第7話 第三章「魔界」


 前村長グレイ・グレゴリオの葬儀は、アラミア大聖堂にて執り行われた。


 村から、町から、大聖堂には地区の人口の半分以上が集まっている。緊急時に守りを手薄にするわけにはいかず、来られなかった者も大勢いた上で、この人数だ。彼らは、領主の葬儀だからと義務感で駆けつけたわけではない。全員が、少なからずグレイに助けられた者であり、村長としての日々の働きと人徳の賜物であった。


 参列する人々は皆白い祭服を纏い、手を組んで黙祷する。その先頭では、正式に当代の村長に任命されたカール・グレゴリオが、遺体を前に祈りを捧げている。


 光が溢れ出した。遺体から、参列者から、白い輝きが天に向かって昇っていく。旅立った光は、やがて日光や月光という形で地上に還り、地区全体を循環していく。最期の輝きは、人々を守る光となって世を照らす。


 葬儀とは、ベイリアル教の経典にも綴られる、最古の儀式の一つである。

 殺害された命は、ただ無念なだけでは終わらない。死してなお、生きる者を助けるため、悪を討つための力になり続ける。何より、魂が未練を残さず天国へ行けるように、祈るのだ。


 参列できなかった者たちは、アラミア大聖堂から昇る光を見て、作業の手を止める。一人一人が手を組み、黙祷した。少しでも助けになればと、離れたところからでも光を送る。




「本当に申し訳ありませんでした」

「いいのよパフェ。皆仕方ないことだってわかってる」


 葬儀を終え、人が掃けた後の大聖堂では二人の女が話をしていた。

 一人は、沈痛な面持ちで何度も謝罪を繰り返すパフェ。もう一人は、リリビィ・グレゴリオと言った。


 カールの実の娘であり、イーグル地区を統治するグレゴリオの姫君である。身寄りのなかったパフェとプラムは数年前までグレゴリオ家で世話になっており、二人にとっては姉のような存在でもあった。

 長い銀髪をした彼女は、パフェを慰める。


「お爺様だって、パフェが正しいってきっと言うわ。だからそんな顔しないで」

「でも……でも……」


 この後土葬されるグレイの遺体は胃と皮膚の一部が欠けており、完全ではなかった。解剖によって異常が見つかった箇所であり、未だに原因が判明していないためサンプルとして保存しておく必要があったのである。


 当然、遺体は完全であることが望ましく、経典にもそのように記述されている。しかし、魔物についてよく知るパフェは、分析が不十分なまましておくことは許可できなかった。


「私が、開いたんです……」

 彼女は、遺体にメスを入れた感触を思い出す。


「私が……主様を……」

「ごめんね、嫌な役回りさせて。辛かったでしょう」


 ついに泣いてしまうパフェを、リリビィは優しく抱きしめる。




「パフェ、聞いて」

 しばらくして落ち着くと、リリビィは本題に切り出す。


「わかってると思うけど、魔物は私たちグレゴリオ家を狙ってる」


 グレゴリオは領主の家系。彼らを失うことはすなわち、地区の統制が取れなくなることを意味する。またそれだけではなく、かの一族は神職の役割も担っており、地区全体の加護を支える柱なのである。


 支柱が折れれば天井が落ちる。敵がグレゴリオ家を狙うのは妥当であった。彼らの一人一人にはすでに護衛がついており、リリビィの後ろにも、三人の戦士たちが控えている。


「うちの使用人であるあなたにも、危害が及ぶかもしれない。だから注意して、一人では行動しないようにね」

「はい、心得ておきます」


 粛々と頭を下げるパフェに、リリビィは不満げな顔を作った。


「もー、相変わらず堅いんだから。私たち家族みたいなものなんだから、もっと砕けてもいいのよ?」

「そ、そういうわけには……」

「じゃあ試しに敬称外して、リリビィって呼んでみ? お姉ちゃんでもいいよ」


 厳かな雰囲気を解き、普段通りからかってくる彼女にパフェは困り果てる。


「ねぇ、話終わった?」


 そこに、退席していたプラムが帰ってくる。

 リリビィは目を光らせた。


「プ~ラ~ム~」

「げ! リリビィまだいたの⁉」

「プラム! 呼び捨てにしちゃダメでしょ!」

「あ、そうだった」

「逃げないでよプラム~」

「追いかけて来るな!」


 可愛い弟分を見つけたリリビィは大人げという言葉を忘れ、加護を使って全力疾走。無能のプラムはあっさり捕まり、頭を撫でまわされて髪がぐしゃぐしゃになった。


「プラムはお姉ちゃんって呼んでくれるよねー?」

「呼ばない!」

「相変わらず可愛いねぇ、お前は」

「うるさい!」


 ひとしきり可愛がった後、リリビィは拗ねた顔をしたプラムに言った。


「パフェのこと守ってあげてね。たった一人の家族なんだから」


 真剣な眼差しを、プラムは見返す。

 彼はリリビィのことを邪険に扱っているが、人としてはむしろ好きだった。彼女だけは唯一、加護のない自分を対等に扱ってくれるから。


 それに、と彼女は付け加える。


「あの子弱いんだから。心が」

「あははっ、知ってる」

「そ、そんなことないですよ……」


 パフェは慌てて否定している。

 プラムはぼんやりと、大聖堂の真ん中に建つ聖女の像を眺めた。


「おじいちゃん、まだ未練あるよね、きっと」

「え? ああ……そうね」


 リリビィは静かに肯定する。

 その囁くような声を聞きながら、彼は天井越しに天を仰ぎ、誓う。


「仇は取るからな」


 パフェは数日前のことを思い出し、悲し気に目を伏せた。



       ♦



 数日前。


「君には慎重さが足りない」

 宣言通り、プラムの病室にやって来たシルバーは、第一声にそう言った。


「危機を感じたのなら、まず人を頼るべきだった。頼らないにしても学校で戦うべきではなかった。行動の結果は最高だったが、それは運でしかない。君が助かったのも、他の生徒や教員が助かったのも、運でしかない。わかるな?」

「ごめんなさい」


 プラムは病床に座りながら頭を下げた。自分の行いがいかに無謀だったのかを理解している。彼は深く謝罪することで、反省の意を示した。

 シルバーはプラムを見つめ、だが、と続ける。


「君の気持ちは理解できる。不可思議な直感を今まで信用されてこなかったんだろう。なら、次何か危険を察知したら、まず俺たちを頼るんだ。俺たちは君の言うことを信じる」

「え、いいんですか?」

「もちろんだ」


 プラムはシルバーの感情を読んだ。疑念が残っている。


「本当は疑ってますよね?」

「俺はな。だが、俺の主が信頼している。なら従うまでだ」

「そういうことです」


 リンジェルがシルバーの後ろから顔を出した。彼女は微笑みを湛えながら椅子に腰を下ろし、話を引き継ぐ。


「私は君が直感力を発揮した場面に二度、遭遇しました。実績があります。理屈が不透明だろうと、有用なものは評価しなければなりません」


 さて、と彼女はそこで言葉を切り、用件を伝える。


「今、ネズミの巣を解体する調査隊を編成しています。そこに君も加わってほしいのですよ」

「え」

「待ってください」


 プラムが驚くと同時に、パフェが声を上げた。


「プラムは病み上がりなんです。そんな危険なところには行かせられません」

「病院に確認を取りました。葬儀までには退院し、激しい運動も可能であると、診察を受けていますね?」

「それは……」

「心配ですよね。わかります。ですが、人手が足らないのですよ」


 リンジェルは首を横に振り、現状の戦力を説明した。


「軍にも民間の業者にも応援を要請したのですが、全て断られてしまいました」

「全て?」

「はい、全て。どこも他で手一杯なのですね」


 パフェは絶句する。ステージ4の魔物が出現し、すでに被害が出ているのに、助けが来ない。それほど、世界には余裕がないのだ。


「少将の命令でも、ダメなんですか?」

「ええ、私は軍人としてはお飾りなもので、まだ大した権力は持っていないのですよ。でなければ、将官がこんなに好き勝手動いていいわけがないと思いませんか?」

「……応援が来るまでには、どれくらいかかりますか」

「少なくとも、一ヵ月」

「一ヵ月……」

「外部の勢力には期待できません。ネズミも、フクロウも、今いる戦力で対応するしかないと思ってください。プラムほどの人材を遊ばせておく余裕は、正直ありません」


 リンジェルはプラムを見る。


「君がいれば調査は大幅に短縮される。どうか、力を貸してくれませんか」


 彼女の言葉に、嘘はない。嘘はないが、しかし、


「僕は行かないよ」

「プラム……!」


 パフェが安堵と喜びの混じった声を上げる。


「大丈夫だよ。村の皆は強いから、何とかしてくれる」


 プラムから見たリンジェルの心には、何か企みのようなものがあった。悪人だとは思わないが、従うのは躊躇われた。


「それに、僕にできることなんてそんなにない……です」


 何より、プラム自身が戦力としての自分を信用していなかった。

 キツネの件で一層、痛感したのである。いやそもそも、日頃から自身の無力についてはわかっているのだ。わかっているのに、なぜか、危ないとわかると衝動的に走り出してしまう。それは、プラム本人にとっても不思議でならないことだった。


「私の趣味は」

 リンジェルが唐突に、関係のないことを言った。

「お金を集めることと、使うことです」


 プラムとパフェだけでなく、シルバーも訝しんでいる。


「自己紹介です。お互いのことを知る機会がないままだったので。君の趣味はなんですか? なければ、好きなことでもいいです」

「……散歩」


 プラムは不審がりながらも、答える。


「色んなものを見て回るのは、楽しい」

「いいですね」


 リンジェルは微笑み、柔らかく受け止めた。


「では、ネズミの巣へ散歩に行きましょうか。魔物の領域を歩いたことはありますか?」

「え」


 一瞬、狼狽える。


「ないよ。梟の森にも行ったことないし」

「村や町とは、随分違う景色が見られますよ。魔物の支配する巣とは、いわば小さな魔界ですから」


 魔界。その表現に、プラムの心は少しだけ沸き立った。


「難しいことは考えず、最初は散歩する気分で構いません。安全は彼が保障してくれます。危険な目には遭わせません」


 そう言って、リンジェルはシルバーを指し示した。

 彼の実力についてはプラムも目の当たりにしている。本当に保障されるだろうな、と思った。

 考え込む。


「どうしよ」

「あの」


 パフェがリンジェルに声をかけた。


「もしプラムが行くのなら、私も同行させてくれませんか」


 あ。

 プラムは、リンジェルの心を覗いて、気づく。今彼女は、邪魔だな、と思った。


「もちろんです。こちらからお願いするつもりでした」


 彼女はやはり微笑んで答えている。感情と表情がまるで違う。

 嘘だとわかった。



       ♦



『ディアタウン』の東四番街に繋がる道には、立入禁止の看板が例外なく設置されている。廃墟に人の出入りを許すと事故や治安の悪化を招く恐れがあるため、数年前から完全に封鎖されているのである。


 看板の外側から見える限りの東四番街は、極めて清潔に保たれているようだった。壁のように連なる住宅はどれも加護を宿し、白い輝きに覆われている。当然汚れや傷はなく、老朽化も進んでいない。調査隊が侵入してからもそういう景色がしばらく続いたので、とても魔物の巣であるとは思えなかった。


 変化は、数百ヤード進んだあたりから現れた。


「色が違う」

 プラムが呟く。


 中央の大きな噴水が目立つ広場が、丸ごと変色していた。加護の文化圏において、町の色は白が好まれる。何年前だったか、プラムが訪れた時、この場所は確かに白かった。


 だというのに今、石やレンガでできた建物は、黒ずんだ赤、青、黄など、カラフルに染まっている。ペンキで塗ったとかではなく、最初からそういう色をしていたんじゃないかと思うくらいには色素が染みついており、もはや異物であった。元の色を保っている部分もあったが、そういうところの加護は微弱で、ほとんど残っていない。


「マナが混ざったせいだよ」

 パフェが言った。その手はしっかりとプラムに繋がれている。


 加護を持つ人間の住む場所が光で満たされるように、魔物が住む場所はマナの密度が上がる。漂うマナはあらゆる物質に触れ、溶け、混ざり、その材質や成分を魔法に由来するものへと変質させていく。


 長らく人が手入れしなかったために、道路に伸び放題になっている雑草。よく見れば、そうした植物たちも日頃見るものと異なっていた。紫色であることとは別に、捻じれている。どれもこれも曲がったり渦を巻いたり、ひねくれた育ち方をしたものばかりだ。魔界に生息する植物の特徴だよ、とパフェは説明した。


「プラム、付近に魔物の気配はありますか?」

「うーん、ない」

「そうですか。では、この広場を最初の拠点にしましょう。調査隊の皆さんは始めてください」


 調査隊は、四十人の修道士と二十人の戦士隊で構成されている。

 リンジェルが指示を出すと修道士たちは各々の持ち場へ散り、陣を張った。必ず三人一組以上で行動し、エリアの隅から隅までを念入りに調べていく。村の戦士隊は、修道士を守れるように前線に立ち、周囲を警戒している。メイジーは簡易的な天幕で休憩所を作り、働いた者たちが休めるよう準備を進めていた。


 ある組は魔法や研究の痕跡を探り、ある組は罠や隠し通路などに注意し、またある組はマナの濃度を確認して、羊皮紙や地図に書き込んでいく。そして調査が済むと、光を失った町に加護を張り直した。


 この張り直しは、絶対に怠ってはならない。マナの充満する領域では魔物は強化され、また加護は本来の力を発揮できず威力を落とす。この場所はすでに『ディアタウン』の一部ではなく、敵地のただ中なのだ。少しでも加護の領域を確保しなければ、すぐに囲まれ、規格外の魔法を放たれ、簡単に命を落としてしまうだろう。

 

 さらに、安全地帯があることは、先に進む上でも大きな足掛かりとなる。攻守どちらにおいても重要な仕事だ。修道士たちは気を張り、僅かな隙間もないように光を与えていく。


「ねぇパフェ、これは何?」

 プラムは道端にしゃがみ込み、そこに咲く花を指差して尋ねた。


「あー、これツキシズカだよ」

「嘘ぉ、これが!?」


 ツキシズカはイーグル地区を代表する花であり、村にも町にも至る所に咲いている。本来は薄い桃色をしているが、目の前のものは随分と違っていた。茎から花にかけて水色と黄色の二色に分かれ、二重螺旋を描いている。


「ほら、葉っぱの形が一緒」

「ほんとだ」


 見慣れた花すらも原型を失ってしまう。ここは本当に別世界なのだと、プラムは実感した。


「この辺はまだマシな方だよ」

 パフェは先に目を向ける。


「奥に進んでいけば、もっと魔界っぽくなる」

「そうなんだ」


 彼は感心しながら、東四番街を歩いていく。気になるものが目につけばその都度じっと観察し、これは? とパフェに尋ねる。飽きればその場を離れて、また別の気になるものの前でしゃがみ込む。歩いて止まってを繰り返し、自由気ままに回っている。


 一方でパフェは、最初のツキシズカをずっと気にしていた。


「自然に育ってこんなことになるかなぁ?」


 自分の持つ知識と花の状態を照らし合わせ、微かな違和感を覚えていた。鮮やかな螺旋はどうにも不自然で、何か意図的な調整が働いているのではないかと疑ってしまう。

 彼女は様々な角度から写真を撮り、資料とする。


「顕微鏡あったらよかったのに」

 とぼやいたところで、プラムがいないことに気づく。

「あれ?」


 さっきまで手を繋いでいたのに、いつの間に離れてしまったのか。辺りを見回すと、いた。建物の屋上に立ち、色素の違う空を見上げている。


「もう! 勝手にどっか行かないでよ!」

 パフェは慌てて向かっていく。



「おい、アイツほんとに散歩してるぞ」

 シルバーはまるで緊張感のないプラムを眺め、呆れ半分の顔をする。


「うふふ、大物ですよね」

 リンジェルは休憩所の椅子に足を組みながら腰かけている。その周囲にマナが入り込まないよう、メイジーが加護を張っている。


「確かに、ほとんど戦闘経験のない十四歳とは思えない」


 敵地の中にあって、プラムはあまりにもマイペースに振る舞っていた。強がりなどではなく、ただただ普段通りに見える。驚くべきことだ。軍人でもここまで肝が据わっている者はそういない。勇敢さゆえか、ただ鈍感なのかは判断がつかないところだが。


「静かだな」

 シルバーは呟く。


 東四番街は、いっそ不気味なほどに音がなかった。魔物の鳴き声は一つとしてなく、気配すらも感じない。まだ巣の入り口であるとはいえ、こうも易々と加護の侵食を許しているこの状況はあまりにも不可解であった。


 いったい何を企んでいるのかと、否応なしに考えてしまう。修道士も戦士も物音に敏感になる。表情が硬くなっている。


「まぁ、何かあればプラムが気づきますよ」

「大丈夫か? 忘れてるんじゃないのか?」

「その時はシルバーがなんとかしてください」

「お前……」


 シルバーはため息をつきながら、リンジェルの図太さも大概だな、と思った。



「ん?」


 屋上から景色を見渡していたプラムは、ピクリと反応する。

 顔を出し、全体に声を飛ばす。


「ねぇ! なんか来る! 南の方から!」


 調査隊の緊張感が高まる。


「ほらね」

 リンジェルは腰を上げる。


 日照時間の短い空は、早くも暗くなっていく。



 誰もいない通りの真ん中を、小さな野犬が塞いでいた。体毛は赤黒く、髭や尻尾が捻じれ始めている。イヌの魔物だ。

 イヌは人間に気づくと牙を剥き出して威嚇し、一歩、二歩と様子を窺うように距離を詰めた。前足の触れた大地はマナの侵食が進み、変色が濃くなっていく。


 戦士隊が前線、修道士が中衛、その後ろから、プラムたちは魔物を観察する。


「多分、ソイツそんな強くない」

 プラムが言った。


「同感です。ステージ1にも満たないように見えます」

 パフェが肯定する。


「あ、でも、弱く見せてる可能性もあるので注意してください」

 不安になって言い直した。


 異なる視点から見識を述べる二人だが、それがなくとも、調査隊は眼前の魔物がさほど脅威でないことを察していた。

 喉を鳴らし、必死に怒りの表情を作るイヌだが、その足取りは覚束ない。明らかに衰弱していた。


「俺がやる」

 シルバーが前に出た。武器はなく、両手に光を込めて構える。


 イヌが吼えた。

 マナを含んだ怒声は空気を揺るがし、敵の肉体に衝撃を与える一打となる。しかし、魔法と呼ぶにはあまりにも質が低い。


 シルバーは加護の壁を展開する。それだけでマナは霧散し、消えていった。

 詠唱する。


「【シィール】」


 加護の光が檻を形成していく。魔物は抵抗することも逃げることも敵わず、あっさりと封印された。


「もう近くに魔物はいない」

 プラムが周囲を見回し、ようやく調査隊は肩の力を抜く。


「魔物化して日が浅いんだろう。そういう感触だった」

 シルバーが所感を述べる。

「うん、なんかその辺の野良犬って感じだ」

 プラムも直感を伝える。

「迷い込んだのかもしれませんね」

 リンジェルは推測した。


 物質に混ざるマナは、当然生物にも混ざる。加護を宿した動物であろうとも、長く魔物の領域に身を置いていれば、いずれは魔物になっていく。このイヌがそうだ。赤黒い体毛には薄っすらと白が残っており、光の痕跡が窺える。東四番街と同じように、元はただの動物だったのだ。


 迷い込み、そのまま抜け出せなくなったのか。その末に、とうとう人間に牙を剥くまでになってしまったのである。

 パフェはイヌのそばに膝をつき、観察する。


 体表は完全に魔物化しているが、体内には微弱ながら、加護が残っているようだった。一つの肉体を二つの力が食い合っている状態だ。相当辛いだろう。生気のない瞳が、助けを求めるように揺れている。


「かわいそうね」

 パフェはぽつりと呟く。


 他人事ではない。もし、万が一、イーグル地区が魔物に乗っ取られるようなことがあれば、人間もこうなる。




 初日の調査は無事に終了した。

 あまりにも何事もなかった。恐らくネズミの支配下にも入っていないだろうイヌを除けば、魔物の出現はゼロだ。エリア一つ分にも及ぶ魔物の群れが、じっと息を潜めている。完璧な統制が取れている証拠だ。敵の親玉はよほど信頼されているらしい。それほどの個体が立てる策とは、いったいどれほどのものか。リンジェルは思案を巡らせる。


 調査隊は帰路につく。拠点には戦士隊と修道士が数名ずつ残り、見張りと加護の維持に務める。

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