第3話 第一章「口を噤む」


 グレゴリオ邸の応接間には、鋭い緊張感が漂っていた。


 上座にはリンジェルが座り、その後ろにメイジーが控えている。王女と従者、それが彼女らの本来の関係である。対面に座るのは、村長代理のカールと役員が三人。村長、グレイ・グレゴリオの死亡が確認されたことにより、代理の役割は一時的なものではなくなってしまった。カールこそが、実質的な現在の村長だ。


 この場は、王族と村長の交渉の席である。

 リンジェルは差し出された紅茶に口をつけると、切り出す。


「みなさんはご存じなのですね。彼がどういう存在なのか」

「ええ。確証はありませんでしたが」

「他に知っている者は?」

「我々グレゴリオ家と数名の役員、大聖堂の司教、それから、義姉のパフェだけです」

「そうですか。では――」

「これだけは言っておきたい」


 カールは畏れ多くも王族の発言を遮った。緊張した面持ちで、自らの意思を主張する。


「彼はプラム・ブルーです。オーリオーではない」


 リンジェルは微笑む。


「そうですね。今はまだ」


 含みのある言い方に、カールは眉間に皺を寄せる。

 苛立ちの表れではあるが、その表情には迫力が欠けていた。彼の肩にはすさまじい重圧がのしかかっている。王族を前にして、その要求に否を突きつけなければならない。胃が軋むように痛む。


「プラムを王都に連れて、どうするおつもりですか」

「人類の英雄になっていただきます」

「それはつまり、魔物と戦わせる、ということですね」

「はい。端的に言えば、徴兵です」


 リンジェルの表情は変わらない。上品で優美な微笑みを貼りつけている。カールにはそれが少しばかり、不気味に映った。


「応じていただけますね」

「お断りします」


 はっきりと突っぱねる。

 カールは深呼吸をしたい衝動をぐっと堪えた。荒い息が漏れないように、言葉を続ける。


「プラムは、この村の一員として誓いを立てた、この村の子供です。根を下ろすべきはこの村の大地であり、適用するべきはこの村の法です。何より、私にとっては息子のような存在だ。我々の手に人権がある限り、渡すわけにはいきませんよ」


 彼はあえて、人権という無機質な言葉を選んだ。情だけではなく、国のルールに則り、明確な根拠をもって、プラムは自分たちのものであると主張するために。

 リンジェルは、やはり微笑んでいた。


「彼を愛しているのですね」

 と、社交辞令を述べた。


「ですが、間違っています」

 紅茶にもう一度口をつける。

「彼の人権は王都にある」


 カールは言葉の意味がわからず訝しんだ。三人の役員たちと顔を見合わせるが、彼らにも心当たりはない。リンジェルは続ける。


「プラムは確かに『はじまりの村』に籍を置いていますが、この村で生まれたわけではありませんね。外からやってきたはずです」

「なぜそのことを」

「知っていますよ。なぜならプラムは王都で生まれたんですから。彼は――」


 そこでリンジェルは、衝撃的な事実を口にする。


 カールも役員たちも、目を見開く。口が開いたままになる。今言われたことをどう整理すればいいのか、まったくわからないでいた。


 次にカールは、プラムのことを考える。果たしてこれを、本人に打ち明けていいのか。その家族についても同じだ。パフェになら伝えてもいいのか。いいや、ある意味こちらの方が深刻だ。

 結論はすぐに出る。


「王女様、どうかこのことを、本人に伝えないでいただきたい。いいや、誰にも言ってはいけない!」

「なぜです?」

「なぜ⁉ そんなことを知って、耐えられるわけがないからです! わかるでしょう⁉ まだ十四歳の子供なんですよ! それに、酷い遺体を見て傷ついているんだ!」

「では、いつになれば伝えても構いませんか?」


 声を荒げるカールに、しかしリンジェルは、淡白に尋ねた。


「十五歳になって成人した時ですか?」

「傷心から立ち直った時ですか?」

「誕生日はいつですか?」

「あと何ヵ月待てばいいですか?」

「傷はいつ癒えますか?」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「いいえ待てません。魔物はせっかちです。すでに、死者が出ていますね?」


 矢継ぎ早に言葉を並べられ、カールはあっという間に追い詰められる。余裕がなくなり、焦りに表情が歪む。


「それに、私はもっとせっかちです」

 リンジェルの本性がちらつく。美しい目が、鋭く細められる。


「『今、世界中が魔物の脅威にさらされている』。『流星群を落とせる規格外の力が、人類には必要だ』」

 彼女は、原稿用紙でも読み上げるかのように感情を込めずに言った。


「と、いうのは、建前です」

 あまりにもあけすけに、打ち明ける。


「私が、欲しいのです。個人的にね」

 自分勝手な本心を告白しながら、なんら悪びれることなく、微笑んでいる。


「私が目をつけた時点で、プラム・ブルーが私のものになるのは確定しています。なぜなら、私はあらゆる手段を選ばないのだから。加えて、状況の上でも権限の上でも、あなた方に選択肢はない」


 絶句する。

 強欲の化身だ。権力者とはまさしく彼女のことだ。

 偏見と悪意を持って語られる支配者の姿が、カールの目の前にある。リンジェル・アリア・アメジストとはそういう女なのだと、彼は理解した。


「王族命令です。プラム・ブルーの身柄、人生、すべて――」

 リンジェルは目を見開く。

「――よこせ」


 宝石のような瞳が、ギラギラと、欲望の形に揺らめいている。



 その時、バタンッと大きな音を立てて、応接間の扉が開かれた。礼節もなく飛び込んできたその使用人は息を切らし、慌てた様子で報告する。


「た、大変です、カール様! 捕まえたネズミが――」



       ♦



 レギオス教会は築二千五百年を誇っており、村で最も古い建造物である。


 加護は歴史に宿る。長い年月をかけて研ぎ澄まされた加護は、最も清く、最も硬い。レギオス教会には傷も汚れもなく、新築よりもよほど美しい外観を保っている。強い加護を宿す建物はそうなる。

 どこよりも強力な加護を帯びる教会の、その地下室は、魔物を一時的に収容する檻として重宝されていた。


 避難施設としての役割を終え、地下室には地区から集められた十二人の優秀な司祭や修道士が一堂に会し、加護を高めている。室内は、かつてない純度の光で満ち満ちていた。


 その中央には、パフェが捕らえたネズミの魔物がおり、加護の檻で縛りつけられている。ネズミは衰弱し、ぐったりと動くことができない。高純度の光にあてられる魔物は絶え間なく浄化され、弱ることしかできないのである。

 教会の外には、さらに四人の結界士たちが強力な結界を展開しており、もはやネズミに逃げ場はない。絶対に逃がしてはならない。その意識が厳重な守りに表れている。


 新種の魔物を発見した際、まずしなければならないことは、魔物化と知性の段階の確認である。段階によって、魔物の脅威度は天と地ほども差がある。


 ステージ1:手が発達し、道具を扱うこと。

 ステージ2:口が発達し、口頭での意思疎通の片鱗を見せること。

 ステージ3:想像力を有し、金や時間などの抽象的な概念に理解を示すこと。

 ステージ4:研究や開発を行うなど、上位の知恵を持つこと。


 これからテストによって、ネズミがどのステージに分類されるか確認する。そしてステージ3以上であれば尋問を行い、持っている情報をすべて暴く。その予定だった。


 ゴフッ……。

 と、檻の中で咳の音がした。ネズミが血を吐いて倒れる。


「何?」


 司祭たちは驚愕した。急いで容態を確認したが、死んでいる。ネズミが自殺した。


 ありえないことだった。これほど加護の純度が高い場所では、魔法を使おうとしても、発動する前に浄化され、消滅する。命を奪うレベルの威力が出るはずがなかった。


 ネズミは死の直前、血文字で何らかの幾何学模様を自らの腹に書き、すると魔法は加護の浄化をものともせず解き放たれ、ネズミを殺したのである。


 自殺とは、想像力がなければできないことであり、この時点で、ステージ3以上であることが確定的となる。森のフクロウは平均してステージ2と記録されており、つまりネズミは、フクロウよりも強い。加えて、加護にも耐えうる未知の魔法。何より、情報を一つも得られなかった。


 その場にいた、祭司、修道士たちは、恐怖を覚える。

 想像も及ばない危機が、地区に迫っている。

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