第9話 第三章「超人の器」


「パフェは本当に優秀ですね」

 対面に座るリンジェルが、ふと呟いた。


「あれほど魔法に精通している人は王都にもそういません。彼女のおかげで調査の日数が大幅に短縮されました」


 パフェは、魔法に関する異常の有無、敵の情報に繋がる痕跡の有無の精査がとにかく迅速で、的確だった。王女はそうした手腕を高く評価し、称賛している。

 恐るべき手の平返しに、プラムは眉間の皺を寄せた。


「あんなに嫌ってたのに」

「嫌っていたわけではありませんよ。むしろ人柄としては好感が持てる部類です。立ち位置が悪かったですね」

「人柄って例えば?」

「尽くしてくれそうじゃないですか」

「さいてー」

「うふふ」


 二人は、西二番街の古びた宿泊施設で夕食を取っていた。ただでさえ旅行客の少ない町だ。十年前にフクロウが現れてからはさらに人が寄り付かなくなり、経営が立ちいかなくなって箱だけが残ったところを、リンジェルが貸し切った形になる。


 いったいどんな魔改造を施したのか、内装は雑誌の中でしか見たことがないような高級ホテルと遜色ない煌びやかな輝きを放っており、外観とのギャップが大変なことになっている。

 メイジーがこれをやってのけたらしく、いったいどんな魔法を使ったんだ? 彼女も魔物なんじゃないのか? とプラムは疑いたくなった。


「今は大好きですよ、パフェのこと」

「優秀だから?」

「ええ、優秀だから」

 現金だなぁ、と嘆息する。


 昨夜、調査が終わるとリンジェルは、明日食事でもどうですか? とプラムを誘った。何か企んでいることはわかっていたが、丁度パフェが使用人の仕事で手が離せないこともあり、彼女の負担が減るならとついて行くことにしたのだ。


 すると、待っていたのは王城さながら忠誠心あふれるもてなし。料理人さながらの手際で出てくる料理はどれも絶品であり、とてもメイジー一人で回しているとは思えなかった。やはり分身でもしているのではないかと疑いたくなってしまう。


 ちなみに、プラムは少食なので、リンジェルよりも皿が一回り小さい。


「もったいないですね」

 彼女はメインの豚肉を口に運びながら嘆く。

「彼女ほどの才能が大学にも行かず埋もれてしまうのは心苦しいです」


 プラムも同じ豚肉を飲み込んで、フォークを持つ手が止まる。頭を掻き、考え、尋ねる。


「ねぇ、やっぱり大学って行った方がいいの?」

「そうですね。大学に行かないと研究者になれませんから。それに、肩書は大事です」

「ふぅん」


 彼は次の一口に手を伸ばさず、フォークを手の中で弄ぶ。


「もどかしいですか?」

 リンジェルは片目を瞑り、薄紅の瞳でプラムを覗き込むようにする。

「私も同じもどかしさを、君に感じているのですよ?」


「何の話?」

「君の話です。もったいないですよ。それほどの肉体と力に恵まれながら、発揮しようとしないんですから」

「そんなのないよ」

「では、あると仮定しましょう」

「それは無理じゃない?」

「とりあえず、そういうことにしましょう」

「……あっても意味ないよ。そんなすごい力使ってやりたいことなんてないし」

「本当に?」

「え?」

「本当にありませんか? やりたいこと。夢。野望」


 宝石のような両目が、じっと、こちらを見据えていた。


 本能が理解した。もうこれは雑談ではなく、王から民への問答へと切り替わっているということを。

 声に冷たさはない。ただ、権威ある者の覇気のようなものがリンジェルの全身から漂っていて、部屋の空気を重くしている。


「……やっぱり、ないよ」


 考えた末に、プラムはそう答えるしかなかった。悪いことをしたわけでもないのになぜか居心地が悪くなり、つい目を逸らしてしまう。

 リンジェルは微笑み、悩める民草を見下ろすようにしている。


「まだ気づいていないのかもしれませんね」

 彼女は自分の瞳を指差し、続ける。


「私にはね、君の瞳の奥にはいつも、不満があるように見えるのですよ」

「不満?」

「羨望、の方が適切ですかね。君は何かを強烈に羨んでいる」


 訝しんでいるプラムにリンジェルは、いいですか、と前置きすると、テーブルにあったティーカップを一つ手に取って掲げ、語り出した。


「このティーカップは、人の器です」

 カップを置き、ポットの紅茶を注ぐ。


「今のプラムはこの紅茶一杯分くらい、満たされているのかもしれません」


 一人分の器に一人分の紅茶だ。なら十分じゃないか、とプラムは思ったが、彼女は「しかし」と続け、カップを指で叩く。


「これは凡人の器です。君は超人だ。超人には、それにふさわしい器があるのですよ」


 リンジェルが後方に手をやると、メイジーがその手にワインボトルを渡した。中に酒はなく、空だ。彼女はそのワインボトルを持ち上げて、言う。


「君の器は、こっち」


 そう言ってボトルをテーブルに置き、先程のカップと並べる。そして、凡人の器と超人の器のうち、凡人の方を指差した。


「君はこちらを満たして、満足している――フリをしている」


 リンジェルはカップのふちをボトルの口につけ、中の紅茶を器用に注いでいく。移し替えられた紅茶は、当然ボトルを満たさない。空白を持て余すように、液体は揺れている。


「ほら、こんなに寂しそう」


 彼女は微笑み、そのボトルを隅に置くと、今度はいっぱいに満たされた、新品のワインボトルを取り出した。


「こちらを満たせるものが見つかるといいですね」


 メイジーがコルクを空け、赤ワインをグラスに注いでいく。リンジェルは受け取ったグラスを傾け、プラムと乾杯するような仕草をすると、祝福を先取りするかのように、酒を呷った。

 瞳が、試すように少年を覗いている。


「……意味わかんないよ」


 プラムはそう言って、そっぽを向いた。

 リンジェルの話は遠回しで、半分も理解できなかった。心当たりなんてちっともなかった。そう思うことにした。


「僕はリンジェルとは違う」


 目を合わせないまま、否定の言葉を述べる。

 彼女は微笑みながら耳を傾けている。


「何でそんなに欲張りなんだ。王女様なんだから、十分満たされてるんじゃないのか」




 満たされていない者がいる。

 パフェは決して口に出そうとはしないが、本当は大学に行きたかったんじゃないかと、プラムはずっと疑っている。


「よくないこと考えてるでしょ?」

 対面に座るパフェに、突然言われた。


「え?」

「だって今日全然喋んないんだもん。そういう時のプラムは、変なところで遠慮して抱え込んでるの。当たり?」

「当たりじゃない」

「ふふ、わかりやすい」


 翌日は家で、パフェの作った夕食を取っていた。リゾットをスプーンですくい、口に運んでいく。

 パフェの追求は続く。


「それで、何を遠慮してるの?」

「なんでもない」

「何か隠してるでしょ」

「そんなことない」

「教えてよー」

「ん」


 プラムは答える代わりに、自分の皿からリゾットをひとすくいして差し出し、口止め料とした。


「これあげるから、何も知らなかったことにして」

「えー、じゃあしょうがないなー」


 交渉は成立する。パフェは身を乗り出し、スプーンに口をつけると、こぼれないように口元を手で覆う。


「ふふっ、美味しいねぇ」


 丁寧に噛む彼女は表情を綻ばせ、幸せそうに、美味しい美味しいと繰り返している。しかし、その嬉しそうな顔も、義弟の考え込む姿を見てすぐに陰ってしまう。


 昨夜のリンジェルとの会話が、プラムの頭から離れなかった。忘れようと努めてもいつの間にかぶり返し、気がつくと頭の中を支配している。いつまでもすっきりしなくて、気持ち悪い。


「ねぇパフェ」

「何?」


 堪え切れずに、一つ尋ねてしまう。


「もし僕にすごい才能があって、その才能のために僕が、村を出たいって言ったら、パフェは、どうする?」

「うーん」


 パフェはいつも通りの、取り繕った明るい顔で、答える。


「もう少し大人になってからだったら、いいよ、って言う。ちょっと寂しいけど、プラムが楽しいのが一番なんだから」


 あ。


「あ、でも、あの王女様のところはダメだよ。なんていうか、その……まだ信用できてないんだ」


 これ嘘だ。


「あ、あ、今の話、誰にも言わないでね。もし王女様に知られたら、不敬罪で大変なことになっちゃうんだから。うん」


 執着が見える。大きな執着が見える。

 本当はどうあっても、そばにいてほしいんだ。


 パフェは微笑んでいた。繕いがほんの少しだけ剥がれて、目尻が悲し気に下がっている。本音が一欠片だけ、漏れる。


「でもできれば、もうしばらくこのままでいたいな」




「あり得ませんよ。このままでいるなんて」

 東四番街に向かう道中、リンジェルは嘲るように言った。


「何が?」

「世界情勢の話です。多くの民は革新を好まず、今のまま様子を窺うのがいいと、そう思っているのです。嘆かわしいことです」

「難しそ」

「簡単ですよ。要するに、皆腰抜けってことです」


 彼女は実に清廉潔白な微笑みで毒を吐くと、指を一本立て、

「一つ、質問します」

 とプラムに向き合った。


「今、この地球を支配している動物は何だと思いますか?」

「……人間じゃないの?」

「私はそうは思いません」


 リンジェルは王族の証である、銀の腕輪を弄る。


「地位や権力が健在なのでそれっぽく見えますが、力関係の上ではすでに逆転されているように思うのです。それほど魔物の進歩は速い。時代を置き去りにする勢いです。全てひっくり返されるのも、時間の問題なのではないでしょうか」

「……そうかもね」


 プラムは七歳の頃から、足音のようなものを感じている。もう随分と、近くまで来ている。


「私はこれまで、数多くの知性ある魔物と接触してきました。尋問であったり、交渉であったり、状況も立場も異なりましたが、一つ共通点がありました。彼らは一様に、目が怖い」


 その時のことを思い出したのか、リンジェルの口は弧を描き、瞳は怪しく光っている。


「下剋上する者の目ですよ、あれは。魔界全体に伝染しているあの執念が、ここまでの発展を可能にしたのです。今の人類に最も必要なものです」


 それがどんな目なのか、プラムにはすぐにわかった。リンジェルがそうだ。宝石のような瞳の奥で、大きな衝動が揺れている。

 ニックスに化けたキツネも同じような目をしていたと思い出した。


「王族なのになぜ欲するのかと、以前聞きましたね。答えましょう。意味がないからです。人間という種の支配階級に立っていたところで、人間は地球を征しているわけではないのだから、ありがたみなんてたかが知れているのですよ」


 彼女は手を広げて早朝の星空を仰いだ。野望を謳う。


「私はね、プラム、王様になりたいのですよ。国の、ではありませんよ。地球の王様になりたいのです。人が惑星を奪い返し、三千年続いた戦いに、今度こそ完全に決着をつけるのです。それこそが、人々が真に求める平和なのだから」


 内なる欲望を控え、リンジェル・アリア・アメジストはそこで、王族の品格を取り戻す。背筋を正し、改めてプラムに手を差し出した。


「私と来てください、プラム・ブルー。君の力が必要です」

「……」


 プラムはしばらく沈黙した。

 首を縦に振りそうになってしまう。手を取るべきだという、確かな直感があった。だが、しかし、


 悲痛の顔が脳裏をよぎる。


「僕は行かない」

 固い意思で拒絶した。

「パフェがかわいそうだ」


 義姉のことは裏切れない。だから、翻意することは絶対にない。

 リンジェルは特に困った様子もなく、そうですか、とだけ言った。




 その夜、プラムは指先を切った。草が鋭く擦れたのだ。その程度のことで彼の身体には傷がつく。

 線のような傷口から、つぅ、と血が流れる。赤い。


 ――ずっと、使命感に駆られている。


 お前はどうしたい? と、心の中で血液に尋ねた。

 すると、血が沸騰したように泡立ち、火のように熱を帯びる。動け、暴れろ、と叫び出す。そんな幻覚を見た。


 プラムは指先を舐める。口に含み、飲み込む。

 唇が、赤く染まる。




 二週間ほどかけて、調査隊はついに巣の中心部へとたどり着く。


 変色の度合いは、もはや入り口の比ではない。暗い配色がひしめき合い、毒の強い景観が目に飛び込んでくる。変質を繰り返した石やレンガはもはや原型がなく、建物は不気味なオブジェと化していた。


 真に魔物の領域だ。加護の浄化も、一日や二日では済まないだろう。

 芸術家が作ったような歪んだ町は不可思議で、禍々しく、理解できない。


 プラムはそこで、魔物の群れの気配を感知する。

 南方の神殿、西方の高等学校、地下の下水道。


 この三ヵ所のうち、二つは恐らくダミーだ。そこまではわかる。ただ、本物の敵の寝城がどれかまでは判別できない。

 ネズミは、どこにいる。



       ♦



 村長が殺害された事件から、すでに一ヵ月の時が流れている。

 しかし、キツネの騒動以降、魔物が現れたという情報は一つもない。定期的に村を襲撃していたフクロウまで、現在は鳴りを潜めている。


 変わらない日常、変わらない平和。調査隊に関わっていない人々は、非常時であることを忘れつつあった。


 恐ろしいことだ。油断していた隙を突然現れた魔物に突かれ、殺されたら、どうする。そんな眠りを浅くするような不安に、彼らは苛まれている。

 ただ、いくら気を張るように努めていても、緊張の糸は緩んでしまうもので、極夜祭の準備をする人々の思考は段々と、警戒態勢を敷く守人のものから、祭を楽しみにする現地人のものへと移ろっていた。


 街灯のない村には、加護の光がそこかしこに浮遊して夜の闇を照らす。映し出されるのは、談笑する人々、踊る人々、酒を飲む人々。

 そんな時だった。


 地鳴り。地震にも満たない微かな震えを足元に感じる。

 道を歩いていた村人は、下を向く。


 もぐらがいた。土から頭だけを覗かせている。細い髭が、マナの混じった物質に特有の捻じれ方をしていた。モグラの魔物だ。


 モグラは地面から飛び出し、爪を振るう。


「うぁ……!」


 腕を抉られた村人は、短く悲鳴を上げ、尻餅をつく。じくじくと痛む傷口の感触で、ようやく危機感が蘇った。魔物だ。魔物だ。


「魔物だぁぁァァっ!」

「ギィ――――――――ィチチチチ‼」


 モグラが嘶く。全身からマナが放出される。二足歩行の足元を中心に、大地が紫に塗り替わっていく。




 報告を受けた調査隊は眼下の村を見下ろす。

 複数箇所で戦いが起きているのが見て取れた。侵略し変色させるマナに対し、眩い加護の光が飛び交っている。


 プラムは感知する。数は二十と少し、村中に均等に散らばっていて、すべて単騎だ。遠くて判然としないが、ステージ3相当に思える。


「状況は?」

 リンジェルが尋ねる。

「怪我人が少々。今のところ問題なく対応できているようです」

 メイジーが説明する。


「行かなきゃ」

 飛び出して行こうとするプラムを、


「待った」

 リンジェルは腕で止めた。

「今襲って来るのは妙じゃありませんか?」


 訝しむプラムを無視して、彼女は思考を続ける。


 巣に侵入されても動きを見せなかった魔物たち。リンジェルは、城での防衛戦によほど自信があるのかと推測していた。しかし今回の奇襲は、その推測と食い違う。


 いやそれ以前に、攻勢に出るのならもっといいタイミングはいくらでもあった。混乱して対応が遅れているわけでもない。前のめりになって防御が手薄になっているわけでもない。あまりにも中途半端だ。


 では、目的は攻撃ではないのか。だとすれば何か。


 彼女はキツネの供述を思い出す。

 ――ネズミがやろうとしているのは戦争じゃない。もっと酷いこと。


「時間稼ぎ、かな?」


 プラムは落ち着きなく、そわそわと足踏みをしている。まだ待たなきゃいけないのか、と言わんばかりだ。

 その手を引く。


「行きますよ、プラム」


 リンジェルは村から目を逸らし、東に足を向けた。


「メイジー、私たちの行方は適当に誤魔化しといてください」

「かしこまりました」

「ちょっと、どこ行くの!」

「梟の森です」


 呼び止めるプラムに答える。


「フクロウのボスとお話ししに行きましょう」

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