応援コメント

皮膚と絆創膏」への応援コメント

  • 悪い選択によって傷付いて行く。それはもう無限に繰り返されるものだから、そういう間違った選択が自分の体積を越えて宇宙に溢れ出すような錯覚に陥るのだけれど、でも実は膝小僧の上で完結している不思議な質量を持った一点に留まり移動し続ける傷。
    結局は集中線みたいに、広がりは無数にあるけれど帰結は一点なのかもしれないですね。
    傷。間違いって言うのは、そういうものなのかもしれない。
    そんなことを考えさせられました。

    そうそう。
    >目的地を決めるためには役に立たないが
    >歩くたびにふらつく
    >なんだか楽しくなるのは
    >きっとこの
    >愉快な軸のせいです
    この流れ、度胸ありますよね。
    「立たないが」の『が』がどこに掛かっているかって「楽しくなる」なんですけど、文章の途中なので見失いそうですし、一行空いているので不安になるんですよね。でもこれが、平衡感覚を失って倒れていくときの、傷付くときの不安なのかもしれないと思いました。

    作者からの返信

    詩一さん

    コメントありがとうございます。
    なんと哲学的な解釈でしょうか。正直に申し上げますと、私が執筆時に期待する詩の効果以上の展開を詩一さんは繰り広げられているので、いつも詩の本質がどこにあるのかわからなくなるようで楽しいです(笑)素敵な体験をありがとうございます。
    集中線の例えなんて、もうそれだけを切り取って詩にできるのではないでしょうか。とても面白い解釈だと思います。

    それから流れをお褒めくださりありがとうございます。実は私自身、結構危うい書き方をしたなぁと思っていましたから、ズバリ言い当てられてしまって嬉しくなっています。今回も丁寧に読み取ってくださり、ありがとうございます!