第6話 第二章「勇気に花束」


 戦士隊が駆けつけた時には、清掃業者が住むアパートはすでにもぬけの殻だった。警察署長宅も同様であり、さらに、東三番街に住んでいた町人、二十七名もまた行方をくらませている。


 それらの部屋全てから、キツネ属のマナが検出された。『ディアタウン』には計五十一体の魔物が人間に化け、潜伏していたことが判明する。


 キツネの魔物で構成される魔法社会の業者、「シアター」の仕業だ。群れの脅威度はステージ4の中でも上位。主な縄張りであるオゥジュ大陸では最重要危険団体にも指定されている。


 全ての個体が変身魔法を扱い、戦争、暗殺、テロなどにおける諜報活動を生業とする攪乱のスペシャリスト集団だ。二千年前から存在すると言われており、歴史上のあらゆる場面で人間社会を混乱に陥れてきた。



 シルバーが捕らえたキツネはその後レギオス教会に監禁され、強力な自白剤により有力な情報を漏らした。


 1、シアターの雇用主はネズミ。あくまで利害関係であり、それ以上の繋がりはない。

 2、ネズミは東四番街を巣としている。シアターの役割は主に、人間から巣を隠蔽すること。

 3、ネズミはフクロウだけでなく、地区周辺の魔物とも手を組んでいる。


 そして4、

 キツネは、自分たちは末端であり、計画の細部までは知らされていないと前置きした上で、推測を口にした。


「奴らがやろうとしてるのは、戦争なんて生易しいものじゃない。もっと酷いことだ」




「二人の仲は初めから最悪でした」

 ニックスと親友だったコロンは、聞き取りに対してポツポツと答える。


「中学校に入学したばかりの初対面の時、プラムがニックスの握手を拒んだんです。その瞬間は大勢が見ていました。皆、プラムはただニックスが気に入らないだけなんだと思って、彼の言い分を信じていませんでした。僕も……信じてなかった」


 加護の文化において、握手に応じないことは最大級の非礼である。経典にもそう記されており、家庭や学校でも、絶対にしてはいけないことと教えられる。同級生たちのプラムへの心象は、当然悪くなる。


「ニックスは乱暴者で、プラムは……なんていうか変な奴だから、どっちも好かれてはいなかったけど、やっぱり同情されていたのはニックスだったし、人望があったのもニックスでした。プラムは信用されてなくて、学校では浮いてました」


 コロンは過去を振り返る。


「三年くらい前から、ニックスは少し変わりました。正義感が強い奴だったのに、段々その手段が横暴になってた。今にして思えば、あの時から多分……」


 キツネと入れ替わっていた。


 本物のニックスはすでに死んでいるだろう。他の五十人も同様だ。彼らは誰にも気づかれることなく殺され、ずっと魂をさまよわせ続けていたのだ。

 親友の無念を想い、コロンは顔を覆った。


「協力ありがとうございます」


 聴取を終えたリンジェルは席を立ち、思考する。

 シアターは三年前に雇われた。恐らくその時から、イーグル地区では何らかの計画が動いている。




 五年前、天才的なリグランド黒ネズミが誕生した。


 薄暗い部屋に、独り。そのネズミは白衣を着て、紙面にペンを走らせている。彼はいつでもそうしていた。常に机に向かい、背を丸め、生きている時間の全てを研究に捧げる。


 彼は無駄を嫌う。

 短命なネズミには時間がない。無駄なことに割く時間があるのなら研究に費やす。そうでなければ、惑星の支配者である人間に打ち勝つことなどできない。それが彼の信条であった。休憩は無駄。娯楽は無駄。最近は、食事や睡眠さえも無駄に感じ始めている。


 そのネズミの知性を分類するなら、ステージ4の中でも最上位に君臨することは間違いない。彼の研究は、それほどまでに次元が違った。人類がその部屋に積まれている資料を拾い集め、内容を読み解いたなら、真っ先に駆除の判断を下すだろう。


 ベルが鳴った。仲間のネズミが報告に来た合図だ。


「シアターの使者ガお見えでス」


 部屋に、キツネの形をした白い煙のような存在が入ってくる。サイズはネズミと同程度であり、本体のキツネよりも遥かに小さい。


 それは「霊」属性のマナを混ぜて作られた、キツネの魂である。使者はニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべ、用件を口にする。


「追加の料金を請求に伺いました。ウチの大切なキャストが三体も捕まってしもたんでね。契約通り、死亡扱いの金額に切り替えさせてもらいますよ」


 ネズミは研究の手を止めない。使者に一瞥もくれず、要求に異を唱えた。


「彼らが捕まった責任は我々にはないと報告を受けている。敵の挑発に乗ったそうだが」

「あの子らはまだ子供でね。カッとなりやすいんですわ。最初にご了承いただいたはずでは?」

「いくらでも誤魔化しようのある状況だった。自ら正体を明かすなど未熟以前の問題だ。商品の質が悪すぎる。規定金額を支払ったことにすら疑問を感じている」

「加護まで再現できるキャストは貴重なんです。多少技術が劣ってもと要求してきたのはそちらさんだったハズですね」

「その特殊技能をもってしてもなお質が悪いと言っているんだ」

「そんなんただの難癖ですわ。埒が明きませんなぁ」


 二者の間で空気がひりつく。しばしの沈黙が訪れた。

 ネズミの方が先に口を開いた。


「まあいい。要求を飲もう」

「まいど♪」


 使者は煙のようにその身を溶かし、消えていく。


「ヨカったのデスか?」

 仲間のネズミが尋ねる。


「ああ、あれ以上の交渉は無駄だ。計画に支障をきたすリスクがある」


 彼は紙を一枚取り出すと、研究を中断して次の指示を書き記す。背を向けたままその紙を投げた。ゆるやかな軌道を描き、指示書きは仲間の手に収まる。


「『ピクシー』に依頼しろ。早急にだ」

「了解しまシタ」


 必要最低限のやり取りを交わし、ネズミは下がる。

 余分なコミュニケーションは無駄だ。彼は仲間たちの顔をほとんど知らないし、名前すら覚えていない。そもそもとして、名前の必要性を感じない。あんなものはただの記号だ。ゆえに彼は、自分自身の名前すらもつけていない。


 好きに呼べと、仲間たちには伝えていた。

 群れのネズミたちは彼の知性を称え、ドクターと呼んだ。



       ♦



 目を覚ますと、病院の天井があった。

 プラムは焦点の合わない視界で、ぼんやりと記憶を探る。


 礼拝堂でボロボロにされた後、すぐに病院に運ばれて、治療を受けて、医者に何日か入院しましょうと言われたところまでは覚えていた。どれくらい眠っていたのだろう。頭が重い。


 寝た体勢のまま、首だけ横に向ける。病床の隣に腰を下ろしたパフェが本を読んでいた。丸い眼鏡をかけている。読書をするときはいつもそうしている。窓の外から涼しい風が吹き、白い髪を揺らしていた。


 なんでボロボロになってたんだっけ?

 そう考えたところで、急激に目が冴えた。


「あーっ!!」

 勢いよく起き上がる。

「わぁぁ、ビックリした!! 何っ!?」


 突然大声を上げた義弟に驚いたパフェが椅子から転げ落ちそうになる。思わず放り投げた本が宙を舞っている。眼鏡がずれている。

 彼女は暴れる心臓を押さえるようにし、衝撃が抜け切らない顔でベッドを見る。


「あ、プラム起きた」

「ねぇ! どうなった!?」

「え?」

「あれからどうなった!? ニックスは!? 学校は!?」


 プラムは前のめりになって状況を尋ねる。すると激しい運動に筋肉が悲鳴を上げ、全身の傷口という傷口がビキリと軋んだ。


「いぃっっっっったぁい!!」

「急に動いちゃダメでしょ!!」


 パフェは慌てて加護を施す。




「じゃあ、とりあえず今は平気なんだ」

「そう。だからゆっくり安静にしてていいんだよ」


 眠っていた二日ほどのあらましを聞くと、プラムは息をついて背もたれに寄りかかる。町全体に意識を向けてみると、確かにずっとあった嫌な気配が消えていた。


「でも、まだ終わってないよね」


 東四番街の方には、依然としておどろおどろしい空気が蠢いている。


「うん。ネズミの巣は残ってる。解体するために、これから長い戦いになるみたい。だから今のうちに少しでも休んで、万全の状態にしておこう。ね?」

「わかった」


 パフェは安堵に胸を撫でおろす。

 とにかく落ち着きのないプラムは、危険があるとわかれば傷だらけの身体でも突っ走ってしまう恐れがあった。今の『わかった』は、納得した時の『わかった』だ。ひとまず、暴走機関車を止めることに成功する。


「しばらくは病室で絶対安静。いい?」

「はーい」

「体中痛くて不便でしょ。何でも言って、手伝うから。あ、お腹空いたんじゃない? 二日も寝てたもんね」


 彼女はりんごとナイフを取り出し、どうする? と問いかける。プラムは少し考えた。


「何でも?」

「うん、何でも」

「じゃあ外に出たい」

「それはダメ」


 あっさり拒否されて、口を開ける。


「何でもって言ったじゃないか!」

「だからってそれはダメだよ! 絶対安静って言ったでしょ! それに、プラムはすぐにどっか行っちゃうんだから、少しはおとなしくしてるべき!」

「えー」


 口を一文字に引き結び、断固とした姿勢を取るパフェからは、小さな怒りが感じ取れた。


「怒ってる?」

「そりゃそうだよ! 本当にビックリしたんだから!」

「あー……」


 戦えないプラムが、誰にも相談せず一人で魔物と相対したことは、非難されて当然の行いだった。それがわかっているから、彼は反論することができない。


「ごめん。やっぱ静かにしてるよ」

「はい、そうしてください」


 残り数日間、ベッドの上から動けない入院生活を思い、プラムは肩を落とした。じっとしているのは好きではなかった。

 うつむいた視線。その傍らに、大きな花束を発見する。


「この花はどうしたの?」


 広い花弁をした黄色い花が十輪ほど、包装紙の中でひしめき合っている。病院の一際白い加護の中にあって、綺麗に色づいていた。


「それはね、学校の皆がお見舞いに来た時くれたんだよ。全員で」

「え」


 予想外の回答にプラムは面食らう。


「疑ってごめんって謝ってたよ。あと、助けてくれてありがとうって。よかったね」

「いつ来たの?」

「昨日の夕方。起きたらまた来るって」

「じゃあ今呼ぼうよ。起きたから」

「そんな遊びに誘うみたいな」

「ダメ?」

「ダメ。病院だから」

「そっか」


 プラムは花に手を伸ばそうとして、しかし、躊躇う。


「これ、貰ってもいいのかな?」

「どうして?」

「だって、結局なんにもできなかったし」


 学校での戦いでプラムがしたことと言えば、周囲を危険に晒して、あとはボコボコにされたくらいだ。なのに感謝されてもいいのか、疑問だった。


「いいんだよ」

 パフェは迷わずに言う。


「キツネの魔物が三体も捕まったんだから。プラムのおかげで、今だけじゃなくて、これから大勢の人が助かるんだよ」


 プラムが直接捕まえたわけではなかったが、それでも十分だった。シアターを足止めしたという功績は、それほどまでに大きい。


「それに、プラムは一人でずっと戦ってきたんだから」


 彼が中学校に入学してからの日々は、間違いなく戦いだった。信用されず、学校中から嫌われ、それでも折れずに反発し、危険を訴え続けた。そのおかげで生徒たちが助かったと言っても過言ではないのだ。誰よりも勇敢に立ち向かった、これは、プラムの勝利だ。


「だから、はい」


 パフェは花束を差し出した。

 おずおずと受け取るプラムの表情は、段々と綻んでいった。


「んふふ」


 幸せそうな顔をして、大切に大切に、花束を抱きしめた。


「ねぇ、パフェ」

「なぁに?」

「やっぱり外に出ちゃダメ?」

「ダメ!」

「あー」


 パフェは思わず、いいよ、と言いそうになった。油断も隙もあったものではない。


「そんなに外行きたいの?」

「うん、部屋の中は退屈」


 パフェは複雑そうな表情を作り、ため息をついた。


「……じゃあ、ちょっとだけね」

「いいの?」

「ちょっとだけだからね!」

「わかった!」




 その後プラムは言いつけを守り、少し外の空気を吸うと、すぐに帰ってきた。

 花束を花瓶に移し替え、外から取ってきた花をいくつか加えながら、嬉しそうに飾りつけていた。

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