうか」


 かなり心をやられている、とリンジェルは思った。


 パフェだけではない。皆が疲弊している。魔物の恐怖と不安は、確実に人々の精神を蝕んでいた。そこに被害が重なったのでは無理もないだろう。

 限界が近い。



       ♦



 プラムは屋上にいた。


 彼のそばについていたシルバーは、主の姿を確認して一歩下がる。

 ぼんやりと星空を眺める後ろ姿に、リンジェルは声をかけようとした。



 ピ ポパ ピ



 喉から出かかった声を、引っ込める。


 音が鳴った。何とも奇怪で、電子音のようだった。少なくとも、人間が出せる音ではないように思えた。

 音は、プラムの口から発せられたように聞こえた。


「プラム」


 呼ぶ。少年は振り返る。


「今のは、何をしていたんですか?」

「なんだろ」


 彼は、感情の読み取りにくい無機質な表情で、答える。


「交信できるような気がしたんだよね」


 リンジェルの心は沸き立った。

 目覚めつつある。

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