第8話 第三章「無能の日々」


 生まれた時からずっと、使命感に駆られている。




「リンジェル様って怖いとかないの……ですか?」


 調査隊は順調に前進を続け、日を追うごとに巣の中心部に近づきつつある。奥へ進むにつれて景色はますます変化し、プラムは、魔界という表現が大袈裟でないことを理解した。


 まず、変色が濃くなっているのは当然として、建物や道路が捻じれ始めている。三階建てのアパートはぐにゃりと折れ曲がっており、ほとんど傾いている。どうしてあれで窓ガラス一つ割れず、バランスまで保たれているのか不思議でならない。マナのせいか視界が正常ではなく、空まで歪んで見える。空気の味も、匂いも、まるで別物だった。


 意味もなく蛇行し、波打っている通りを調査隊は進む。その後ろを、プラムとリンジェルは並んでついて行く。パフェは忙しく、今日は同行できなかった。彼女の代わりにメイジーが耐性のないプラムに加護を送っている。


 先へ行くほど、調査隊の緊張や不安が高まっていくのがプラムにはわかった。異質な空間に圧倒されている。口数が少なくなっている。ピリピリしている。

 そんな中、唯一欠片ほどの恐怖心もない者がいたので、尋ねたくなったのだ。


「敬称も敬語も外していいですよ」

「じゃあ、リンジェルは怖いとかないの?」

「君だって怖くないでしょう?」

「うん、全然」

「同じですよ」

「いや、違うよ」


 のらりくらりとしたリンジェルの受け答えに、プラムは首を振る。彼女とは条件が違った。


「リンジェル、嫌われてるよ?」


 彼女の打ち出す方針は的確でかつ迅速だったが、プラムの件も含め、強引なことが多かった。振り回される地区の人々にはストレスが溜まり、悪評にも繋がる。ただその代わりというべきか、リンジェルには一切と言っていいほど迷いがない。

 なぜそこまで割り切れるのか気になった。


「失敗とか怖くないの?」

「怖くないですね」

 リンジェルは即答した。


「君がいるからです」

 と、続けた。


 なぜそこで自分の名前が出てくるのか、プラムには理解できなかった。


「私の方針がどれだけ間違っていて、どれほど致命的な失態を犯したとしても、君が本来の力を発揮すれば、最終的に我々が勝ちます。だから怖くない」


 彼女はプラムに目を向ける。その眼差しには、絶対の信頼が宿っている。


「君は超人ですから」


 超人?




 冬至まで一ヵ月を切り、イーグル地区では極夜祭の準備が進められていた。その名の通り、極夜の日に催される祭だ。

 北の端にある『はじまりの村』は日照時間が短く、一年に一日だけ、日を通して真っ暗闇の極夜が訪れる。真っ暗だからこそ、光を与えてくれた神に感謝し、祈りを捧げる。そういう祭だ。


 魔物が現れたこの緊急時に何を呑気なことを、と思うかもしれないが、逆だ。魔物が現れたからこそ、祭は絶対に開かれなければならない。


 加護は伝統に宿る。長く続けば続くほど、そこに宿る光は大きくなり、研ぎ澄まされていく。

 極夜祭は、三千年間一度も途切れることがなかったと記録されている。世界で最も古く、最も愛され続けてきた、神聖な伝統だ。祭が開かれるその日、村の大地には、それはそれは美しい光の奔流が立ち上り、最も暗いはずの一日を純白に染め上げる。光は村全体の生命力を高め、それを浴びた村人や町人の加護もまた高める。


 極夜祭は、娯楽であると同時に最大の儀式でもあるのだ。地区の防御や結界の中核はこの祭が担っている。だから、たとえどんなことがあろうとも、途切れさせてはいけない。途切れることは神への裏切りであり、怒りを買ってしまうからだ。以降の儀式は純度が大幅に落ち込み、防御も結界も衰えることだろう。


 巣の調査に、祭の準備にと、地区では、大人も子供も忙しなく走り回っている。働く人々はしかし、笑顔を絶やさない。村長が殺害され、これからも辛いことが起こるだろうと予想される日々だからこそ、皆明るく笑って、不安を吹き飛ばしているのだ。活気は衰えず、騒がしい。真剣ゆえに村人と町人が時折揉めるのも、毎年の恒例だった。


 祭の準備を手伝いながら、プラムはまったく関係ないことを考えていた。

 超人ってなんだ?


 プラムのことを言ってるのなら、あまりにも間違っている。なぜなら、



「プラムは……どうしようか」

「どうしよう」


 教員は頭を悩ませ、プラムも同じようにする。

 中学校の生徒たちは教会に集まり、祭のための装飾を行う仕事をしていた。級友たちが聖具室に出入りし、祭具を運んでいく様子を彼は眺めている。


 プラムは祭具に触れることができない。神聖な祭具はそれゆえに丁重な扱いが求められ、加護を纏わない穢れた手で触れることは禁じられているのである。


 石鹸でよく洗えばいいとか、そういう問題ではない。加護の浸透している文化圏において、石鹸というものは存在しない。必要ないからだ。加護を纏う者たちの体は、生半可な薬品に頼らずとも清潔に保たれる。


 そうした事情から、彼一人だけが時間を持て余し、できる仕事を探している状況だった。


「じゃあ祭服の洗濯でもお願いしようかな」

「それもできないです」

「ああ、そうか……」


 加護の文化圏において洗濯とは、洗剤と水を使って汚れを洗い流すものではない。白い光を与えて汚れを浄化するものだ。ゆえに、加護のないプラムは洗濯ができない。

 洗濯に限らず、掃除、洗いものといった類のことは、プラムは一切できない。よしんばできたとしても、他の誰かがやった方がよほど効率よく、綺麗になる。風呂というものも存在せず、身を清めることすら、パフェの加護を借りなければできない。


 それだけでなく、例えば料理であれば加護がないため味が落ちるし、物作りであっても耐久性や色艶に難がある。花に水をやっても中々育ってくれない。何をするにしても、他者より一段劣るものとなってしまう。


「じゃあ、書庫の整理でもしてもらおうかな」

「わかった」


 教員は困り果てた末に、雑用を割り振るしかなくなる。


「わー! どいてどいて!」


 声に振り返ると、女子生徒が大きい荷物にバランスを崩し、こっちに迫ってくるところだった。プラムは避けることができず、ぶつかり、後方に吹き飛ばされる。


「あー! プラムが吹っ飛んだー!」


 男子生徒の一人が叫び、同級生たちは作業を中断して駆け寄ってくる。


「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!」

「いってー……」


 地面に背中を打ちつけたが、問題なく動けた。上体を起こし、傷の具合を確認する。手の甲から血が出ていた。石の床に擦ったらしい。


 流れる赤い液体を見て、その場にいた全員が青ざめる。


「血だぁぁっ!! プラムが血ぃ流したぁぁっ!!」


 大騒ぎ、叫喚の嵐だ。しかしこれは大袈裟な反応ではない。


 加護を纏っている人々は、血を流すような怪我を滅多に負わない。血が出るというのはすなわち重傷であり、戦士隊など戦闘を生業とする者しか経験しないような、珍しい現象なのである。


 中学生たちは腫れた皮膚やめくれた皮を見て、どんなに痛いのだろうと想像し身震いする。プラム一人に対して六人がかりで光をかけ、修道士さん呼んでくる! と大慌てで駆け出していく者すらいる。こういうことが起きるたびに、プラムは居心地が悪くなる。


「あのさ、大丈夫だよ? そんなに痛くない」

「瘦せ我慢をするなっっ!!」


 すごい剣幕で叱られた。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 プラムにぶつかった女子生徒は正座になり、目に涙を浮かべ、土下座しそうな勢いで頭を下げ続ける。


「パフェになんて言えば……!」


 家まで謝りに来るつもりらしかった。

 恐縮する女子生徒にパフェまで恐縮して、謝り合戦が始まるだろうことをプラムは予想する。


 中学生たちは経験のない応急処置に戸惑い、結果、全員のハンカチをとにかく傷口に押しつけ、ぐるぐる巻きにして止血するという荒療治に出た。修道士が正しい処置を施すまで、プラムの右手はボクサーグローブをはめたような形のままだった。長椅子に座らせられると、安静を言い渡される。


「しばらく休んでるといいよ」

 コロンが気遣うように言った。


 小柄なはずの彼は重たそうな荷物を軽々と片手で持ち上げている。キツネに受けた傷も全快しているようだった。加護のおかげだ。

 プラムではこうはいかない。荷物は両手で運ぶのも難しいだろうし、傷口は未だに痛む。


 祭具に触れたとしても戦力外だ。

 これほど無力な人間を超人と呼べるだろうか? 絶対にそんなことはない。


「ねぇコロン」

「何だい?」

「僕って超人だと思う?」

「何を言ってるんだ君は」


 コロンはそれだけ言い残し、仕事に戻っていってしまう。




 グレゴリオ邸から離れた村の外れに、小さな小屋がある。プラムとパフェは、そこに二人で暮らしていた。


「おっきい荷物だね」


 帰って来たプラムの膨れ上がったバッグを見て、パフェは驚く。中に入っていたのは、大量の野菜だった。


「リリビィに無理やり持たされた」

「そう、ちゃんとありがとうって言った?」


 プラムは、帰り道にばったり出くわし、嬉々として追いかけ回してきたリリビィのことを思い出しながら、拗ねた顔つきで答える。


「とても残念ながら、言わざるを得なかった」

「偉い偉い」


 頭を撫でるパフェの表情はいつも通り明るいが、声にはどこか生気がなかった。かなり疲労が溜まっている。足取りも重いように見える。読書中でもないのに眼鏡をかけているのは、目が疲れている証拠だ。なんだかすぐにでも倒れてしまいそうだった。


 しかし、彼女は弱気を隠すように笑顔を作ると、


「待ってて、すぐ夕飯作るから」

 と台所に向かって行こうとするので、慌てる。


「え、大丈夫? すっごい疲れてそうだけど」


 プラムが言うと、彼女はギクッという音が聞こえそうなほどわかりやすく肩を跳ねさせ、硬まる。そして、ぎこちなく誤魔化す。


「そんなことないよ?」

「えー、だってクマすごいよ」


 目元には、化粧でも隠し切れないほどの濃いクマ。指摘されたパフェは二本の人差し指で目の下を覆う。


「ほら、クマ消えた」

「いやいやいや、それは無理だって」


 咎めるプラムに対し、彼女はようやく観念したように嘆息する。


「ごめんね。わかっちゃった?」

「うん」


 パフェはとても優秀な人物だ。それゆえにできることが多く、極夜祭で忙しくなるこの時期は特に、大量の仕事を抱え込んでしまう。


 彼女が今請け負っているのは、グレゴリオの使用人としての普段の仕事、魔物の巣の調査、調査で発見した手がかりの分析、極夜祭の準備、家事。

 そんな中で日課の勉強も続けているのだから、疲れない方がおかしい。


「せめて使用人の仕事は休みなよ。リリビィに伝えてって言われたんだ。『少しは休みなさい。給料は払うから』って」

「それはダメだよ」


 あろうことか雇用主からこうまで言われているのに、当のパフェは粛々と首を振った。静かな声には、強い拒絶を込められている。

 彼女は腰に手を当てると、いい? と出来の悪い生徒を諭すように言った。


「加護は習慣に宿るんだよ。とにかく続けることが大事なの。仕事だってそうだよ? ちょっと忙しいからって休んだら、神様に失礼でしょ?」

「いやでも……」

「それにね、そうやって培った加護がプラムに渡れば、プラムが元気になるでしょ? そうすれば、今度は私が元気になるの。つまりたくさん働けば働くほど、私は元気になるんだよ」


 その理論はどう考えても破綻していたが、パフェも無理に説得する気はないようだった。ただ有無を言わせぬ空気だけがそこにあって、口を噤む。

 彼女は義弟の手を取り、加護を与える。プラムの身体は、薄い光を帯びる。


「元気になった?」

「……うん」

 と、答えるしかなくなる。


「よかった」

 彼女は笑い、自分も元気になった、というポーズを取る。


「ごめんね。ちょっと眠いだけで、全然大したことはないの。もう心配かけないようにするからね」


 心が読めなくともわかる、見え見えの嘘だった。

 パフェは台所に向かってしまう。


「……」

 やることもないので、ソファに腰かけた。じっと、調理を進める背中を見つめる。


 プラムとしては、別に無理をしたいならそれでもいいと思っていた。ただ、せめて料理くらいは手伝ればよかった。しかし、彼の体質ではそんなことすらもできない。


 毎日の食事には加護が宿っていることが望ましいに決まっていたし、それは緊急時ならなおさらだ。

 そうでなくても、パフェの言い分に則るなら、『家事は私の仕事なんだから、私がやらなくちゃ意味ないんだよ』ということになりそうだし、実際言われそうだった。


 家の中でも、プラムは何もできない。手盛り無沙汰になって、脚をぷらぷらと動かすだけ。




 去年の今頃、やはりパフェが忙しそうにしていたので、プラムは家を出たことがあった。そうすれば、少しは楽になるだろうと思った。

 ヲルドー山のすそに雨風も防げない出来損ないのような小屋を建て、そこで一人で暮らそうとした。


 パフェは驚いて、村中を探し回ったらしい。ほどなくして見つかった雪の日、傘を差したパフェは泣きそうになっていた。


「しばらくここに住むよ」

「ダメ! 一人じゃ生きていけないよ!」

「……じゃあ、他の家で世話になる」

「……!」


 彼女はしばらく黙っていた。今にして思えば、グレゴリオの養子になる話を断って二人で出て来たばかりのことだったから、不安定になっていたのだろう。別の言葉を選べばよかったと後悔した。


「私と一緒に暮らすの、嫌かな……?」


 その時の顔があまりにも衝撃的だったものだから、プラムは酷く狼狽えた。


 パフェは一人でいる方がよほど疲れているように見えた。だから家出は三日ともたずに終わって、すぐに二人暮らしに戻った。




 以来、パフェはこれまで以上に疲れを見せず、気丈に振る舞うようになった。いつもニコニコ笑っているし、クマも化粧で隠そうとしている。

 けれど、いくら表面を取り繕ったところで、プラムには全部わかってしまう。どうすればいいかわからなかった。


「ねぇ、なぁにこれ?」


 気づくと、料理の手を止めたパフェがプラムのバッグを覗いていた。野菜で隠れていた底に、卵が転がっている。


 それは、卵の殻に意匠を施した、極夜祭の伝統的な飾りであった。この時期になると、地区全体に飾りつけるために、毎千何万という数の卵が人々の手で作られる。彼女が見つけたそれは、銀色に塗られていた。


「わぁ、これかわいい! プラムが作ったの?」

「え、そう?」

「すごーい素敵」


 今日も雑用係となったプラムは教会の雑草を抜きながら、せめて何か祭に貢献できないかと、空いた時間で卵を作っていた。精一杯頑張ってみたのだが、やはり他の人が作った物と比べると質が悪いのは明白で、仕方ないから持って帰って来たのだ。


「これどこに飾ろっか」


 一点の曇りもない心でそう言うパフェに、プラムは困った顔をする。右手の手さげ袋をひっくり返して、中身を広げる。


「どうしよ、あと百個あるんだけど」

「えぇーっ!!」


 ごろごろと転がる卵の群れ。体力と集中力だけはあるプラムは無心で作っていて、百個目に突入していると気づいた時には本人が一番びっくりした。


「あはははははっ!! 何これー!」


 パフェがあんまりにも楽しそうに笑うものだから、せっかく作った卵が無駄になって少し落ち込んでいたプラムは、嬉しくなった。


「いけないいけない。あんまり大声で笑ったらはしたないよね」


 彼女は両手で口元を覆って、必死に笑いを堪えている。

 その心にわだかまっていた疲れが、ほんの僅かに溶けてなくなったのがわかって、プラムはさらに嬉しくなった。


 プラムは、置物なんかじゃない。足を引っ張ってなんかいない。自分はいるだけで、パフェの元気にきっと貢献している。そう信じることにした。


 信じたい。

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